7-2
そして、土曜日。俺はなぜか駅前の公園に一人でいた。
待ち合わせ相手はまだ来ない。状況はあの時とほとんど一緒だった。ただ一つ違うのは、待ち合わせ相手が舞方ではなく――
「待った?」
紗耶であるという事だけ。
「一体、何してたんだよ。人を五分も待たせて……」
「もう。そこは『今来たところだよ』って言う所でしょ? じゃあ、もう一回」
一度わざとらしく咳払いをして
「待った?」
紗耶は全く同じ台詞をもう一度言った。
「……今来たところだよ」
「本当? 良かった」
「……」
わざわざ一緒の家に住んでいるというのに外で落ち合う事にしたのは、もしかしてこれがやりたかったためか? もしそうだとしたら、あまりにも無意味過ぎる。
「行くか」
「うん」
一連の遣り取りに満足したらしい紗耶は、ひどく上機嫌な様子で俺の隣に並んだ。
「とりあえず、どこ行こうか? 裕君、目星付けてある店とかある?」
「別にないけど」
「そっか。なら、適当にその辺ぶらつこうか」
そう言うと、紗耶の腕が俺の腕へと絡む。
毎度の事なのでもう何も言うまい。
まず初めに入ったお店はお洒落な雰囲気のアンティークショップ。どこか古そうな品物が多数置かれており、種類も豊富だった。
店内に入ると、さすがの紗耶も腕を解く。
「わぁー。素敵」
目を輝かせながら、店内の品物を一つ一つ熱心に見ていく紗耶。
こういうお店は俺一人では入り辛い。やはり、今日は紗耶と来て正解だったな。
「ねぇ。見て見て、裕君。これ、きれい」
紗耶のはしゃぎぶりは、どう考えても当初の目的などすっかり忘れた物だったが、紗耶の気持ちに水を指すのも気が引けたので、店内にいる間俺は何も言わなかった。
結局、その店では何も買わず、俺たちは店内を後にした。
「次はこっち」
そう言って、連れて来られた店はブティック。
誕生日プレゼントに服というのは、俺と舞方の関係や年齢を考えて有りなのだろうか。
その事を紗耶に告げると
「ん? 無しじゃないかな」
と、平然な顔をして答えた。
「じゃあ、なんのためにこの店に入ったんだよ」
「うーん。私が見たかったから?」
「あのな」
思わず、肩が落ちる。
「まぁ、いいじゃない。ちゃんとプレゼント選ぶ店は店で考えてあるから。ね?」
「……だったら、いいけどさ」
「それより、裕君は私にはどういうのが似合うと思う?」
「そうだな……。こういうのとか、こういうのかな」
近い位置にあった服を二枚手に取り、紗耶に見せる。
「へぇー。そういうのが好みなんだ」
「別に好みってわけじゃ……ただ単純に紗耶にはこういうのが似合いそうってだけで」
「じゃあ、ちょっと試着してみるね」
「え?」
試着室の中に入る紗耶と、取り残される俺。
こういう場所に一人でいるというのは、ひどく居心地が悪い。こんな場所に一人でいる所を誰かに見られでもしたら……。
「――あらっ」
早速、知り合いから声を掛けられてしまった。
この声、そしてこの声の掛け方は……。
「裕也君じゃない? あ、やっぱり裕也君だ」
「香奈枝さん……」
俺に声を掛けてきた香奈枝さんの格好は、白いシャツに黒いロングパンツ姿とまるで店員か何かのようないでたち……というか、店員そのものだった。胸には眞鍋というプレートも付いているし、間違いなさそうだ。
「香奈枝さん、ここで働いてるんですか?」
「あれ? 彩音ちゃんから聞いてなかった? 私、ここのオーナーなの。といっても、雇われオーナーだけどね」
何となく普通の会社員ではなさそうだと思っていたが、まさかブティックのオーナーだったとは。言われてみれば、確かに香奈枝さんにぴったりの仕事だ。
もしかしたら、香奈枝さんの見た目が若く見える理由には、こういう仕事をしている事も影響しているのかもしれない。
「裕也君は……一人?」
「いえ、その、従妹と来たんですけど」
そう言って、視線を試着室に移す。
「あぁ、試着中なのね。裕也君、従妹さんとのデートもいいけど、彩音ちゃんもちゃんと構ってあげてね」
「デートだなんて、そんな……。舞方へのプレゼント選びを手伝ってもらってるだけです」
「うふふ。冗談よ。じゃあ、私はお昼休みに入るから、後は……ごゆっくりお選びください」
最後はお店の店員らしく丁寧なお辞儀をして、香奈枝さんは俺の元から去っていった。
「裕君」
「あ、うん。何?」
試着室のカーテンが開き、紗耶が姿を現した。
「着てみたんだけど、どうかな?」
「とてもよく似合ってると思うよ」
「本当? じゃあ、次も着てみるね」
カーテンに手を掛けて閉めようとした紗耶の手が途中で止まった。
「さっき話し声が聞こえたみたいだったけど、裕君、誰かと話してた?」
「あぁ、舞方の叔母さんがここのオーナーだったらしくて少しな」
「ふーん……。そう」
目の前でカーテンが乱暴気味に閉まる。
俺、今、紗耶に何か気に障る事でも言ったか?
最終的に今日回った店は十三件。
途中、昼食のために寄ったファーストフードも入れれば、十四件の店を今日一日で回った事になる。俺としては結構な量で非常に疲れたのだが、紗耶はけろっとしているので女の子にとってはこのくらい当たり前なのかもしれない。
そういえば、あの時も昼食はファーストフードだったな――と少し先を歩く紗耶を見ながらふと思う。
今日の紗耶はどこかおかしかった。妙に浮かれているというか無理にテンションを上げているというか、とにかくいつもとは少し違った。
「裕君」
紗耶が立ち止まり、振り返る。
双六で振り出しに戻るというマス目があるが、今まさに俺たちは今日一日のある意味、振り出しの地点にいた。
駅前の公園。沈みかけた日が噴水から噴き出す水を照らす。
噴水の前に少し距離を取って立つ男女という構図は、まるでドラマのワンシーンのようだ。
「今日はありがとう」
「お礼を言うのは俺の方だろ? 付き合ってもらったのは俺の方なんだから」
「うんうん。今日入ったお店の半分近くはプレゼント選びとは、全く関係ないお店だったから……」
確かにそうだが、誘ったのは俺だ。やはり、付き合ってもらったのも俺だろう。
「ねぇ。覚えてる? 初めて二人でデパートに行った日の事」
「あぁ」
昨日のように覚えている。
あれがきっかけで俺は立ち直る事が出来た。歩き出す事が出来たのだ。
「あの日、裕君が笑ってくれて私嬉しかった。私が裕君の気持ちを救ったんだって少し優越感にも浸ってた。私が裕君の心の支えになるんだって勝手に思った」
「実際、紗耶のお陰だよ。今の俺があるのは」
口先だけでなく、本当にそう思っている。
「……私は裕君の唯一の存在になりたかったの」
真剣な瞳、真剣な思いが俺に突き刺さる。
「従妹なら付き合う事も出来るし、結婚も出来る。そう思ってた。そう願ってた。でも、後一年足りなかった」
舞方の言った事は正しかった。そして、そうではないかと俺も薄々気付いてはいた。だが、その思いがこれ程真剣なものだとは思ってもみなかった。どこか中学生イコール子供と思っていたのかもしれない。俺と紗耶の年は一年しか違わないにも関わらず……。
「同じ高校に入って、同じ時間を過ごして、一学期中には告白するつもりだった。でも、その前に裕君は舞方さんと出会ってしまった」
二人が出会った事が、偶然だったのか必然だったのかは分からない。ただ、紗耶にとってそれは不運だったのだろう。
「舞方さんに出会ってから裕君は変わった。以前に増して明るくなったし、優しくなった。それが嬉しくて、でも悲しかった。その変化をもたらしたのが私じゃなくて、違う人だったから」
そう言って、紗耶は寂しそうに笑った。
「分かってる。裕君が舞方さんの事を選んだんだって。私じゃない別の人を選んだんだって。でも、割り切れないよ。人の気持ちは理屈じゃないから。どんなに理由付けしたって、納得さえようとしたって簡単には割り切れないんだよ」
「紗耶……」
もっと早く紗耶の気持ちに気付ていれば、こんなにも紗耶を傷つけなくて済んだのかもしれない。でも、時は戻らない。決して、後ろには進まない。前にしか進まないのだと、そう紗耶から教えてもらった。
「なぁ。紗耶。俺、お前と一緒にいると楽しいよ。一番安心出来る相手だし、一番信頼出来る相手だから」
それは俺の本心だった。そこだけは悪いが、舞方も敵わない、紗耶が俺の中でナンバーワンな部分だ。だけど、逆に言えば、それは俺が紗耶を一人の女の子としてではなく、家族として見てしまっている裏返しでもあった。
「確かに、俺はお前じゃなくて舞方を選んだかもしれない。でも、俺にとってお前も唯一の存在なんだ。掛け替えの無い、ただ一つの存在なんだ。それだけは分かってくれ」
紗耶は顔を俯かせたまま、何も言わない。
泣いているのかもしれない。怒っているのかもしれない。
じっとして動かない紗耶の体の肩だけが、唯一微かに上下していた。
「……くくく」
「へ?」
最初、自分の聞き間違いかと思った。
だって、紗耶から聞こえてくるその声は、どう聞いても笑いを堪えた時のそれに似ていたから。しかし、それが聞き間違いではなかった事をすぐに俺は知る。
「あはははは」
紗耶が突然、腹を抱えて笑い出したのだ。
失礼ながら、一瞬、本気で頭がおかしくなかったのかと思った。
「何、裕君、責任感じちゃってるの。馬鹿みたい」
「何だよ、人が真剣に――」
「裕君が責任感じる必要はないんだよ。もちろん、舞方さんも。私が勝手に裕君を好きになって、勝手に負けただけ。ただ、それだけだよ」
「だったら」
先程までの暗い空気は一体……。
「ん? とりあえず、言っておきたかっただけ。言ってすっきりしたかったの。溜め込むのもなんだし、いい機会かなって。それに――」
紗耶は満面の笑みを浮かべて俺に言った。
「まだ私、裕君の事諦めたわけじゃないから。今は舞方さんに彼女の位置を譲るけど、今後の展開次第では……。ね」
悪戯っ子のような顔で笑う紗耶。
その瞳の端に輝く物が、笑いに寄って生じた物なのかそれともそうではないのか、それを判断する事は今の俺には出来そうになかった。
「帰ろうか、裕君」
紗耶がいつもの調子で俺の名を呼ぶ。
少なくとも、その表情には暗い感情というものは見て取れなかった。




