7-1
「……」
目を覚ますと、ぼやけた視界いっぱいに青空が映った。
青い空、白い雲、そして、そこを飛び交う鳥達。
目覚めは良好だった。
あれ以来、悪夢にうなされる事はない。それは今回も例外ではなく……。
「お目覚め?」
「ああ……」
ひどく近い距離から聞こえてきた舞方の声に、頷きを返す。
このパターンは二度目……いや、三度目か。
「起きないの?」
「もう少し」
「……そう」
たっぷり感触を頭で味わった後、体を起こし、ベンチに座る。
名残惜しくはあったが、時間は有限、いつまでもこうしているわけにもいかない。
今、俺がいるのは、学校の屋上。あの時と同じく、自習を抜け出して昼寝をしていた俺を、昼休みになって舞方が捜しに来たというわけだ。ただ、あの時と違うのは、自習が四時間目だった事と予め舞方にメールを送ってあった事、それに……。
「自習だからといって、サボっていいわけではないのよ」
「分かってるって。けど、今日は寝不足なんだ」
言いながら、俺は欠伸をしてみせる。
「……まだあの夢見るの?」
「ん? ああ……。いや、この前、舞方に借りた小説の先が気になっちゃって。次のシーン、次のシーンってやってる内に、二時過ぎてた」
日頃、本を読まない俺にとってこういう事は珍しく、正直、自分でも驚いている。
「呆れた。そんなんじゃ、次の試験が思いやられるわ」
「うえ。止めてくれよ。この前、テスト終わったばかりなのに」
テストはまだ全教科帰ってきてはないが、今の所、結果はまずまずだ。少なくとも、前回よりはいい。これも全て、優秀な家庭教師樣のお陰である。やはり、家庭教師は美人に限るな。うん。目の前に舞方がいるといないとでは、色々な意味でやる気が違う。
「今、あなた、馬鹿な事考えてるでしょ?」
まるで俺の思考を読んだように、舞方が俺をジト目で睨んでくる。
「馬鹿な事? 俺が今考えてたのは、舞方は今日も可愛いなって事ぐらいだけど?」
「なっ!?」
俺の言葉に、舞方が顔を赤くして動揺を顔に見せる。
こういう反応は少し前まで考えられなかったものなので、何だか嬉しい。
「……ホント、馬鹿なんだから」
呟くようにそう言った舞方だったが、その口元は明らかに緩んでいた。
「なんか、こうしてると、あの時を思い出すわね」
「まぁな」
昼休みに、屋上のベンチに、青空の下、二人で並んで腰掛けている。あの時と状況はほとんど同じだ。……まぁ、俺達の関係は、あの時とは大きく違っているが。
「もしあの後、私が愚痴らなかったら。もしあの後、私が笠井君を部屋に誘わなかったら。もしあの後、あんなに笠井君を引き留めなかったら。今の私達の関係はなかったのかしら」
「どうだろうな。舞方の方はどうだが知らないけど、俺の方は自分の気持ちにそう遅くない内に気付いてたんじゃないかな」
とはいえ、舞方の告白が自分の気持ちを知るきっかけとなったのはまず間違いなく、そう考えるとはっきりした事は言えなくなってくる。
「私はきっと、まだ心を閉ざしたままだったと思う。あの頃の私は凄く臆病だったから」
自嘲気味な表情で下を向く舞方の頭を、軽くぽんぽんと二度程叩く。
「もしなんて言い出したらキリないしさ。むしろ、前向きに考えた方が建設的だろ? あの時の私があって今の私がいるってな」
「そうね。過去を振り返るより今を見据えて前向く方が、ずっと賢い考え方、生き方だわ」
そう言って俺の方を見た舞方の体を、俺はふいに抱きしめた。
「え? 何?」
「何となく……」
衝動的に抱きしめたくなったのだ。
「そう……」
怖ず怖ずと俺の背中に、舞方の手が回される。
このまま、時が停まればいいのに。本気でそう思った。
『もしもし、裕也君? 今、彩音ちゃんと一緒にいる?』
それは、ようやく期末テストが終わった週の終わりの出来事だった。
夕方の六時頃。自室でくつろいでいた俺の携帯に、一本の電話が掛かってきた。電話を掛けてきた相手は、舞方の叔母の眞鍋香奈枝さん。
彼女からの電話を俺が受けるのは今日が二度目。舞方が風邪を引いて俺がその看病を頼まれた時と今日のこの電話だけだ。
「今日はアパートまで送り届けて、舞方とはそこでそのまま別れましたけど……。何かありました?」
日頃、掛かって来ない相手からの電話というのは、何か余程の事があるような気がして緊張する。
『ううん。そうじゃないの。ただ、彩音ちゃんにはあまり聞かれたくない内容の話だから。一緒にいないならいいの』
舞方に聞かれたくない内容? 一体、何事だろう。
『裕也君は、来週の水曜日がなんの日か知ってる?』
「来週の水曜日ですか?」
海の日はまだだし、七月に他に祝日は……。
「分かりません。一体、なんの日なんです?」
『彩音ちゃんの誕生日』
「……え?」
舞方の誕生日?
「でも、舞方の奴、そんな素振りは全然……」
その事実を知った今思い返しても、特にこれといって気に掛かる行動や言動はない。ただ単純に俺が見逃していただけかもしれないが。
『やっぱり、知らなかったのね。本人の口からは、プレゼントねだるみたいで言いにくかったんでしょう』
「すみません。教えてもらって助かりました。すぐに何か用意します」
今週の休日にでも駅前に繰り出すとしよう。
とはいえ、何をプレゼントすればいいのだろうか。今まで家族以外の人にプレゼントをした事がない俺には検討もつかない。
『うん。そうしてあげて。それで相談なんだけど、彩音ちゃんの誕生日会をウチで開きたいんだけど、どうかしら?』
「え? それには俺も?」
『もちろん、来てもらいたいんだけど……。ほらっ、彩音ちゃんに取っては彼氏と過ごす初めての誕生日でしょ? 裕也君と二人きりの方が彩音ちゃんのためかなと思って』
「そんな、気を遣ってもらわなくても……」
というか、まだ報告したわけでもないのに、そうはっきりと相手の保護者にそういう事実を認められてしまうと少し複雑なものがある。ある意味、助かるといえば助かるが……。
『じゃあ、誕生日会は開くという方向で。それと、一応、彩音ちゃんには内緒にしておいてくれる? 今までそういう事やった事ないし、前以って知らせておいてもあれだし』
「分かりました」
家族で開く初めての誕生日会。逆に、そこに俺がいてもいいものなのだろうか。舞方と香奈枝さんの二人だけでやった方がいい気もするが……。
「あの……」
『何?』
「……いえ、なんでもないです」
言い掛けた言葉を飲み込む。
折角、香奈枝さんが誘ってくれているのだ。それを指摘するのは、それこそ野暮だろう。
『そう? じゃあ、もうすぐアパート着くから切るわね。彩音ちゃんへのプレゼントよろしくね』
香奈枝さんとの電話が切れ、部屋に静けさが戻る。
プレゼントか。やはり、女の子の好みは、女の子に聞くのが一番だよな。そして、こんな事を相談出来る女の子と言えば……。よし。
自室を出て、隣の部屋の扉をノックする。
「はーい」
中から聞こえる声。
そのすぐ後に内側から扉が開く。
「あ、裕君。どうしたの? 何か用?」
中から出て来たのは、この部屋の主の紗耶。その格好は、ハーフパンツにTシャツと大分ラフだ。まぁ、いつもの恰好だが。
「あぁ、今週の土日なんだけど、何か用事あるか?」
「土日? 特にないけど、なんで?」
「誕生日プレゼント選びを手伝って欲しいんだけど……」
「誕生日プレゼント? もしかして……舞方さんの?」
やはり分かるか。というか、他にないよな。
「ああ。来週らしいんだ」
もし前に舞方が言った事が真実だとしたら、俺は紗耶に対して惨い申し出をしている事になるのかもしれない。それでも、紗耶以外に俺がこんな事を頼める人間は他にいなかった。
「ふーん。いいけど……」
「けど?」
「その代わり、私の買い物にも付き合ってよね……お兄ちゃん」
「……」
まだ引っ張るか、そのネタを。
後、言う前に言うかどうか迷うかのと、言ってから若干恥ずかしそうにするのは止めてください。余計、こっちが照れるんで。




