5-1
放課後。
付き合う前までは舞方を家まで送っていったりいかなかったりと、その時の状況によって俺たちの別れる場所はまちまちだったが、付き合い始めてからは必ず舞方を家まで送っていくようになった。
俺自身、どうしてそういう風になったのか分からない。自然、付き合うと決めた翌日からそういう空気というか雰囲気になっていたのだ。
「なぁ、舞方」
いつものように学校からの帰り道。隣を歩く舞方に言う。
「何よ」
「やっぱり、香奈枝さんに学校まで迎えに来てもらった方が良かったんじゃないか? お前のところの香奈枝さんが無理なら、別にウチの母さんに頼んでも良かったし」
「大丈夫だって。笠井君はいつも大げさなのよ」
そう舞方は言うものの、俺にはどう見ても、それぐらいするのが妥当な程舞方の体調は悪化してきているように感じられる。
朝会った時から舞方の体調は悪かった。
本人曰く、風邪らしい。
舞方が風邪を引いたと聞き、思い当たるのは週の初めに俺が傘を放り投げた一件だが、果たしてあの時雨に当たった事が原因なのだろうか。
仮にもしそうなら、舞方には悪い事をしたものだ。
そんな風に少し罪悪感を覚えながら、横目で舞方の様子を観察する。
朝家を出る前に測った時には熱はなかったようだが、今はどうだが分からない。顔色や頬の赤みを見る限り、今の舞方に熱がないとは考えにくいが……。
昼休みにも一回、保健室に行く事を勧めたのだが、その提案も舞方によって却下された。舞方はそういうところ、頑固なのだ。
「今日は帰ったらすぐ横になれよ」
「言われなくてもそうするわ」
体調が悪いせいか、舞方の口調は若干厳しめなものになっていた。
それが余計俺の心配を増加させる。
「今日は香奈枝さんが帰ってくるまで居ようか?」
「……勝手にすれば」
深早荘に着くと、なぜかその香奈枝さんがいた。
まだ仕事から帰ってくるには、大分早い時間である。何かあったのだろうか?
「どうかしたんですか?」
香奈枝さんの下に近づき声を掛ける。
「あらっ、二人共。ちょうど良かった。急な出張が入っちゃって、今からちょっと遠出をしないといけなくなっちゃったの……それはそうと」
香奈枝さんが舞方の両肩を持ち、顔を覗き込みように見る。
「彩音ちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」
「風邪らしいですよ」
俺がそう香奈枝さんに伝えると、舞方に横腹を肘で小突かれた。
「え? そうなの? 朝はそんな素振り全然見せていなかったのに……」
もしかしなくとも、舞方は香奈枝さんに心配掛けまいと、自分の体調の事を隠していたらしい。
「でも、困ったわ。そんなに顔色悪い子を一人で家に置いていくわけにもいかないし、かといって出張を止める事もできないし」
あれ? この状況、俺が悪いのか?
「私は大丈夫だから、行ってきて」
「そうは言っても……」
そこで香奈枝さんと目が合う。
「そうだ。裕也君。彩音ちゃんの面倒頼めるかしら」
「えっ!?」
「ちょっと、香奈枝さん!」
「だって、病気の彩音ちゃんを一人には出来ないでしょ? 裕也君が彩音ちゃんに付き添ってくれれば私も安心だし。ね?」
驚く俺と慌てる舞方を余所に、香奈枝さんは名案を思いついたと言わんばかりににっこりと微笑む。
「ダメ、かしら?」
「さすがに……」
俺が香奈枝さんの提案を断ろうとすると、
「分かった。そうしてもらうわ」
舞方が驚くべき言葉を口にした。
「って、舞方!」
「何よ。笠井君は嫌なの、私の面倒みるのが?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあ、そういう事で。あまり時間もないようだし、私はもう行くわ。裕也君、彩音ちゃんの事お願いね」
そう俺に言い置くと、香奈枝さんは少し大きめの鞄を持って、駅の方向へ向かって行ってしまった。
「なんだって言うんだ、一体」
俺が一人戸惑っている間に、舞方は鍵を開けて部屋に入って行ってしまう。
「舞方、待てよ」
それを慌てて追いかける俺。
「俺はどうすればいいんだよ」
「別に好きにすればいいんじゃない? 私は強制しないわ。それより着替えたいんだけど、いいかしら」
「あ、あぁ……」
俺の目の前で扉が閉まる。
さて、どうしたものか。
考える。
「……」
結局、考えたところで答えは出ず、俺は舞方が着替えてくるのをリビングで大人しく待つ事にした。
数分後、舞方は上下クリーム色のパジャマ姿でリビングに現れた。
舞方にそんな趣味があるかどうかは別にして、茶色い熊のぬいぐるみでも抱えていたらひどく似合いそうだ。
こう言ってはなんだが、いつもより可愛らしく見える。パジャマ姿という普段見る事のできない特殊な格好故に、気が緩んでいるように見えるのだろうか。
リビングに入るなり、舞方はソファーに腰を下ろし、
「で、結局どうするの?」
と話を切り出してきた。
「舞方がいいって言うなら、今日はここに泊まっていくよ。やっぱり、俺も舞方の事心配だし……」
「そう……。悪いわね」
肘掛けに体を預け、舞方が言う。
余程体が辛いのだろう。表情にも姿勢にも、いつもの覇気が感じられない。
「熱は?」
「まだ測ってない」
自室からはすぐに出て来たし、時間的にもそうだろうと思った。
「体温計は?」
舞方が指差す棚の一番上を探す。
様々な種類の薬と一緒に、そこには舞方の言う通り体温計もあった。耳で測るタイプの物ではなく、脇で測る旧式なやつだ。
「はい」
体温計をケースから抜き、舞方に手渡す。
「ありがとう」
それを脇に挟み、再び舞方は肘掛けに体を預ける。
「晩飯はどうする? お粥ぐらいなら俺も作れるけど」
「じゃあ、お願い」
外にいる時は気を張っていたのか、家に帰ってくるなり舞方の調子は見るからに悪くなっていた。
「毛布持ってこようか?」
「……お願い……」
もう半分寝そうになりながら、舞方が答える。
俺は舞方の部屋に入り、布団の中から毛布だけを抜き、リビングのソファーで眠る舞方にそれを掛けた。
少しすると、舞方の脇の辺りから電子音が鳴る。
若干躊躇しながら、俺は舞方の脇から体温計を抜き出した。
付き合い始めたとはいえ、相手の了承もなしに体に触るのはさすがに躊躇われる。……いや、例え了承はあったとして、触る部位によってはもちろん躊躇うが……。
体温計の液晶には、三十七度四分と記されていた。
熱はある。ただ、そう高いわけではない。
俺はひとまず一安心し、体温計をケースにしまいテーブルの上に置いた。
舞方の寝ている姿を見る限り、すぐに目を覚ますという事はなさそうだ。今の内に一度家に帰って色々と準備をしてくるか……。
リビングを出て、一〇五号室を後にする。
以前香奈枝さんから渡された合鍵を使い、扉の施錠を行う。
受け取った時は、さすがにこれを使う機会は来ないだろうと思ったが、それが思わぬところで役に立つ形となった。




