3-1
テストが終わった。三日間、七教科の全日程。
それなりに手ごたえはある。
特に舞方に教えてもらった数学は、もしかすると他の教科に引けを取らない点数が出そうだ。順位の方もおそらくは前回よりもかなり上がり、大分目標の数字に近づく事だろう。
だが、しかし、今はそれより――
「やっと終わったー」
椅子に腰掛けたまま、大きく体を伸ばす。
今日まで溜まりに溜まった何かを、全身から発散させるように俺は天井を仰いだ。
結果の事を考えるのは、晩飯の後にでも寝る前にでもいつでもできる。だから、今はただテスト勉強から開放された喜びを噛み締めたい。
辺りを見渡すと、他のクラスメイトも俺同様、それぞれ緩んだ表情・格好をしている。皆それぞれ今日まで大変だったのだろう。
「おい、笠井。この後、どうだ?」
クラスメイトの藤田に声を掛けられる。
テスト終了後は特に、この手の誘いの声を掛けられる事が多い。皆考える事は同じという事だろう。
「悪い。先約があるんだ」
「また、舞方か」
「まぁな」
苦笑を返しつつ、誤魔化さず正直に答える。
人それを開き直りとも言う。
「ふーん。了解」
「悪いな」
もう一度、藤田に謝罪の言葉を告げる。
「いや、別にいいけどさ。何? どこか行くのか?」
「映画館」
「映画? 今、なんか面白そうな奴やってたっけ?」
「というか、前に約束したし、気晴らしにはちょうどいいかなって」
「なるほど」
舞方を映画に誘ったのは今日の朝。
今日も含めて三日間、登校時に俺達がテストについて語る事はなかった。
どうせ教室に着けば嫌でもテストという現実に直面するのだから、登校中ぐらいはそれについて考えないようにしようという思考を二人共に持ち合っていたのだろう。それは自分に対する配慮であり、また相手に対する配慮でもあった。今更ジタバタしても仕方ないという考えも、多少お互いの頭にあったかもしれない。
というわけで、今日も登校中テストの話題には触れず、今日の放課後どうするというような会話をし、結果俺が映画に行く事を舞方に提案する形になったのだ。映画自体は前に舞方自身の口から言われたように、行く事に対して抵抗はなく逆に乗り気のようだった。
そして、放課後。
昼食にはまだ大分早い時間帯。昇降口で舞方と合流し、学校の敷地を出る。
「結局、今日はどんな映画を見る予定なの?」
「え? 別に、特には決めてないけど……」
「……」
冷ややかな視線が俺に突き刺さる。
「仕方ないだろう。急に思いついたんだから」
「ま、いいわ。その辺の事は、映画館に着いてから決めましょう」
映画館――といっても、今から行く場所は単独でそれだけを売りにしているような建物ではなく、ショッピングモールの中に店舗の一つとしてそれを構えている、映画館と呼んでもいいのか悩むような場所だ。
学校からそのショッピングモールまではかなり距離があり、さすがに歩いていくわけにはいかず、バスでそこまで向かう事になる。
校門から歩いて二・三メートルの位置にあるバス停。
その方向に向かうバスがちょうどあり、それ程待つ事なく、すぐにバスは来た。
車内はそれ程混んでおらず、空席が目立つ。
乗車率は、四分の一以下といったところだろうか。今のご時勢だからなのか、昔からこうなのか、少しバスの必要性が心配になる状況だ。
真ん中の辺りの座席に二人並んで座る。
先に舞方が窓側、後から俺が通路側に腰を下ろす形となった。
「ふわぁー」
隣で舞方が口を片手で押さえながら、小さく欠伸をする。
「眠い?」
「うん? まぁ……。昨日も寝るの遅かったし」
「バス停着くまで寝てくか?」
「うんうん。大丈夫」
と言いつつ、少し目尻が下がりだす舞方。
無理もない。今日でテストが終わったのだ。疲れもそうだが、何より今は安堵感で心がいっぱいだろう。
「笠井君は眠たくはないの?」
軽く船を漕ぎながら、舞方が言う。
「眠いけど、瞼が落ちてくる程ではないかな」
「そう」
それから数秒もしない内に、隣から寝息が聞こえてきた。
車中の話し相手を失った俺は、窓の外に目をやる。
窓の外を流れる住宅街。その景色を視界に入れつつ、思考を巡らす。
思考の対象は、隣で寝息を立てて眠る少女の事。
俺は舞方の事をどう思っているのだろう。自分の事ながら、自分の舞方への感情・思いがよく分からない。
一緒にいると居心地がいいし、安心もする。
誰よりも力になりたいと思うし、またなれたらいいとも思っている。
好きか嫌いかと聞かれれば、迷う事なく好きだと答えるだろう。
でも、分からない。
自分が舞方の事をどう思っているのか。
自分は舞方の事をどう好きなのか。
「う……ん……」
寝苦しいのか悩ましげな声を上げて、舞方の顔が俺の方へと倒れてくる。
肩に掛かる重み。
首筋にかかる寝息。
「……」
それらの要因が俺の思考を一時停止させる。
横を見ると、顔を動かすまでもなく、すぐ近くに舞方の顔があった。
長く上向きにカールした睫毛。
規則正しく動く口元。
あまりにも無防備なその姿から、目を逸らす事が出来ない。視線が引き付けられる。脳からうまく指令が伝達しない。
「……」
思わず手を伸ばして触れてみたくなるのを、自制心で押え込む。
前を向き、バスの行き先案内盤を見る。まだ目的のバス停までは、五つのバス停を越えていかなければならない。
……長い戦いになりそうだ。




