プロローグ
――あなたの秘密を知っている。バラされたくなかったら、昼休みに屋上へ。
下駄箱に入れられていた便箋には、綺麗な女性特有の文字でそんな事が書かれていた。
その文字はどこか機械的で、しかし、同時にどこか特別な思いみたいなものが篭っているような気がした。
「……」
なんだ、これは。嫌がらせか。にしては、意味不明過ぎる。やるなら、ラブレターを装うとか他にもやりようがあるだろう。大体、俺に秘密なんて――
「おっ、ラブレター?」
「なっ!」
背後からの声に、驚き、振り返る。クラスメイトの藤田が、俺の手元を後ろから覗き込んでいた。
「ちげーよ」
勘違いを訂正しつつ、便箋を藤田に見せる。
藤田は高校に入って初めて出来た友人であり、校内で一緒に過ごす時間が一番長い奴でもある。性格は明るい……というより軽いと称される事の方が多い藤田だが、意外に真面目で特に人間関係やスポーツに関してはそれが顕著に表れる。
「何々……。あなたの秘密を……。なんだ、これ」
「さぁ?」
藤田から返してもらった便箋を、折り畳んで胸ポケットに押し込む。
「しまうのか?」
意外そうな声を藤田があげた。
「一応、な……」
捨てるのもなんだし、それに、捨てた所や捨てた現物を手紙の相手に見られたら面倒だ。
下履きから上履き用のスリッパに履き換え、廊下に上がる。藤田が横に並ぶのを待ってから、教室を目指して歩き出した。
「お前、人に知られたくない秘密なんてあるの?」
「あるか、そんなもん」
もしあったとしても言わん。
「笠井の秘密と言えば、可愛い妹がいるって事くらいか」
「別に秘密ってわけじゃ……。というか、俺の妹、見た事ないだろ」
藤田とは学校の外で遊ぶ事はあるが、ウチに呼んだ事はまだないので、俺の家族とは顔を合わせてないはずだ。もちろん、俺から写真を見せたりもしてない。
「見なくても分かる。お前の妹なら、普通に可愛い」
「……」
真顔で気持ちの悪い事をぬかす藤田から、俺は思わず距離を取った。
もしかして、こいつ……。
「ん? どうした?」
「いや、なんでもない」
ちょっと、友人との付き合い方を見直すべきか迷っただけだ。
「にしても、妙だな。文面もそうだが、文字の感じからして差出人は女。しかも、字が綺麗と来てる。ただの悪戯とは考えにくいが……」
腕組みをして「うーん」と考え込む素振りを見せる藤田。その顔は真剣そのものだった。何だかんだ言って、こいつはいい奴なのだ。
「どうするつもりだ?」
「何が?」
「行くのか? 屋上」
「……」
正直、気持ちは半々だった。行って誰もいないだけならいいが、何かの罠や待ち伏せだったら行き損もいいところだ。とはいえ、無視するのもな……。
「昼まで考えるよ」
「あっそ。何なら、付いていってやろうか?」
「まぁ、それも考え中って事で」
昼休み。食事を終えた俺は、一人で北校舎六階の廊下に来ていた。
物置代わりに使われている、もしくは全く使われていない教室しかないこの廊下に足を踏み入れる人間は少なく、今も人気はない。実際、俺も教科担当から世界地図の片づけを頼まれた時に一度来たきりだ。
結局、来てしまった。藤田にはああ言ったが、実はあの時点にはすでにここに来る事はもう心の中で決めていた。ついでに、一人で来る事も。
屋上に続く階段は、ちょうど廊下の中央にあった。階段を登ると、鉄の扉があり、その先には――
〝ぎぃー〟という音と少しの抵抗の後、扉が開き、その隙間から光が差し込んだ。
コンクリートの床、転落防止用のフェンス、そしてその向こう側に広がる青空。構内にありながら、ここはまるで別世界のようだ。
いかんいかん。
瞬間、目の前の光景に見惚れそうになったが、すぐさま我に返り辺りを見渡す。
誰もいない?
そのまま、足を数歩進ます。背後で扉が閉まる音がした。
やはり、悪戯だったか……。少し残念なような、ほっとしたような、複雑な感情だ。まぁ、誰かを待ち惚けさせるよりは断然マシたが。
そう思い、踵を返しかけた俺の背後から――
「来てくれたのね」という声がした。
振り返る。建物の陰から女生徒が姿を現した。黒い長髪、白い肌、整った顔立ち、制服から伸びる長い手足……。
綺麗な子だな。だけど――
「私は舞方彩音。来てくれて嬉しいわ」
言葉とは裏腹にその顔は無表情で、彼女の容姿と相俟って俺はまるで人形と話しているかのような錯覚を覚えた。
「俺に何の用だ?」
「警戒、してるのね」
「当たり前だ。あんな手紙寄越しやがって」
女の子が一人で待っていて安堵したというのが今の俺の正直な心境だが、まだ油断は出来ない。何せ、あんな変な手紙を書く奴なのだから。
「ごめんなさい。ああでも書かないと来てくれないと思って……」
むしろ、逆効果だと思うが……。普通に、嘘でもラブレター風に書いてくれた方が俺としても足を運びやすかった。
「手紙にも書いたけど、私はあなたの秘密を知ってるわ」
「秘密? 何の事だ?」
「惚けるのが上手なのね」
「いや、本気で分からないんだが……」
「……」
女生徒――舞方の目が一瞬僅かに見開き、すぐに戻る。
それを見て、〝ああ。この子も表情を変えるんだ〟という当たり前の感想を俺は抱いた。それ程、彼女の普段の顔は表情に乏しかった。
「あなた、変わった人生を送ってるようね」
「まぁ、確かに一般的ではないかもな」
「……」
無言で舞方が俺を見つめる。女の子(しかも、美人)と見つめ合っているというのに、不思議と胸は高鳴らなかった。
「今から十年前、三軒の家が全焼、二軒の家が半焼する火事があったそうよ。その時出た死者は四人。七十過ぎの男性、二十代の男性、そして若い夫婦……」
「へぇー」
「……はぁー」
俺の反応が予想とは違ったらしく、舞方が肩を落として溜息を吐く。
「ごめんなさい。まどろっこしい真似をして。あなたがどういう対応をするかを見たかったの」
だと思った。だからこそ、こちらも淡泊な対応をさせてもらったわけだが。
「本題に入ってもらおうか」
「本題? 本題にならもう入ってるじゃない」
「何?」
この訳の分からない遣り取りのどこが本題だというのだ。それとも、俺と楽しくお喋りしたかったとでも?
「あなたと話してみたかったの」
「へ?」
冗談のつもりで考えていた事を肯定され、思わず間抜けな声が出た。
真っ直ぐな瞳が俺を見据える。
その時、一陣の風が吹き、舞方の長い髪を揺らした。靡く髪を片手で押さえながら、舞方は続ける。
「だって、あなたと私はとても似てるから」
舞方の顔は相変わらず無表情だった。しかし、なぜかその顔を見て、俺は彼女が微笑んでいるように感じた。
こうして、俺は舞方彩音という少女と知り合った。