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狼花’s memory

「僕」と「君」の道

作者: 狼花

 


 ―――三月。その日は朝から曇天で、晴れ間は見当たらなかった。天気予報でも雨の予報を告げ、卒業式である今日の天気も、「僕」の気分も重く暗かった。



「僕」は中学校に入学して三年間、陸上部の短距離選手として活動してきた。海の近くの中学校で、放課後は砂浜で練習した。波のさざめきが心地よく、夏の強い日差しも好きだった。夏の大会で惨敗したときもここに集まった。興奮と日焼けで火照った肌と、努力の証でもある、ぼろぼろになったスニーカー。次があるさ、なんて中身の薄い言葉を言いあった。それでも「僕」は良かった。口を開けば自分が無力だったことしか言葉にならず、そんな惨めなことよりも、確証のない未来を口に出していたかった。僕は空を見上げ、雲ひとつない青空のなかで、あるはずもない雲を探した。


 市内でもそこそこの好成績を残したが、それは「僕」ひとりの努力ではない、と思っている。


 同じように陸上を続け、部活内でも学校内でも最も仲の良い親友。「君」がいたからこその自分だった。「僕」と「君」の関係はまさに切磋琢磨、ライバルとして競いあった。「君」は「僕」より記録が良かった。県大会の常連組でもあった。何回か関東大会にも出た。彼に引っ張られている内に、いつの間にか「僕」も県大会上位までに記録を伸ばせた。


「僕」と「君」の、陸上に対する気持ちは同じだった。走るのが好き。「僕」が走る理由はそれだけだった。それは「君」も同じ。


 ふたりで、陸上が強いあの高校に行って上を目指そう。そう熱く語り合ったのは、入部したての一年の頃だっただろうか。その時は「僕」もその気だった。



 それが変わってしまったのはいつだったのか―――。



 きっかけは、三年生になったばかりの時に「君」が足を怪我してしまったことだった。春の大会をワンツーフィニッシュで飾って喜んだ数日後のことで、「君」は靭帯を損傷し、数か月通院が続いた。まさに、天国から地獄へ突き落されたような気分だ。


「もう走れないかもしれない」


「君」は「僕」にそう言った。「僕」は哀しかった。「君」の言うことが限りなく真実に近く、「大丈夫だよ」なんて気休めを軽々しく口に出せなかったから。「君」はもう走れない―――だったら「僕」が走る理由もなくなってしまう。


 しかし「君」は驚異的な回復を見せ、最後の夏の大会の時には完全に復活していた。医者も無理だと言ったのに、その回復は執念としか言いようがない。


「走りたかったからさ。最後の夏の大会で応援だけなんてつまらない」


 そう言って「君」は笑った。そこでようやく気付いたのだ。


「僕」の走りたい気持ちと、「君」の走りたい気持ちは違う。「僕」は、ただ爽快感を求めていただけだ。「君」は上を―――県では物足りない、全国まで目指したい。いや世界だ。そういう気持ちの差だった。


 もう「僕」は「君」に追いつけない。ここまで記録も何もかも並行していたが、圧倒的に抜き去られてしまった。そう実感した。


 絶望、ではない。むしろ嬉しい。どこかで、これ以上走ることを好きにはなれないと思っていたのかもしれない。


「僕」は「君」と目指した高校をやめ、学力的に一回り上の高校を目指し始めた。「君」には何も言っていない。「君」はまだ、「僕」も同じ高校を目指していると思っているだろう。裏切ったと思われるだろうか? それでも良い。薄っぺらい「好き」という感情だった「僕」が、将来を走ることに賭けている「君」の傍にいたのでは邪魔になる。「君」には、走り続けてもらいたかった。燃え尽きた自分の分も。


 隠していたのは―――「裏切り者」と呼ばれることが怖かったからだ。「僕」はそれを認めたくなくて、その気持ちごと隠した。「君」との友情を壊したくなかった。


 受験がそうして終わった。夏の大会で県に行った「君」は他の部員に比べて引退が遅く、勉強する時間もなかったことだろう。しかし彼にとって勉強は二の次だ。目指していた陸上の強い高校から推薦が来て、「君」はそのままその高校に入学することが決まった。


「僕」はひたすら勉強を重ね、有名大学にもつながる高校に合格した。それを知った「君」は真っ先に「僕」のところに来た。


「受かったんだって? 良かったな。お前、ほんと頭いいもんな」


「君」は笑っていた。我がことのように喜んでいた。薄々知っていたのかもしれない、「僕」が「君」と同じ高校をやめたことを。


「高校でも陸上やるのか?」


「君」の問いかけを受け、「僕」は小さく首を振る。


「分からない」

「そうか。俺たち高校遠いし、陸上の競技会でしか会えなくなりそうだよな」

 あまり残念がってはいないように感じる。高校になって別れるのは当たり前とでもいうかのように。「僕」は言うべき言葉を見失ってしまった。






 そうして卒業式を迎えたのだ。合格発表からここまで、「君」の態度は変わらなかった。それが嬉しくて、少し寂しい。


 卒業式のさなかに、外では一雨あったようで、式を終えて外に出たとき地面は濡れていた。しかしもう雨は上がっており、ほんの少しだが晴れ間も覗いている。


「海に行こう」


 式が終わった直後、「君」は「僕」にそう言った。「僕」は頷き、ふたりで海へ向かった。



 海へ行くには、だいぶ傾斜の激しい下り坂がある。雨の後でアスファルトの地面はだいぶ滑りやすくなっている。注意して下りながら、不意に「君」が言った。


「これでお別れなんだな」

「そうだね」


 自分でも、なんて素っ気ない返事なんだと思う。「君」は言葉を続けた。


「なんか、お前とは大人になってもずっと一緒なのかもしれないって勝手に思っていたんだ。馬鹿だよな、ずっと一緒になんていられないのに」

「一緒にはいられない?」

「だってそうだろ。人はいつか死ぬんだ」


 成程、そういうことか。思いもよらない言葉に茫然としていたが、すぐに納得する。


「俺とお前の友情って、実はほんの一瞬の出来事なのかもしれないな」


「君」が妙なことを言う。「僕」は首を振った。


「一瞬でも、僕は君と一緒で楽しかった。一緒だったから走れた。それは嘘なんかじゃない」

「ああ。俺も、お前がいなきゃ怪我しても諦めたと思う。お前がいたから、俺は上を目指したくなった」


「僕」は黙り、口を開く。


「……高校行ったら、陸上はやらないと思う。でも、君のことを応援するから。君が陸上をやっている限り、いつまでもずっと」


 そう言うと、「君」は嬉しそうに笑った。


 浜辺は静かで、人ひとりいなかった。聞こえるのは波の音だけで、空も暗い。


「三年間、色々あったよな」


 浜辺に座り、「君」がしみじみと呟く。「僕」も頷く。


「良いことだけじゃなかった。良いことがあったら、直後に必ず嫌なことがあったね」

「嫌なことがなくなった後は、絶対良いことがあったぞ」


「君」は曇り空を見上げた。


「どちらにせよ、それは全部もう過去の出来事だ。俺はな、いつまでも走っていたいんだ。最高の舞台で最高のレースをしたい。それが俺の将来の夢」

「オリンピック?」

「どうかな。自分が納得できれば何処でも良い」


 まだ見ぬ未来への思いを語る「君」の表情は、限りなく穏やかで優しかった。強く、憧れと理想が混じった思い。そんな思いが羨ましい。


「あっ、見ろよ。虹が出てる」


「君」が立ちあがって空を指差す。「僕」もその方向を見る。これまでに見たことがないくらい、はっきりと鮮やかな虹だった。暗い空のさなかで、まるでこちらを覗き見るかのようにぽっかり空いた雲の狭間から見える虹。空は泣きだしそうに不安なのに、そこだけは明るかった。


 あれは未来に架かる橋だ。「僕」も「君」も今からあれを渡る。行き先が違うだけで、お互いに先を生きる。


 また、もし「君」が言ったように、ふたりの友情が虹のように儚く、一瞬の出来事だったとしても。「僕」は素晴らしい生活を送ることができた。最高の宝物だ。


 出会いがあれば別れがある。喜びがあれば悲しみがある。逆もまた然り。人の人生はでこぼこで先が見えないから、怖くもある。いつか別れなければならないと思うと怖い。けれど「僕」は思う。別れるまでは一緒にいられる。だったら一緒にいられる間にたくさんの想い出を作りたい。会えなくなっても、その思いは生きている限り消えない。



「走ろう」



 いつも「君」に引っ張られていたはずの「僕」が、強い思いに駆られて友を誘う。「君」はにっと笑い、「僕」の隣に立つ。


「どっちが勝っても恨みっこなしな」

「僕が勝つ」

「俺だ」


 ふたりは微笑む。


「よーい」


「僕」は言いながら姿勢を前傾させる。「君」も同じ姿勢を取りながら、笑った。




「どんっ……!」




 ふたりは同時に駆けだした。空に架かる虹に向けて。すでにそれは色を失いつつある。消える前に、たどり着こうととにかく走った。


 中学校生活最後のレースは、「僕」にとって最高の走りだった。





★☆ ~ ★☆ ~





 月日は無情なほど速く流れた。


 自分で言った通り、「僕」は高校で陸上をやらなかった。スポーツと疎遠になり、学力の高い大学を目指して勉強に励んだ。


 陸上部に入った友人に、しつこいくらい「君」の事を聞いた。「君」はいまの高校陸上界では有名なトップスプリンターとして活躍していた。いい師に出会い、いい仲間と出会ったのだろう。あの頃の「僕」と「君」のように切磋琢磨して高め合っているのだろう。地元の新聞を見ると、インターハイに「君」の名前があった。一年でインターハイ出場は素晴らしい快挙だ。「僕」は大喜びで君に電話をした。「こっちから連絡しようと思ったのに情報早いな」と「君」は電話口の向こうで苦笑いしていた。


 逆に陸上部に入った友人が「僕」に「お前って中学の時すごい選手だったんだろ」と声をかけてくることもあった。「君」が言いふらしているのか? そう思うと複雑な気持ちである。


 近くで行われる大会には必ず応援に行った。「君」は「僕」を見つけると真っ先に飛んできて再会を喜んだ。中学の時同じ背丈だったのに、「君」のほうがだいぶ高くなっている。ランナーとしての貫録もたっぷりだ。


「僕」は県外の大学に行き、「君」もまた違う県の大学に進んだ。時が経つにつれて連絡を取る回数も減った。



 そして今―――社会人となり、家庭も作った今現在、「君」との交流は年賀状のやり取りだけになってしまった。「僕」は故郷からも「君」の住む町からも遠く離れた場所に、四人の家族で暮らしている。会ったのはもう何年も前だ。


 オリンピック代表を決める大会。テレビをつけると、丁度そこに「君」がいた。


 かたや平凡な会社員。かたや日本のトップスプリンター。だが、「僕」と「君」が友人であることは何も変わらない。あの時言った通り、「僕」は「君」を忘れていない。「君」も「僕」を覚えていてくれるだろう。



 あの日の虹と、語り合った時間。「僕」はそれを一生大事にしていたい。こうして離れていても、「君」のことを思って応援することができるのだ。


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[良い点] ・清々しさ  胸に入って、ほどけるように染みていくこの感覚は、まさしく青春。  さすがは自伝。 [気になる点] 感想遅れて申し訳ありません。 [一言] 後悔するしないの話ではないと思いま…
[良い点] 文章がすっきりしているのに内容が青春成分たっぷりなとこ。 [一言] ランキング1位も納得の小説です。 「僕」と「君」の青春グラフティを「僕」の一人称で深く語ってくれるところなんか一人称とい…
[良い点] 人の名前とか出してなくても、 違和感なく読めました。 狼花さんは文章書くの上手です! [一言] 青春してるね… 私の青春はコメディー混じりであった。笑
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