両手に花
目覚まし時計のうざったいベルに起こされ。軽くストレッチをしてから秀一は制服のブレザーに着替えた。学年によってネクタイの色が決まっていて秀一は赤いネクタイを身に付けている。机の上の携帯を手に取り割り振られた番号を打ち込む。二度目のコールですぐに相手は出た。
「姫、おはよう」
「おはようナイト」
「朝なのにナイトとはこれいかに……ごめん今のキャンセルね」
沙月の笑い声が聞こえる。
「今日は迎えに行くけど補習とかないよね?」
「はい。今日はありません」
「うん。では待っててね」
「待ってます」
携帯を切り顔を洗って眠気を覚まし秀一は食卓へと向かう。
「なんでいるんだよ?」
食卓には美奈子がいて朝食を口に運んでいた。
「小百合さん熱が出たんだって」
母が美奈子の代わりに事情を説明する。
「そうか、でも美奈子。お前は少しふっくらしすぎているから朝食を抜いてもいいんじゃないか」
「ひどーい」
美奈子の体調は良さそうで少しほっとした。
「釣った魚には餌をやらないんだね」
「はっ? 何いってんだ」
秀一の頭は?マークで充満する。
「なになに?」
母親が案の定をダボハゼのように食いついてきた。
「昨日ね、お兄ちゃん私を抱いたの?」
「その言い方はやめろ! いらん誤解を生むだろう。お前が泣くから慰めただけだ」
「おばさん。お兄ちゃんなんて言ったと思う?」
秀一の話など柳に風に話を続ける。
「早く聞かせてよ」
「俺はずっと君といるからだって」
「何その昭和のセリフ」
爆笑しやがる。
いや、昭和の映画のセリフをパクった訳なんだが……。それを言ったとて言い訳にしかとらえない母であるのは百も二百も承知している。
「彼女が居るのにあんたそんな事言ったの? プレイボーイねえ」
「だから誤解だって」
「そもそも、なんで美奈子ちゃんを泣かせたのよ」
そう聞かれると非常に困る。なぜ昨日美奈子があんなに感情をあらわに号泣したのか秀一は明確な理由を整理出来ていない。
「お兄ちゃんがね。口では言えないひどいことを言ったのよ」
都合のいいことを言い出す。美奈子は昔から母のツボを心得ている。
「あんたなんて言ったのよ?」
「いや特にひどいことは言ってないよ」
「女の口からは言えないことを言われたわ」
「あんた言いなさいよ」
「パスする」
相手にすると秀一が勝てるわけがない。
秀一は無視を決め込んで二人のうるさい女の罵声を浴びながら朝食を摂り始めた。よくもまあ昔のことを覚えているものですっかり忘れていることまでネチネチと責められる。
(はあ、早く大人しい沙月ちゃんに会いたい。いや待てよ。こいつがいるということは)
秀一の杞憂通り美奈子と一緒に登校するはめになった。
「俺は沙月を迎えに行くんだけど」
気を使えと促したつもりだったが
「私も行く」
美奈子は気を使う素振りすら見せずに即答する。ふう、とため息を付き秀一と美奈子は並んで沙月の家へと向かう。
………………
「ああ、そういえば。お前彼氏できたのか?」
思い出したように秀一は美奈子に返事をしたのか訊く。昨日聞き出そうを思っていたが昨日はあれだったから訊くどころではなかった。
「……うん」
それまでべらべらしゃべっていた美奈子のトーンが一気にダウンする。
「なんでへこんでるんだよ」
「なんでだろう? 自分でも分かんない」
「断ったのか?」
「ううん」
首を左右にふる。
「嬉しくないのか? 先週返事したんだよな」
「踏ん切りがつかなくて昨日まで待ってもらっていたの」
「好きじゃないのか?」
「いい人なんだけど……なんか違うの」
自分の想いが秀一にあるとは言えない、幼馴染で好きな人だけど友人の彼氏。美奈子は人を傷つけたくない。しかしそれは自分が傷つきたくないということでもある。
「それなら断れば良かった」
「お兄ちゃんが勧めたんじゃない」
秀一は島村を想定して応援のつもりで勧めたが人違いだったとは言えない。
「まあ、なんだ青春の1ページとでも思ってな……」
「お兄ちゃんのいう事っていつも古臭いわよね」
玉頭に歩を突かれた気分だ。昭和のドラマや映画がツボにハマることはよく自覚している。いまのドラマの一つのネタを薄く金箔のようにできるだけ伸ばしてみました、という感じがどうも好きにはなれない。しかし昔のドラマはよくセリフがカットされている。作品の生命というべきセリフが差別や蔑視表現だと言って削除されるのは当時の作り手を馬鹿にしているように思うのだが人権屋は度量が狭い。
「お試し期間中なのよ。本人がそれでいいんだって」
「奇特な奴だな。誰なんだ? 俺の知らない人か?」
「教えないもんね」
「じゃあ聞かない。この話は終了」
なんであっさり終了なのよ私のことどうでもいいの? 私は散々に悩んだのに。美奈子は不満だが笑顔は崩さずその後も元気にしゃべり続けた。
暫く歩くと和風の大きな門構えの家にたどり着く。沙月の家だ。
「わあ、すごい家」
「俺も最初はビビった。どおりで上品なわけだよ」
秀一はインターホンを押して苗字をを名乗った。まもなく沙月が門から出てきた。
「おはよう姫……じゃなかった沙月ちゃん」
「おはようございます。秀一さん」
二人は会釈を交わす。いまとなっては沙月は下を向かずにまっすぐに顔を見てくれるしフランクな会話も弾むようになっている。
「姫? いま姫って呼んでなかった?」
美奈子は聞き逃していなかった。
「気のせいだよ」
「おはよう美奈子ちゃん。気のせいですよ」
二人は何事もなかったように歩を進めていく。
「うーん。姫って言ったような……」
「俺がそんなバカップルみたいなこというわけ無いだろう。沙月ちゃんだって恥ずかしがるし」
「そ、そうですよ」
秀一の脇に変な汗が吹き出す。
「そうよねえ。いくらなんでも姫はないわよね」
ほっとした。美奈子の地獄耳には気を付けないといけないと秀一は自戒する。
ともあれ他人から見れば両手に花の状況で秀一は二人に挟まれながら登校する。