岐路
美奈子は校舎の駐輪場の近くにある百年桜の下で、緊張した面持ちで昨日買った文庫本を読んでいた。文字を追っても追っても頭の中には入ってこない。ミステリーを選択したのは失敗だった。ロマンチックな恋愛小説にでもすればよかったと後悔している。
でもこれから彼女は現実に告白に答えなければならない。
好きな人は居るの? そう聞かれたらどうしよう。美奈子には大事な人がいる。昔からの知り合いでいつも一緒に遊んで、一緒に通学をして一緒に……だけどその人とは恋仲ではない。
好きか嫌いかと二者択一を迫られるなら、迷わず好きとこたえられる。愛していると断言できる。告白されたことをその人に伝えたとき、その人は美奈子にそれを受け入れることを勧めた。止めて欲しかった……感情的になってそんなモノは断れよといって欲しかった。
だけど大事な人は美奈子の希望通りの言動をしてくれなかった。私は女として見られてないのかな? 美奈子の胸に霞がかかる。
大事な人に告白の返事をするといった日……お兄ちゃんと沙月が付き合うことになった日、美奈子は返事を出来ずにさらに一週間まってもらっている。何らかの結論は出さないといけない。
「ごめんね。待たせたかな」
美奈子に愛を告げた人が息を切らして目の前に現れた。
「いいえ、たいして待っていません」
「少しは待たせたんだね」
メガネの似合うその人は優しく美奈子に微笑みかけた。クールな見た目とは違う爽やかなその微笑みにつられて美奈子も顔を緩ませた。
「君が来てくれなかったらどうしようかと不安だったよ」
「約束は守るべきものですから」
「そういうところも可愛いよ」
厭うものなくあっさりという。
「か、可愛いですか……」
家族と秀一以外の口からこの言葉を聞いたのは生まれて初めてで、一瞬で美奈子の顔は赤くなり身体は蒸気でもわかせるほど暑く、汗が額から筋になって滴る。
「今日はそんなに暑いかな?」
「暑いですね」
「君はウブなんだね」
その人はそっと手を伸ばし手に持っていた白のハンカチで緊張して動けない美奈子に汗を拭った。
(どうしよう……頭が真っ白だわ。なんて話せばいいのよ)
「一之瀬くんはこのことを知っているのかな?」
「はい」
「なんて言ってた?」
「これも人生経験だと言ってました」
「彼らしいね」
「そうですか?」
「一之瀬くんってクールで物思いにふけった顔をよくしている。でも彼は意外とモテるんだ」
「お兄ちゃんは自分はもてないと自虐してましたけど……」
「それは嘘。彼は何人も女の子から言い寄られている」
(そんなワケない。もしそうなら私に黙っているはずないじゃない)
「幼馴染なんだっけ? そういう話とかしないの?」
「しないです」
(帰った後、問い詰めてやる!!)
少しの会話で美奈子の緊張はだいぶほぐれた。頭も違和感がない程度には働いている。そよ風のおかげで身体も暑くは無くなっている。
「そろそろ本題に入ろうか。君の返事を聞かせて欲しい」
この一言でまた身体が沸騰する。美奈子は答えをまだ決めていない。
「…………」
「返事を決めかねているんだ」
「はい。こういうの初めてなんです」
「緊張している君を見ていれば分かるよ。付き合うなんて大したものではないんだけど。初めてなら仕方ないかな。私だって初めての時は卒倒してしまうかと思ったもの」
「なんと言ったらいいのか適当な言葉が見つからないんです」
「はい、いいえの二択でいいんだけどね。何が心に引っかかっているのかな? もしかして一之瀬くんのことかな」
その通りで美奈子の頭には秀一が引っかかっている。もし自分が他の人と付き合うとなったら、秀一とはどうなってしまうのか不安がよぎる。ましてや秀一は沙月と付き合い始めている。
(バカバカバカ……沙月がお兄ちゃんにアプローチしてきたときどうして言い訳をつけて断らなかったのよ)
美奈子は脳内で自分をメッタ打ちにする。
「一之瀬くんは彼女と一緒に登校していたよ」
「それは知ってます」
「それなら君の入る余地は今のところないということ。お試しで私と付き合ってみない? 嫌なら別れればいいんだしね」
「そんな軽いことなんですか」
「重苦しいことではない。私は君が好きだから一緒にいたい。単純なこと」
美奈子は秀一と付き合い始めて明るくなった沙月を悲しませることは出来ない。幼馴染という立場に自分は胡座をかいていたのかもしれない。沙月と秀一の間に割って入ることはしてはいけないことでそれをしてしまえば友人を失うことになる。
「決心かつかないときは運に任せてみない?」
その人はポケットからダイスを取り出した。
「君の好きな数字は?」
「一です」
「よし。なら奇数なら君とは付き合わない。告白を忘れてくれて構わない。でも偶数が出れば私と付き合ってもらうよ。それでいい?」
そんな事で決めることかと思ったが、何時までも返事を出来ないのも良いことではないとは考える。美奈子はその人は嫌いではない。この際、ダイスに任せてみても……やっぱり良くない。
「いえ、自分で判断することにします」
美奈子の脳裏に秀一との想い出が駆け巡ると不意に涙が溢れてくる。二人には数えきれない想い出がありすぎる。しかし何時までもこの関係が続くわけがないことを身につまされる時期が来てしまった。
涙を拭った後、美奈子は告白を受け入れた。