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猫のきらきら

作者: 大童好嬉

気がついたとき、子猫はひとりだった。

いつからそうだったのかは、もう思い出せない。

ただ、体の奥で、空腹だけが確かな輪郭を持っていた。

街の端。

人の足音が遠ざかる場所で、

子猫は影を選ぶように生きていた。

ごみ袋の裂け目、残り香、

舌に触れたかすかな味だけが、今日をつないだ。

母の記憶がある。

あたたかなお腹、優しい喉の音、

乳の匂い。

兄弟の重みも、確かにあった。

だが、なぜ失われたのかは思い出せない。

思い出せない、ということだけが、残っていた。

寒さが深まると、

決まって世界は暗くなった。

暗くなる理由はわからない。

ただ、暗くなると、母を思い出した。

だから子猫は、夜を好まなかった。

それでも夜には、ひとつだけ救いがあった。

草むらに身を沈め、

子猫は空を見上げる。

すると、暗く広がる奥から、無数のきらきらが現れる。

それが何かを、子猫は知らない。

だが、あそこにはいなくなったものが

そのままの形で在る気がした。

あの光のどれかが、母なのだろうか。

兄弟なのだろうか。

いつか、自分もあそこへ行けるのだろうか。

答えはないまま、子猫は目を閉じる。

周りが明るくなれば、空腹がすべてを押し戻す。

体はかゆみを覚え、

目は濁り、世界はゆっくりと距離を失っていく。

歩くことさえ、意志を必要とした。

なぜ生きているのか。

なぜ失われたのか。

なぜ自分だけが残ったのか。

なぜ夜空は、あれほど光るのか。

子猫には、わからない。

それでも、ひとつだけ知っていた。

明日もまた、同じ空腹が来るということを。

その夜、風が止んだ。

子猫はいつもの草むらで、

身を小さく折りたたむ。

不思議と、寒さはなかった。

背中に、確かなぬくもりがあった。

聞き覚えのある、深く静かな音。

目を開ける必要はなかった。

探す必要も、なかった。

空を見上げると、

きらきらは、もはや遠くなかった。

それは空に浮かぶ光ではなく、

子猫を迎えに来た気配だった。

ああ、と、胸の奥で何かが解けていく。

問いは形を失い、

空腹は静まり、

世界はやわらかな重さだけを残した。

子猫は、

母の胸に顔をうずめるように、

小さく丸くなった。

朝、最初の光が草を照らしたとき、

そこには動かぬ子猫がいた。

だが、その存在は、すでにここにはなかった。

失われたものは、失われたままでは終わらない。

名もなく消えた小さな命は、

夜空のどこかで、ひとつの光となり、

もう二度と空腹を知らぬ場所へ――

確かに、還っていった。

うちの保護猫の、そうなっていたかもしれない未来。

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