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魔王を倒した後に始まる物語  作者: nime


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memory 7:思い出してはいけない場所

### memory 7:思い出してはいけない場所


 町の朝は、昨日までと同じ顔をして始まった。

 穏やかな風、整えられた道、働き始める人々。

 水桶を運ぶ音、家畜の鳴き声、店先で交わされる短い挨拶。

 何も問題はない――そう信じるには、少しだけ“整いすぎて”いる。


 アズルは町を歩きながら、その違和感を言葉にできずにいた。

 人々は笑い、挨拶を交わし、畑へ向かう。だが、その視線は不自然なほど揃っていた。

 彼らは無意識に、ある方向を避けて歩いている。


 町の外れ。

 小道の先、視界の端に映る“何もない場所”。


「……あそこ、だな」


 誰かが言ったわけではない。

 だが、足が自然とそちらへ向かっていた。

 避けられていると気づいた瞬間、逆に意識してしまう。


 近づくにつれ、町の音が薄れていく。

 人の声が遠ざかり、風の音だけが残る。

 足音さえ、土に吸い込まれるように小さくなった。


「変ですね」


 ヴェールが小さく言った。


「精霊の声が……消えています」


「消えてる?」


 ルージュが眉をひそめ、周囲を見回す。


「はい。いない、というより……ここだけ、最初から何もなかったみたい」


 その表現が、アズルの胸に刺さる。

 “最初から何もなかった”。

 それは存在を消すよりも、よほど残酷な言葉だ。


 そこには、崩れかけた石の基礎だけが残っていた。

 雑草に半ば埋もれ、誰の手も入っていない。

 建物があった痕跡。

 だが、何の建物だったのかは、誰にも分からない。


「記録では……」


 ノワールが取り出した古い地図を広げる。

 紙は黄ばみ、端は擦り切れているが、線ははっきりしていた。


「ここに、小さな施設が描かれています。礼拝堂、あるいは……集会所」


「今は?」


「存在しません」


 淡々とした声が、異常さを際立たせる。

 焼け跡も、解体の痕もない。ただ“ない”。


 アズルは一歩、踏み出した。


 ――その瞬間。


 視界が、反転した。


 青い剣を握っている。

 だが、振るってはいない。

 剣先は地に向けられ、戦意は感じられなかった。


 目の前には、敵はいない。

 代わりに、誰かの声がある。


『……選べ』


 男の声ではない。

 女の声でもない。

 年齢も、種族も分からない。

 それでも、確かに“誰か”だった。


 言葉は短い。

 だが、その裏に膨大な重みがあるのが分かる。

 選ばなければならない。

 選ばなかった場合の結末を、知っている声だった。


 次の瞬間、景色は弾ける。


「アズル!」


 ヴェールの声で、現実に引き戻された。


 膝をつきかけた体を、ルージュが支える。


「大丈夫? 顔、真っ青よ」


「……ああ」


 息を整えながら、アズルは周囲を見る。

 誰も、何も起きていない顔をしている。

 だが、町の方から微かなざわめきが伝わってきた。



 町では、小さな混乱が起きていた。

 頭痛を訴える者、理由もなく不安を覚える者。

 道の真ん中で立ち止まり、自分が何をしていたのか分からなくなる者。


 だが、誰一人として原因を口にしない。

 口にできないのではない。

 “そこに原因がある”という発想自体が、浮かばないのだ。


「戻ろう」


 ノワールが短く言った。


「これ以上、ここに留まる理由はありません」


 正しい判断だ。

 この場所に近づくほど、町全体が軋み始めている。


 だが、アズルの足は動かなかった。


「……俺は、ここで何かを選んだ」


 ぽつりと零れた言葉に、三人が息を呑む。


「戦った記憶じゃない。話していた……そんな感じだ」


 ルージュが唇を噛む。


「つまり……魔王と?」


「分からない」


 アズルは首を振った。


「でも、倒すとか、殺すとか、そういう感情じゃなかった」


 沈黙が落ちる。

 町のざわめきが、遠くで収束していく。


 ヴェールが、そっと口を開いた。


「ここ……守られていません」


 その言葉に、全員が彼女を見る。


「正確には……守ることを、やめられた場所です」


「どういう意味?」


「忘れさせる必要が、なくなったのかもしれません」


 優しい声音が、逆に恐ろしかった。



 夕方、町は再び平静を取り戻していた。

 昼間の不調は“気のせい”として処理され、人々は普段通りの生活へ戻る。

 誰もが安心した顔をしている。


 役場では、ノワールとルージュが向かい合っていた。


「報告書は?」


「……異常なし、で通す」


 ルージュはそう答えた。


「書けないことが多すぎる」


「それが、この町の“安定”です」


 ノワールの言葉に、ルージュは目を伏せる。



 夜。


 アズルは一人、昼間の場所へ戻っていた。

 月明かりの下、石の基礎が淡く照らされる。


 風が吹き、白い光が揺れた。


 姿はない。

 だが、確かに“何か”がそこにいた。


 声は聞こえない。

 代わりに、感情だけが流れ込んでくる。


 ――ありがとう。

 ――ごめんなさい。


 胸が締め付けられる。


「……謝られるようなこと、してない」


 それは嘘だと、自分でも分かっていた。


 もしここで選んだ結果が、今の平和を作ったのなら。

 そして、そのために忘れられたものがあるのなら。


 責任は、逃げられない。


 背中の二本の剣が、静かに鳴った。


 青い剣は、変わらず冷たい。

 黒い剣は、微かに温もりを帯びている。


 意味は、まだ分からない。


 だが、はっきりしていることが一つある。


「これは……思い出していい真実じゃない」


 それでも。


「俺が、引き受ける」


 呟きは夜に溶けた。


 町は何事もなかったように眠っている。

 優しすぎる平和の中で。


 アズルは背を向け、ゆっくりと歩き出した。


 同じ道を、もう一度。


 今度は、忘れないために。


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