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魔王を倒した後に始まる物語  作者: nime


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memory 5:始まりの町は、思い出よりも静かだった

### memory 5:始まりの町は、思い出よりも静かだった


 馬車を降りると、風の匂いが変わった。

 王都の石と香油の匂いではない。土と草、家畜の湿り気、遠くで焚かれる薪の煙——旅の匂い。


 街道の先に、低い木柵と小さな門が見えた。


「……ここだ」


 アズルの口から、思わず言葉がこぼれた。

 始まりの町。

 最初の宿。最初の依頼。最初の夜。


 ——のはずなのに。


 門の前は、静かすぎた。

 往来はある。畑仕事に向かう老人が一人、荷車を引く少年が一人。

 だが、アズルの記憶が期待した“ざわめき”がない。


「変ね」


 ルージュが眉を上げる。


「こんなに静かだったっけ? 冒険者だって、もっと……」


 言いかけて、彼女は口をつぐむ。自分の言葉の根拠が、薄いことに気づいたのだろう。


 ヴェールは門の柱に触れ、そっと目を閉じた。


「精霊たちが……」


 彼女は小さく首を傾げる。


「静かです。いつもなら、町の入口は賑やかな声がするのに」


「賑やかな声?」


 アズルが聞き返すと、ヴェールは頷いた。


「木の精霊も、土の精霊も、人の気配があるとよく喋るんです。けれど今日は……黙ってる」


 ノワールは門の横に掲げられた看板を見上げていた。

 町の名前が、木板に新しい塗料で書き直されている。


「……最近、手を入れた痕跡があります」


「看板だけ?」


 ルージュが覗き込む。


「木の削り跡が新しい。釘も打ち直しています」


 ただの補修かもしれない。

 だが、今のアズルには、どんな小さな差異も刺さる。


 門をくぐる。

 町は確かに“町”だった。

 宿屋、雑貨屋、鍛冶屋、礼拝堂。小さな広場。


 けれど——どこか、整いすぎている。


 古いはずの壁が、妙に白い。

 舗装の割れ目が少ない。

 そして、人々の目が、英雄を見ても揺れない。


 王都なら、視線は祝福と興奮で熱を持つ。

 だがここでは、ただの通行人を見るような目だ。


「……私たち、目立ってない?」


 ルージュが小声で言った。


「目立ってるよ」


 アズルも小声で返す。


「でも、反応が薄い」


 ヴェールは胸元の青い刺繍を指で押さえた。


「青、見えますか?」


 意味の分からない問いに、アズルは少しだけ笑ってしまう。


「見える。よく似合ってる」


 ヴェールが少しだけ頬を染め、ルージュがわざとらしく咳払いをした。


「はいはい。イチャイチャは後で」


「してない」


 ノワールだけが何も言わず、視線を周囲に走らせている。

 青の差し色が入った腰帯が、彼女の黒装束の中でひときわ静かに光っていた。



 宿屋の看板は、記憶の断片と一致した。

 ——“銀の樽”。

 名前を見た瞬間、胸の奥に小さな疼きが走る。


 扉を開けると、木の床がきしんだ。

 中は昼前だというのに客が少ない。カウンターの奥にいる女将が、こちらに視線を向ける。


「いらっしゃい。部屋? それとも食事?」


 事務的な声。


 アズルは一歩前へ出た。


「……アズルだ」


 言ってから、違和感に気づく。

 名乗る必要があるのか? それを自分が望んでいるのか?


 女将は、アズルの顔を数秒見つめた。

 それから、ふっと眉間の皺を緩めた。


「……ああ。英雄様、でしたっけ」


 それだけ。


 王都なら叫び声が上がる。

 だがここでは、椅子に座っていた男がちらりと視線を向けるだけで、すぐに飲み物へ戻った。


 ルージュが口の端を引きつらせる。


「薄っ……反応薄っ」


 ヴェールが困ったように笑う。


「落ち着いていて、良い町ですね」


「それ、今言う?」


 ルージュが小声で突っ込み、ノワールが淡々とメモ帳を取り出した。


 アズルは女将に問いかける。


「この町は……魔王軍の影響を受けていたか?」


 女将は一瞬、首を傾げる。


「魔王軍?」


 その言い方が、ひどく軽い。


「……昔は、怖かったでしょう」


 アズルが言うと、女将は曖昧に笑った。


「怖いって言われてもねえ……まあ、遠くの話って感じだったよ。王都がなんとかしてくれるって。こっちは畑と家畜の世話で手一杯だし」


 違う。

 アズルの胸が、冷える。


 魔王軍は遠くの話だった?

 自分たちは何のために——


 背中の青い剣が、わずかに重く感じた。


 ヴェールが隣で、そっと袖を引く。


「アズルさん、大丈夫ですか」


 その優しさに救われる。

 アズルは小さく頷いた。


 ルージュは女将に笑いかけた。


「じゃあさ、最近この辺で何か困ってることは? 反乱とか、不穏な動きとか」


 女将は首を振る。


「反乱? うちは平和だよ。ほら、英雄様も来てるし」


 言い方は丁寧だが、信頼というより“形式”に近い。


 ノワールが静かに質問を重ねる。


「町の記録はありますか。住民の出入りや、近年の出来事など」


「記録? 役場に行けばあるよ。けど、そんな大層なもんじゃ……」


 そのとき、宿屋の奥から声がした。


「女将! ミラが——ミラが戻らない!」


 若い男が駆け込んでくる。顔色が青い。


「畑に行ったままなんだ! 昼になっても帰ってこない!」


 女将は息を呑んだ。


「ミラ……今朝、樽の水を汲みに行くって言ってた子だよ」


 ルージュがすぐに立ち上がる。


「行方不明?」


「魔物じゃないと思う。だけど……」


 男は言葉を飲み込む。


「この町、最近……変なんだ。みんな、忘れっぽいっていうか……」


 その一言が、アズルの心臓を掴んだ。



 町の外れ、細い小道を進む。

 案内役の男は名を「レオ」と名乗った。青い布を腕に巻いている。


「それ、青が好きなのか?」


 アズルが聞くと、レオは照れたように笑った。


「え? あ、はい。……なんとなく。落ち着くんです。英雄様の色だって、みんな言ってます」


 ——みんな。

 その言葉が、奇妙に重い。


 ヴェールが足を止め、耳を澄ませた。


「……ここ、精霊がいません」


「いない?」


「正確には、いるはずなのに……声が、途切れています」


 ルージュが周囲を見回す。


「結界の気配……微かにある。誰かが、ここを“守ってる”みたい」


「守ってる?」


「でも変。守り方が、歪んでる」


 ノワールが地面にしゃがみ、土を指先でつまむ。


「足跡が少ない。……それに、ここだけ草の向きが揃っています」


 整いすぎている。


 アズルは背中の黒い剣に、無意識に意識を向けていた。

 その瞬間、脳裏に一枚だけ映像が浮かぶ。


 ——ここを、駆け抜けた。

 ——誰かの手を掴んだ。

 ——叫び声。


 だが、敵の姿が見えない。


「アズルさん?」


 ヴェールの声で、映像は霧散した。


「……大丈夫だ」


 自分に言い聞かせるように答える。


 やがて、小さな川が見えた。

 水面は穏やかで、周囲は静まり返っている。


 そして、川辺の石の陰に——少女がうずくまっていた。


「ミラ!」


 レオが駆け寄る。


 少女は顔を上げた。

 涙で頬が濡れているが、傷はない。


「……わたし、何してたの?」


 その声は震えていた。


「水を汲みに行ったんだよ。心配した」


 レオが言うと、少女は首を振る。


「ちがう。……ちがうの。水じゃなくて……」


 少女は自分の両手を見つめる。


「ここに、来た理由が……消えた」


 ヴェールがそっと膝をつき、少女の肩に手を置いた。


「怖かったですね。もう大丈夫です」


 癒しの光が、淡く広がる。けれど少女の表情は晴れない。


 ルージュが指先で空気をなぞると、見えない膜に触れたように指が止まった。


「……あった」


 彼女は、誰にも聞こえない声で呟く。


「ここ、何かが『書き直されてる』」


 ノワールが目を細めた。


「記録も、同じ可能性があります」


 アズルは息を飲む。


 忘れたのは、自分たちだけじゃない。

 この町も、何かを——


 そのとき。


 川向こうの木立の奥に、白い影が一瞬だけ揺れた。


 アズルは反射的に視線を追う。


 だが、そこには何もいない。


「今……」


 言いかけて、言葉を飲み込む。

 確信がない。


 ヴェールは川の方を見て、少しだけ眉を寄せた。


「……精霊が、怖がっています」


「何を?」


 ルージュが問う。


 ヴェールは首を振った。


「分かりません。けれど、ここは……優しいはずの場所が、優しすぎるみたい」


 優しすぎる。

 その言い方が、胸に刺さった。



 町へ戻る道すがら、ルージュはレオに笑いかけた。


「ミラが見つかってよかったね」


「はい。でも……」


 レオは言い淀む。


「最近、こういうのが増えたんです。忘れ物とか、言い間違いとか……」


「みんな、疲れてるのよ」


 ルージュは軽く言い、話を終わらせる。

 だが、アズルには分かってしまった。


 彼女は“丸めた”。

 王国に報告するとき、余計な言葉が増えるのを恐れた。


 宿屋に戻り、女将に少女の無事を告げる。

 女将は胸を撫で下ろした。


「英雄様のおかげだねえ」


 けれど、その感謝もどこか形式的で、温度が薄い。


 ノワールは食事の前に役場へ向かうと言った。


「記録を確認します。欠落があるかもしれない」


「私も行く」


 ルージュがすぐに続いた。


「王国への報告、材料が必要でしょ」


 ヴェールがアズルの袖を引く。


「アズルさんは……少し休んでください。顔色がよくない」


 言われて初めて、自分が疲れていることに気づく。


「……分かった」


 アズルは頷き、二人を見送った。



 夜。


 宿屋の窓から町を見下ろすと、灯りは少なく、静かに揺れていた。

 平和だ。

 誰も怒鳴らず、誰も泣かず、誰も争っていない。


 なのに。


 胸の奥が落ち着かない。


 アズルは外套を羽織り、外へ出た。


 広場に出る。

 昼間よりさらに人影がない。


 かつてここで笑ったはずなのに。

 誰かと肩を並べたはずなのに。


 思い出せない。


 背中の青い剣が、静かに揺れる。

 黒い剣が、ほんの僅かに鳴った。


 その音に合わせるように、脳裏にまた断片が刺さる。


 ——この町で、誓った。

 ——誰かを守ると。


 だが、その“誰か”の顔が見えない。


 ふと、視界の端に白いものが映った。


 路地の奥。

 灯りの届かない場所。


 白い影が、確かにこちらを見ていた気がした。


 アズルは一歩踏み出す。


 次の瞬間——影は消えた。


 風だけが吹き抜ける。


「……忘れたのは、俺たちだけじゃない」


 呟きは夜に溶けた。


 この町は、何かを忘れている。

 そしてその忘却は、誰かにとって都合がいい。


 アズルは背中の二本の剣に触れ、静かに息を吐いた。


 同じ道を、もう一度。


 今度は、失くした理由ごと——取り戻すために。


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