memory 4:再出発の理由
### memory 4「再出発の理由」
王都の朝は、ひどく整いすぎていた。
祝賀の名残は街の装飾として残っているが、人々の生活はすでに通常運転に戻っている。英雄が滞在する宿舎の窓から見える光景は、平和そのものだった。
アズルは部屋の中央で装備を整えていた。
王都から与えられた英雄用の装飾鎧は、壁際に静かに立てかけられている。金の縁取り、王家の紋章——それらは、今の自分には重すぎた。
身につけるのは、深い青を基調とした旅装。動きやすい革鎧に、必要最低限の金属補強。嘘をつかない装備だ。
背中には、二本の剣がある。
一振りは、澄んだ青を帯びた剣。もう一振りは、光を吸うような黒い剣。
「……予備、だよな」
理由は思い出せない。だが、最初からそうだった気がする——それだけが残っていた。
部屋の扉が開く。
「まだ慣れない?」
ルージュが顔を出した。赤と黒を基調にした軽装だが、縁取りや留め具に細く青が差し込まれている。意識して選んだ色だと、一目で分かる。
「背中に剣が二本あるの、やっぱり目立つわよ」
「そうか?」
「ええ。英雄って感じ」
その言葉に、アズルは小さく息を吐いた。
続いてヴェールが現れる。
淡い緑と白のローブは旅用に簡略化されているが、胸元には青い刺繍が施されていた。前かがみになるたび、豊かな起伏が自然と視界に入り、アズルは思わず目を逸らす。
「アズルさん、その剣……安心します」
「安心?」
「はい。精霊たちも、青が好きみたいで」
無自覚な言葉に、ルージュが肩をすくめる。
最後にノワールが静かに部屋へ入った。
影に溶けるような黒装束。体のラインを隠す設計のはずだが、動くたびに布越しでも分かる存在感がある。腰帯の一部に控えめな青が使われていた。
「準備は整っています」
アズルは、この場にいる全員が、なぜか青を身に纏っていることに気づく。
「……偶然、だよな」
誰も否定しなかった。
*
王城への召喚は、簡潔で、重かった。
玉座の間で、王は淡々と告げる。
魔王討伐後、各地で反乱や不穏な動きが散発していること。
英雄たちに、視察と必要に応じた鎮圧を任せたいこと。
行き先は——始まりの町方面。
アズルの胸が、わずかに軋んだ。
「英雄たちの安全は保証しよう」
「そして、王国の目としても——期待している」
祝福と命令の境界が、曖昧な言葉だった。
「……承りました」
アズルは答える。
衝動ではない。理解したうえでの選択だった。
*
玉座の間を出たあと、ルージュは一瞬だけ足を止めた。
「報告は、私がまとめるわ」
軽い口調だったが、視線は逸れている。
「王国に、ね」
アズルは何も言えなかった。
それが彼女の役割だと、頭では分かっている。
*
人気のない回廊で立ち止まる。
「断れない依頼だったな」
「拒否すれば、別の形で管理されます」
「……それでも、外に出られます」
ヴェールの言葉に、全員が黙る。
「同じ道を、もう一度行こう」
アズルの言葉に、誰も反対しなかった。
*
王都を出る準備は、静かに進んだ。
英雄としての装備は置いていく。
残すのは、旅人の装いと、二本の剣だけ。
門の外には、馬車が一台待っていた。
*
馬車が動き出し、王都の城壁が遠ざかる。
「ねえ、アズル」
揺れる車内で、ルージュが何気ない調子で言った。
「さっきから気になってたんだけど」
「何だ?」
「その背中。あんた、やたら意識して動いてるでしょ」
アズルは眉をひそめる。
「意識?」
「そう。剣が一本の人の癖じゃないっていうか……」
ルージュは言葉を探すように、視線を宙に泳がせた。
「余計な間合いを取るっていうか、無駄な動きが多いのよ」
「無駄、か?」
否定しかけて、言葉に詰まる。
確かに、自分でも理由の分からない癖がある。
「まあ、戦闘になってから考えればいいか」
ルージュはそれ以上踏み込まず、軽く肩をすくめた。
馬車が大きく揺れる。
その拍子に、背中の黒い剣が小さく鳴った。
一瞬——
アズルの手の感覚が、妙に研ぎ澄まされた気がした。
だが、次の瞬間には消えている。
理由は、分からない。
馬車は街道を進む。
同じ道を、もう一度。
——忘れた理由を、探すために。




