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魔王を倒した後に始まる物語  作者: nime


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memory 3:英雄の居場所

# memory 3:英雄の居場所


英雄の朝は、妙に整いすぎていた。


目覚めれば、香りの良い湯が用意され、柔らかな布が棚に並び、銀の盆に乗った朝食が音もなく運び込まれる。


焼きたてのパン。


澄んだスープ。


果実。


この世の「勝者」にふさわしい、完璧な献立。


けれど、アズルはフォークを動かしながらも、どこか落ち着かなかった。


(……やりすぎだろ)


王都の人々が歓迎してくれるのは分かる。


だがこれは、歓迎というより――。


「管理、だな」


ぽつりと漏らした言葉に、向かいのノワールが頷いた。


彼女は食器の音一つ立てずに、最低限の量だけ口に運び、すでに周囲を観察している。


「扉の外。交代制で二名。廊下の角に一名。窓下に一名。……護衛としては過剰」


「それ、護衛じゃなくて監視じゃない?」


ルージュがパンをちぎりながら、口を尖らせた。


「英雄に失礼だよねぇ」


「失礼でも、事実です」


ノワールは淡々と言う。


ヴェールは困ったように微笑んだ。


「心配してくださっているのかもしれません。反乱の噂もありますし……」


反乱。


その単語に、アズルの胸の奥がざわつく。


昨夜、誰かが廊下で話していた。


『四天王の残党が――』


『地方で火の手が――』


耳に残った断片だけが、妙に鮮明だ。


(魔王がいなくなったのに……)


平和になった、と王は言った。


民も信じている。


なのに、火種は消えていない。


「……街に出よう」


アズルが言うと、ルージュがすぐに乗った。


「賛成! 部屋の中だと息が詰まる」


ヴェールも頷く。


「わたしも……民の方々の顔を、ちゃんと見たいです」


ノワールは一拍置いて、短く言った。


「護衛が付く」


「付かない方が不自然か」


アズルは苦笑し、椅子から立ち上がった。


---


王城を出ると、王都の空気は甘かった。


焼き菓子の匂い。


香辛料。


朝の市場の活気。


人々は彼らを見つけると目を輝かせ、すぐに道を空けた。


「勇者さま!」


「英雄の皆さま!」


呼びかけられるたび、アズルは曖昧に笑って手を上げる。


昨日のパレードより距離が近い。


握手を求められ、花を渡され、言葉をかけられる。


「ありがとうございます。本当に……」


年老いた女性が、涙ぐみながら頭を下げた。


アズルは反射的に、彼女の手を握り返した。


温かい。


生きている手。


(俺たちは、守ったんだ)


そう思いたい。


だが。


次の言葉が、いつも同じ角度から飛んでくる。


「魔王は、やっぱり恐ろしい顔をしていましたか?」


「最後は泣いたって、聞きましたよ!」


「魔王城は、どんなところでした?」


――どんな顔。


――どんな言葉。


――どんな場所。


誰もが同じ“英雄譚”の部品を求めてくる。


アズルの胸の奥に、冷たいものが落ちた。


(……この人たちは、本当に知りたいのか?)


知りたいのは、真実じゃない。


“そういう話”だ。


そういう物語。


「ええ、そりゃあもう、すごかったですよ!」


ルージュが明るく答え、相手が喜ぶ。


ヴェールが微笑み、相手が安心する。


ノワールは黙って周囲を見張り、護衛の兵がそれに合わせて動く。


アズルは、笑いながらも胸の奥が空っぽになるのを感じた。


(俺たちは、同じ場所に立ってない)


世界は“平和になった”場所に立っている。


自分たちは、まだ“終わっていない”場所に立っている。


市場の角で、子どもが木剣を振っていた。


「くらえー! まおうー!」


その声が、妙に軽い。


隣の父親が笑う。


「勇者さまが倒してくれたんだぞ。もう怖くない」


怖くない。


その言葉に、アズルの胸がきしむ。


(怖かったのは……何だ?)


思い出そうとする。


――白。


また、あの白。


目の前の景色が一瞬だけ滲み、すぐに戻った。


「アズル?」


ヴェールが心配そうに覗き込む。


「……大丈夫だ」


そう言う声が、自分のものに聞こえない。


---


その日の夕刻。


彼らは再び王城へ戻された。


戻った、という言葉がしっくりくる。


宿ではない。


招待でもない。


帰還。


英雄は、王城に“収められる”。


「本日の予定は以上となります」


案内役の侍女が微笑んだ。


笑顔は完璧で、声は柔らかい。


だが、目が笑っていない。


アズルはその違和感を飲み込み、扉が閉まったあとで息を吐いた。


「……やっぱり、監視されてる」


ルージュが腕を組んで、低い声で言った。


「堂々と、ってのがムカつくんだよね。こっちは英雄だよ?」


「英雄だからこそ、です」


ノワールが言う。


「英雄は象徴。勝手に動かれては困る」


ヴェールが小さく眉を下げた。


「困る……?」


「……王国にとって」


ノワールは、それ以上言わなかった。


沈黙が落ちる。


アズルは椅子に腰を下ろし、視線を床へ落とした。


胸の奥の鐘が、まだ鳴っている。


忘れたままではいけない。


「……なあ」


アズルは顔を上げる。


「俺たちは、なぜ戦った?」


三人の視線が集まった。


ヴェールは少し驚いたように目を瞬かせ、やがて静かに言った。


「……世界を守るため、だと思っていました」


“思っていました”。


その言い方が、胸に刺さる。


ルージュが肩をすくめた。


「そう信じてた。……でもさ、私たち、何か大事な説明、されてたっけ?」


ノワールが短く言う。


「命令があった」


「命令?」


アズルが聞き返すと、ノワールは一瞬だけ目を伏せた。


「……王都の命令。あなたが旅立ったのも、それです」


アズルの喉が乾く。


(一人で、旅立った)


その事実だけが、妙に確かだ。


なぜ一人で。


なぜ討伐へ。


(……俺たちは、駒だったのか?)


そんな疑念が、ゆっくりと形になる。


ルージュが言う。


「王国ってさ。……全部、説明してたっけ?」


ヴェールが戸惑う。


「王は……わたしたちに感謝してくださっていました。でも……」


「感謝と説明は別だよ」


ルージュは笑いながら言った。


笑いが、薄い。


ノワールは沈黙する。


(知ってるのか? それとも、知れないのか)


アズルはノワールの横顔を見た。


彼女はクールで真面目で、必要なことしか言わない。


その性格が、今は不気味だった。


アズルは立ち上がり、部屋の隅に立てかけられた剣へ近づいた。


鞘に手を置く。


冷たい金属の感触。


安心する。


剣は、嘘をつかない。


だが。


(この剣で、俺は何を斬った?)


答えがない。


それが、怖い。


窓の外から、遠い歓声がまだ聞こえる。


街は、平和の余韻に浸っている。


――でも。


平和は、完成していない。


そのとき、扉の外で足音が止まった。


小さなノック。


「失礼いたします」


入ってきたのは、昼とは違う侍女だった。


手には封書。


「王より、お知らせがございます。地方にて……魔族の反乱が確認されました」


その言葉に、ヴェールが息を飲む。


ルージュが眉をひそめる。


ノワールの視線が鋭くなる。


侍女は淡々と続けた。


「四天王の残党によるものと推測されます。王都としては鎮圧の準備を進めておりますが……英雄の皆さまにも、近日中にご相談があるかと」


相談。


それは、丁寧な言葉で包んだ命令に聞こえた。


侍女は一礼して去り、扉が閉まる。


静寂。


「……平和、ね」


ルージュが小さく吐き捨てた。


ヴェールは胸元で手を組み、祈るように言う。


「争いが……また、始まってしまうんでしょうか」


ノワールが言った。


「魔王がいなくなれば、権力は空白になる。争奪が起きるのは自然」


自然。


その言葉が、アズルの胸を刺す。


(俺たちが、空白を作った)


もし。


魔王が本当にただの悪で、討伐が正しかったなら。


それでも、こうなる。


だったら。


自分たちは、何を救った?


アズルは小さく息を吸い、仲間たちを見回した。


「……このまま、ここにいていいと思うか?」


ヴェールがゆっくり首を振った。


「いいえ。……外で、確かめたいです」


ルージュは笑って、けれど目は真剣だった。


「答え、外にある気がする。ここにいると、頭の中まで“整えられそう”」


ノワールは短く言う。


「王都を離れれば、監視は増す」


「それでも、行く」


アズルは即答した。


胸の奥の鐘が、はっきりと鳴った。


忘れた理由を。


失った記憶を。


そして――白い影を。


「俺たちは、終わらせた理由を確かめる」


四人の間に、静かな熱が生まれる。


王都の外へ。


始まりの町へ。


過去をなぞる旅へ。


英雄ではなく、ただの自分として。


アズルは剣の鞘を握り直した。


(平和を壊したのが俺なら……取り戻すのも俺だ)


その誓いはまだ言葉にならない。


だが、確かに胸の中に灯った。


---



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