表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王を倒した後に始まる物語  作者: nime


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/29

memory 24 成立しない衝突

memory 24 成立しない衝突


 街を離れてから、空はずっと青いままだった。


 雲ひとつない、というほどではない。けれど雲はいつも「ちょうどいい」位置にいて、陽射しを邪魔しない。風も強すぎず、弱すぎず、髪を乱す程度にしか吹かない。


 平和――。


 その言葉が、ここまで露骨に当てはまる景色があるだろうか。


 アズルは前を歩きながら、胸の奥の薄いざわめきを指でなぞるように確かめた。消えてはいない。けれど強くもならない。


 まるで、火種だけが残っている。


「アズル、歩幅、少し落として」


 背後からルージュの声が飛ぶ。


「また?」


 振り返ると、ルージュが不機嫌そうに頬を膨らませていた。その隣でヴェールが困ったように笑っている。


「段差でつまずきそうになったんです。ほら、この辺、石が多くて……」


「俺が気づかなかったのか?」


「気づいてたけど、あんた早いのよ」


 ルージュは腕を組み、わざと胸を強調するように姿勢を正した。旅装の布地が、必要以上に主張する。


「……わざとだろ」


「わざとじゃないわ。確認よ。あんた、昨日の夜みたいに……ちゃんと気にしてくれてるか」


 最後の方の言葉が、小さくなる。


 アズルは息を吐いた。


 気にしている。


 だから、困る。


「……安全に歩くための確認なら、俺は歓迎する」


「そういう意味じゃない!」


 ルージュが赤くなるのを見て、ヴェールが柔らかく笑った。


「ルージュさん、可愛いですね」


「やめて!」


 そこへ、ノワールが淡々と追いつく。


「本日、移動中接触未遂、一件」


「未遂を記録するな」


「未遂は、傾向の兆し」


 いつもの調子だ。


 このやり取りが、ひどく安心できてしまう。


 だからこそ、アズルは自分を戒める。


 安心が、薄すぎる。


 ◇


 昼過ぎ、街道から少し外れた場所に、小さな村が見えた。


 木造の家が十数軒。畑と小さな家畜小屋。井戸が中央にあり、そこに子どもたちが集まっている。


 村は静かだった。


 鳥の声と、遠くの水音だけが聞こえる。


「休憩にちょうどいい」


 アズルが言うと、ヴェールが頷く。


「精霊の気配も穏やかです。水も綺麗」


「……穏やかすぎる」


 ノワールが小さく付け加える。誰にも聞こえないくらいの音量だったが、アズルの耳には届いた。


 村の入り口に立つ老人が、こちらを見つけて微笑んだ。


「旅の方々かい。水ならある。休んでいくといい」


 その声は優しい。


 優しすぎて、角がない。


 礼を言い、井戸の近くで水筒に水を汲む。子どもたちが興味深そうに覗き込むが、騒がない。


「剣のお兄ちゃん、強い?」


 少年が尋ねる。


「それなりに」


「ふーん。じゃあ、悪い魔物もやっつけられる?」


「必要なら」


 少年は笑って頷く。


 そこで終わりだった。


 普通なら、もっと無邪気に騒ぎ、もっと遠慮なく質問し、もっと感情が跳ねる。


 だがこの子は、笑うだけで満足してしまう。


 その笑顔が、どこか乾いて見えた。


 ◇


 村の集会所らしい小屋の前で、数人の大人が集まっていた。


 声は聞こえる。


 けれど、怒鳴り声がない。


「だから、違うって言ってるだろ」


「分かってるよ。でも……」


「でも、なんだ」


 言葉が、途中で萎む。


 アズルは足を止めた。


 視線の先には、若い男が一人、肩を落として立っている。村人たちは彼を囲んでいるが、誰も詰め寄らない。


「何かあったのか」


 アズルが声をかけると、老人がゆっくり振り向いた。


「ああ……いや、まあ……」


 老人は口を開くが、言葉を続けきれない。


 代わりに、別の男が説明した。


「村の備蓄の干し肉が、少し減ったんだ。こいつが……持ち出したんじゃないかって」


「俺じゃない!」


 若い男が反論した。


 だが、その反論も途中で力を失う。


「……俺じゃ……ない。たぶん……」


 自分で自分の言葉に、納得しようとしてしまうような口調。


 周囲の村人も、眉を寄せたまま沈黙する。


「じゃあ、誰が?」


 アズルが問う。


「さあ……分からん」


 男が肩をすくめる。


「でも、誰かがやったんだろ?」


「だろうな」


「なら、探さないのか」


「探す……か」


 その言葉が空中でほどける。


 怒りがないわけじゃない。


 不満がないわけでもない。


 ただ、最後まで辿り着かない。


 衝突が成立しない。


 アズルの背中に、ひやりとしたものが走った。


 ヴェールがそっと隣に来る。


「精霊が……黙っています」


「怯えてる?」


「違います。怯える理由を、思い出せないみたいに」


 第23話で聞いた言葉と、同じだ。


 ルージュは村人たちを見回し、唇を噛んだ。


 何かを知っている顔。


 だが、言わない。


 ノワールは手帳を開き、淡々と書く。


「争い未完。感情収束、早すぎる」


「……おい」


 アズルは一歩前に出た。


 若い男の前ではなく、村人たちの前に。


「怒るなら、最後まで怒れ」


 村人たちが目を丸くする。


「疑うなら、最後まで疑え」


 アズルは続ける。


「許すなら――自分で選べ」


 静けさが、張りつめる。


 井戸の水音が、やけに大きい。


 アズルは剣の柄に手を置いた。


 抜かない。


 抜かないが、逃げもしない。


 剣は嘘をつかない。


 だから、今の自分の言葉も嘘にしたくない。


 その瞬間――空気が、わずかに揺れた。


 風が一度、止まる。


 村人の誰かが、喉を鳴らした。


「……怒ってたんだ、俺」


 最初に口を開いたのは、干し肉が減ったと言った男だった。


「怒るのって、疲れるから……途中でやめちまった」


 彼は自分の胸に手を当て、ゆっくりと息を吐く。


「でも……やめたままじゃ、ずっと気持ち悪いな」


 その言葉が出た瞬間、村人たちの表情が少しだけ変わった。


 眉が寄り、目が細まり、口角が下がる。


 怒りの形。


 久しぶりに見る、人間の「棘」。


 若い男が顔を上げた。


「俺じゃない。俺は……腹は減ってた。でも、盗んでない」


 今度は言い切った。


 空気が揺れる。


 揺れてしまったことに、誰かが驚いている。


 まるで、揺れてはいけないとでも言うように。


 ◇


 その時だった。


 村の外れから、悲鳴が上がった。


 子どもの声。


 アズルが駆け出す。ヴェール、ルージュ、ノワールが続く。


 畑の端、草むらの陰から――小型の魔物が二体、姿を現していた。


 狼に似ているが、目が妙に白い。牙は鋭いのに、唸り声が弱い。


 村の子どもが尻餅をつき、泣きかけている。


 アズルは迷わず前に立った。


 剣を抜く。


 名を叫ばない。


 ただ、踏み込む。


 魔物が飛びかかろうとして――止まった。


 前脚が宙で固まる。


 次の瞬間、魔物は尻尾を丸め、後退した。


「……逃げる?」


 ルージュが眉を寄せる。


 魔物は怯えている。


 いや、怯えるというより……迷っている。


 攻撃を「最後まで」できない。


 アズルは剣先を向けたまま、距離を詰める。


 魔物は唸り声を出し――その唸り声も途中で消えた。


 白い目が瞬く。


 そして、くるりと背を向けて走り去った。


 残ったのは、踏み荒らされた畑と、呆然とする村人たち。


 勝利。


 なのに達成感がない。


 手応えが、途中で途切れる。


 ヴェールが子どもに駆け寄り、頭を撫でる。


「大丈夫。怪我していません」


 治癒の光は使わない。


 使う必要がない。


 必要がないことが、喜ばしいはずなのに――胸が重い。


 ノワールが畑を見回し、足跡を確認する。


「魔物の動きが不自然。襲撃意思、未完」


 ルージュは歯を噛み、空を睨んだ。


 何かに苛立っている。


 それは魔物ではなく、見えない「何か」に。


 ◇


 村に戻ると、先ほどの話し合いの空気は少しだけ変わっていた。


 村人たちは互いに言葉を交わし、干し肉の倉庫を確認し、足跡を探す。


 怒りも、不満も、完全ではない。


 だが、さっきより「進んでいる」


 アズルはその変化を見て、剣を鞘に収めた。


 抜いた剣は嘘をつかない。


 だから、抜いた意味は残る。


「旅の方、ありがとう」


 老人が頭を下げた。


「……いいえ。礼を言われることはしていません」


 アズルは正直に答えた。


 老人は困ったように笑う。


「それでも、言わせてくれ。最近、この村……怒り方を忘れかけていた」


 その言葉に、ヴェールが目を伏せる。


 ルージュが拳を握り、ノワールが手帳に線を引いた。


 そして、アズルの胸の火種が、少しだけ大きくなった。


 ◇


 日が沈む前に、一行は村を離れた。


 追いかけてくる者はいない。


 引き止める声も、泣き声も、ない。


 夕暮れの草原は美しく、虫の音がやわらかい。


 近くの小川のそばに野営を決め、焚き火を起こす。


 火は揺れる。


 揺れるはずだ。


「冷えるね」


 ルージュが肩をすくめる。


 ヴェールがさっと外套を広げ、自然にアズルの隣に座った。距離が近い。胸元の温度が、火より先に伝わる。


「アズル、風よけになります」


「……助かる」


 その直後、ルージュが反対側から座り、わざと肩を押し付ける。


「こっちも、風よけ」


「お前は風だろ」


「ひどい!」


 ノワールは無言で毛布を一枚投げてよこした。


「三角形。安定」


「誰が三角形だ」


「重心は、胸部が支配」


 さらりと言うので、ルージュが目を吊り上げる。


「ちょっと!」


 ヴェールは赤くなりながらも、どこか誇らしげに胸元を整える。


 アズルは咳払いで誤魔化した。


 こういう時間が、確かに好きだ。


 好きだが――。


 焚き火の向こう、闇の奥に、昼の違和感がまだ残っている。


「……なあ」


 アズルは、火を見つめたまま言った。


「この平和は、誰のものだ?」


 風が、ふっと弱まった。


 虫の音が遠のく。


 火が揺れない。


 ほんの一瞬。


 まるで世界が、呼吸を止めた。


 ヴェールが小さく息を呑み、ルージュが唇を噛む。


 ノワールが手帳を閉じた。


 次の瞬間、風が戻り、火が揺れた。


 虫の音も戻る。


 何事もなかったかのように。


 だが、アズルは確信した。


 ――今のは、偶然じゃない。


 どこかに「手」がある。


 見えない手。


 善意の手。


 そして、無意識の手。


 アズルは剣の柄に触れた。


 抜かない。


 抜かないまま、選ぶ。


「明日も進む」


 自分に言い聞かせるように呟く。


 ヴェールが頷いた。


「はい。進みましょう」


 ルージュが小さく笑った。


「当たり前。あんたの背中、見失う気ないから」


 ノワールは短く言う。


「記録は、続く」


 焚き火は揺れた。


 今度は、ちゃんと。


 その揺れを確かめながら、アズルは夜の中で目を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ