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魔王を倒した後に始まる物語  作者: nime


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memory 2:祝福される英雄たち

# memory 2:祝福される英雄たち


廊下に出た瞬間、空気が変わった。


王城の石造りの回廊は冷たく、朝の静けさをまだ抱いている――はずなのに、遠くから押し寄せる音がある。


太鼓。


金属が触れ合う甲高い響き。


そして、人の声。


ざわめきは壁を伝って、まるで潮の満ち引きみたいに近づいてきた。


「……これが、パレードの音か」


アズルが呟くと、衛兵は当然のように頷いた。


「はい。王都は夜明け前から集まっております。英雄の凱旋を、この目で見たいと」


英雄。


その言葉が、喉の奥に引っかかった。


(俺たちは、何をしたんだ)


答えはあるはずなのに、掴もうとすると指の間から砂みたいに零れ落ちる。


一行は階段を下り、王城の正門へ向かった。


途中、何人もの使用人が一礼し、侍女が花束を抱えてすれ違った。その誰もが微笑み、口々に祝福を口にする。


「おめでとうございます、勇者さま」


「世界は救われました」


その言葉に、胸が温まるはずだった。


なのに。


アズルの心は、薄い氷を踏んだときみたいに軋んだ。


正門をくぐると、光が爆ぜた。


朝の太陽が跳ね返り、広場の石畳が白く輝く。そこに待っていたのは、豪奢な馬車だった。


王家の紋章。


金の縁取り。


白い帷子が風に揺れている。


「……うわ。派手」


ルージュが小声で言って、肩をすくめた。


「英雄は派手でいいんだよ。たぶん」


「派手で済めばいいんですけどね……」


ヴェールが困ったように微笑む。ノワールは馬車の周囲を無言で見回し、護衛の数や配置を数えるように目を動かしていた。


「どうぞ」


衛兵に促され、四人は馬車へ。


座席は向かい合わせになっていて、距離が近い。揺れに備えた手すりも、やたら丁寧に磨かれている。


(用意周到すぎる)


アズルは小さく息を吐き、腰を下ろした。


扉が閉まる。


次の瞬間、外の歓声が、壁を隔ててもなお胸を叩いた。


「……すごい」


ルージュが窓の外へ顔を寄せる。


ヴェールもそっとカーテンを持ち上げ、外を覗いた。


「民の方々が……」


その声には、ほっとした温度がある。彼女はこういう光景を、心から大事にする人だ。


ノワールだけが言った。


「……逃げ道がない」


「やめろ。現実的すぎる」


アズルが小さく突っ込むと、ノワールは「事実です」とだけ返した。


馬車が動き出す。


車輪が石畳を転がる振動が、座席を通して伝わる。ゆっくり、しかし止めようのない速度で、彼らは王都の大通りへ押し出された。


そして――


歓声が、爆発した。


「おおおおおお!」


「勇者さまーー!!」


花が舞い、紙吹雪が降り、音楽隊の調子外れなファンファーレが響く。


窓の外には、ぎっしりと並ぶ人、人、人。


老若男女。涙を拭う者。膝をつく者。子どもが手を振り、肩車された幼子が花束を投げる。


彼らの目は、まっすぐにアズルたちを見ていた。


まるで、本当に――救世主を見る目。


(……俺たちを、見てる)


アズルは、思わず背筋を伸ばした。


この期待を、裏切ってはいけない。


なのに。


自分の胸の内は、空洞のままだ。


「ほらほら、笑って、笑って。英雄なんだから!」


ルージュが肘でつついてくる。


「……ああ」


アズルは口角を上げた。


ヴェールは柔らかく手を振り、ノワールは必要最小限の動きで頭を下げる。


その仕草ひとつで、歓声がさらに増す。


「やったぞ! 魔王を倒したんだ!」


その言葉が、耳に入った。


アズルの笑顔が、ほんの一瞬だけ固まる。


魔王。


倒した。


そこまでは、分かる。


だが――。


「ねえ、勇者さま! 魔王って、どんな顔だった!?」


「最後に何て言ったの!? 泣いてたって本当!?」


「怖かったか!? 強かったか!? 剣は折れたか!?」


声が次々に降り注ぐ。


ルージュが、ぱちぱちと瞬きをした。


ヴェールの指が、膝の上でぎゅっと握られる。


ノワールは視線を逸らし、馬車の外壁の一点を見つめた。


(……答えられない)


アズルは喉の奥が乾くのを感じた。


思い出そうとする。


戦いの最中。


魔王の姿。


言葉。


――白。


頭の中が、突然真っ白になる。


耳鳴り。


心臓が、一拍遅れる。


(くそ……っ)


「ははっ!」


ルージュが、無理やりに笑った。


「魔王? そりゃあ……えーっと……」


言葉が続かない。


アズルは、咄嗟に割って入った。


「――強かった」


自分でも驚くほど、乾いた声だった。


「だが、俺たちは勝った。それだけだ」


歓声がさらに沸く。


「そうだ! 勝ったんだ!」


「さすが勇者さま!」


救われたのは、相手ではない。


自分たちだ。


(言葉で誤魔化した)


そんな感覚が、胸に残った。


ヴェールが小さく息を吐き、アズルの袖を指先でつまんだ。


「……アズル。大丈夫ですか」


その一言が、救いにも刃にもなる。


大丈夫じゃない。


けれど、今ここで崩れるわけにはいかない。


「大丈夫だ」


アズルは短く答えた。


馬車は大通りを進み、王城前の広場へ向かう。


沿道には、王国騎士団が整列していた。鎧の列は美しく、動きは機械みたいに揃っている。


その完璧さが、怖い。


(俺たちは、祝福されているのか。それとも――)


考えた瞬間、ルージュが耳元で囁いた。


「……ねえ。変だよね」


「……ああ」


「みんな、魔王の話をしたがるのに……肝心のこと、誰も言わない」


ルージュの声は、いつもの軽さより少し低かった。


アズルは彼女の横顔を見る。


赤い髪。童顔の笑み。


その奥に、一瞬だけ影が落ちた。


「……違う」


ルージュが、ほとんど聞こえない声で言った。


「え?」


「ううん、なんでもない!」


彼女はすぐにいつもの調子に戻り、窓の外へ手を振った。


(今の……なんだ)


アズルが問い返す前に、馬車は広場へ到着した。


石畳の中央に設えられた壇上。


王家の旗。


楽隊。


そして、王。


白髪の王は、ゆっくりと壇上へ上がると、両手を広げた。


歓声が、ぴたりと止む。


沈黙。


王の声が響いた。


「諸君。今日、我々は歴史の新しい朝を迎えた」


その言葉は、朗々としていた。


「長きにわたり、我らの国を脅かしてきた魔の影は払われた。魔王は滅び、世界に真の平和が訪れたのだ」


真の平和。


アズルの胸の奥が、きしんだ。


(“真の”……?)


王は続ける。


「この勝利は、ただ剣の力だけによるものではない。信仰、団結、そして――勇気によるものだ!」


歓声が上がる。


「勇者アズルと、その仲間たちに栄光あれ!」


アズルは立ち上がり、ゆっくりと頭を下げた。


歓声が、波のように押し寄せる。


だが、王の演説は。


魔王の名を呼ばない。


魔王が何を望んだのか、語らない。


なぜ戦ったのか、語らない。


“結果”だけを祝福していた。


(……俺たちは、何のために)


アズルが目を上げたとき。


ルージュが、唇を噛んでいた。


ほんの一瞬。


彼女の瞳に浮かんだのは――怒りとも、悲しみともつかない色。


次の瞬間、彼女は笑っていた。


(見間違いか?)


いや。


見間違いにするには、あまりにも鮮明だった。


壇上から降り、再び馬車へ。


パレードは後半へ移る。


王城を背にして進む道は、さきほどより狭い。


民衆との距離が近くなる。


近すぎて、手が届く。


「ありがとう!」


「助けてくれて……!」


涙ながらに叫ぶ声。


老人が杖をついて、必死に頭を下げる。


アズルは反射的に身を乗り出し、手を伸ばしかけた。


(……触れたら、何かが戻るかもしれない)


そんな馬鹿げた期待。


だが、手は空を掴むだけだった。


そして。


ふと。


視界の端に、白が走った。


白い布。


白いフード。


小さな影が、群衆の隙間からこちらを見上げている。


目が――合った。


心臓が跳ねる。


(誰だ?)


アズルは立ち上がりかけた。


だが、その瞬間。


影は、人混みに溶けるように消えた。


「アズル?」


ヴェールが不安そうに覗き込む。


「……いや。気のせいだ」


言いながら、自分でも納得していない。


気のせいで、あんなに胸は痛まない。


パレードは終わり、馬車は王城の裏門へ回された。


扉が開く。


外の音が、嘘みたいに遠のいた。


さっきまで世界を満たしていた歓声が、厚い壁の向こうへ押し出される。


残るのは、足音と、衣擦れの音だけ。


「……静かだね」


ルージュがぽつりと言った。


「さっきまで、あんなに……」


ヴェールが目を伏せる。


「……本当に、終わったのでしょうか」


ノワールは廊下の曲がり角を見て、短く言った。


「終わったことにされている」


アズルは、その言葉を反芻した。


終わったことにされている。


(……そうだ)


胸の奥の鐘が、また鳴った。


忘れたままではいけない。


思い出さなければいけない。


そして――どこかにいるはずの、“誰か”。


「……俺たちは」


アズルは、小さく息を吸う。


「“終わったこと”にされてる。でも……終わってない」


仲間たちが、黙って彼を見る。


ヴェールの優しい瞳。


ルージュの笑顔の奥の影。


ノワールの、揺れない視線。


四人の間に、見えない糸が張られる。


その糸は、過去へ。


そして、まだ見えない真実へ続いている。


アズルは、遠くから聞こえる最後の歓声を、背に受けた。


(俺たちは、何を救った?)


答えは、まだない。


けれど。


探すべきものがある。


失った記憶。


そして――白い影。


#


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