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魔王を倒した後に始まる物語  作者: nime


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17/22

memory 16 近くにいる、という確信

## **memory 16 近くにいる、という確信**


 風は穏やかだった。

 草原を撫でる音は柔らかく、陽の匂いを運び、遠くの雲をゆっくりと流していく。戦が終わった世界は、こんなふうに静かでいい――そう思えるはずなのに、アズルの身体は小さな棘を踏んだように引っかかっていた。


 ――静かすぎる。


 空気が整いすぎている。人の息づかいが薄い。鳥の囀りさえ、どこか「やり過ぎ」だ。耳に心地いい音が並びすぎると、逆に不気味になる。アズルは、そんな感覚を久しく忘れていた。


 この数日、道すがら立ち寄った宿場や小さな村でも、同じ違和感が続いていた。

 喧嘩が起きかければ、言葉が途中で萎む。怒鳴り合いになりかけた男同士が、次の瞬間には困ったように笑って肩を叩き合う。

 葬儀の場で泣いていた娘が、急に涙を拭って「大丈夫」と言う。大丈夫なはずがないのに。


 感情の波が、岸に打ち上がる前に、どこかで「丸められている」。

 それは平和なのか。救いなのか。

 それとも――。


「……また、だね」


 隣を歩くヴェールが、小さく呟いた。彼女は視線を空に向けている。精霊と会話している時の癖だ。


「精霊たちが、ざわついてる。でも、理由がわからないって」


「敵がいるわけじゃない?」


「うん。怖がってる感じでもない。ただ……戸惑ってる」


 ヴェールの声は柔らかいのに、言葉は鋭かった。精霊は嘘をつかない。嘘をつけない。だからこそ、理由のない戸惑いは、たいてい“理由が大きすぎて言葉にならない”時に起きる。


 アズルは頷いた。


「俺も、似たものを感じる。……肌の上で、空気が一枚薄い」


 彼の言葉に、ルージュが肩をすくめた。


「やめてよ。そういう言い方、ぞくっとする」


 口調は軽いが、目は笑っていない。元王国側だった彼女は、この違和感が“政策”や“管理”と相性がいいことを、本能的に理解していた。


「世界が、優しすぎるのよ」


 ルージュは吐き捨てるように言った。


「優しさは、選べる時にだけ価値がある。選べない優しさは、……鎖と同じ」


 ノワールが、歩きながら手帳に何かを書き留める。彼女は記録者だ。言葉にできるものは残し、言葉にできないものは、そのまま“空白”として残す。


「王国は、もう動いてるわ」


 ルージュが続けた。


「確定か?」


「ええ。視察団が編成されたって情報が流れてきてる。表向きは“安定化の確認”。でも本音は――」


「原因探し、だろ」


 ルージュは無言で頷いた。


 ノワールが淡々と口を挟む。


「王国は異変を“現象”として扱う。なら、必ず再現性を求める。再現できる存在がいるはずだと考える。……人ではなく、装置。あるいは資源」


「魔族なら、なおさらな」


 アズルは唇を薄く結んだ。


 魔王を倒した英雄として、人々からの“ありがとう”を何度も受け取ってきた。

 なのに、その“ありがとう”の半分が、いつからか薄くなっている気がしていた。

 救われたはずの人が、救われた時の顔をしていない。


 ――俺は、本当に救ったのか?


 その問いが浮かびかけた瞬間、胸の奥に空白が生まれる。

 思い出そうとすると、そこだけ霧が立つ。


 アズルは目を伏せた。

 忘れている。自分が世界に何をしたのか。その“決定的なところ”を。

 だが、忘れていても、責任だけは残る。

 胸の底で、重い石みたいに。


 彼らは丘を越え、町外れの小道へ入った。そこで足を止める。

 遠くに小さな集落が見える。囲いもなく、畑と家がぽつぽつと並ぶだけの、地図にも載らないような場所。


 特別な場所には見えない。

 だが――。


 アズルの胸の奥が、じわりと熱を持った。


 ――近い。


 理由はない。証拠もない。気配と呼ぶには曖昧で、予感と呼ぶには確かすぎる。

 それでも、確信だけがあった。


「ここだ」


 誰に向けたわけでもなく、アズルは言った。


「……何が?」


 ヴェールが振り向く。


「“異変”じゃない。原因でもない。――“誰か”が、いる」


 ヴェールの表情が変わった。精霊と繋がる時の、柔らかな集中ではない。もっと、人を見る時の顔だ。


「……うん。今、感じた」


「精霊?」


「違う。“感情”」


 ヴェールは胸元に手を当てた。


「怖がってる。でも、怯えてるだけじゃない。……守ろうとしてる」


 その言葉に、ルージュが小さく息を呑んだ。


「守ろうとしてる、って……誰を?」


「たぶん、ここに住んでる人たち。……それと、自分を」


 ヴェールは小さく笑った。


「不思議だね。怖いのに、優しい」


 言いながら、彼女はアズルの腕にそっと触れる。無意識の動作だった。精霊に寄り添う時のように。


「……ヴェール」


「え、な、なに?」


 触れていた指先に気づいたらしく、ヴェールは慌てて離した。耳が少し赤い。


「いや。……ありがとう」


「そ、それは……ズルいよ」


 ヴェールは目を逸らし、咳払いをして歩き出す。ラブコメというほど大げさではないが、張り詰めた空気がほんの少し緩んだ。


「それ、王国が探してる“原因”と一致するわね」


 ルージュが、あえて現実に引き戻す。


「一致するのは、“表面”だけだ」


 アズルは、視線を集落に向けたまま答えた。


「王国は、力を見る。俺たちは――人を見る」


 その瞬間だった。


 遠くで、馬のいななきが聞こえた。

 土煙とともに、数騎の騎士団が丘の向こうから姿を現す。鎧が陽光を反射し、旗が揺れる。王国の紋章。


「……来たか」


 ルージュが舌打ちする。


「思ったより早いわね」


「向こうも、確信したんだろ」


 ノワールが静かに言う。


「“ここに何かがある”と」


 騎士団は集落の手前で止まり、整然と列を組んだ。その中央に立つ男が、一歩前に出る。

 顔立ちは整っている。だが、目の奥が冷たい。感情の温度が低い。


「王国視察団だ。この地に、世界安定化に関わる重要事項があると判断した」


 声はよく通り、言葉の端々に命令の匂いが混じっている。


「住民全員の聞き取りを行う。協力を――」


「その必要はない」


 アズルが、前に出た。


 騎士たちの視線が、一斉に集まる。英雄としての顔は、彼らにも知られているのだろう。ざわめきが小さく走った。


「ここにいる“誰か”は、物でも、現象でもない」


 男は眉をひそめる。


「……何を根拠に?」


「根拠はない」


 アズルは正直に言った。


「ただ、俺は“人”を探しに来た」


 その言葉に、騎士団の空気が張り詰める。男は一瞬だけ沈黙し、それから冷たく告げた。


「我々は、世界の安定を最優先する。そのために必要な存在がいるなら――」


「確保する、か」


 ルージュが遮った。


「それが“魔族”なら、なおさら、でしょ」


 男は否定しなかった。


「魔族は人間族ではない。管理の対象だ」


 ――その言葉が落ちた瞬間。


 集落の奥で、空気がわずかに揺れた。

 誰にも気づかれない程度の揺れ。陽炎のような、感情の滲み。


 ヴェールが息を呑む。


「今……」


「感じた?」


 アズルが問う。


 ヴェールは頷き、唇を噛んだ。


「痛い、って……言ってるみたいだった」


 痛い。

 身体ではない。心が。


 アズルは一歩、集落へ踏み出す。騎士の列がそれを遮ろうとするが、彼は止まらない。


「通してくれ」


「英雄であっても、王国の命令に逆らうことは――」


「命令じゃない。頼んでるんだ」


 アズルは男を見据えた。


「ここにいるのは、誰かの“道具”じゃない。俺たちが争えば、あの子はもっと怖がる」


 男の目がわずかに揺れた。だが、それは人の迷いではなく、計算の更新に近い。


「……“あの子”と言ったな」


 男が低く言う。


「すでに存在を断定している。情報源は?」


「感情だ」


 ヴェールが前に出て、はっきり言った。


「ここにいる子は、怯えてる。でも、誰かを傷つけたくなくて、必死に抑えてる」


 男は笑わなかった。


「感情は証拠にならない」


「証拠にするから、歪むのよ」


 ルージュが吐き捨てる。


「証拠にできる形にするために、あの子を壊す」


 ノワールは手帳を開き、短く言った。


「“管理”という言葉は便利だ。管理される側が何を望むかを、考えなくて済む」


 男は一瞬だけ黙り、騎士へ顎をしゃくった。


「集落の封鎖だ。逃走を防げ」


 騎士たちが動き出す。


 その時。


 集落の奥――古い倉庫の影で、何かが「息を呑む」気配がした。

 目には見えないのに、確かにそう感じた。


 アズルの胸が、きゅっと締まる。


 怖い。

 それでも、出てきてはいけない。

 出てきたら、連れていかれる。


 ――そういう感情が、薄い膜を通して伝わってくる。


 アズルは、ゆっくりと声を落とした。


「……大丈夫だ」


 誰に向けた言葉か、騎士団にはわからない。


「怖がっていい。隠れていい。でも――俺は、君を“確保”しに来たんじゃない」


 ヴェールが目を見開いた。


「アズル……」


「俺は、守りに来た」


 アズルは集落の奥へ視線を固定する。倉庫の影。そのさらに奥。


「魔族だろうが、魔王の娘だろうが関係ない。君が“どうしたいか”を聞きに来た」


 風が一度、止まった。

 草の擦れる音が消え、鳥の声が遠のく。


 その沈黙の中で、アズルは確信する。


 ――近くにいる。


 王国が言う「原因」ではない。

 世界が言う「異変」でもない。


 ただ、ひとりの少女が、息を潜めてそこにいる。


 魔族の娘。魔王の娘。そして――誰かの未来を背負わされかけている、ひとりの人。


「……見つけた」


 アズルは、そう呟いた。


 世界の異変でも、王国の目的でもない。

 守るべき“誰か”が、確かに、そこにいた。


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