↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王を倒した後に始まる物語  作者: にめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

123/159

memory 121 試さない強さ

# memory 121 試さない強さ


 朝の温泉街は、昨日よりも少しだけ乾いていた。


 湯気は変わらず立ち上っているのに、空気の重さが違う。山から降りてくる風が、湯の匂いをほどよく散らし、石畳の湿り気をゆっくりと引いていく。夜露の名残りはまだあるが、足裏にまとわりつくほどではない。


 旅館の玄関を出た四人は、表通りへ向かって歩いた。


 昨日まで浴衣で歩いていた道を、今日はいつもの服で歩く。布の擦れる音が変わり、下駄ではなく靴の音が変わる。それだけの違いが、温泉街の景色を少しだけ“現実寄り”にする。


 アズルは腰に手をやった。


 何もない。


 剣を買わなかったことが、朝の空気の中で改めて形になる。


 ヴェールは隣で、ゆっくりと息を吸った。


 彼女の呼吸は落ち着いている。急かす気配がない。昨日と同じように、今日も“急がせない”という選択をしている。


 ルージュは表情を整えているのに、視線が落ち着かない。自分の中の焦りを、手のひらで隠すみたいに。


 ノワールは周囲を見ていた。


 観察は癖だ。


 けれど今は、測るための観察ではなく、ただ街を見ている。


 その違いが、アズルには分かる。


 表通りは朝の賑わいを取り戻しつつあった。


 湯上がりの客が暖簾をくぐり、屋台が串を焼き、甘い菓子が湯気の匂いと混ざって漂う。子どもが走り、親が追いかけ、笑い声が石畳に弾む。


 四人はその流れの中に溶け込みながら、昨日の裏通りの角を曲がった。


 装備屋。


 木板の看板。


 分厚い扉。


 金具の擦れた鈍い光。


 アズルは一瞬だけ、その扉に視線を向けた。


 入らない。


 昨日と同じ選択を、今日もする。


 そのとき、少し先で声が上がった。


「おい、ちょっと! こっち手伝ってくれ!」


 声は怒鳴っているのではなく、焦っている。


 人が集まり始める気配がした。


 アズル達も足を止める。


 表通りから少し外れた場所――川へ繋がる水路のあたりで、男たちが何かを覗き込んでいた。


 水路は温泉街の命だ。


 源泉から引かれた温水が、湯屋へ流れていく道。


 その水が、いつもより細くしか流れていない。


 水面に浮く葉や土が、どこかで詰まっているのが分かる。


「詰まりか?」


 アズルが呟くと、近くにいた年配の男が振り向いた。


「そうだ。朝から水が弱くてな。上流の方で何か引っかかってるらしい」


 男の顔は苛立ちではなく、不安だった。


 湯屋が使えなければ、街の一日が止まる。


 観光だけじゃない。


 生活が止まる。


 けれど、この問題は大きな危険ではない。


 誰かが死ぬわけでも、街が崩れるわけでもない。


 ただ、放っておけない。


 だからこそ、厄介だ。


 人はこういうとき、近くにいる“強そうな誰か”に視線を向ける。


 そして今、その視線がアズルに集まっていた。


 剣はない。


 鎧もない。


 それでも、彼の立ち方や目つきが「頼れる人」に見えるのだろう。


 ルージュが一瞬だけ口を開きかけた。


 魔法で水路を開けば早い。


 結界で流れを整えれば一瞬。


 ノワールも分かっている。


 上流の状況を測れば、原因はすぐに特定できる。


 ヴェールも、回復や浄化で手を入れられる。


 全員が“早い解決”を持っている。


 だからこそ、怖い。


 早い解決は、正解に近い。


 正解は、戻る。


 アズルは剣のない腰に手をやり、何もないことを確かめた。


 そして言った。


「詰まりの場所、分かってるか?」


 年配の男は首を振る。


「いや、だいたい上流だろうってだけだ。水路は街の裏を回って、途中で分岐してる。途中で詰まってるなら、そこを開ければいいんだが……」


 男は困ったように笑った。


「正直、こういうのは若い奴の力仕事でな」


 アズルは頷いた。


「案内してくれ。掘ってみる」


 言った瞬間、ルージュが目を見開いた。


 掘る。


 力仕事。


 時間がかかる。


 それでも、それを選ぶのか。


 ヴェールは何も言わず、ただ小さく頷いた。


 ノワールは一瞬だけ唇を尖らせた。


 その仕草が、いつもの冷静さから外れていて、どこか可愛い。


 ――測らないのか、と言いたいのだ。


 でも言わない。


 ノワールもまた、“使わない”を選ぶ。


 男に案内され、四人は裏通りへ入った。


 水路は石で固められ、途中で木の蓋がされている箇所がある。蓋を開けると、水の音がすぐ近くに聞こえる。


 水の流れは弱い。


 底に泥が溜まり、落ち葉が引っかかっている。


「ここじゃないな」


 男が言う。


 さらに上流へ。


 裏道は狭く、家々の裏口が並ぶ。洗濯物、薪、桶。生活の匂いが濃い。


 観光客の声は消え、代わりに、家の中の会話や鍋の音が聞こえる。


 湯気の匂いはここにもある。


 ただ、表よりも濃い。


 それは、この街が“生活”でできている証拠だった。


 途中で水路が分岐している場所に着いた。


 片方は湯屋へ。


 もう片方は宿へ。


 その分岐点で、水がほとんど流れていない。


「ここだ」


 男が言った。


 蓋を開けると、泥と葉と、枝が絡まっているのが見える。


 太い枝だ。


 それが引っかかり、その周りに細かいものが絡まって、栓のようになっている。


 ルージュが言いかけた。


「燃やせば――」


 でも、止めた。


 燃やすのは簡単だ。


 簡単すぎる。


 アズルは袖をまくり、しゃがみ込んだ。


 泥の冷たさが指先に触れる。


 枝は意外と重い。


 引っ張れば取れる。


 取れるはずだ。


 でも、途中で折れた。


「……っ」


 思わず息が漏れる。


 折れた枝の断面が、水路の奥に引っかかった。


 余計に詰まる。


 周囲から小さな声が上がる。


「大丈夫か?」


 誰かが心配する。


 アズルは苦笑した。


「大丈夫だ」


 この程度で焦るな、と自分に言い聞かせる。


 でも、焦りは出る。


 焦りが出ることが、怖い。


 勇者なら、こんな失敗はしない。


 正しい自分なら、折らない。


 アズルはそれを振り払うように、もう一度手を入れた。


 ノワールがしゃがみ込んで、近くの泥を掬った。


「……枝の根元が、まだ奥にあります」


 測ってしまう癖が顔を出す。


 けれど、言うのはそれだけ。


 解決は押し付けない。


 ノワールは次に、周囲の住人に向けて小さく言った。


「棒か、長い木材はありますか。折れた部分を押し出せます」


 聞き込み。


 索敵ではない。


 生活の中の手段。


 住人が走り、すぐに長い棒が運ばれてくる。


 ヴェールは布を濡らし、アズルの手に当てた。


 怪我ではない。


 でも、冷えた指先を温める。


 回復魔法ではなく、手当。


 ルージュは周囲に声をかけた。


「子どもは近づかないで。滑るから」


 結界ではなく、人整理。


 誰も“正しい役割”を使わない。


 皆が、生活の範囲で動く。


 アズルは棒を受け取り、水路の奥へ差し入れた。


 押す。


 押して、少し戻す。


 押して、また戻す。


 手探り。


 思ったよりも難しい。


 泥の抵抗があり、枝が引っかかり、棒が滑る。


 汗が出る。


 この程度のことに汗をかく自分が、妙に現実的で、妙に安心する。


「今だ」


 ノワールが小さく言う。


 アズルが棒で押し出し、同時に男が引っ張る。


 枝が動く。


 折れた部分が外れ、太い枝がごそりと抜けた。


 その瞬間、水が一気に流れ始めた。


 音が変わる。


 細かった水音が、太くなる。


 水面が勢いを取り戻し、泥が押し流される。


 周囲から安堵の声が上がった。


「流れた!」


「助かった!」


 誰も歓声を上げるわけではない。


 でも、生活が戻る安堵が、確かにそこにある。


 年配の男が頭を下げた。


「ありがとう、旅の人」


 勇者とは呼ばれない。


 英雄とも呼ばれない。


 旅の人。


 それでいい。


 アズルは泥だらけの手を見て、短く息を吐いた。


 疲れた。


 でも、嫌ではない。


 強くなっていない。


 でも、弱くもなっていない。


 今のままでも、届いた。


 その実感が、胸に残る。


 水路の蓋を戻し、周囲が散っていく。


 表通りへ戻る道すがら、ルージュがぽつりと呟いた。


「……時間、かかったね」


 責める声ではない。


 ただ、驚きが混じっている。


 ヴェールが柔らかく笑う。


「でも、戻りました」


 水路の水のこと。


 それだけではない。


 ノワールは前を見たまま、小さく言った。


「試したのは……武器ではありません」


 アズルは頷いた。


「……使わないっていう意志だ」


 言葉にすると、少し重い。


 でも、嘘ではない。


 温泉街の匂いが戻ってくる。


 甘い菓子の匂い。


 湯気の匂い。


 人の声。


 何事もなかったように、街は続いていく。


 けれどアズルは知っている。


 こういう小さな問題の積み重ねが、生活を作り、


 生活が、戻れない楽園を形にしているのだと。


 剣を抜かなくても、


 魔法を叫ばなくても、


 人として、手を動かせば、届くものがある。


 それが、今日の強さだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。