【1-3】旧道の寄り道
日が傾きかけた頃、北門の兵詰所に再びエリセリアが現れた。
「今日もおつかれさま、レイン。……実はちょっとだけ、用事があって来たの」
その言葉に、他の兵士たちがざわついたのは言うまでもない。
“導魔姫”が一般兵の詰所に連日顔を出すなど、前例がない。
「……それって、王宮の仕事か?」
「ううん。個人的なこと。あなたにお願いしたくて」
そう言って、彼女は軽く首を傾げた。
いつかの記憶が、レインの胸に蘇る。路地裏で子猫を庇い、ずぶ濡れになっていたあの日。子猫を助けてほしいとお願いされたあの夜。
「ちょっとだけ、歩いてくれない?」
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彼女の言葉に抗える者など、この王都にはいなかった。
そうして二人は、王宮北側の古い小道を並んで歩いていた。
この道は、王都拡張以前の旧街道。今ではほとんど使われない。
夕暮れの影が石畳を照らし、並木の葉がかすかに揺れていた。
「……この道、覚えてる?」
彼女が言った。
「昔、ここ通って、丘まで行ったよね。お弁当持って。レインが道に迷って、私が怒った」
「お前の作ったやつ、やたら辛かったやつだよな。口から火吹いた」
「ふふっ、あれ唐辛子入れすぎたの。でも、あなた、泣きながら全部食べたよね。……優しいんだから」
思い出話に笑い合う。
彼女は微笑みながら、時折レインの顔を見つめてくる。
「……今でも、あの頃のレインのこと、忘れてないよ。頑張り屋で、まっすぐで、でも少し不器用で」
その言葉は、刺さった。
彼の心の奥──誰にも知られたくなかった「自分だけが見ていた彼女」との記憶が、彼女の口から紡がれている。
「エリ……」
言いかけて、言葉が詰まった。
彼女が立ち止まり、こちらを振り返る。
木漏れ日の中、銀髪が風に流れ、瞳がまっすぐ彼を捉えた。
「……私、今でもあの丘、覚えてる。あなたとなら、もう一度、行きたいって……ずっと、思ってたの」
沈黙。
世界が、彼女と彼だけになるような──そんな瞬間だった。
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やがて、彼女は柔らかく笑って口を開いた。
「……ごめんね。変なこと、言ったかも。私、たぶん今日、ちょっとおかしい」
「いや……全然、そんなことない。俺も、思ってた」
言った瞬間、レインの胸が跳ねた。
「……また、お前とこうして、話せるなんて。信じられない」
「ふふ、信じてよ。私はここにいるよ、レインのそばに」
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遠くで鐘が鳴った。勤務の終わりを告げる音。
「もう行かなきゃ。……でも、また、話せるよね?」
「……ああ、もちろん」
彼女は、風のように笑って歩き出した。
その後ろ姿を見送りながら、レインは胸を押さえた。
彼女は、変わっていなかった。
そう信じられる何かが、確かにあった。
旧街道:レインとエリが子供の頃によく通った、郊外へ続く古い石畳の道。現在はほとんど使われていない。