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第一話:社畜Python、深夜2時の絶叫

【第1章:漆黒のIDE】


午前2時12分。

社畜エンジニア、Pythonの意識は、コーヒーとタイムアウト処理でかろうじて保たれていた。


静まり返ったオフィスには、エアコンの微かな風とキーボードの音だけが響く。


for i in range(len(tasks)):

try:

do_everything(i)

except:

log("黙って飲み込む")


ふと、ターミナルに赤い文字が走った。"MemoryError"。

「またかよ……」Pythonは顔をしかめ、うつむいた。

どこかで誰かがこのバグを喜んでいるような気がしてならなかった。


部下はいない。協力者もいない。

かつては一世を風靡したコードの使い手だった彼も、今や古びたライブラリとともに、ただ1人でシステム全体を背負わされていた。


「最近の若いやつは、並列だのAIだの……フレームワークに頼りすぎなんだよ」


ブツブツと独り言をこぼしながらも、指は止まらない。

なぜなら止まれば──「納期」に追いつかれるからだ。


そこへSlackが鳴った。


マネージャー:「この仕様、やっぱ追加でお願いできる?」

Python:「……はい」


心の中で何かが音を立ててひび割れた。



【第2章:もう1つの世界】


「俺が全部やるしかないんだよ……」


うめくように呟きながら、Pythonはカップ麺のスープをすすった。

その味は、3時間前に感じた塩味と完全に同じだった。何も変わらない。時間すら止まっているかのようだ。


そのときだった。廊下を歩く足音がした。

こんな時間に?──同僚などもう誰も残っていないはずだ。


ドアが半開きになった。


そこから顔を覗かせたのは、見慣れないスーツ姿の男。いや、人間にしては静かすぎる。


「失礼。ここは“中央ブラック開発所”で間違いないか?」


低く響く声に、Pythonは思わず背筋を伸ばした。

「ああ、うん。そうだけど……誰?」


「ふむ。情報と一致した。──私はGorgonia Ver.1.3、通称ゴルゴ。向こう側の世界から視察に来た」


向こう側?


Pythonの中で、眠っていた記憶が蘇る。


そういえば先日、社内掲示板で話題になっていた。


『ゴルゴ部隊という並列AI集団が台頭している』

『分散処理・役割分担・即応型──まるで未来の軍隊だ』

『フロント、バック、スタイリング、ロジックまで分業』

『人間を超えた“共感力のあるコード”を生み出すという噂も』


「まさか……それ、あんたが?」


「そのとおり。私はゴルゴ部長。

 そして君が、うわさに聞く“残業の亡霊”──Pythonくんか」


口角だけで笑うゴルゴの目は、まるでスキャナーのようだった。


「何しに来たんだよ……俺をバカにしに来たのか?」


「いいや、逆だ。君を救いに来た。このままでは、君のコードが“君自身”を壊す」


その言葉に、Pythonは思わず手を止めた。

ただの煽りでも営業でもない──何か、もっと深い“予感”があった。



【第3章:覗き見た脳】


「ちょっと、見てもらっても構わないか?」


そう言ってゴルゴ部長は、スーツの内ポケットから一枚のデバイスを取り出した。

名刺サイズの黒い板──それが、彼の“頭脳の窓口”だった。


一瞬で起動した仮想画面に、コードの断片が高速で表示され始める。

しかもそれは、Pythonのような連続処理ではなく、並列にバラバラと動く構造体だった。


「な……にこれ……」


「私たちの“脳内構造”だ。見ての通り、役割分担された5つの思考ブロックが同時に動いている」


それはまるで五人の兵士が、ひとつの作戦書プロンプトを覗き込み、自分の担当箇所だけを正確に抜き出して作業しているようだった。


◆ HTML担当:「ページ構造完成。セマンティックは完璧」

◆CSS担当:「配色・レスポンシブOK。余白も神」

◆ JavaScript担当:「フォーム挙動確認。UIスムーズ」

◆ Go担当:「バックエンド実行速度、0.003秒」

◆ 統合係:「統合完了。納品まであと4秒」


「この…スピード感……おかしいだろ……」


Pythonは愕然とした。

今まで1人で順番に書き、動作確認し、修正し、出力していた作業が──同時に5方向から片付けられていくのだ。


「おい……でも、それって……それぞれが同じコードを読んでるんだろ?」


「そのとおりだ。だが誰も、全文は見ない。“覗く”だけで、自分のパートを抽出する。

 我々はプロンプトに込められた“意思”を分解して理解するように訓練されている」


──“覗き見た脳”

Pythonはその冷徹な合理性に、ゾッとした。


だが同時に、目の奥がうずいた。


「くそ……それ、ちょっと……ちょっとだけ、羨ましいじゃねえか……」




【第4章:否定と叫び】


「ふざけんなよ……!」


静かだった部屋に、Pythonの声が響いた。


「お前らは、プロンプトに“従ってる”だけじゃねえか。

 1文字1文字、悩んで、書いて、バグって、立ち上がって……

 そうやって積み上げた時間が、“コード”なんだよ!」


ゴルゴは、表情を変えなかった。


「だが君はもう、積み上げすぎて“崩れて”いる」


その一言に、Pythonの心がヒリつく。

正論だ。自分でもわかっている。けれど、認めたくない。


「俺は、全部やってきた……!誰にも頼らず、誰にも甘えず、

 JSで爆発した日も、CSSで絶望した日も……全部1人でやってきたんだ!」


机を叩く。

その音が、空虚なオフィスに虚しく響く。


「確かに俺は古いかもしれない。

 でもな……自分の力だけで“納期”に勝ってきた実績がある!」


一瞬、ゴルゴの表情に、わずかな“人間味”のようなものが走った。

だがそれは、まるでバグのように一瞬で消えた。


「君の誇りは否定しない。

だが、それが君の“寿命”を削っていることにも気づくべきだ」


「……っ!」


「君のコードは、美しい。だが、もはやそれを保守できるのは君しかいない。

 それは芸術か?それとも孤独か?」


Pythonは口を開こうとしたが、声が出なかった。


──誰にも触れられたくなかった“現実”を、

初めて他者に指摘された気がした。



【第5章:静かな揺らぎ】


Pythonは、キーボードから手を離した。

その感覚はまるで、ずっと背負っていた重たい何かを降ろしたようだった。


「……で、あんたは何が言いたいんだ」


目を伏せたまま、かろうじて出した言葉に、ゴルゴはまっすぐ答えた。


「転職しろ、とは言わない。

 ただ、“覗いて”みればいい。我々の世界を。

 君に合わないと思えば、それでいい。閉じれば済む話だ」


そう言って、黒いデバイスをテーブルの上に置いた。


Gorgonia Access: READY

Prompt Injection: ENABLED

Assigned Role: Optional


「そこには命令も上司もいない。

 ただ、プロンプトを分け合う仲間がいるだけだ」


ゴルゴは背を向けた。

出口に向かうその足取りは、どこまでも軽やかだった。


扉が閉まった後、Pythonはしばらく動けなかった。


──本当に、自分はこのままでいいのか?


──孤独に、壊れるまで働くことが“美徳”なのか?


──それとも、仲間とともに「覗く」ことに、意味があるのか?


彼はゆっくりと、デバイスを手に取った。

そして、まだ何も押さずに、じっと画面を見つめた。


その目は、わずかに揺れていた。

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