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第2章:観覧式と噂

中庭に設けられた特設ステージは、煌びやかな魔法の光に彩られていた。空から降り注ぐ陽光は、まるで神の祝福のように参加者たちを照らしている。俺たち生徒は属性ごとの制服に身を包み、整然と並んでいた。

風属性の淡青色、火属性の紅色、水属性の深碧色、土属性の琥珀色。そして、特別な存在である霧属性の薄紫色。俺の視線はふと、観客席の最後列に座る小さな薄紫色の存在に向けられた。すずねは俺に気づくと、両手を大きく振って応援のポーズをとった。その無邪気な笑顔に、俺は思わず苦笑してしまう。

「おい、前向け」

低い声で注意されて、俺は慌てて正面を向き直した。風チームの列の中で、俺だけが魔力を持たない特異点。先ほどの注意も、そんな俺への無言の嫌味に聞こえた。注意してきたのは風属性上級生の一人で、いつも俺を見下してくるタイプだ。雨宮という名前の三年生で、風属性の中でもかなりの実力者だった。

「すみません…」

思わず謝ってしまう自分が情けなかった。こんな時、ちょっとでも魔力があれば堂々としていられるのに。他の生徒たちは胸を張り、誇らしげな表情で式に臨んでいる。彼らの周りには薄い風のオーラが漂い、微かな青い光を放っていた。これが「魔力」という目に見えない力の表れだ。俺の周りには、何も漂っていない。

周囲からの好奇の視線や、時には嘲笑の視線を感じるたび、胸の奥がキリキリと痛んだ。今日は特に、多くの目が俺に注がれている気がする。体育祭の参加者として名前が出ているにもかかわらず、なぜ魔力ゼロの自分がここにいるのか——おそらく皆が同じことを考えているのだろう。

ステージ中央に立つ理事長が、杖を掲げて儀式の開始を告げる。ハーディン・フォン・ゲルマー理事長、70代と思われる白髪の老人だが、その瞳には鋭い光が宿っていた。長い白い髭を蓄え、緑の礼服姿は威厳に満ちている。彼は古き良き時代の魔法使いというイメージそのもので、その風格は生徒たちに絶大な尊敬の念を抱かせた。

「第百八回魔法体育祭、ここに開幕!」

杖の先から放たれた光が、爆発するように広がり、無数の星となって空中に舞い散った。色とりどりの光の粒子が、ステージ上で複雑な幾何学模様を描き出す。青い星、赤い星、緑の星、黄色い星、そして紫の星——それぞれが属性を表しているのだろう。それらが舞い踊り、やがて大きな「108」という数字を空中に形作った。生徒たちから「おおっ」という歓声が上がる。

「今年の体育祭は、例年とは異なる試練が諸君らを待ち受ける」

理事長の声は、魔法の増幅で会場全体に響き渡った。厳かな雰囲気の中にも、隠しきれない興奮が滲んでいる。俺は思わず身を乗り出した。魔力がなくても、この壮大な光景には圧倒される。

「蒼天の霧が、今年は特別な力を持って現れると予言されている。天蒼の霧、碧霧、黄昏の霧、深淵の霧、そして終焉の霧——これら五つの霧の試練を乗り越えた者だけが、真の魔導士としての称号を得ることができるだろう」

理事長の言葉に、生徒たちの間で小さなざわめきが起こった。霧についての言及は、例年になかったことだ。俺も思わず眉をひそめた。霧は学園島の周囲を取り巻くものとして知られているが、それが体育祭と関係あるとは聞いたことがなかった。

「霧?」俺は小声でつぶやいた。

隣に立つ莉玖が、俺の方を一瞬だけ見た。彼女の瞳には、不安と期待が入り混じっているように見えた。莉玖は風チームのリーダーとして、最前列に立っていたが、彼女の表情からは普段の冷静さが少し失われているようだった。

理事長の声が続く。「各学年は、それぞれの役割が与えられる。一年生は『観察者』として学び、二年生は『実行者』として試練に挑み、三年生は『監督者』として全体を見守り導くのだ」

つまり、俺たち二年生が主役というわけか。正直なところ、それが嬉しいのか不安なのか、自分でもよくわからなかった。魔力ゼロの俺に、どんな役割があるというのだろう。「実行者」なんて、魔力がなければほとんど不可能だろう。

「試練は五段階で構成される。第一段階『幻晶獣討伐の儀』、第二段階『霧の迷宮探検』、第三段階『幻影図書館の試練』、第四段階『元素の泉を巡る巡礼』、そして最終段階『蒼天の決戦儀式』だ」

それぞれの試練名が告げられるたびに、生徒たちの間から小さな歓声やため息が漏れた。どれも簡単そうには聞こえない。特に「蒼天の決戦儀式」とは、一体何なのだろう。俺の心に、不安が広がった。

「各チームは四名で構成される。風、火、水、土の四大元素をバランスよく配置することを推奨するが、最終的な編成はチームリーダーに委ねる」

そう言って、理事長は各属性の代表者たちに目を向けた。風属性の代表は、もちろん莉玖だ。彼女は凛とした表情で理事長の言葉に頷いた。

「風属性チームリーダー、風祭莉玖。火属性チームリーダー、火野紅。水属性チームリーダー、水無月アオイ。土属性チームリーダー、土御門ハルト。そして特別参加、霧属性チームリーダー、霧島ミドリ」

理事長が一人ずつ名前を呼ぶたびに、生徒たちから拍手が沸き起こった。五人のリーダーたちが前に出て、一礼する。莉玖と紅の姿が、特に堂々としているように見えた。

水無月アオイは、水属性の中でも特に治癒魔法に長けた少女だ。優しい性格で、学園の医務室でも実習をしているらしい。緑がかった青い髪と穏やかな笑顔が印象的だった。

土御門ハルトは、土属性の男子学生で、大柄な体格と力強い魔法が特徴だ。温厚な性格だが、いざというときの頼もしさから、土属性の学生たちから絶大な支持を得ていた。

そして最後に呼ばれた霧島ミドリは、俺もすずねも初めて聞く名前だった。霧属性は元々少ないが、その中でもリーダーとして選ばれるほどの実力者がいたとは知らなかった。緑の長い髪を持つ神秘的な雰囲気の少女で、他のリーダーたちとは違い、どこか遠くを見るような目をしていた。

「各リーダーは、今日中にチームメンバーを選出し、明日の朝までに事務局に提出すること。初日の『幻晶獣討伐の儀』は、三日後から始まる。それまでに心と体を整えておくように」

儀式的な言葉で開会式が締めくくられると、生徒たちが一斉に動き出した。それぞれのリーダーの周りには、すぐに人だかりができる。特に莉玖の周りには、風属性の生徒たちが群がっていた。みな、チームに入れてもらおうと必死だ。

俺は、そっと会場の隅へと移動した。どうせ俺なんか選ばれるはずがない。魔力ゼロの役立たずを、誰が欲しがるだろうか。せめてシンジの言っていた「混成チーム」があれば、何かしらの形で参加できるかもしれないが、そんな噂も怪しいものだ。

「颯!」

後ろから声がして振り返ると、すずねが走ってきた。彼女の頬は興奮で赤く染まっている。

「すごかったね!あの光と音楽!それにね、それにね、霧の話が出てきたよ!すずねの属性だよ!」

確かに、霧属性が公式な場で言及されることは珍しい。少数派の彼女にとっては、誇らしい瞬間だったのだろう。

「そうだな、珍しいよね」

「あの緑の髪の人、すずね知らないよ?霧島ミドリって、誰だろう?」

「さあ、俺も初めて聞いた名前だ」

霧属性は学園全体でも数十人しかいないというのに、その中にリーダークラスの実力者がいたとは驚きだ。どうりで、すずねが知らなかったわけだ。

「あの人も、すずねも、同じ霧属性なんだね。すごいなあ…」すずねの目は輝いていた。「でも、颯には風の才能があるよね。だからきっと、風チームに入れるよ」

「そんなわけないだろ」俺は苦笑した。「莉玖が俺なんか選ぶわけない」

俺がそう答えていると、周囲の空気が一瞬で変わった。生徒たちが一斉に道を開け、そこを紅が歩いてくる。彼女の周りには炎のような赤いオーラが漂い、その一歩一歩が力強く地面を揺らすようだった。

「神楽坂」

紅が俺の名前を呼んだ。低く落ち着いた声は、周囲の喧騒を一瞬で消し去る力を持っていた。

「は、はい」

思わず背筋を伸ばして応える。紅は俺より少し背が高く、まっすぐな瞳で俺を見下ろしていた。彼女の目は赤褐色で、常に何かを見据えるような強さがあった。

「体育祭、出るんだろ」

それは質問というより、確認だった。俺は小さく頷く。

「あ、ああ…一応」

「じゃあ、勝負だ」

「え?」

紅は腰に下げた火剣を軽くたたいた。「今から一時間後、練習場で。俺と勝負しろ」

突然の申し出に、俺は言葉を失った。火属性最強の先輩が、なぜ俺に勝負を挑んでくるのか。周囲の生徒たちも驚いた様子で、小声でざわめき始めた。

「待って、紅先輩!颯に魔力はないんだよ?」

すずねが俺の前に立ち、両手を広げて言った。その小さな体で俺を守ろうとする姿に、胸が熱くなる。

「知ってる」紅はすずねを見下ろし、珍しく口元に微笑みを浮かべた。「だから、魔法なしの勝負だ。ただの…じゃんけん」

「じゃんけん?」

俺とすずねが同時に聞き返した。

紅は淡々と説明した。「負けた方が、勝った方の言うことを一つ聞く。俺が負けたら、お前の言うことを一つ聞く。お前が負けたら、俺の言うことを一つ聞く」

紅の提案は単純だった。だが、その裏に何があるのかは想像もつかない。こんな公の場で、なぜ俺にじゃんけんを挑んでくるのか。火属性最強の先輩が、魔力ゼロの俺に何を望んでいるというのだろう。

周囲の生徒たちも驚きの表情で俺たちを見ていた。中には「紅先輩が神楽坂に?」と小声で驚く者もいる。

確かに、不思議な光景だ。紅は通常、他の生徒とほとんど交流がない。孤高の存在として知られており、友人らしい友人さえいないと言われている。その彼女が、なぜ俺にじゃんけんを挑んでくるのか。

「引き受けるよ」

自分でも驚くほど、あっさりと返事が出た。紅は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに満足げな表情になった。

「よし、一時間後、練習場で」

そう言って、紅は颯爽と立ち去った。彼女の背中を見送りながら、俺は自分の軽率さを後悔し始めていた。紅と一対一で何かをするなんて、どう考えても普通ではない。彼女の名前を知らない生徒はいないほどの有名人なのだ。

「すごい!颯、紅先輩とじゃんけん勝負だって!」

すずねの目は輝いていた。彼女にとっては、ただの楽しい出来事のようだ。

「なんで紅先輩が俺なんかに…」

疑問を口にした瞬間、また別の声が聞こえてきた。

「それは、彼女なりの興味の示し方よ」

振り返ると、莉玖が立っていた。彼女は相変わらず冷静な表情だったが、その目には小さな笑みが浮かんでいるようだった。

「興味?俺に?」

「ええ、あなたに」莉玖は微笑んだ。「魔力ゼロなのに、スポーツ万能で理論科目もトップクラス。紅先輩が興味を持つのも不思議じゃないわ」

そう言われても、俺には信じられなかった。魔力がないことは、この世界での最大の欠陥だ。それなのに、なぜ彼女たちは俺に関心を持つのか。

周囲には、莉玖に話しかけようと待っていた生徒たちが大勢いた。にもかかわらず、彼女は俺と話をしている。これもまた、奇妙な光景だった。

「颯、私もあなたに興味があるの」

莉玖の言葉に、俺の心臓が跳ねた。彼女の茶色の瞳がまっすぐに俺を見つめている。

「だから、私のチームに入って」

その瞬間、周囲がざわめいた。風属性トップの彼女が、魔力ゼロの俺を指名したのだ。信じられない光景に、生徒たちの視線が一斉に俺たちに向けられる。

「え?本気?」

「本気よ」莉玖はまっすぐに俺の目を見つめた。「あなたには、まだ見ぬ可能性がある。それに…私は、あなたを試したいの」

試す?何を?俺には何もないというのに。

「なんで俺なんだ?」俺は思わず聞いた。「もっと優秀な生徒はたくさんいるだろ?」

莉玖は小さく首を振った。「私が選びたいのはあなた。理由は…」彼女は一瞬言葉を切った。「今はまだ言えないけど、信じて」

信じて?何を?魔力ゼロの俺に何ができるというのか。

迷いの表情を見せる俺に、莉玖は続けた。「今は返事しなくていいわ。紅先輩との勝負の後で教えて」

そう言って、彼女も立ち去った。俺は茫然と立ち尽くすしかなかった。

「やった!颯、莉玖さんのチームだよ!」

すずねが小さくジャンプしながら喜んだ。彼女の無邪気な反応に、俺は苦笑するしかなかった。

「まだ決めてないよ」

「でも、すずねわかるよ!颯はきっと莉玖さんのチームに入るんだよね?だって、すずねもそうしてほしいもん」

「お前のチームじゃないんだから、関係ないだろ」

「関係あるもん!だって…」

すずねの言葉が途切れた。彼女は何か言いかけて、急に口をつぐんだ。

「だって?」

「ううん、なんでもない!」彼女は急に そっぽを向いた。「それより、紅先輩とのじゃんけん、どうするの?」

その問いに、俺は考え込んだ。単なるじゃんけんなら、勝負の行方は運次第だ。だが、負けたときの「言うこと一つ」が気になる。紅は何を言わせるつもりなのだろうか。あるいは、何をさせるつもりなのか。

「とりあえず、練習場に行ってみるよ」

俺たちが中庭を出ようとしたとき、すずねが急に足を止めた。

「あれ?あの人、誰?」

彼女が指さす先には、校舎の影から俺たちを見つめる一人の男がいた。黒いスーツに身を包み、銀縁の眼鏡をかけた中年の男性。理事長の側近として名高い蒼井という人物だ。

「ああ、蒼井さんだよ。理事長の右腕みたいな人」

「なんか…怖い目で見てるよ?」

確かに、蒼井の視線には何か不穏なものがあった。特に、すずねを見るその目には、異様な輝きがあるように思えた。すずねが彼に気づいたとき、蒼井は一瞬表情を硬くしたように見えた。

「気のせいだよ。さあ、行こう」

俺はすずねの肩を軽く押して、その場を離れた。だが、背後から注がれる蒼井の視線は、なぜか俺の背筋に冷たさを感じさせたのだった。


「よし、じゃあ始めるぞ」

練習場に着くと、紅はすでに待っていた。広い空間の中央で、彼女は腕を組み、俺たちを見つめていた。練習場には他にも数人の生徒がいたが、紅の周りには誰もいない。彼女のオーラが、自然と空間を作り出しているようだった。

練習場は学園の西側に位置する広大な施設で、天井が高く、壁には魔法を吸収するための特殊な素材が使われている。床には複雑な魔法陣が描かれ、練習中の事故を防止するための安全装置となっていた。俺たちの足元の魔法陣が微かに光っている。

「じゃんけんで、いいんだよね?」

俺は念のため確認した。武力での勝負なら、明らかに不利だからだ。紅は火剣の使い手としても名高く、剣術大会で何度も優勝している実力者だ。

「ああ」紅は頷いた。「単純なじゃんけんだ。一回勝負。負けた方が、勝った方の言うことを一つ聞く」

「了解」

俺たちは向かい合って立った。紅の目は真剣そのもので、まるで命がけの戦いに臨むような表情だった。単なるじゃんけんなのに、なぜそこまで真剣なのか。俺には理解できなかった。だが、紅という人間はそういう人なのかもしれない。何事にも本気で向き合う。だからこそ、彼女は火属性の頂点に立っているのだろう。

「勝負だ…じゃんけん…」

紅の声が低く響く。俺も拳を構えた。緊張で手のひらに汗がにじむ。こんな単純な勝負でこんなに緊張するなんて、自分でも不思議だ。

「ぽん!」

俺はグー、紅はパー。

「負けた…」俺はぼんやりと自分の握りこぶしを見つめた。

「勝った」紅は静かに言った。彼女の顔に、わずかな安堵の色が浮かんだように見えた。まるで、この結果を望んでいたかのように。

「言うことを聞く、約束だぞ」

「ああ、約束だ。で、何をすればいいんだ?」

紅は一瞬躊躇したように見えた。珍しく、彼女の頬が少し赤くなる。あの紅先輩が照れている?信じられない光景だった。

「神楽坂、お前は…」

その時だった。

「ちょーっと待ったー!」

高い声が響き、すずねが俺と紅の間に飛び込んできた。彼女は最初、観客席から見ていたはずだったが、いつの間にか俺たちの近くまで来ていた。

「紅先輩!もう一回!すずねも混ぜて!」

「は?」紅は明らかに困惑していた。「お前は関係ないだろ」

「関係あるもん!颯はすずねの…す、す、す…」

「すずねの何だよ」俺は呆れて聞いた。

「す、すずねの大切な人だもん!」

その言葉に、紅の眉がピクリと動いた。彼女はすずねを見下ろし、珍しく表情を崩した。

「そうか…大切な人か」

「うん!だから、すずねも混ぜて!三人でじゃんけん!」

紅は一瞬俺を見た後、小さく息を吐いた。その目には微妙な感情が浮かんでいたが、すぐに消えた。

「わかった。三人でやろう」

すずねは大喜びで手を叩いた。「やったー!じゃあ、いくよ!じゃんけん…ぽん!」

俺はグー、紅はチョキ、すずねはパー。

すずねの勝ちだった。

「わーい!すずねの勝ち!」

彼女は嬉しそうに飛び跳ねた。紅は呆然としていたが、すぐに自分を取り戻した。

「お前の勝ちだな。どうする?」

すずねは満面の笑みで宣言した。「じゃあね、紅先輩は、颯と一緒にカフェにいってください!」

「は?」紅と俺が同時に声を上げた。

「デートだよ!紅先輩と颯のデート!」

「デートじゃねえよ!」俺は慌てて否定した。「単なるカフェだろ」

「でも二人きりなら、デートだよね?」

「いや、それは…」

紅は黙って俺たちのやり取りを見ていたが、やがて小さくため息をついた。

「わかった。約束は約束だ」彼女は俺を見た。「神楽坂、明日放課後、北門のカフェだ」

「え?本当にいいの?」

紅はうっすらと頬を染めながら答えた。「約束したんだろ。言うことを聞く、って」

すずねは大喜びだったが、俺は複雑な心境だった。紅とカフェに行くなんて、想像もしていなかった。一体、明日はどうなるんだ?紅先輩とのカフェ…考えるだけで胃が痛くなる。彼女は学園のアイドル的存在だ。目立ちたくない俺にとって、最悪の展開かもしれない。

「じゃあ、明日だな」

紅はそう言って立ち去ろうとしたが、すずねが彼女の腕を掴んだ。

「待って!すずねも行く!」

「は?」紅の表情が一気に曇った。「お前、さっき二人きりって言ったじゃないか」

「だって、颯をひとりじめするのは、ダメだもん!」

すずねの言い分に、紅は明らかに困惑していた。彼女は俺に助けを求めるように目を向けた。

「すずね、お前は行かないほうがいいだろ」

俺がそう言うと、すずねは頬を膨らませた。

「やだ!すずねも行く!」彼女は俺の手を取り、ぐいっと引っ張った。「それより、颯、お腹すいたよ!今日の屋台、行こ?」

彼女はそのまま俺を連れて走りだした。紅に「明日よろしく」と軽く手を振ってから、すずねは俺の手を握って練習場を飛び出した。

「おい、待てって!」

俺は引きずられるように走りながら、背後で呆然と立ち尽くす紅の姿を見た。彼女の表情には、怒りと諦め、そして少しだけ…笑みのようなものが浮かんでいたように思えた。

すずねはまだ俺の手を握ったまま、屋台エリアに向かって走り続けていた。足早に走る彼女の背中を見ながら、俺は思った。

風があり、火があり、霧がある。それぞれの属性を持つ者たちが、それぞれの思惑を抱えて動き始めている。そんな中で、魔力を持たない俺は何ができるのだろうか。

蒼天の下、体育祭が始まろうとしていた。そして、それは俺の人生を変える何かの始まりなのかもしれない。


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