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秋空に~ 語句解説

***用語***

音声多重(おんせいたじゅう)総天然色(そうてんねんしょく)3D(スリーディ)脳内構築のうないこうちく活劇(かつげき)

いつものように入力に手間がかかる、きっと読者もうんざりな本小説の形態。コピペすべきなんだけど、マルチタスクには向いていないスマホ入力だとコピペも面倒で、「だったら辞書登録すればいいじゃん」と言う声には「なんかそれって、『音声多重(おんせいたじゅう)(以下略)』に負けたみたいで嫌じゃん」と答えておこう。

こういう感覚を持っている事からわかるとおり、筆者としては、この下りあまり好きではない。「何度もドヤッされてウザイ」と感じていた方がおられましたら、「いや、私もですから」と同意します。

似たような内容を別小説『悪魔の乗りし船』の連載中にもボヤいていましたね。「作者はマゾなのか?」と判断されるのは結構なんですが、個人的には「マゾ」というより「ただ頑固なだけ」だと思っています。

筆者がSなのかMなのかについて、職場で評された表現で面白いものがあったのですが……あ、興味ない? ですよねぇ~。


ま、筆者自身についてはどうでもいいですが、そもそも個別の四字熟語などがどういう意味なのか、今更ですが、解説しましょう。


音声多重(おんせいたじゅう)

ここでの意図は、ステレオ以上の放送、というつもりである。二か国語放送の意図ではないが、日本以外に広めるために翻訳していただくのは大いに結構である。しかし、作者は私、最勝寺蔵人なので、そこを塗り替えないでいただきたい。

音のチャンネル数が三を超えてくると、理屈の上では音の発する位置すら知覚できるようになる。当然それを再現するメディアには相応の記憶形態が必要になり、音楽再生メディアの歴史ではその試みが実施された。が、今はどちらかというと高音質の流行は下火である。

音質より情報容量の圧縮が優先されているからだ。この流れは、音楽の携帯性が求められている反映であって、音楽業界全体で言えば普及が進んでいるのだが、深層化は逆に採算が合わなくなってきている。皮肉なものだ。

「世間はそうでも、俺は違いの分かる男だから、音楽再生環境に金をかけているぜ」という人もいるだろう。幸か不幸か、それが本物(・・)どうかを判定できる製品がたまに市場に出てくる。

例えば、マルチチャンネル音源を再生できるメディアなのに、録音環境がステレオレベルで本来の意味を果たしていない音楽ソフトだ。幾つかあるアダプト部分のどこかで劣化が起きると、そこから先は一定の情報が失われてしまう。自称「違いが分かる」人は、メディア形態を見て、「廉価版じゃ物足りないからこっちにするぜ」と購入して「やっぱ違うよな」と満悦できるかもしれないが、一方で本物が分かる人は「期待して買ったのに、なんだこれは!」と怒りを覚える結果に至る。

これだけ書くと、「自称違い分かる(・・・・・)人=カッコ悪い」と思うかも知れないが、費用対幸福という観点では、本物が分かる人の方が不幸なのであった。

人生、難しいね。


総天然色(そうてんねんしょく)

若い世代にとっちゃ「なんじゃそりゃ」な単語ですが、映像の歴史において、白黒からフルカラーに飛躍できた頃に使われていた単語です。

今、総天然色映画を見たら、「名前の割には天然=自然に見えない」と思うかも知れません。おそらく色深度の問題でしょう。

デジタルカラーはこのあたり意識しやすく、パソコンの設定でハイカラー、トゥルーカラー、はたまたディープカラーなどと聞いたことがある人はいるかも知れません。

「古いから解像度の差ではないか」という意見もあるでしょう。

そうかも知れませんが、少なくとも静止画、カメラの世界では、デジタルカメラにとって銀塩カメラは画素数でずっと追いかけていた歴史を見ると、フィルム映画も画素数では負けていないのではないかと思います。……いや、現実世界をフィルムに落とし込む際に、撮影機材の技術的な限界から劣化が起きていると考えると――あ、もう興味はない?


3D(スリーディ)

三次元。現実世界のこと、と語られることも多いですが、実は、現実世界は三よりずっと多くの次元を持つ宇宙だとわかってきています。でも、まあ、ニュートン力学世界では三次元で良いでしょう。

両目で世界を見ている人は、対象との距離感が認識しやすい、と言われます。それを本来二次元の情報を伝える媒体で実現させよう、という試みは過去に幾度と実行され、一定の成功を収めてきました。最も普及したメディアは映画でしょう。「飛び出す大迫力映像!」ってやつですね。

この感覚にも結構な個人差があり、「飛び出す映像」より「酔いやすい映像」となる人もいます。無理はしないように鑑賞ください。

この映画の興奮を茶の間に! と一時期家庭用テレビで3Dは盛んにチャレンジされていました。結果的に、幾つかの超えにくい壁が判明したことで普及には至りませんでした。

わかりやすいのが、特定の場所からしか立体的に見えづらい、という欠点です。家族みんなで見るには適していません。まあ、最近は家族みんなで一つの番組を見る機会も減ったと言われていますが、一人でも、「ソファで寝そべりながら見たい」という欲求には合いません。

その欠点を克服すべく、「ある程度の角度内なら許容できます」という商品も出たが、それらは立体感をトレードオフしており、「この程度なら立体視じゃなくてもいいよな」という結論に落ち着く人が多かったようです。

あと、やはり擬似的な3Dは処理としては脳が無理をしていたらしく、長くて見ていると疲れる、という大きな問題もありました。

ハードが普及しないとソフトも売れないので、ソフト制作側はコストがかかる3Dをわざわざ作るのをほとんど止めました。ハードからすると「ソフトが援護してくれないからだ」という主張があります。この議論は、新しい技術の普及においていつも問題になる点です。

しかし、ゲーム業界においてはまだ先行きが明るいと考えられています。家庭用テレビにおいて問題となった「決まった場所から複数の人が見られないといけない」という点が、ヘッドマウントディスプレイでは障害とならないからです。

が、販売数では他の3Dゲーム機と比べてかなり売り上げたと思われるあの(・・)商品は、ヘッドマウント型ではありません。販売数は多くとも、メーカーはもっと当たると見込んで投資しており、結果的には大失敗になったといわれているアレですね。

あの会社は世界的な大ヒット商品を複数排出していますが、一方で大失敗も幾度か経験しています。3Dの製品を出す時には、こっちも「大丈夫かよ」と心配したのですが、残念な結果でした。

でも、今は上り調子。ずっと好調でい続けるのは難しいですが、次こそは失敗するにしても大怪我しなければいいですね。まあ、ハードだけでなく、ソフトも強い会社なので大丈夫でしょう。

あれ? 3Dの話だったのに、ゲーム会社の話になってましたね。 まあ、いつものことか。


脳内構築(のうないこうちく)

脱線話術もいい加減、飽きてきましたね。私は飽きました。というわけで、今回は手短に。

「脳内構築」と銘打っていますが、「想像」と二文字に圧縮できます。

「つーか、結局の所、読者の想像に委ねるって小説と一緒じゃん」と思っている人いますよね? ……はい、そうですよ! 最初にちょっと言ってみたら、後までずっと引きずるようになっただけです。『小説を読もう』に載っていることからして、小説に決まってますよね。はい、自覚していますよ。

……でも、保紫先生からは「これはもう小説とは言えないね」と評された事実はあります。悲しくなるから深堀せず流しましたが、おそらく「小説の体裁をなしていない」という意味なんでしょうね。まあ、そうかもしれません。

というわけで、文学部的に分類したい方は、「基本形はト書きだけど、ナレーターが細かく情景描写をする形式」を「音声多重(おんせいたじゅう)以下略」と称してもいいですよ。

……ん? 「細かい情景描写ではなく、脱線描写」ですか? じゃあ、もういっそ『脱線文学』でいいじゃん。


活劇(かつげき)

くそ~。まだ、二字が残っていやがった。手早く処理しましょう。

活劇とはアクションって事です。……いや、だから、「実は、活劇と書いてコメディって意味なんでしょう?」ではないですからね。


《ヨーデル格闘術》

添谷(そえたに) の言を借りれば、ハインリヒ・モウラーの生み出した幻の格闘術、ということですが……やっぱり格闘術ではないですよね。

当時のキングオブヨーデルと呼ばれたハインリヒ・モウラーは、「ヨーデルを極めた先の突破」として、歌声でガラスを割るという技に行き着きます。

「いや、もうそれ音楽じゃなくない?」とツッコむ人は周囲にいなかった。まず、実際問題、目の前でされるとびっくりします。正しく指摘する余裕はありません。落ち着いた後から指摘するのも、当時のハインリヒが偉大な存在すぎて言いにくい、という壁がありました。

一方ハインリヒも大きな壁にぶち当たっていました。ガラスの次の目標として掲げた「衣服を破壊する」という到達点への道が見つからなかったのです。

いや、もうさすがに、周囲の人たちは言いにくくても人類の枠組みとか、ゴツゴウ・ユニバースなりの自然科学の崩壊の観点とか、そもそも音楽の尊厳に関わるから、ハインリヒを止めなさい!! 大暴走ですよ!

しかし、暴走ゆえに壁を超えてしまい、不可能を可能に変えてしまうのであった。その根底にあったのは、「美しい女性の裸が見てぇ」という男子たる願望、というか煩悩だった。つまり、チャクラの爆発である!

男の子の叶わぬ夢「透明人間になったら女湯に入りてぇ」というのと根っこは同じだ。

でも、よく考えてください。

銭湯文化の衰退しつつある現代日本では、女湯に入るのは昔の習慣を引き継いでいる女性ばかりです。だから、いざ覗き見てみたら萎えた、という結果を生みかねないぞ。

もちろん、銭湯ではなく温泉ならまだまだ若い女性にも人気だ。しかし、そのためだけに、温泉地に赴くのも一苦労。いくら、透明人間無銭乗車を発揮しても、旅にかかる時間は短縮できない。そうやって遠路はるばる来たところで、その日はたまたま、数十年前に若い女学生だった元同窓生しかいなかったら、もう萎え幅は想像するだけで涙を誘う。

もちろん、熟女好きならむしろご馳走だから良いですね。

いずれにしても、想像するだけで実行しないようにしましょうね。

透明人間化女湯覗き――じゃなくて衣服ビリビリ裸化を目標としていたのに、なぜ下着姿に止まってしまったのか、という謎が残る。それは、ハインリヒの限界が来たからだ。わかりやすく言うと、年取って精力が減退したのだ。ジジイになっても性欲そのものは消えないが、勢いがなくなる。「下着の壁を超えるのに、また血の滲むようなあの特訓の日々を過ごさねばならぬのか」と考えて、「いや、もうここまででいいかなぁ」と妥協したのだ。つーか、血の滲むような特訓って、一体何をしていたのでしょうね? ヨーデルですよ、ハインリヒさん、わかってます?

とにかく、英雄も年には勝てなかったのだ。

しかし、まだヨーデル格闘術には謎が残されていた。この男子の煩悩技を、なぜ女子たるアナベル切山(きりやま)が使えてしまうのか、だ!

これは、バトル漫画でよくある「初めて使う時には非常に苦労したのに、次の登場キャラからはそれが使えて当たり前になっているパターン」です。この現象、現実世界でもある程度は起きています。

例えば、体操技のツカハラ。初めて披露した塚原光男は、「どういう景色になるかわからない」と実際に挑戦する前にトランポリンで試したと伝えられています。それが、次の世代では普通に実演できてしますからね。

「ツカハラって何だよ?」とイメージできなかった方もおられると思いますが、日本ではムーンサルトという呼び名の方が有名だから、わからなくても問題ないですよ。これはツカハラ披露時に実況アナが「グルッと月面宙返り」と言ったのが原因です。本来「ツカハラ」と呼ばれるべきだったのに、「月面宙返り」になっちゃったんですよ。そっちの方がカッコイイもんね。

優れた表現が元を上書きしてしまう事は他にもありますね。例えば、「このアニメ好きだから原作読んでみたら、面白くなかった」という感想を持った人も多いでしょう。「ああ、あのアニメね」と思いついた人はいるでしょうが、私は個別のアニメ原作の批判していませんからね! 逆のパターンもよくあるし。……いや、今回も特定のアニメの方を批判していませんからね! 何が面白いかは人それぞれですから、「原作も派生作品もそれぞれの面白さがある」となればいいですね。

……あ、ヨーデル格闘術についてでしたね。

そもそも、「格闘術」っておかしいですよね。それは、添谷(そえたに) が勝手に名付けただけです。――しかし、本作品、勝手する奴が多いな。

ハインリヒは「ヨーデルの神髄」と読んでいました。もちろん、後の世代の人は「神髄っておかしいだろ」と思い、「ヨーデル魔術」と呼ぶようになって今に至ります。

しかし、魔術という呼称が影響したのか、開祖以後の継承者は、ガラスを振動させて割る、というマジックショー的な効果に落ち着きがちでした。衣服まで破れる能力者は、稀だったのです。

アナベル切山(きりやま)がいかにしてヨーデル魔術を継承するに至ったかは、もう外伝を書けるくらいの量になるので、さすがに割愛。外伝を書くのは面倒だから、パスです。

要点を少し書くと、

・ヨーデル仙人なる者に教わった

・最初の犠牲者は、当時のアナベルの恋人だったフランス人男性

というあたりかな。想像力豊かな本作品の読者さんなら、もうお話が広がっていることでしょう。


《オクトーバーフェスト実行委員》

本編には、恐い人ばかり目立っていたが、本来は書類手続きを含めて処理していた普通の人が大多数だ。

セキュリティーを担当した七名は、最後に登場した白髪紳士に率いられていた。

白髪紳士はワガネコキャラ(前作『第七話の語句解説』を参照)であり、登場キャラとしての項目は設けられていないので、ここで少し書いておくと、元傭兵だ。妻の故郷が枚鴨(まいがも)市であり、いわゆる定年後の生活を枚鴨(まいがも)市で送っていた。妻がお亡くなりになった後、妻が育った町への恩返し的に社会貢献しているのであった。

なお、本作の収録時間が終わった後、当然アナベルたちは「御用」され、衣服代を弁償させられています。騒動事態は、「こういう演出込みのショーだったのかな?」と解釈され事件化していません。そう誤解された理由は、「まさか歌声だけで、ガラスが割れたり、まして服が破けたりしないよな」という常識による後押しと、「最近ちょくちょくこういうイベント起きるよね」という枚鴨(まいがも)市民ならではの感覚があったのだ。


***登場人物***

《パンツイッチョマン》

本作のメインヒーロー。いつも登場すると話が終わってしまうので、脱線文学における明智小五郎と呼ばれている。……はい、そうですよ。私がそう呼んだだけです。

知っていると思いますが、作中の読者の声も大半が筆者の創作ですから。……でも、一部は本当に読者の声なので、どこかそれに相当するか、文学部発想の方は色々掘り下げられますね。良かったです。

あ、結局、脱線しているね。さすが脱線文学。

えーと、パンツイッチョマンについてだったなぁ。何か書くことあったかなぁ。

ああ、そうだ。今回は「文明の打楽器」と名乗っていました。おそらく、イッチョマン・スラップを意識したのでしょうが……打楽器は本来叩かれる方ですからね!


《ナレーター》

タイトルに使われているメインヒーローより、目立っている存在。パンツイッチョマンが出てこなくても、ナレーターがいないと話が進められない――と思いきや、『人生バンジー、最高が「マー!」』では、終盤まで必須ではなかった。

良かったぁ。私(筆者)、ナレーターいなくてもちゃんとした小説もまだ書けるんだ。……あ、『…最高が「マー!」』はちゃんとした(・・・・・・)小説ではなかったですね。そうですね。

本作では多大な貢献を果たしてくれているナレーターだが、実写化の際には遠慮なく切り捨てていただいて結構です。

作中でナレーターは、放送時間について、「たっぷりあるから無駄使いできる」「残り少ないから急がないといけない」という感じで話していました。でも、これは本来おかしな話で、どちらも同じ時間なんですよね。

お金に例えると理解しやすくなります。

給料日直前の一万円と給料日直後の一万円。同じ一万円なのに重みが違う、と実感できる人もいれば、同感できない人もいるでしょう。後者の方は、計画的にお金を使えている方か、貯蓄がたくさんある方でしょう。前者の方は比較すると無計画寄りか、運用が厳しい方だと思います。

「昼食代込みで、お小遣い一ヶ月二万円とか、都内じゃ無理だから! 計画しようにもできねぇんだよ」という訴えは同情できますが、おうちの財務大臣にご相談ください。

……ナレーターはなんかお金に無計画っぽいですね。


《アナベル切山(きりやま)

アナベルとはフランス語圏の女性としてよく使われる名前である。もちろん、アカシックレコード――いや日本だったら閻魔帳の方がいいかな。どっちにしても、定義書じゃないから厳密には外れますけど――に絶対そうだ、と記載された定義というわけではない。だから、男性のアナベルが存在してももちろん良いのだが、影響力がある男性が「アナベル」と名乗ると、それを真似て元が女性名と知らない人まで、男性名としてアナベルと使い出しちゃいます。

いや、重ねて書きますか、いいんですよ。所詮、現実に似せていも創作物なんて架空世界だから、「そっちではそれが正しいの!」と押し通せるはずです。実際、本作品でもゴツゴウ・ユニバース設定だからこそ通る事象がてんこ盛りです。

でも、違和感を湧かせて良いことはあまりありません。事実、本作でも残っている皆さんの裏には、最初のバスジャックのシーンや「マー!」を見て、「何じゃこりゃ!」と離れていった多数の人々がいるのです。

男子としてのアナベルだってフランス人の方が見たら「ナンデヤネン!」(大阪に留学してきたフランス人口調)と言って、以後の観賞を止めてしまうかもしれません。最初に間違えた作品はまあ自己責任としても、それを信じて間違えた方は――まあそれも確認しなかった自己責任と言えますが、何から何まで確認は大変なんですよ。ええ、私は半ば放棄しています。――ちょっとかわいそうですし、何よりそのまま誤用が広まるのはよくありません。

それを補正するには、影響力のある女性キャラをアナベルとして登場させるしかない! と思って……。ま、まあ、確かに「これしかない」と言い切るのはやり過ぎですね。他にも幾らでも手はありますから。

ともかく、その意気込みのおかげか、保紫先生基準――ええ、私がアクセスできる主要な読者代表です――で「アナベル切山(きりやま)は歴代最強キャラ」という評価をいただき……。いや、待てよ。まあ確かにアナベルも強いけれど、純粋な戦闘力ではノーパン刑事(デカ)やフリップフロップ・チェリーの方が上だし、戦闘力ではなく影響力の偉大さで言えば、やっぱり穴穿(あなあ)きさんの方が上だよなぁ。あれ? もう一度メッセージを読み返して見よう。……。

あ、「最()」じゃなくて「最()」だった! いや、だから、本作はコメディじゃなくてアクションですから! つか、最笑ってどう読むんだ? さいしょう? ……いや、ちょっと一部の読者の方、思ったでしょう! 違いますからね! 私は「最(しょう)寺」で、「最(しょう)寺」じゃないですから。一応、おちゃらけ脱線文学の他に面倒なファンタジー小説も書いてますからね!


《ブランカ楽団》

アナベルの欄では、脱線し過ぎてアナベル自身についてほとんど書けなかったので、こちらにも書きましょう。

アナベル切山(きりやま)こと、切山(きりやま)安心(あん)は、ヨーロッパ留学の際、「君、ちょっと歌ってみないか?」と声を掛けられたのがきっかけでそのままプロになった。アナベルの歌手としての第一歩を提供したバンドマスターは日本人で、そのバンドの演奏者も日本人が多かった。アナベル加入後、バンドの人気が急上昇し、「これ、ここに留まらなくてもツアー組めるんじゃね?」とアナベルが考え、安定志向のバンドマスターと別々の道を進むことになった。

あと、アナベルは日本に帰って生活する期間も欲しい、という願望もあり、そこがフランスに残り続けているバンドマスターと合わなかったのもある。

一応、円満卒業という事になっているが、当時のバンドメンバーの何人かはアナベルに付いて行く選択をしたので、実はバンドマスターが「盗人猛々しい」とか「恩を仇で返しやがって」と思っている可能性はある。

アナベルが二十代半ばで独立するほどの強さを持った女性である事は確かです。あとアナベルは、今もそうであるが、周りの人がアナベルに意見しにくい雰囲気(オーラ)を発散させるタイプの女性だ。読者の方も、なんとなくそう感じていたでしょ?

こうして生まれたのがブランカ楽団。この際、補強メンバーとして日本から呼ばれた人も何人かいる。アナベルは音楽大学卒で、その頃の交流相手だ。この人たちもアナベルに逆らえなかったのだろう。

アナベルとブランカという名称からうかがえるとおり、当時はフランスを中心に活動しており、アナベルはシャンソンも歌っていた。ちなみに、現地で熱心な需要があったのは日本アニメソングだった。

活動域を広げた結果、本場ヨーデルに出逢い、それに「ビビっと来た」アナベルが軸足をそちらに移した。この決定に逆らえる者もほとんどいなかったのである。

なお、彼女ら彼らが何故今年に限って、シーズン中に日本に残っていたかは、単純に書類上の処理の問題だった。いつも処理をしていた方が寿退社――という名目の脱走ではないか、と同僚は思っています――して、それの引き継ぎがきちんとできていなかったせいで、出さなくてはいけなかった書類が間に合わなかったのだ。なお、この問題の責任はアナベルにあったので、誰も強く責められなかった。運が良ければ未だ間に合うかも、というタイミングだったが、社会人としてそんな不安定なスケジュールはダメだ。なので、つてを頼って代役を立て、違約金の発生はなんとか免れられている。

こういう背景があったので、アナベルは最初からご機嫌斜めだったのである。


放屁(ほうひ)おじさん》

この人も名前を与えても良いけれど、それも面倒臭い、ワガネコキャラである。しかし、他の項目で寄生記載できるほど関連のある項目もなさそうなので、ここで通称による項目を作成し記載をしておく。

作中で、貝積(かいつみ)社長が推察したとおり、彼は添谷(そえたに) の仕込みであった。

元は浅草を拠点とした芸人で、相方と漫才をしていたが、特に芽が出ないまま、三十歳を境に相方が引退。その時点で話術の実力が伸びていなかった、後の放屁おじさんは、「他に真似できない独自の芸がないといけない」と考え、どこをどう間違ったのか放屁芸を身に付けた。当時は、何時でもオナラが出せ、しかもそれを連発できる『無限放屁』という芸だったのだが、後にそれを燃やす技も身に付けた。

しかし、楽屋では笑いと敬意をもって称えられる放屁芸は、舞台芸としては使いにくく(下品ですから)、テレビに至っては全くお呼びがかからない代物(ええ、下品ですから)だった。子供には大いに受けるんだけど、お金を出すのは大人なので……。宴会芸としてならお声がかかる事もあった(まさに無礼講ですね)が、昨今のコロナ禍――あ、ゴツゴウ・ユニバースではコロナ禍なかったんだった――じゃなくて、職場の付き合い方の変遷で、宴会場を貸し切って芸人を呼んで忘年会をする、という場面がめっきり見られなくなり、放屁おじさんはセミリタイア状態になっていた。フルタイム働いているのにパート労働者だったのだ。

そんなある日、与えられたミッションが、『舞台にいるヨーデル歌手に火炎放屁を吹きかける』という内容だった。酔っ払いのように見えたが、あれはメイクと演技であった。そうは見えなかったですね。知名度が高くなくとも、その道のプロは侮りがたし、といったところだ。

この放屁おじさんの股覗きから、日本三景の一つとされる天橋立(あまのはしだて)の名が出てきました。「聞いたことあるな」くらいの感想の方は多いと思いますが、天橋立はなんと舞鶴(まいづる)市から近いのです。

舞鶴(まいづる)といえば、P1の舞台となる架空の都市名を決める時に、筆者が一方的に参考にした都市ですよ。いわば枚鴨(まいがも)市の親! ……舞鶴は戦後の引き揚げ船のお話『岸壁の母』の舞台ですから、親は親でも母親ってことになりますね! え? ならないですか? いや、理論的じゃなくてもいいんです。勢いです。マー!!

というわけで、天橋立は枚鴨(まいがも)市にとって従姉みたいな存在と言えよう。……うん、これは言い過ぎですね。そうですね。

そもそも、天橋立と舞鶴の近さは地図で見ただけの感想なので、地元の人たちがどう思っているか知りません。一緒にまとめられて困惑してしたら申し訳ありません。あと、放屁おじさんも天橋立へ行った経験がありませんから、無関係です。舞鶴や天橋立へ屁を吹きかけたつもりはありませんので、よろしくお願いします。


《パンツ筋肉(マッチョ)マン》

パンツ祭りの時は、ややこしさ見苦しさを表すために、パンツ()ッチョマンと書かれていたが、もういいよねということで、パンツ筋肉(マッチョ)マンにバージョンアップ! ……いや、別に戦闘力は増したわけではありません。しかし、変態から正義感のある変態にクラスチェンジしたような……あ、これはクラスチェンジじゃなくて、結局変態枠内でしたか。


貝積(かいつみ)呉酒(ごしゅ)

作中で、概要を書いていたので、さらに書くべき事はあまりない。

そういえば、本来この『語句説明』は、「多数のキャラが出るだろうから、それを把握しやすい資料として残そう」という意図があったのだが、今や、単語大喜利みたいに……いや、大喜利だったら切りがいいけど、こっちはダラダラだな。なので、単語ダラダラ!

あ、呉酒(ごしゅ)の部分についてはちょっと書けますよ。

造り酒屋だった祖父が名付け親。五つの旨味に秀でた究極の酒と同じく、五つの徳を積んだ優れた人物になって欲しい、という願いが込められ「五酒」と付けられました。が、「五酒はちょっと……」という両親の声に妥協して、「呉酒」となりました。親としては、むしろ「五」ではなく「酒」の方を変えて欲しかったのですが、祖父からすると、裏には息子が継いでくれなかった仕事を孫に託したい願望があったので、こちらこそ「そこは譲れぬ」でした。「苗字に『酒』がある人はたくさんいるから、名前に『酒』があっても悪くなかろう」という意見が最終的に通ったわけです。が、結局、祖父の願望が叶う前に、酒屋さんは廃業します。

一般的には、「呉酒って名前からして、すごくお酒が好きで、かつ強そう」と見られがちです。実際には、お酒好きの部分は事実で、特に日本酒を好みますが、酒の強さは普通です。日本人基準の普通なので、欧米では弱い方になります。

……どうでもよい情報でしたね。いつものことですか? そうですね。

彼の持つ異能『風読み』について、作中では「都心では『淀んでいて』風を読みにくい」という感じで説明されていたと思うが、そもそも「淀む」とは「停滞して濁った感じ」を指し示す。流行の風として考えると、都心はむしろいろんな風が吹く暴風地帯。淀む(・・)とは真逆の印象です。

この解釈として、二つ考えられます。

一つが貝積(かいつみ)が「淀む」という語句を間違えて認識している。大人だからといって、社長だからといって、間違えるときは間違えるのです。よい子のみなさんはそこをあざ笑う器の小さい大人にならないよう成長してくださいね。

じゃあどうするべきかというと難しくて、その場ですぐさま過ちを指摘すると、状況によって「人前で恥を掻かされた」と逆恨みを買いかねません。指摘しなくても間違えは間違えなので、指摘のありなしに関わらず、既に恥は掻いているはずなのですが、逆恨みには理屈は通じません。

逆恨まれても正しいことをするぜ! は立派な心掛けですが、保護者からすると子供には無用な諍いに巻き込まれて欲しくないので、華麗にスルーも正しい選択だと思います。

だったら、人前ではなく二人きりになった時に指摘してあげれはいいのでは? ですか? 善行に前向きな姿勢は素晴らしいですが、逆恨みする人は人前であろうとなかろうと関係なく「俺に意見する奴はみんな敵」な所あるので、もう放置してください。

……そもそも指摘しないと逆恨みする人かどうかわからない? そうですね。それに、スルーした自分も言葉を間違って覚えていると思われちゃう不名誉もありますし、言葉の定義が曲がっているのを放置した事で、その間違った定義が広がっていくのを見つめるのも気が塞がります。

最後の例は、実体験としてありまして、筆者が中学生の頃に、同級生たちに対して「さっきから、下ネタばっかじゃん」と言ったところ、私を含めて四人の環境で残りの三人が一斉に「下ネタ??」という顔になり、ちょっと間が空いてから「下らないネタ」と解釈した一人が誤用を始め、さらにひどいことに三人の中で「はい、今の下ネタ!」と非難し合うのが流行ってしまいました。私は、三人相手に多勢に無勢だと感じて、「盛り上がっているし、まあいいか」と放置(そっとじ)した次第。「こうやって言葉の定義が歪められていくのだなぁ」と実感できました。

……中学生にもなって下ネタの意味が分からないなんて、そいつらバカじゃん、という声もありましょう。それについては否定しません。……ん? 誰ですか? 今「類は友を呼ぶ」って言った人!!

ちなみに、「下ネタ=下らないネタ」という誤解は数日したら修正されていました。私の知らないどこかで「下ネタの意味も知らないなんて、バッカじゃねえ」とか言われて、恥を掻いたのでしょう。しょんぼりしてました。だったら、仲間内で傷が浅いうちに修正してあげたら良かったな、と思いました。……だから、誰!? 「やっぱ、類友(るいとも)じゃん」と言った人!

で、二つ目は――恐ろしいことに貝積(かいつみ)の「淀み」についての解説途中だったのです。思い出しました? ――『風読み』とナレーターが命名したんだけど、貝積(かいつみ)自身は風というより、人の思念の総和の一部抽出として受け取っており、「都会の人の心の方が荒んでいるぜ」という感覚から、「淀み」という表現になったかもしれない、という可能性です。

個人的には、都会人の心は荒んでいる、という解釈には否定的なのですが、貝積(かいつみ)社長がそう感じているなら「淀み」と表現したくなるでしょう。

……え? 「作者なんだから、そのへんはっきりしたらいいじゃん」ですか? もう、ここまで読んだ方ならわかっていると思いますが、そんな力のない作者もいるのです。子供にも振り回されるし、作品にも振り回されるし、人生メリーゴーランドですよ。ええ。


添谷(そえたに)涼真(りょうま)

激務ゆえに務まる者がいないと思われていた、貝積(かいつみ)社長の従軍秘書に高い適性を持った男性。もう一話に出てきただけで、「あ、こういう性格だから務まるのね」と理解していただけた読者も多いでしょう。

良くも悪くもマイペース。だけでなく、社長の要求を先回る読みの高さもあり、貝積(かいつみ)社長にとってもお気に入り……でも、ないかな。しかし、使える人材と認められている。

少なくとも、個人的な情報収集力は優れており、アナベル切山(きりやま)の異能と、彼女がキレるとヨーデる(動詞)という特徴、屁を吹き付けられると激高するという弱点の情報すら入手していた。放屁おじさんとマッチアップさせたのも、やはり彼の手腕だ。

てか、放屁おじさんは知らずに巻き込まれているから被害者です。でも、「芸人のコケンに関わる」と、依頼があった事は明かしていません。なので、添谷(そえたに)まで、オクトーバーフェスト実行委員セキュリティー担当の恐ろしい手は伸びていないのだった。まあ、伸ばしても届かない工作も、添谷(そえたに)はしてるんてすけどね。

あと、今後明かされると思うが……いや、だったら今敢えて書く必要はないか。もう、大分押して(・・・)いるしな。――って、書くと気になる方もいるでしょうし、そもそも次に添谷(そえたに)が出てくるかどうかわからない、イキアタリバッタリ小説なので、出し惜しみせず書いておくと、添谷(そえたに)は格闘マニアです。

どこかで聞きつけたヨーデル格闘術――もうこう考えている時点で、どこかで情報ねじ曲がっていますが――を目の当たりにしたいと、貝積(かいつみ)社長の風読みの観測地点として、枚鴨(まいがも)市の城跡広場のイベントをセッティングしたのであった。

公私混同? いや、これはオフだから私人としてセーフです。――と弁明しても、議員だったら、こういう対応じゃ叩かれるんだろうね。大変なお仕事です。


***パンツイッチョマンの技***

《イッチョマン・スラップ》

今回は、「飛び込み前転、一回前転、跳ね上げ式、イッチョマン・スラップ」なのだろうが、さすがにもうコアなファンも飽きてきて、命名論争は下火だ。なんでもかんでも『イッチョマン・スラップ』で統一してしまうパンツイッチョマンにうんざりしているとも言える。

しかし、今回の技は、技の切れ、演出ともにこれまでのイッチョマン・スラップの中でも最高峰の一つ、という評価も高い。にくいぜ、パンツイッチョマン!


***その他の技***

火炎(かえん)放屁(ほうひ)

放屁おじさんが最初に修得した技『無限放屁』の実態は「吸って出す」呼吸法であり、噴出している成分は大気と概ね同じ。ゆえに、基本的には燃えない。

少量の可燃ガスを含む屁を出し燃やす『火炎放屁』は、無限放屁とは技術的には異なる技だったのだ!

火炎放屁は溜めないとできない。無限放屁の後に火炎放屁をするというコンボもできない。ツカミとして火炎放屁をした後で、無限放屁を披露し、最後にもう一度火炎放屁をする、という流れが盛り上げには良いのだが、原理的には無理! と思いきや、それをひり出す力量もある。放屁芸人としてはかなり優秀なのだが、社会はそんな実力を全く評価しないのであった。そもそも放屁芸人枠なんかないもんね。

実は、屁芸だけじゃなく、無限げっぷも修得している。本人曰く「これも、呼吸法だ」ということだが、披露する場がない点も屁芸と同じだ。


《レリレリ砲》

筆者としては、ヨーデル怪音波の攻撃力は一律のつもりだったのだが、ナレーターの紹介の仕方の問題だったのか、『「ヨーデルレリッヒ」<「レリレリレリレリ」』と受け取った読者の方が一定数いた。そこから、呼ばれるようになったのが「レリレリ砲」であり、「ヨーデル格闘術の大技」と認識されるようになった。

ユーザーの判断が世界を広げてくれるのは嬉しいんですが、既に書いたとおり「ヨーデル格闘術」もどっちかというと非公式呼称ですからね。


***大門博士による異能講義***

《未来予測》

ボールを投げれば、落ちる。ごく当たり前のことだと思われているが、これの予測も立派な未来予測だ。

予測精度が上がると、いつどこで落ちるかも予測できる。これも、多くの球技が普及されている事から自明なとおり、当たり前の事だと考えられている。

しかし、その習熟に他の者と比べて時間がかかる者がおり、中にはいくら続けてもその勘が掴めない者もいる。

他方で、例えば野球でボールを打った音だけで飛ぶボールを見ずとも落下点が分かるという者もいる。ここまで来ると、「これは異能だ」と考える者は出てくるだろう。

だが、いつも言うように、異能かどうかの明確な境目はない。

予知は特殊な能力だと考えられがちだが、ありきたりな能力すぎて偉大さに気づけていないものもある。例えば、天気予報を聞く度に、「不確定な未来について予測している」と驚きと敬意を抱いている人は少なかろう。

天気予報からイメージしやすいように、未来は不確定なものである。予測する未来が、現時点から近ければ近いほど確度が上がる傾向が一般にはある。

ボールを遠くに投げ、三秒間の飛行時間があった場合、投げ始めから一秒後の時に到達点を予測するより、到達の一秒前の方に予測する方がより正しくなりやすい。この例でも、おそらく到達点の予測はある点を中心とした確率分布として認識されるだろう。

そう考えると、いわゆる予知能力者も特定の未来を百パーセントの確度で認識しているのは自然と言えない。「誰かが怪我をする」と予知できても、それがいつなのか、どこを怪我するのか、何によって傷つくのか、など、どこかはぼんやりとしているはずだ。

もし、そこを完璧に指摘できる者がいたら、異能者であると完全には否定しないが、トリックがあると考えるのが自然だ。しかし、トリックを仕込んでいてもそれが正しく機能するかは決まっていないので、実は仕込みがあっても、やはり未来は不確定なのだ。

未来予測において注目すべき点は、多くの場合、対象が限定されている事だ。気象予報士は次に生まれてくる孫の性別は予測できないし、野球の守備の名手がティーショットの落下点を瞬時に察知するのは難しいだろう。これは、それぞれの知識や技術、経験がある程度独立しているためだ。

一般に、異能と認識されるほどの異質な未来予測であっても、ほとんどの場合、制限に縛られている。しかし、その限界を当人が把握しているとは限らない。自身の予測力と妄想の境界を分離できず、異能と呼ばれるべき予知能力者である自覚もない場合があるだろう。

異能者全般に言えることだが、未来予測の異能者に関しては特に、身近に、時には無自覚に、潜在しているのだ。

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