秋空に響け、ビールの宴 2
ナレーター(以降、「>」と表す。): さあ、今週も始まりました『パンツイッチョマン弐』(※注釈 ナレーターがこう呼んでいるだけで公式決定事項ではありません。普通に『弐』で構いません。)、出だしはジャブジャブ使い放題の放送時間があるので、先週飛ばした箇所から戻って放送いたしましょう。
>ヨーデルの美声が響く状態から何が起きて、あの半裸が飛び出してきたのか。謎が謎を呼ぶ展開ですが――え? 「いつものご都合主義で何とでもなるだろう?」ですか? ええ、そうですね。なぜなら、そこはゴツゴウ・ユニバースだからです! ……私のドヤ顔は映らない悲しい仕様。
>まあ、それはそれとして、きっかけは一人の酔っ払いだった。一曲終わった後に、パラパラと拍手が起きたのだが、アナベル切山は頭を下げこそすれ、どこか不満げな顔をしていた。その不満のせいか、客席を見渡しすぐに次の曲に入らないでいると、酔っ払いがヨロヨロとステージに近づいてきた。
酔っ払い: 姉ちゃん、よく出るよく出るって、いったい何が出るっんだよ。ポロリでもするのかぁ?
>これに対してアナベルは明らかに不快な顔をした。ちなみに、酔っ払いは四十代半ばから後半という感じだったが、アナベルは三十歳前後という見かけだ。「どっちも中年じゃねえか。なのに『姉ちゃん』って何だよ」と若い視聴者の方は思われるかも知れませんが、オジサンの中には自分より若い女性はみんな「姉ちゃん」と呼ぶ派閥が存在するのだ。呼ばれる側の立場で考えたら、自分より年上に「おばさん」呼ばわりされたくない、という気もあるかもしれません。そういう意味では、この酔っ払い、相手への気遣いが……いや、ねえだろうな。ただそう言い慣れているだけでしょう。
1.>周囲の人も「姉ちゃん」呼ばわりを酔っ払いの気遣いと感じず、ポロリの暴言に顔をしかめた。いや、これは発言内容の是非よりも、単に「酔っ払いウザい」という反応だろう。一方でニヤニヤ笑っている人たちが一部いた。もっぱら男性だ。似たような台詞を思いついても、セクハラと罵倒されるので、職場で発言を封じられた人たちが、小気味いいのかそれとも「バカなヤツだ」と苦笑しているのか、あるいは万が一のポロリ展開を期待しているのか……あ、ダメですよこれ! この流れじゃ酔っ払いの方が「おめぇがしねえなら、こっちが――」とポロリしちゃう展開でしょう。皆さんもそれを待ち望んでいないはず。……いや、個人の嗜好は幅広いから、もしかしたら待っている人もいるかもしれませんね。でも、当番組は、色んな嗜好の人を分け隔てなく受け止める方針なので、どんな展開も期待してていいですよ!
>あ、話を戻します。周囲の一般客だけではなく、プロフェッショナルも反応していた。「オクトーバーフェスト実行委員」の赤Tシャツを着た人たちだ。比較的近くにいる一人が、胸に付けたピンマイクに何か話しかけた後、酔っ払いへと進む。うん、やっぱり、ピンマイクとイヤホン付けているところで、単なるイベント運営側の人って感じじゃないですね。いや、一応、普通な感じの人たちもいるんですけど、同じシャツを着ているから分類しにくいですよね。……まあ、発散するオーラの違いですぐわかるんですけど。
>その怖い人が近づいてくる前に、酔っ払いはさらに話し続ける。
酔っ払い: 俺も出せるぜぇ。見とけ!
>あ、やっぱりヤバいやつなのか。こっちはモザイク処理の準備をしておきますね。
>酔っ払いはステージに向けクルリと背中を見せると、両手を握り、まるでファイテングポーズを取るように胸の高さに上げ、それをすぐに振り下ろす。同時に軽く膝を曲げ、お尻を突き出す。
♭ ブッ!
>確かに出た! アレだ。食事中の方が食欲をなくすのは申し訳ないので、婉曲――あ、そもそもこんな番組を見る人はそんなの気にしない? じゃあ、遠慮なくはっきり言いますと、屁です。放屁です。屁という単語は「放」と合わせると屁と呼び方が変わるんですよ。知らなかった方は勉強になったかな? 次からはちゃんと「放屁」という言葉を使えますね――あ、使わない? 使わない方が良い? ……そうですね。生理現象ですが、敢えて社会の表層に出す必要がない存在です。でも、湯船の中では自然と表層へ――あ、もういい? 屁から離れろ? そうですね。
>これに、近くにいた幼い子供たちが喜んだ。親に「オナラしたよぉ」と報告し、それを微笑ましく見守る人や、厳めしい表情を見せる人。そしてやっぱりいるニヤニヤ勢。
>四メートルぼどの距離があるとはいえ、屁を向けられたアナベルは怒りを露わにした。歌っている時は使っていなかったステージマイクを手に取ると、酔っ払いを指差す。
アナベル: 失礼ね! これだから、CDショップにヨーデルのコーナーがない後進国の人は――
>この発言に周囲の人の反応が少し変わる。酔っ払いは迷惑だ、という印象が多数派だったのだが、アナベルが酔っ払いにひっくるめて日本を非難したことに、一部の方が反発を覚えたのだ。ステージの上と下で反発が起きるのは良くない。問題を強制排除するはずのオクトーバーフェスト実行委員(一般人ではなく、強制力がある方)は、現場までまだ七八メートルの距離があった。しかも、人をかき分けながらなので時間がかかる。ピンマイクを通じての連絡から、他の実行委員(だから、しつこいようだけど、これも恐い方ね)もこちらへと注意を向け始めた。
>この状況を、酔っ払いは自分への注目と感じたのか、片手を挙げ、それでまるで羽ばたくように体の前で上下させる。その動きで注目を集めると、次は逆の手を挙げた。そこにはいつの間にかライターが握られていた。そして、やおら頭を下に、体を折り曲げる。京都北部の観光名所、天橋立で有名な股覗きのスタイルで、ステージを見上げると、股の下から先ほどのライターを突き出す。「もしや!?」と多くの人が思った直後、それは起きた。
♯ ポフッ
>青紫色の小さな炎が、酔っ払いの尻の前に生まれて消えた。一瞬後、まず子供たちが笑った。ゲラゲラと爆笑している子もいた。一部の大人からは「おぉ」と感嘆が漏れた。オナラに火を点ける、という発想自体は子供の頃に思い浮かべた人はいるだろう。しかし、実行できた人はほとんどいないだろう。子供の火遊びは基本的に許可されていないし、火を扱える立場だとしても点火するには意外に技術がいるのだ。まあ、技術というか、重要なのは屁の勢いだ。
>人生、勢いは大切です。例えば、結婚はまず出逢いがなければ実行できませんが、出逢いがあったとしても勢いがなければなかなか踏ん切れないものです。長く付き合っている異性がいるのになかなか結婚に発展できない、という人は、次回デートの待ち合わせ時、走っていって相手に飛び込んでみてはどうでしょう? ――あ、勢いってそういう物理的な意味じゃない? ……という当番組が、勢いだけでやっているんで「勢い大事」という主張は御納得いただけるでしょう。
>さらなる失言をしそうだったアナベルは、火炎放屁をぶつけられた、あまりの恥辱に言葉を失ったようだ。もちろん、ぶつけられたというのは例えです。火炎放射のように吹き出したわけじゃありませんが、派手好きな方はそういう演出でもいいですよ。
>アナベル切山のイカリガタカマルノヲ感じて、一般客はざわめき始める。酔っ払いが何をしたのか見えたのは近くの人たちだけだ。離れた所に居た人は、何かやっているな、としかわからなかった。音だけ聞こえたり、小さな炎だけが視界にちらついた人もいた。なので、総じて「何だ、何だ?」となるわけです。
>屁こきの酔っ払いはそのざわめきを賞賛と受け取ったように胸を張った。片手を挙げて、観衆に応えるように小さく振る。次いで、振っていた手を下げるのと引き換えに、人差し指を立てた手を高くあげる。――あ、この手は先週ラストの手とは違いますよ。あの手が出てくる前にも似たようなジェスチャーがあったのです。ややこしいですね。こっちはすぐ変化するのでお待ちください。――酔っ払いは、立てた指を下ろすと、自分の唇に当てて、静かになるように示した。それから、反対の手を横に伸ばし、上下に動かす。まるで、現代日本人がめったに目にしなくなった、水道ポンプのようだ。唇に指を当てていた方の手は、次は自分の下腹部に手を当てる。キコキコと何かを貯めているようなジェスチャー。サイレントなのになんとなく意図が伝わってくる。なかなか芸達者ですね、この酔っ払いさん。チャージはすぐに完了したようで、ヨシヨシと何度も頷くと、また片手を挙げる。指を立てていた方の手には、今度は指の代わりにライターが掲げられている。「まさか!?」という周囲の反応が広がる中、酔っ払いはまた股覗きの姿勢を取る。
♭ バフッ!!
>吹き出す赤い炎! 十センチに満たない小さな炎でしたが、これはもうちょっとした爆発です。ガス爆発です! ガスバス爆発です!! ――ん? 何か、言い間違えたような……。まあ、いいや。この一発芸の衝撃の前には些細な事。
>周囲の人も自ずと反応が変わる。子供こそこれまでと大して反応が変わらず笑っていたが、ゲラゲラ笑う声は大きくなった。一方、大人たちは引いた反応が大半だったのだが、「おおっ」と驚きの声を漏らした人が多くなった。拍手すら起こっていた。炎が大きくなって、何が起きたのか見えた人が多くなったのも、雰囲気が変わった一因だ。もはや、酔っ払いは一芸人と同じ扱いになりつつあった。
>しかし、反応が悪化した例もあった。あの実行委員の赤シャツさんたちは、より警戒度を上げたようだ。最も近づいていた一人は、足を止めた。これではむしろ対応が引いたように見えるが、そうでないから怖いのだ。他の赤シャツと連携を取り、三方から同時に酔っ払いを囲むようにスタンスを変えたのだ。
>もう一人、態度を悪化させた者がいた。ヨーデルクイーンのアナベル切山だ。ガツンと大きな音がして、皆がステージを見上げると、アナベルは持っていたマイクを投げ捨てていた。オフにしなかったので、その衝突音がスピーカーを通して流れたのだ。大きく息を吸うアナベル。その背中を見て、ブランカ楽団の面々が戦慄の表情を浮かべた。
アナベル: ヨーデルレリッヒ~~~!
>大気を震わせる美声。それは、背を向けている酔っ払いへと向けられた。酔っ払いは、まるで突風を受けているかのようによろめいた。一歩二歩と前につんのめると、有り得ない事が起きた。酔っ払いの着ていた服が、ビリビリと背中から裂けて、ズルリと抜け落ちたのだ。――あ、真っ裸ではありません。白いブリーフパンツは残っています。そこは、お子さまの視聴も安心なゴツゴウ・ユニバース仕様。酔っ払いは、そのままうつ伏せに倒れてしまう。
>周囲から上がる悲鳴。異常な事態に対する悲鳴なのか、半裸の男が出てきた驚き……いや、怒りなのか? いずれにせよ、ステージ近くにいる人は身の危険を感じて浮き足立つ。酔っ払いの放屁芸にどよめいていた雰囲気が、危機感を持ったざわめきに変わる。
添: やはり。アナベル切山は、ヨーデル格闘術の伝承者だったか。
>ステージから離れた席で、添谷 が満足そうに頷いた。騒がしさから、さすがにタブレットから顔を上げていた貝積社長が、ステージから秘書へと顔の向きを変える。
貝: ヨーデル格闘術?
添: はい。一説には、ヨーデルの創始者とも言われているハインリヒ・モウラーが生み出した、伝説の技。既に失われたと思われていましたが、アナベル切山がそれを伝承していたという噂があったのです。
>ステージ近くでは、アナベル切山の暴走がなおも続く。酔っ払いをはやし立てるように騒いでいた近くのテーブルが次の標的となった。
アナベル: ヨーデルレリッヒ~~~!
>テーブルに置かれていたビールの小瓶がカタカタと揺れたと思うと、突然ひびが入り割れた。中身はほとんど入っていなかったが、目の前で起きた破壊に、その席に座っていた中年夫婦と小学生の男の子二人が驚いて席を立つ。
>それに釣られるように、周囲の人たちも立ち上がると、そそくさとその場を立ち去り始める。多くが後払いの日本の飲食店だったら、食い逃げに悩まされる状況だったが、屋台やキッチンカーでの販売だったので、先払いでした。食い逃げについて心配は無用。良かったですね。
>会場が騒然としていく中、渦中に近づく赤シャツの男女。それに、アナベルが気付くと、最も近づいてきている二人に向き直る。
アナベル: ヨーデルレリッヒ~~
>ヨーデルクイーンが、ステージの左から迫ろうとしていた二人に歌声を向ける。添谷 は「ヨーデル格闘術」と言っていましたが、これって音波攻撃ですよね? それを受けて、赤シャツの二人が歩みを止めると、フラつく体を維持するかのように、足を広げ踏ん張る。しかし、大丈夫なのか? 赤シャツ二人のうち一人は女性だぞ! ……って、やっぱり、服が破けると、ついにバランスを崩して尻餅をつく二人。――あ! ……ふぅ、良かった。女性が巻き込まれていたのでポロリを心配しましたが、発生しなかったです。ブラで止まってます。そういえば、酔っ払いの時も、都合よく下着は残っていましたね。――って、だからゴツゴウ・ユニバースでしたね。いやぁ、名前の割にはいつも物理法則が厳しいめなので、つい忘れていました。
>しかし、この展開、昭和アニメのようですね。超能力でスカートめくりしたり、風呂場にテレポートしちゃったりするやつです。平成でもその匂いは残っていましたが、令和の世になるともうかなり消臭されてしまった感じです。あの国民的タヌキロボットアニメも、昔は風呂場へ上がり込んでいたんだけど、もうないですよね? ……え? 観ていないからわからない? じゃあ、お子様たちは……こっちは昭和のアニメを知らない? ……こうして世代間断絶が生まれてしまうんですね。いや、そうでもないかな? アニメはステージが変わってしまいましたが、少年向けコミックでは令和になってもパンチラ的描写があちこちで見受けられますからね。そこから派生するアニメなら、一定の年齢制限を設ける形で原作的描写を損なわない作品も多いので、「時代が大事なモノを奪った」というより、「ルールを決めて運用する」と変わったんですね。だから嘆かなくても――え? 「お手軽パンチラが無くなった」ですか? まあ、それはそうですね。国内は良くとも、世界的な流れと圧力があるので、変化は仕方がないのです。しかし、当番組は視聴者の願望をそのまま反映しますから、存分に楽しんでくださいね。
>まあ、それはそれとして、城跡公園の特設ステージから離れた席では、貝積社長が眉を寄せた。
貝: 歌声でガラスが割れるのは何となく解るが、服が破けてしまうのは何故かね?
添: それこそが、ヨーデル格闘術の恐ろしいところです。ヨーデルの広まった高山地帯では、相手を投げ飛ばすよりも、相手の衣服を剥ぐ方が、よっぽど相手の戦意を挫きますから。
>言い切った後、添谷 は耳のそばの眼鏡のつるを持ってピクリと動かす。
添: そう、これはまさにイソップ童話の『北風と太陽』戦術。
貝: それは違うだろう。
>そうですね。『北風と太陽』は、時には強引に攻めるより懐柔した方がすんなり事が運ぶ、というお話ですが、ヨーデル格闘術とやらはむしろ強引な北風派ですからね。教訓を真っ向から否定しています。
>添谷 がやや顔を伏せた。光の加減で、インテリ眼鏡のレンズが光り、奥にある目が窺えなくなる。添谷 が、耳の前で眼鏡のつるを持つと、位置を調整する。
添: ……ん? どういう事でしょうか?
>いかにも「シラばっくれでござい」という添谷 の態度を、貝積社長が流した。
貝: しかし、他社の衣服ならいくら破けてもいいな。代わりに我が社の品を買ってもらえるかもしれない。……いや、いっそのこと、魚図に解析させて、我が社の製品以外を破く怪音波発生装置を作れば――
添: もし、できたとしても、我が社の品だけ無事ですと、真っ先に疑われますね。
貝: それもそうか。うむ、諦めよう。
>事件についてどこか他人事のように語る二人。もしかすると、これはセレブリティの上から目線の表現型の一つなのかも知れません。
>ステージでは、アナベルが右から左へと顔を向けながら、怪音波を放っていた。炎を吐く大怪獣が街並みを焼き払う感じの横薙ぎだ。これだと怪音波に晒される時間が短いので、瓶もカタカタ鳴るだけで割れず、観客の衣服も破れなかった。しかし、敏感な人には効くようで、立ち去ろうとしていたのにうずくまったり、耳を押さえて立ち尽くしたりする人の姿が見られた。そして、混乱を抑えるべく赤シャツ隊の第二波が、ステージの制圧に到達しようとしていた。今度は左右に分かれて二方面同時攻撃だ。
アナベル: レリレリレリレリ、レリレリレリレリ、……
>アナベルは左右に交互に歌声を放ち、赤シャツ二人の動きを止めると、これもほどなくズルリと無力化した。昭和アニメ的には、サービスカットと呼ばれるものになるのだろうか? 先ほど女性も下着姿にさせられましたが、別に若い――ゴホッゴホッ。いや、女性を年齢で差別してはいけませんね。芸能人では、三十四十を過ぎても若々しく美しい……いや、でもあの人、美しいというほどでも――い、いや、容姿で差別するのもダメですね。そういう時流になってます。……ん? 若くても美しくもないなら、見せられる方はむしろ罰ゲーム――いや、私の意見ではありませんよ。一部の視聴者の方の想いが届いただけでして。
>と言いますか、これ音声多重総天然色3D脳内構築活劇でしたね! ですから、細かい描写は視聴者の方それぞれの自由にしていいんです。赤シャツ隊が全員、「スタイルのよい若くて美しい女性たち」にしても良いですし、「細マッチョのイケメンばかり」でも全然構いません。ほら、殺人でさえ「頭の中での実行だけなら罪には問われない」と言われるくらいなので、端役の改変くらいどうって事ありません。規制化時代における新たな解決策、それが音声多重|(以下略)なのです! ……でも、「それじゃあいつもの『他メディア化した時』に困るだろ」ですか?
>……いや、わかってますよ! そんな日なんて来ないことくらい。弱い犬だからよく吠えているだけです。万が一達成できたとしても、その時は優秀なあちらのスタッフさんがなんとか決めてくれるはずです。
貝: ところで、あのクレーマー。仕込みだろ?
>こっちの矛盾問題などお構いなしに、まあ聞こえていないから当然ですが、貝積社長がポツリと言いました。話しかけている相手はもちろん秘書の添谷 です。
添: え? 何のことですか?
>添谷 は眼鏡のつるを触りながら、例のレンズの奥が見えない構えを取る。 ……はい、私にも今やはっきり分かります。添谷 は隠し事ができない人のようです。
添: まあ、それはそれとして、被害がこちらに来る前に退避しましょう。
>本人も分が悪いのがわかっているようで、話を逸らします。が、筋は通っていた。
>一部の人がひん剥かれ、ガラスが幾らか割れた状態なので、大きな被害を受けた人数はまだ少なかったが、好んで巻き込まれたいと思う人は少ない。実際テーブル席にいたほとんどの人が、火の粉が降りかかる前に退散しようと行動し始めていた。もちろん現代社会なので、スマホを向けて撮影を試みる人もあちこちにいた。
>うーん、改めて考えるとこれは問題ですねえ。現代を舞台にした推理小説で、警察の科学捜査が進みすぎた結果、警察とコンタクト取れない絶海の孤島のような場所ばかり舞台に選ばれるようになったのと同じく、スマホの存在は現在を舞台にしたお話の多くに影響を与えています。演出面で言えば悪影響になっている気がしますよね。
>ホラー映画ではスマホ撮りを演出として逆に取り入れた例は多いですが、あれ、画面酔いしやすいんですよね。別角度からのスマホ対策として、スマホ撮りしているキャラを早々に排除するというパターンもありますが、この例が増えてくると「おいおい、撮ってる場合か……ほら、やっぱり殺された」とちょっと興醒めしてしまう展開になりかねません。振り返って、前述の撮影手法として採用されている場合だって「こんな状況でずっと撮り続けいるわけないだろ、バカが!」と、これまた興醒めコースに入る危険がありますね。
>……あ、意外に、当番組でも今回はスマホ封じの効果が出ていたようです。アナベルの怪音波を受けたスマホに一時的な動作不良が起きていますね。運が悪い方たちは、電源オフになりそのまま点けられなかったり、画面にノイズが走ってまともに使えなかったり、という影響です。でも、一見動画あるいは静止画が撮れているような人も実は保存できていない、という恐ろしい仕様のようです。データ保存失敗は、多くのデジタル依存クリエイターにとっては悪夢な出来事です。
>最勝寺先生は、先週分がまさにそれに遭遇したらしく、書き上げた後、最初の一行だけ残して他が飛んだらしいです。それも、アップ予定の当日に発生! 幸い今回は偶然、途中で仮アップロードしていたので、そこから書き直してなんとかできた、と冷や汗かいていましたよ。
>先週、「時間が来た、と強制終了した割にはそんなに延長していなかったな。もっと長引く回もあるのに」と感じた視聴者の方がいたら、その感覚は正しかったのです。消す前の内容より二千から三千文字ほど減っていたらしいので。この時欠落した内容は……「追記の予定はない。そもそも覚えていない」だそうです。勢いで放送していますからね。仕切り直したところで、同じ勢いは出ないのです。
>結構脱線しちゃったなぁ。放送時間が圧迫されているので、進めましょう。現時点で最勝寺先生から「放送時間延長(約一万字超え)はほぼ確定」との通知です。お眠になった方はここで一旦しおりを挟んで後日続きを読むのをお勧めします。
**しおり**
>はい。目印を作っておきましたよ。
>というわけで、今回の騒動は、身を危険に晒してスマホを向けて止まっても、バズる動画は取れないのであった。細かい事だが、瓶が割れるまで至らなかった怪音波の横薙ぎ攻撃は、割れているスマホを使っていた人はそのヒビが広がるという損害を受けていた。しかし、そういう状態のスマホを使っている人はそもそもスマホの状態に無頓着なので、ヒビの広がりには気づかなかった。
>無頓着といえば、部下が騒動の火付けに関与していたと疑っていながらも、その道義的問題や責任について、貝積社長は気にしなかった。バレなければ問題ないと考えているようだ。このあたりもこの社長と秘書は相性が良いのだろう。タブレットを鞄に片付けて、去ろうとした貝積社長であったが、ふとその足を止める。すぐに先行しようとしていた添谷 も止まり、社長へ向き直る。
添: どうしました?
貝: パニックになっていないな。
>貝積社長がそう指摘した対象は、周りの人たちだ。確かに、服が一気に破ける不可思議な歌声、という怪奇現象を目の当たりにしながら、人々は冷静に退避あるいは距離をとって見守ろうとしていた。キャーキャー逃げ惑う市民ではなく、ちょっとざわついた集団でしかない。そのせいで、大エスカレーター『アオダイショウ』からやって来る人たちは、むしろ「何の騒ぎだろう」と興味を覚えて、逆にテーブルエリアは人口密度が高まりつつあった。
>このちょっとした異常は、枚鴨市ならではの変化だった。パンツイッチョマンやら穴穿きやらがアレやコレやしたせいで、市民は多少の怪異や騒動に免疫ができていたのだ。セキュリティーにうるさかった穴穿きの活動が、市民の安全意識を低下させていたのは皮肉な結果だ。
>しかし、貝積社長たちはそのような事情は知らない。視聴者の皆様にとっては大英雄かも知れないパンツイッチョマンも、ゴツゴウ・ユニバースの日本ではマイナーな存在だったからだ。ただし、枚鴨市では、パンツイッチョマンの認知度は四割を超えていた! ……え? 四割じゃ微妙? でも、そんなものですよ。有能な若手スポーツ選手をプロの解説者が知らない場合もあるんですから。
>貝積社長の違和感は、添谷 には伝わらなかった。パニックに対する見解には「そうですね」と答えたが、「だからどうした」と言いたげに肩を竦めると、アオダイショウへと進もうと貝積社長に首を傾けて促す。だが、貝積社長はそちらにも目をくれず、テーブルエリアの一角に新たな異常を発見した。
>そこには人垣ができていた。貝積社長たちへ背を向けたその人たちは、向かうにいる何かにヤンヤヤンヤと興奮しているようだ。――ん? 今時「ヤンヤヤンヤ」なんて言わない? でも、「キャッキャッ」と表現するほど、人垣を構成する市民の年齢層は若くないのです。やっぱり、ビール祭りだから、自然と大人、しかもビールの旨さがわかっている若者たちを除く、年配者たちが集まりやすいのです。そう、「ヤンヤヤンヤ」はそういう年齢層を反映した表現でもあったのだ! ……あ、後から付け足したから、最初から意図したふりをしても嘘だとバレる?
>嘘か真かはこの際、どうでも良い。重要なのは、人垣の向こうに、天に向けて人差し指が突き出された事だ。そして、恐れ慄くことに、ここに来てようやく先週のラストに繋がったのだ!
>……やっぱり、また一旦締めておきますか。最勝寺先生は、「あとチョイチョイと戦闘シーンがあって終了」と言ってますが、あの人の「チョイチョイ」が全く信用できない事が今回ハッキリしましたからね。前回飛ばした箇所を埋めるだけで一回放送分消費するくらいだから、この後もきっと膨れ上がりますよ。もし、本当に短めに(当番組比。他の作者様との比較ではきっと長い一章でしょう)終わったとしたら、それは視聴者の方にとっての息抜き回になりますね。では、今週も、あの人の声を聞いて終わりましょう。
天を指差す男: 私は文明の打楽器――
>では、また来週~。