Chapter3 Episode23 蘇生。
ミスィアの握られた拳から黒い血が流れ出るのをレナは見た。
「レナ、あなたに直接的な恨みがあるわけじゃあない。あなたの境遇を知った上でなら見逃すことだって、別に悪い思いはしないと思うの。けれど、それでも私の怒りが収まることはない。全てを失った私のことを止める権利は、あなたにはないのだから!」
勢いよく身を翻したミスィア。
ミスィアの纏っていたマントが勢い良く宙を舞い、その下に現れたのは紅のドレス。月光だけに照らされた城の影の上に、自ら輝くように煌々と存在感を放つそのフレアドレスは風も吹いていないのに勢いよくはためいた。
レナは、咄嗟に後方に跳ぶ。
直後爆発するような音と同時にレナが立っていた地面が抉れ、弾け飛んだ。
「ふぅん、もしかして見えているの? まあ、そうだとしても何も変わらないけどね!」
レナは再び、そして三度跳ぶ。
続いて二回三回、三回四回と無数に廃墟の瓦礫が宙を舞う。
「あははっ! 逃げまどうがいいわ! 魔法を使う隙も上げない! どこまで逃げたって追いかけてあげるんだから!」
ミスィアは狂気に満ちた笑いを上げた。
その身一つ動かさず、しかし腹を抱えて笑い声をあげる。目を見開き、乾くのも気にせず逃げまどうレナを見続ける。
「なに!? まさか何も出来ないなんて言わないわよね!? 私が何百年もかけて作り上げた魔物の軍勢を一瞬で消し去すほどの実力を持っているんだもの。当然、私のことを楽しませてくれるのよね!?」
それは快楽を求める狂人の様相、しかし無邪気に遊ぶだけの子どものような素直ささえ持ち合わせていた。そこに重なり合う人格を、レナも肌で感じ取っていた。
そして何十回目になる跳躍で、レナはその場で立ち止まる。
「鬼ごっこは、もう終わり!?」
ミスィアの目が一層見開かれた。
風を切るような音が鳴り響き、何もないはずなのに地面に亀裂が入る。その亀裂が鳥も見失うような速度でレナへと迫り、寸前、レナの髪を揺らした。
「なに? 壁? レナ、まさかあなた、本当に見えているんじゃないでしょうね?」
ミスィアの顔つきが変わる。目を鋭くし、警戒するような姿勢をとる。
赤く輝く鋭利な眼光に照らされるレナは、すました顔で体に着いた砂埃を掃う。
「あまり、調子に乗らないでよね?」
きっぱりと告げられた言葉を遮るように轟音が鳴り響き、今度はレナの髪が横から捲られる。膨れ上がったスカートの裾と前髪を抑え、風が収まった後でレナは杖を持ち直す。
真剣な眼差しを浮かべ、背筋を正してゆっくりとミスィアに向かって歩き出す。
「ふざけんな! あんたなんかが私に勝てるわけないのよ!」
口調は荒くなり、最初の狂気が薄れるミスィアが手振り身振りする度、レナの周りにだけ突風が吹き荒れる。しかしレナは微風程度にしか思っていないかのように、その歩みを止めることもせずにゆっくりとミスィアに向かい続ける。
「く、来るな! 私はッ、私は魔王よ! アンデットの女王よ! 九百年生き続け、この世の頂点に君臨する超常の存在なのよ! あんたみたいなちょっと魔法を覚えただけの小娘になんて!」
レナを襲う突風は数を増し、勢いを増し、より多角的に連続する。その度レナも足元をふら付かせ、体を揺らす。時々躓きそうになり、杖をつき、膝を付きながらレナは進む。そこにゴールがあるかのように。
「なんでよ! なんで当たらないのよ!? 私は、魔王第四位で、アンデットで女王なのよ!」
目を瞑り、願い掛けるように叫んだミスィアの言葉は、しかし神には届かない。最後に一度、レナを上空から突風が襲ったのを最後に、ミスィアは強気だった姿勢を一変させて一歩慄く。
レナは、杖を伸ばせは届く距離にいた。
「な、なんで……」
震える声でミスィアは問う。
その瞳は震え、信じられないと言いたげに首を静かに横に振る。認めたくないと瞼を強く結んでも、開けば再び、そこに凛とした表情を浮かべる少女が立っている。その髪を、桃色に輝かせながら。
桃色で瑞々しい唇を小さく開く動作をして、その後微笑んだ。
『レナと言います。改めて、ミスィアさん。今晩は良い夜ですね』
その言葉はレナの口を開くのに合わせて紡がれた。
ミスィアは信じられないものを見るようにレナを見下ろす。
「レナ、だってあなたは言葉を……」
『話せない、その通りです。私はネイトで、代償は言葉。それに間違いはありません』
「なら、どうして……」
『簡単なことです』
杖をぎゅっと握りしめながら、レナはミスィアを見つめた。
『私が名前を付けたんです。私たちは、"お友達"って』
「友、達?」
『はい。だって私たち、さっきまで一緒に遊んでいたじゃないですか』
レナは微笑む。それこそ友人にするように。
魔王序列四位、ミスィア・ニオネシス。この地の最後の住民である彼女は九百年以上もの時を生きるアンデットだ。
かつて自国もろとも敵国を葬った《殺戮之魔法》を免れた彼女だったが、それでもたった一人生き永らえるほどの力を持ち合わせてはいなかった。実に齢十七歳、うら若き一人の少女が生き続けるには《殺戮之魔法》の影響を受けたニオネシスの土地は過酷すぎた。
やがて息絶え絶えになりながら、最後の国民として国の上に身を置いた彼女の足元には奇跡的にと言えばいいのか、それとも不幸と言えばいいのか。
彼女の親友だった物が、見るも無残な姿で、それでも体の輪郭と顔だけを残して横たわっていた。少女は最後に、失いかけていた最後の一滴までを涙にして流した。ひたすら泣いた、死ぬまで泣いた。自身の苦しいことも忘れて、友の最期を想って泣いた。
私の非力さが、自分可愛さが彼女をこんな無体に晒し、彼女の逃がしてくれた自分自身さえ長くは生きられないその事実が許せなかった。
そんな思いが、彼女の血でさえ涙に変えた。
少女は泣き疲れた。一滴の血も流れなくなった。息遣いも途絶え、充血した瞳を開いたままに横たわった。そして彼女の一生は幕を閉じた。
はずだった。
そこで彼女の意思が途絶えなかったのは、奇跡と言って差し支えない偶然の重なり合いがったからだと言えよう。
まず最初の偶然は、その地をルミナスが訪れたことと言えるだろう。
ルミナスは異界から訪れし死神。偶然通りかかった土地で死の匂いを嗅ぎとった彼女がその場を訪れるのは、必然のようにも思えるかもしれない。しかし元来、彼女は死んだ人間には興味を示さないのだ。なぜならルミナスは死した者は皆同様に邪神の下へと向かうと信じているから。
死んでしまえば関わらなくともその魂が自らの意思で邪神へと赴くのだと。
しかし、彼女は違った。その悔いが、恨みが、憎しみが彼女を現世に留まらせた。まだ死ねないという執着が生き続け、彼女を死なせなかったのだ。
ルミナスはそれを面白く思った。稀有な例だったからだ。ここまで頑固で根が深く、殺しても殺しても蘇ってくるような執着が。
ここで二つ目の偶然が起こる。
彼女には適性があったのだ。髪に選ばれるだけの才能、資質、寵愛を受けるに足るだけの理由が。ネイチャー《万能の調停者》。彼女自身の声を代償にして得たその恩寵を、ルミナスは利用した。
そして彼女に再びこの地で生きる権利を与えた。
生きることで生まれるありとあらゆる責から解放され、今まで抱えていたすべての負担をリセットして新たな生を与えた。
アンデット。この世で最も自由で身軽な存在に、彼女は成ったのだ。




