Chapter3 Episode8 精霊。
「レナ様、ご無事ですか?」
辺りに訪れていた静寂を破ったのはクリムだった。全身に生やしていたドラゴンの面影を消し去り、普通の少女の姿でレナへと歩み寄る。
シューもそれを見て再起動し、クリムに倣って人型になってからレナの手を取り、顔を見上げる。レナは放心状態で、ぼーっとした表情をただただ真っ直ぐ正面へ向けていた。
「レナ様、どうしたの?」
続いてクリムが問うと、レナは静かにシューの方を見た。そして光の宿っていない瞳で数秒見つめた。
またしばらく訪れた静寂は、レナの瞳の段々と戻って行ったハイライトがシューを捉えたことで破られた。
「あ、レナ様! 大丈夫?」
再度シューが問いかけると、レナは戸惑ったような表情を浮かべた後でぎこちなく頷いた。それを見たシューが嬉しそうに笑い、クリムも回り込んでレナを見上げた。
「良かった、元気そう」
「良かった、怪我はないね」
レナの手を取ってぴょんぴょんと跳ね始めた二人を横目に、ミナもレナへと近づいた。
「レナ」
名前を呼ばれたレナがミナの方を向くと、ミナは申し訳なさそうな表情を浮かべてレナを見上げていた。
「ごめ……せれ、しー、だめ」
レナは小さく首を横に振って微笑んだ。ミナも、それを見て微笑み返した。
「じゃ、いこ。この、さき。きて」
「しゅっぱーつ!」
「しんこー!」
ミナの導きに従って、レナたちはさらに森の奥へと進んで行った。
精霊の森は泣く。悪魔のもたらした厄災の響きは確かに木々の葉を揺らし、そして芽吹く種を枯らした。擦れあった葉のさざめきは、誰よりも悠然に光の音色を奏でる。その曲は、泣いていた。
レナたちを包み込んだ光の束は、艶やかな滴を垂らした。
「わぁ、こっちも綺麗だね!」
「でも、なんだか悲しんでるみたい」
「ほんとだ。寂しいのかな」
そこは聖域だった。光に包まれた道。木々に挟まれ、まるで何者かに創造されたかのような人工的な通り道。しかしそれはあまりに神秘的だった。例えるのならば、神の造った道だった。
「神樹」
いつもはふんわりとした声音のミナが、そうはっきりと口にした。
それを聞いたレナは空を、いいや、空さえ覆うその木を見上げる。
見上げた視界のすべてを覆いつくす極光の瞬きはあまりに色とりどりで思わず瞼を下ろした。燦々と輝く光は太陽の物ではないらしい。木々の葉が、それに宿る精霊の魂が放つ力。
赤、青、緑、黄色。色彩に込められた属性は火、水、風、土。紫、白、黒、橙色。死、聖、闇、天。その中で一層輝く唯一の金。宿った想いは勇気。そして、嘘。
「あれ」
ミナが天高くを指差した。ミナに示された黄金の輝きはどこか孤独に映った。
光は段々と大きくなり、強くなり、そして落ちて来る。ゆっくりと降って来る黄金の輝きに、レナは静かに魅了されていた。
「なにあれ?」
「レイ様の髪の色みたい」
「金色って言うんだよね」
「綺麗だねぇ!」
見上げたシューとクリムが跳ねる声でそう言った。ミナはその光の落ちる場所を見つけて、そこに歩いて近寄った。両手を腰の前で合わせてその光を受け止めた。
ミナの小さな手のひらで広がった光はやがて形を持ち始める。その形が姿に現れだした頃、ミナは小さく微笑んで三人を振り返る。そして、両手で抱えたそれをレナに見せた。
『レナ、今までありがとう。おかげで楽しい思い出が出来たわ』
流暢な言葉で広がったミナの声に、レナは驚きに目を見開いた。それはいつか、ミナがレナのペンダントを通して交わした声だったから。
「精霊様、お喋り上手だね!」
「精霊様、すっごい綺麗だね!」
『お二人も、ありがとう。魔物であるあなたたちにとって、私は敵対する存在だと言うのに守って頂くれたわ』
「レナ様に言われたし、精霊様は敵じゃないよ!」
「レナ様に言われなくたって、精霊様が好きだよ!」
『ふふっ、嬉しいわね』
微笑んだミナの体が、段々と輝きだしていた。それはミナの手元の形ある光が光を失っていくのと対比しているように見えた。
『私はもうすぐ、天命に従って世界を巡ることになるわ。そうしたらあなたたちを忘れてしまう。これはとっても悲しいことだけど、仕方のないことでもあるわ。だから最後にあなたたち、レナに預けたいものがあるの』
小首を傾げたレナを、ミナは手招きした。その手には剣が握られていた。
『これは勇者の剣。神器フォールンライ、そう呼ばれているの。これをあなたに受け取って欲しい』
鞘に収まった剣は純白。金色の装飾を施されたその剣からは強い魔力が放たれていた。
『使ってとは言わないわ。使わなくたって構わない。あなたの信頼する人に預けてもらってもいいわ。どうか、これを受け取って。これが私の最後の願い。聞いて貰えるかしら?』
レナは小さく頷いた。
『ありがとう。本当なら二人にもお土産を渡したかったんだけど、生憎手持ちがないの。許してくれるかしら?』
「うん! いいよ! 楽しかったから!」
「もう十分もらったよ! 楽しかった!」
『二人は優しいのね』
レナはミナの前に立つ。ミナもゆっくりとレナの方を向き、両手に乗せた剣を前へと差し出す。レナは静かに、慎重にその剣を両手で受け取った。見下ろし、視線を右往左往させる。数秒眺めた後で顔を上げた。
レナはミナに、強く頷いた。ミナはそれに微笑み返した。
『さようなら、そう言って欲しくないとかつて私に言った人がいた。だから言わないわ。だけど、彼女はこう言ったの。また会おう。だから私もそれに倣うわ。皆、またね』
「うん! またね!」
「じゃあ、今度ね!」
シューとクリムが大きく手を振り、レナも剣を抱えながら小さく手を振って見送った。ミナがそれを見て嬉しそうに笑った後で、包む光は大きくなっていく。その輝きは金色に大きくなっていく。そしてやがて視界全てを覆いつくすほどの眩い光となった。
その場の誰もが思わず目を瞑ったその瞬間、ミナはその場から姿を消した。
レナが目を開いた時、ちょうど金色の光が神樹へ向かって昇って行った。
それを見届けた後、満足そうに笑ったレナは振り返って歩き出す。
「あ、レナ様待って!」
「もう帰るの? 分かった!」
そして不思議なことが起こった。
たった数歩歩きだした三人の目の前が眩い光に包まれて、気付いた時には森の外に出ていた。
「あれ? もうお外?」
「まだ森の中にいたよね?」
「精霊様の力かな?」
「うん、そうかも!」
レナは二人を振り返り、そして手元の剣を見下ろす。強く握って腰に差し、二人の方へと近寄った。その両手をそれぞれ二人の頭へと伸ばし、優しく撫でた。
二人は気持ちよさそうに目を細めてレナの手を受け入れる。そしてレナがその手を止めると、嬉しそうに見上げて口を開く。
「お礼なんていらないよ!」
「私たちもすっごく楽しかったもん!」
「それに、魔王を倒したのはレナ様だし!」
「レナ様すっごく格好良かったよ!」
そうですか、と頷いて答えたレナは、帰りましょう、とレイの家があるはずの方を向く。
しかしそこに不自然に浮かぶものがあるのを見つける。
荒れた大地の開けた空間の真ん中。コウモリのような羽を広げて宙に佇む人影が見えたのだ。よくよく目を凝らしてみてみれば、小さな角も生やしているようだ。褐色の肌を持ち、やけに露出の覆い扇情的な服装。けれどその体躯は幼く、シューやクリムと同程度の背丈しかないようだ。
レナと同じくそれを見つけたシューとクリムが叫び声を上げて臨戦態勢を取った。
「あ! また悪魔だ!」
「む~、しつこい! これだから悪魔は!」
「クリム、行くよ!」
「レナ様、待っててね!」
レナの制止が間に合うことはなく、二人は悪魔と呼んだものへと駆け寄って行く。ドラゴンの部位を所々にさらけ出し、既にドラゴンメイド娘と化した二人の後を追うようにレナも駆けて行く。
そして、それは顔を上げた。小さな体躯相応の幼げな顔で、少女は笑った。その口元には鋭く尖った歯が怪しい光を放っていた。




