Chapter3 Episode1 目指。
オスティロ帝国、貿易都市ペグア。そこからずっと北に向かって行った空の上。そこには、杖にまたがり空を飛ぶ一人の少女と一体の精霊が居た。
レナがペグアを離れて既に三日。食料も水も現地調達、寝床なんてあるわけもない。そんな旅路に慣れて来た頃、落ち着きだした空模様を眺めながらレナはミナに質問を投げかけた。
『そう言えば、ミナさんは上位精霊なんですよね? 何を司っているんですか?』
「ミナ、うそ」
『嘘、ですか?』
「ん、嘘」
『嘘を司る上位精霊……』
何気ない問いに帰って来た、素っ気ない問い。レナは少しだけ考え込む様に俯いた。
『嘘、ですか。私は好きじゃありません。ただでさえ人の心情を読むのは難しいんです。言葉を得る前は言わずもがな、言葉を使えるようになってもまだ人との会話は難しいです。それなのに嘘なんてつかれたら、私には相手が何を考えているのか分かりません』
そう言ってミナを振り向いたレナの表情は、ほんの少しだけ、不安そうに見えた。
『ミナさんは、私に嘘ついていませんよね?』
「うそ、ない。けど、ほんと、か、わか、ない。から、どっち、ない」
『……精霊の言葉に嘘がないことは知っています。精霊には、それが必要ないからです。そうする文化がないからです。だから私は信じてます』
視線を前に戻し、雲を眺めながらそう言った。そして続けざま、誰にも聞こえないはずの心の声で呟いた。
(そんなことでしか、信じられない)
苦しくなった胸を抑える代わりに、レナは首から下げたネックレスを強く握った。
それから数時間後。引き続き空を飛んでいたレナたちだったが、小高い丘を見つけてそこに着陸する。ミナが小さく飛び降り、レナも杖から降りて足を付ける。そのまま杖を握り直して縦に向け、一息つく。
『やはり、長時間の飛行は疲れますね。精々三時間が限界、と言うところでしょうか。その度に一時間ほどの休憩。歩くより大分早いとはいえ、精霊の森まではまだまだかかりそうですね』
「ゆくり、行こ」
『はい、そうですね。焦っても仕方ありません。まだもう少し猶予は残されている、そうなんですよね?』
「ん、そう」
表情一つ変えないままに答えるミナに、レナは小さく微笑んだ。そして丘から眼前に広がる景色を眺める。人間界と精霊の森との境界に存在する、壁。絶界の土地とも呼ばれる荒れ地、デッドランド。
人々に恐れられる、魔物の住む土地だ。
『ミナさん、休憩したらまずは歩いて向かいましょう。空で魔物に襲われては対応が難しいですから』
「ん」
ミナの返事一つ聞いてから、レナは魔法で水を作り出し、野草を使ったお茶で一休みした。
見渡す限りの荒れた土地。地面は乾燥し、所々ひび割れている。露出した岩々も風化してボロボロだ。目に見える植物と言えば枯草や多肉植物程度。それも数が少なく、また、視線を奥の方に向ければ向けるほど個体が減っているように見える。
緑の景色はなく、黄色や茶色、その中間色で埋め尽くされた景色を見てレナは改めて感嘆を漏らす。
『壮大な光景ですね。今までに見たことがありません。岩石砂漠、と言うのでしょうか。年に数日ばかりの降水を除いて雨がなく、水分が大変貴重だと聞いています。私のように魔法を扱えない人では厳しい環境かもしれませんね』
乾ききった空気を吸いながら、レナはいざ、と荒れ地に一歩を踏み出した。
『魔獣との戦闘に備え、常に周囲を警戒しておいてください。私の手に負えない魔物も当然出て来るでしょう。その時は全力で逃げるので、私から離れないようにしてください』
「ん」
『では、参りましょう』
二人手を繋いで挑む絶界の土地。
決して楽な道ではなく、日差しは強く鋭い。見渡すばかりの変わらぬ景色が、その集中力を霧散させる。歩き始めて数時間。日も暮れる頃になって、二人は小さな洞穴を見つけて身を隠した。
『では、今日の探索はこれくらいにしましょうか。数日程このような毎日が続くかと思いますが、ご容赦ください』
「ん。レナ、よく、やす」
『はい。もし何かありましたら、遠慮せず声を上げてくださいね』
ミナとの会話にもだいぶ慣れてきたのだろう。レナはそれだけ伝えて壁に背を預け、そしてゆっくりと瞼を降ろしていく。
ミナは地面に座り込み、眠りに就いたレナを眺める。レナの肩が寒そうに小さく揺れるのを見て、ミナは服越しにレナに触れる。小さく丸まり、ぴたっ、とくっつく。形ばかりは瞼を降ろし、二人並んで静かに眠りに就くように息を沈めた。
火が完全に落ち、辺りが暗闇に包まれた頃。瞳を小さく輝かせる魔物たちが徘徊し始めた。怪しく輝くその眼がレナたちのいる洞穴にも向けられたことをミナはいち早く気付いた。
僅かに映るシルエットは、大型の犬のような物だろうか。赤く輝く瞳を、静かにレナに、と言うよりはミナへと向けている。瞳の数は六つ、つまりは三匹。他に気配はないかと周囲へ意識を向けるが発見は出来ない。
どうやらあれがすべてらしい。そう判断したミナはそのまま息を潜め、相手が動き出すのを待つ。その小さな手を、ゆっくりとレナの首にかかるネックレスに向けながら。
四足をゆっくりと、音の鳴らぬように細心の注意を払いながら魔物たちはミナとの距離を詰める。なに、獲物は寝ているのだ。粗相さえ起こさなければ確実にその喉元を引き裂くことが出来るだろう。
そう考えるのもつかの間。ミナの腕がレナのネックレスに付いた宝石に触れた瞬間輝きだした光に目をくらまされ、思わず後退る。
「――――」
空気すら揺らさぬ声だった。
桃色の光に紛れるように放たれた数本の光の刃が四足を断ち、頭部を穿った。三匹が三匹とも無残にその場に崩れ落ち、僅かな瞬きの内に当たりは凄然を取り戻した。
そして、ミナはまた眠るのだ。レナの目覚める、朝を待って。
それから時間が経ち、ちょうど日が出始め、辺りが明るくなる頃にレナは目覚めた。それは周囲から漂う異臭が原因でもあった。
『血生臭い……一体何が』
慌てて周囲を見渡せば、洞穴の入り口で全身を切り裂かれて倒れ伏す三匹の魔物の死体が映った。他に危険はないかと続けざまに首を振るが、どこにも敵の気配はない。どうやらことは済んだ後の様だ。
「レナ、はよ」
そのことに安心した直後、すぐ隣からそんな声が聞こえてきてレナは振り向く。
『ああ、ミナさん、おはようございます。もしかしてミナさんがあの魔物たちを倒したのですか?』
「ん、そ。レナ、つか、てた、から」
『そうでしたか。ありがとうございます。おかげさまで、ゆっくりと眠ることが出来ました』
「ん、よかた」
微笑んだミナの頭を撫でるように手を伸ばしたレナの小さくて白い手。透き通ったミナの髪をすり抜ける寸前で宙に浮かせ、左右に揺らすとミナは心地よさそうに目を細める。
「ん、いい」
『お気に召したようで何よりです。やはり、魔力で体の構成されたミナさんでも私の手を魔力で覆えば問題なく触れられるのですね』
片手をネックレスに触れながら言うレナに、ミナも小さく頷いた。
『さて。それでは今日も精霊の森を目指して出発しましょうか』
立ち上がり、服についた砂埃を払いながらそう言ったレナに、ミナも頷いて隣に並んだ。
目指す先は遠く離れた精霊の森。世界中のすべての精霊が生まれ、死ぬ場所。そこにそびえる大樹を想像しながら、レナは砂漠を歩き始めた。




