Chapter1 Episode2 別れ。
「ねえレナさん、お見送り、してくれる?」
ミリアがレナに、村を出て行くことを告げてから一か月。二人は互いに思い出を作るため、出来るだけの時間を共に過ごした。
時には一緒に読書をしたり。時にはミリアがレナの家に赴いて一晩中話をしたり。時には近くの川で二人で水浴びをしたり、近くの山を二人で登ったり。朝日を一緒に拝んだ日も、夕日を二人で眺めた日も、何回あっただろうか。
毎日を全力で楽しんで、少しでも思い出を増やそうとしたけれど。楽しい毎日はあっという間に過ぎていき、たくさんの思い出が出来たはずなのに、その一か月はやけに短く感じられた。
そうして、ミリアが村を発つ前日のこと。ミリアはレナの家の前でそう言った。
今日はミリアがレイナに挨拶をしに来た。今日までお世話になりました、レナさんとは、楽しい毎日を過ごさせてもらいました。これからの私の成長も、どうか見守っていてください。
そう言ったミリアは夕暮れ時、家の外にレナを連れ出した。
「私は明日、帝都に行く。そして、国立第一魔術学園、って言う魔法学校に通うの。帝都には一人で行くことになるし、住むのは知り合いのいない寮。不安なことはいっぱいあるし、今更行きたくないと思っちゃうけど……私、もっと魔法を使えるようになりたい、って、そう思ってるから。お別れは辛いけど、四年経ったら、帰って来るから。だから、さ。お見送りしてくれない? そして、私が帰って来た時には、お出迎えしてくれない? そしたら私、頑張れると思うの」
不安そうな表情を浮かべたミリアは、視線を少し俯けながらそう言い切った。夕日に照らされたミリアの横顔の半分は、薄く影に覆われていた。
レナはミリアの話を、ゆっくり嚙み砕いて理解していく。目を閉じて、思案するように黙り込むレナに、ミリアは期待を込めた視線を向けていた。レナは、静かに目を開いた。そして、小さく口を動かした。
も、ち、ろ、ん。だ、つ、て、お、と、も、だ、ち、だ、も、ん。
小さく、淡い桃色の唇は、ゆっくりと、しかし確実に形を変えて。そんな言葉を描いた。もちろん、レナが喋ったわけではない。ただ口を動かしただけ。それでも、ミリアは目元に涙をためて、嬉しそうに笑った。
「うん! また明日、じゃあね!」
夕日を反射した目元の滴は、ゆっくりと地面に垂れていく。一滴地面に落ちる間にミリアはレナに背を向けて、その場を走り去った。後ろ手に手を振りながら、ミリアは家に向かって走った。明るく輝く水色の後ろ髪は、レナの瞳に強く焼き付いた。
翌朝、レナがミリアの家に向かうと、ミリアはすでに出掛けていた。早朝ミリアの家に向かったレナは、初めて会ったミリアの両親に迷惑をかけたと謝られてしまった。しかしレナは悲しむでもなく、終始笑顔だった。
そして持ってきたいた紙にペンで文字を綴るのだ。
ミリア・フォン・アーニヤ、貴族の子ども、優しい友達。私は彼女を、応援しています――
それから、一か月ほどの時が過ぎ去った。
レナにとっての学校は楽しかったものから、少しつまらないものへと変わっていった。ミリアのいない学校生活は、どこか退屈で、窮屈だった。毎日話しかけてくれる友達も、一緒に登下校をする友達も、今のレナにはいない。明るくレナを楽しませてくれたミリアは、ちょっとだけ遠くに行ってしまったのだ。
それでもレナは一人、誰に注目されなくとも必死に魔法の勉強を続けた。学校での授業だけではなく、家では魔導書を読み漁り、復習も欠かさず行った。声が出ないため詠唱が出来ず、実際に魔法を使うことは出来ないがいつか声を出せるようになった時のために、レナは努力を欠かさなかった。
リディアが喋れるようになる魔道具を作ると約束してくれた。レナはそれだけを頼りに、日々を過ごしていた。
そんなレナを見ていたレイナとリディアは、何か手伝いが出来ないかと考え、レナにある提案をした。
「なあレナ、ちょっといいか?」
とある日の昼下がり。魔法学校が休みのレナは一人魔導書を読んでいたが、そこにリディアが現れて声をかけた。レナは読んでいた本を閉じて横に置き、リディアに向き直って小首を傾げた。
「魔法とは関係ないんだが……体術を習わないか? もし魔法使いとして冒険者になったりするんなら、使えて損はないぞ?」
レナはリディアのそんな提案に、瞬時に肯定を返した。リディアはその勢いに思わず仰け反りそうになり、何とか持ち直してレナに問う。
「本当にいいのか? 教えるのは俺だが、厳しいぞ? いやになったら、やめて良いからな?」
確認するように言ったリディアだが、レナはやる気に満ちた表情で拳を握った。その様子を見たリディアは諦めたように笑みを浮かべた後で、笑顔をレナに向けた。
「よし! それじゃあさっそく、今日から特訓だ!」
レナは大きく頷いた。
リディアは元騎士だ。それもなんと、国家騎士団の一個小隊の副隊長を務めていたほどの実力者。それだけではなく、実は本名リディア・ネラ・ルーベルと言う騎士爵家の長男だったりもする。
小さい頃から騎士の名を博していた父親から剣術や体術を習い、育てられ、その才能を発揮して一個小隊の副隊長という座まで上り詰めた。しかしとある任務で重傷を負い、傷口こそ塞がっているがこれ以上戦場に立つのは無理だと診断され、騎士を引退した。
そうして今住んでいるスラナ村に越してきて、レイナと結婚した、と言うわけだ。家名は騎士を引退した際に父親に勘当されたのでレイナの家名であるクライヤを名乗っている。
そんなリディアの特訓は、まだ六歳と若いレナには過酷なものだった。
基礎体力作りはもちろんのこと、体の柔軟性向上のための体操や柔軟運動。より軽やかな動きを心がけるためにつま先歩きで走るなどなど。リディアの父親が作った所謂ルーベル流の特訓に取り組んだ。
魔術と体術。いっぺんに二つのことを両親に教えられつつ、レナは九歳になった。二足の草鞋をうまく履きこなしたレナは、少しばかり伸びた背丈と髪でリディアの前に立っていた。
「それじゃあレナ、行くぞ?」
レナは、これまた少し大人びた顔を、小さく縦に揺らした。
次の瞬間、リディアが腰に差していた剣を取り出し、レナに対して垂直に振り下ろす。リディアの一歩の踏み込みはレナにしてみれば大股、一瞬で距離を詰められる。
反応すらできずに切られるかと思われた瞬間、レナは綺麗に半身になって剣を躱した。レナはすました顔でリディアを見ると、リディアに向かって握っていた鞘のついたままのダガーを振るう。
しかしその攻撃は宙を切った剣をリディアが手前に引き寄せたことで防がれた。リディアはそこからさらに剣を横に振るう。レナは間合いを見切ってバックステップを踏み、剣が目の前を通り過ぎた直後に前に出る。
レナの目には、リディアの顔が引きつったように見えた。そして――
「ぐえぇ!?」
レナの持つダガーが鞘越しにリディアのおでこにぶつかった。リディアは悲痛の声を上げ、剣を手放した。そしてレナに叩かれたおでこを押さえながら言う。
「痛てて……レナ、強くなったな。俺はもう追い出されているが、ルーベル流一段の称号を与えてもいい」
おでこを押さえながらもどこか嬉しそうに笑いながらリディアは言った。レナは、その言葉を聞いてぱっ、と笑顔を浮かべた。明るくなった表情は、まだまだ子どもっぽい笑みだった。
二人の戦いを近くで見ていたレイナも、誇らしげな笑みを浮かべてレナに近づいて言う。
「レナ、おめでとう。魔法の知識も完璧だし、後はリディアが魔道具を作ってくれるのを待つだけね」
「うっ……」
レイナに視線を向けられたリディアは気不味そうに視線を逸らす。
「そろそろ、約束してから九年が経つわ。あなた、まさか勢い任せで言ってないわよね?」
「も、もちろんだ! そろそろ完成で、今は最終調整中だ! そ、それに魔道具の最終的な加工はリルリに任せてある。あ、あと一週間もすればアクセサリーのように身に着けやすい魔道具を作ってくれるはずだ」
「へぇ、リルリさん。……あなた、自分でやろうとは思わなかったの?」
「しょ、しょうがないだろ? 女物の装飾品の知識なんてないんだから……」
ジト目のレイナと目を逸らすリディア。そして、小さく小首を傾げるレナ。そんなレナを見たレイナは、何かに気付いたように人差し指を立ててレナに説明する。
「リルリさん、って言うのはリディアの魔道具制作の仲間で、ハーフエルフの綺麗な人よ。スラナ村の端の方に住んでいるわ。今度、会いに行きましょう」
レナは興味津々の瞳を輝かせながら頷いた。