act.1 【模造の怪腕と被虐の聖女】29
リコとセルゲイと別れ、ウテナと美羽は自宅へ戻っていた。
「なんていうか、濃い一日でしたね」
「本当に、ね」
家に着いた瞬間にウテナは絨毯に、美羽はソファに倒れ込んだ。無理もない。突然の襲撃、避難、そして人型の怪腕との戦闘。無事に自宅に帰れた事が不思議に思うくらいの激しい一日だった。
暫く二人ともボーッと項垂れていた。外からは、普段は気にならないような鳥の声がやけに大きく聞こえる。日本での出来事が夢だったように感じるほどの平和な日常があった。
やや陽の傾いてきた空を見ながら、きっと、どこもそうなんだろうな、とウテナは思う。何処かで何か大きな出来事があっても、少し離れた場所では変わらない日々が続いていく。大きな出来事があった場所も、やがては日常に戻っていく。
「平和、ですね」
不意に美羽が声をかける。きっとウテナと同じことを考えていたのだろう。ウテナは何も言わずに、ゆっくりと目を閉じる事で答えた。
「……ウテナ、ひとつ、聞いてもいいですか?」
「ん?」
「ウテナの、過去の事です」
神妙な面持ちに切り替えた美羽が問いかける。ウテナを傷つけないように、どこまで踏み入ってもいいものか、慎重に線引きをしようとしているのだろう。
パートナーとなる美羽には、知っておいて貰わなければならない事。そして、いつかは清算しなければいけない事。望むところだ。
「いいよ」
「昨日の夜の、悪い夢のことなんですけど」
前言撤回。
そうだ。そう言えば。
出会った翌日に、夢で泣いているところを見られている。
瞬間的に顔が熱くなる。背中に嫌な汗をかく。とんだ羞恥プレイだ。
「ちょっと、その話は……」
「ウテナが繰り返し見ている夢、もし、言うのがつらくなければ、どんな風景なのか、教えてもらえたらなって。ほら、夢って深層心理の表れって言うじゃないですか」
もしかしたら、内容によっては解決できる悩みが原因の悪夢かもしれない、と考えているようだ。
あまり気持ちのいい光景ではないので、思い出すのも気は進まないが、まあ、少しだけなら。
「えっと……」
あまり鮮明な輪郭は描出できないが、覚えている範囲で内容を言うことにした。何回も見ているはずなのに、まるで記憶に蓋がされているような、そんな不自然な抜け落ち。確かに夢を見た時は覚えているのに、起きた途端に不鮮明になってしまう。
それでも、何とかちぐはぐに記憶を繋ぐ。
白い部屋、子供達、怪物、そしてーーー。
「……ッ」
息がうまく吸えない。酸素が固形になって喉に引っ掛かるような感覚。時折胃の底から焼けるような何かが迫り上がってくる。
美羽は何も言わず、真剣な目でウテナを見ていた。静止する事もせず、急かす事もせず、ただ、真摯に。
上等だ。
心の警戒音を無視して、記憶を掘り進む。ここまで深く潜ったのは、きっと初めてだ。
ああ、そうだ。
忘れていたと思い込んでいた記憶は、確かに脳の深くに存在する。バリケードが幾重にも重なっているだけなのだ。
「……まだ大丈夫、ちょっと待っててな」
分かっている。これは痩せ我慢だ。夢を思い出す事が精神的な負担になっている。きっと、幼少期の蓮見蕚は、心が壊れないように、記憶に蓋をしたのだ。その漏れ出た残滓が、きっと、あの夢なのだ。
拍動する焦燥と、不規則な嘔気。思い出すことを試みるのも限界が近い。それは当然、美羽にも伝わっていた。
ふと、温かくて柔らかいものに包まれたような気がした。
「……?」
「ウテナ、お疲れさまでした。今日はここまでにしましょう」
気がした、ではなかった。
頭を胸に埋める形で、抱きしめられていた。
その事を理解するのに、数瞬の時を要する。
「ーーー起動。『被虐の聖女』。接続」
美羽の声と同時に、すうっと一気に気分が楽になった。まるで、胸に突き刺さっていた楔が融解し、傷口を塞ぐような感覚。
人の心的外傷はそう簡単に癒えたりはしない。であるのならば。
「……被虐の聖女で、心の傷を?」
「はい、ほんの少しだけ、ですけど」
「……何でそんな事を?」
「一人じゃ受け止めきれない痛みも、半分にすれば乗り越えられますから。それに、一度に全部解決しようとしなくていいんです。だから、今日は少しだけ、です」
ーーーああ、そうか。
この少女は。
ほんの少し前に出会っただけの蓮見蕚を救おうとしている。
蓮見蕚の全てを救えるつもりでいる。
「もちろん、困ってる人がいて、私が手を差し伸べられる場所にいたら、全員助けたいです。私、もしかしたら欲張りなのかも知れません。だから、まず、一番近くにいるウテナから、全力で助けますから」
ああ、駄目だ。
目頭が熱くなる。この少女の前で泣くのは、連日になる。
「もちろん、私一人で助けられない人もいると思います。ウテナの力を借りたい場面もきっとあると思います」
しかも、一回目は太腿の上。
「もし、私が困ってたら、その時はウテナが助けてください。持ちつ持たれつ、ですよ」
そして、二回目は、頭を胸に抱えられたまま。
「なんか、間抜けだな」
「間抜けって言いましたか!?」
「美羽じゃなくて」
思わず吹き出してしまった。まだあって日は浅いが、一つだけ分かったことがある。
この少女は、とんでもなくお人好しで、とんでもなく愚直で。
「わかったよ、美羽。もし、美羽が助けてほしいって、そういう時が来たら、全力で助ける。だから、これから一緒に戦おう」
「ええ、ウテナ。貴方となら、何処までも」
とんでもなく、強欲なのだろう。
「よし! そしたら、明日のために早く寝ましょう! お風呂入っちゃいますね!」
……お風呂?
来栖美羽は、大怪我をしている。
つまり、一人で入浴は、困難?
介助が、必要?
「早速お困りですか!?」
「はい?」
張り切り勇んで美羽の方へ振り向く。左腕はギプスを嵌めている。包帯も濡らすと大変だろう。そもそも左腕が使えないと入りにくいだろう。
だが、そこにあった光景は。
「わあ、めっちゃ手際いいね」
「ええ、こう見えても怪我プロですから」
「怪我プロって何やねん」
テキパキと防水のビニールをギプスに巻き、いつの間にか袖の広い服に着替え終えていた美羽がそこにいた。折れている左腕を全く不自由に思わないようなスムーズさで入浴前の準備を進めていく。
「……あ、ひょっとして、お風呂、手伝ってくれるつもりでした?」
「……うん」
「……気持ちはありがたいんですけど、それは、段階として、ちょっと早すぎますね」
「……そうだよね」
「……ウテナ、意外とえっちですよね」
悪戯っぽく笑われた。何も言えない。
そそくさと洗面所へ向かう美羽。まあ、本人が大丈夫と言うのだから大丈夫なのだろう。
何にせよ。波乱の始まりではあるが、美羽との生活はスタートした。これからどんな困難があるかは分からないが、きっとこの少女とならば乗り越えていける。そんな予感をウテナは感じていた。
「ウテナー! すみません、助けてください!」
なんだなんだ、言ってる側から。
「どうしたのー?」
「シャワーヘッドが取れました!」
「そんな事ある?」
本当に、波乱のスタートだなあ。
こんにちは、江野木です。
まずは読んでいただきありがとうございました。
今回アーマードマイガール!を書こうと思ったきっかけですが、元々江野木の脳内で十年前くらいから寝る前の妄想として連載していた物語を、何とかして何処かに吐き出したい、と思ったのが始まりでした。構想自体はしっかり練っていたつもりだったのですが、実際に文字にしてみると「ここ、どうすんの……?」みたいな部分も多くてなかなか大変です。なんにせよ、この話までで一旦、一巻分が終了、くらいのイメージでおります。ちょうど江野木が遊戯王にハマった事もありまして、執筆が遅れておりました。これからもマイペースに書いて行けたらいいなと思うので、もし良ければ感想とか貰えると励みになります。
それでは、act.2【虫喰みの森と晴空の射手座】でお会いしましょう。江野木は実は虫が大の苦手なのですが、果たして書き切ることが出来るのでしょうか。乞うご期待。




