act.1 【模造の怪腕と被虐の聖女】21
一方、美羽は。
相変わらず守勢に回ってはいたが、少しずつ獣の怪腕のスピードに対応してきていた。
(目が慣れてきましたね。仕掛けます)
ナイフを握り直すと、怪腕の突撃に対し、半身に構え、すれ違うようにして怪腕の右の前脚に攻撃を仕掛けた。
四足歩行の生物であれば、上腕に当たる部分に刃が食い込み、浅い切創を作る。
(よし、これならいける)
怪腕は少し距離を取ると、自らの傷を確認する。前足の機能が奪われていない事を確認すると、怯む事なく再び美羽へ突撃した。
(もう一回……)
美羽が再び迎撃の態勢をとり、猛然と突進してくる怪腕にカウンターを仕掛ける。
はずだった。
美羽が斬撃を置いた場所に、怪腕の姿は無かった。
怪腕は、美羽の手前、ちょうど斬撃が届かない場所で停止し、左の前脚で地面を捲り上げた。
砂礫が舞い、美羽の右眼に入る。
「ッ!?」
反撃に失敗し態勢を崩し、更に視界を奪われた状態。怪腕の振り上げた左前脚が、そのまま裏拳の形で美羽を襲う。
美羽は両腕を交差し、何とか防御の姿勢を取ったが、衝撃を殺すことまでは出来なかった。怪腕の攻撃をまともに喰らった華奢な身体は吹き飛ばされ、受け身も取れないまま地面に転がった。
「痛ったぁ……」
怪腕は再び美羽に飛び掛かろうと攻撃の態勢を取る。美羽が起き上がって迎撃の態勢を整えるまでと、怪腕の爪が美羽の肌に食い込むまで、どちらが早いか。
(……左腕上がらないし、間に合わないかも)
恐らく、後者であろう事を美羽は感じ取っていた。
その瞬間。
長さにして二メートル程の角材が、怪腕の後頭部に叩きつけられた。
「ッ!?」
勢いよく叩きつけられた角材は、何かが破裂したような音を残し、細かい破片となった。
怪腕はというと、予想外の方向から強烈な一撃を喰らい、白眼を向いてその場に倒れ込んだ。
「倒した、か?」
その様子を呆然と見つめる美羽。
「……美羽、腕大丈夫?」
「……え? あ、いや」
美羽が左手の感触を確かめるように肘を曲げたり肩を持ち上げたりしてみる。どうやらまだ動くようだ。
「なんとか、大丈夫だと思います。」
美羽がウテナの左腕と、その先にある、途中で割れてささくれだった角材に目を落とした。
「それ、柱、ですよね」
「柱だね」
(……私がおかしいんでしょうか?)
ウテナが手に持っている柱は、おおよそ一人の人間が振り回せるような重量にはとても見えなかった。少なくとも美羽の感性に間違いはないが、現にウテナは、それを振り回していた。
「美羽、住人の救出作業に入ろう」
「あ、そうですね、分かりました」
色々と分からない点はあるが、優先すべきは安全確保と救出だ。敵が先程撃破した獣型の怪腕だけとも限らないし、だったら今、接敵していない隙に、倒壊した家屋を調べたりすることが望ましい。ちょうど町の大人達で組織された自警団も到着し、手分けして逃げ遅れた住人の捜索に当たることにした。ウテナは瓦礫の撤廃、左腕を負傷した美羽は避難の誘導に就いた。
倒壊した家屋の下にいる逃げ遅れた人を救出し、応急処置をし、避難所となっているカルカヤの診療所に送る。自警団の面々も、慣れないながらも力を合わせ効率よく救助に当たっていた。
(それにしても、少し変ですね)
作業中、美羽の頭に疑問が過ぎる。
(さっきの獣の怪腕、力は確かに強かったみたいですが、それでもこれだけの家を壊すまでには見えませんでした。それに、この倒壊の仕方、まるで大きな物で横から殴られたみたいな……)
「おねーちゃん」
美羽の思考は、足元からの声で遮られた。声の方向に視線を向けると、五歳くらいの女の子が、美羽のスカートの裾を握って泣いていた。
「どうかしましたか?」
その場に膝をつき、視線の高さを合わせて話しかける美羽。
「お兄ちゃんとお母さんがね、おうちの下にいるの」
少女が指さす先には、一際大きな倒壊した家屋。ウテナや自警団に声をかけ、捜索にあたってもらう。
「もう大丈夫ですよ、教えてくれてありがとうございます」
嗚咽を漏らす少女を宥める美羽。少女を抱きしめ、ぽんぽんと背中を叩く。少しの間そうしていると、落ち着いたようで少女が語り出す。
「おっきな人がね、おうち壊していったの」
「おっきな人?」
「うん、すごく怖かった」
少女から情報を渡されたタイミングに呼応するかのように、背後より響く轟音。そして人々の悲鳴。
それが何者なのか、推測する前に反射的に振り向く。
そこにいたのは。
「……何ですか、あれは」
全てを蹂躙するような、暴力的な腕。
全てを破壊するような、暴虐的な腕。
体長五-六メートル程にもなる、青黒い肌の巨人がこちらへ向かっている。
「あれも、怪腕なんですか……?」
腕の中の少女が大声で泣き出した。その声で冷静になる。とにかく、この子を安全な所へ。
震える足を拳で叩きつけ、精一杯の笑顔を作る。少女が少しでも安心できるように。自分を少しでも鼓舞できるように。恐怖を少しでも忘れられるように。
少女の手を引き走り出そうとしたその時である。怪腕が、木を引き抜き、振りかぶり。
そして、投げた。
「ッ!?」
投げられた木は、美羽と少女の頭上を飛び越え、ウテナと自警団が作業している家屋の近くに突き刺さる。その音を聞き自警団の人々が家屋の中から出てくる。
「なんだぁ!? ありゃあ!?」
「バケモンがいるぞ!?」
怪腕の姿を見て我先にと逃げ出す大人たち。それは仕方ない。おおよそ常識の尺度で測り切れない存在を目の当たりにした人間が出来ることと言えば、逃亡するか、その場に立ち尽くすか、どちらかしかないのだから。
今度は怪腕が家の屋根を剥がし取り、投げつける。着地点は、救出作業中の家屋の玄関だった場所。入り口を叩き潰すように内部と外を隔絶した。
さっき脱出した人々の中には、ウテナの姿はなかった。
「ウテナ、まだ中に……!?」




