act.1 【模造の怪腕と被虐の聖女】19
ほぼ同時刻、同じ町。
診療所から少し離れた家屋の上から、ウテナと美羽の様子を伺う影が二つ。
一方は袖の長い白衣に身を包んだ、目つきの悪い、神経質そうな小柄な男。容姿は十代前半の少年と言っても疑問を持つ者はいないだろう。
もう一方は、袖の無い白衣に身を包んだ巨大な男性。身長は2mをゆうに超えており、横幅も中肉中背の成人男性を3〜4人並べた位の大きさであった。
「……ほぉん、あれが“来栖の姫”と言うわけか」
「ああ、今はまだ取るに足らない雛鳥のような物だ」
巨大な男の発言に小柄な男が答える。
「……なんぞ、含みのある言い方じゃの。あの姫さんが鳳になる未来でも見えたか」
「さて、どうかな。どちらにせよ、彼女が行く道は平坦ではない、っていうのは間違いないようだが」
「ガハハ、よく言うわ。姫さんの進む道に正に今、障害物を放ろうとしているモンが」
そう言いながら、巨大な男が円環を取り出す。P.o.r.t.a.l.で見たものと外観は似ているが、こちらは持ち運び出来そうな程度の大きさだ。
「其れでは、戦争じゃな。儂らの駒は、獣型の怪腕が五体、人型が一体。少ないのう」
「ここで芽を摘み取る気はない、ということだろうな。相手は来栖の姫と言祝ぎの送り手 (ギフト・ウンド・ワンド)か。まあ、この程度の嵐も超えられないようであれば、沈んでもらう他ないのだが」
「然もありなん、じゃな。さて、災厄を放つぞ」
巨大な男が持った円環が妖しく光る。そして。
空間を裂くようにして、四つ足の獣が出現した。その肌は青黒く脈打ち、その顔は苦痛に顔を歪めた狼の如く。肥大した前脚を疎ましいような様子を見せる。
少し遅れて、同じく青黒い肌をした《人型》と呼ばれた生き物も現れる。体長は5-6m程にもなり、両腕は異様な程に肥大化し、大兜を被った異形の存在だ。
「準備は出来たぞ」
「ああ。さあ、始めようか。これが、永きに渡る戦争の引き金となるだろう」
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青黒い異形の怪物が出現したのとほぼ同時刻、ウテナと美羽は海岸沿いを歩いていた。
厚い雲が水面に映り、やや重たげな色をした海色を湛えている。海からの風はまだ冷たく、上着を持ってくればよかったかな、とウテナが思い始めた頃だった。
「私、砂浜って初めてです」
人工列島-アロイ・アイル-は、読んで如く人工的に形成された島である。水上に浮遊する、水よりも密度の小さい特殊な合金からなる領土の上に、人間の住むことが出来るように土を敷き、その上に生活圏を築いたものだ。その特性上、砂浜などを形成することは難しく、断崖状の海岸線を形成していた。
それ故に、人工列島の居住者の中には、砂浜を見た事がない層も珍しくないのだ。
「この海の向こうに、私達の家があるんですね」
「うん、でもここからじゃ見えないな」
「不思議ですね。まるで地球の果てまでも手の届く場所にありそうなのに、見えるのは空と海の境目だけ。ウテナ、知ってますか? 実は水平線までの距離って、5kmくらいしかないらしいんですよ」
「5kmか。全然走れる距離だな」
そうですね、と美羽が小さく笑う。
「自分が見える範囲であれば、行けないことはない」
「ええ、素敵な考え方だと思います」
そう言うと、再び水平線へ目を向ける美羽。それに釣られるようにしてウテナも同様に海の向こうを見つめる。
暫しの静寂。ウテナがポケットに手を入れ、美羽から預かった指輪を取り出す。
契約。人間と神造機が互いに指輪を嵌め、一節の言葉を述べる。そんな簡単なことだ。
そう、それは、簡単なこと。
それ自体に特別な意味はない。
例えるならば、それは幼児がするお飯事だ。
少なくとも、蓮見蕚にとっては。
であれば。
「……と、いう訳にもいかないんだよな」
「?」
意気地がないのが蓮見蕚である。ここでノータイムで契約できるようであれば、17年間女性経験なしの蓮見蕚はこの世界に存在しないだろう。
「ウテナ、そろそろお腹空きませんか?」
曇り空のため太陽の位置がよくわからないが、時刻を確認すると確かに昼時だ。
「そうだね、何か食べたいものある?」
「何かオススメありますか?」
「えーとね……」
ウテナが幼少期の記憶をひっくり返し、食事処を探していた、その時である。
町の方から、何かが崩れる音が轟いた。遠くからでも分かるくらいの土煙が舞っている。
「……なんでしょうか? 地震?」
「……いや、揺れてない、はず。……とりあえず、何でもないって事はなさそうだな」
「そうですね。行きましょう!」
なんだか嫌な胸騒ぎだ。カルカヤや町の人は大丈夫だろうか。
二人は土煙を目印に、町の方角へ走り出した。




