act.1 【模造の怪腕と被虐の聖女】17
すみません、1話分抜けていました。
追加しました。
「……そんなに嫌だった?」
「嫌じゃないです! 嫌じゃないです! えっと、でも、ちょっとびっくりしたって言うか。すみません、大きな声出ちゃった」
美羽は二日目で同衾する、という想定はしていなかったようだ。少し平静を取り戻したか、両手で赤くなった顔を仰いでいる。
「……えっと、じゃあ」
「……はい。不束者ですが、何卒」
「なんか違くない?」
用意されたベッドはセミダブルサイズだった。一人で寝る分には余裕があるが二人並んで寝るということを考えると心許ないサイズ。お互いにベッドから落ちない程度のギリギリの淵に寝たとしても、肩が触れ合ってしまうような状態だった。
「ごめん、これ以上離れると落ちる」
「ええ、大丈夫です。でも……」
「でも?」
「緊張しちゃって、寝れそうにないです」
口元まで布団を被り、困ったような顔を浮かべウテナを横目で見る美羽。
「……美羽」
「はい」
「……それ、ズルい」
「?」
狙ってやっているのか、無意識なのかは今のウテナには判断できなかったが、少なくとも美羽の行動はウテナの心を騒つかせるものだった。草薙莉香やカルカヤ・レパルティアのように、所謂『性格が強い』女性と触れる機会が必然と多くなっていたウテナにとって、来栖美羽という『守りたくなる』ような女性との接触についてはほぼ免疫が無いに等しい状態であった。
健康な思春期男子。ともすればコップの縁から理性が溢れそうな状態。ただ、ここまで17年間、純潔を守り通してきたウテナにとって、出会って二日の女性に邪な感情を向けることに対する罪悪感は小さくはなかった。
互いのスペースを確保するため、そして、
(主にウテナの)理性のため、お互いに背中合わせになる。だが、女子の背中って柔らかいんだな、とか、髪が首筋に触れてゾワゾワするな、とか、背中合わせは背中合わせで誘惑が多い事を少年は知った。
次第に夜が深まっていく中。
「ウテナ、起きてますか?」
不意に声をかけられ、身体が跳ねる。
「その、さっきは、ごめんなさい。ウテナは私の為に怒ってくれた、っていうのは分かってたんですけど」
「ああ、いや、それについては」
「昨日も話した通り、私は、家族が多かったんです。兄も、姉も、妹もいた。でも、それもなくなってしまった。私は何もできなかった」
背を向けたまま淡々と語る美羽。悔恨や無念はあるだろうが、起こってしまったことをただ事実として受け止めているような、そんな語り方。
「私、きっと悔しかったんだと思います。でも、涙は出なかった。悲しいって感情が、よく分からないんだと思います。でも、何も出来ないまま、大切なものを失くしたくない。だから、ウテナ、これは私の我儘です。ウテナとこれからも意見が別れる事もあるかもしれません。でも、ウテナ、お願いします。何も言わないで私の前からいなくならないでください。会ったばっかりですけど、ウテナの事が大切です」
『ウテナの言う事の意味は分かります。でも、それは感情論だと思います』
『美羽ちゃんなんだけど、まあ言ってる事は正しいよ。でも、正しいだけ。そこに感情とか、そういう混合物が一切ない』
そんな訳あるか。
感情しかないじゃないか。
美羽は、機能を以って存在価値を見出してる、と言っていた。それは間違いない。ただ、ウテナの受け取り方が違ったのだ。
ウテナは、美羽が神造機として、機能ありきで存在を定義していると受け取った。だが、そうではなかったのだ。
美羽は『誰かを守ること、助けること』が根底にあるのだ。そうして出来た繋がりを纏めて、来栖美羽という輪郭を作ろうとしている。
論ずるまでもなく、それはエゴ。来栖美羽という少女の自分勝手な救済だ。だから。
(ああ、俺と美羽は似ているんだ)
結局、先程ウテナが抱いた感情は、同族嫌悪の一種だったのだ。だったら美羽の言いたい事も理解できるし、したい事も理解できる。
「すみません、喋りすぎました。お休みなさい、ウテナ」
ウテナが色々考えてる内に、喋り終えた美羽は眠りにつこうとしている。
小さく窓が鳴るのを聞いた。そう言えば今夜は風が強まると天気予報で言っていた。
なんだか胸の支えが一つ、取れたような気分だ。
「……なあ、美羽」
背を向けたままウテナが美羽に呼びかける。
まず謝ろう。その後で、改めて自分の考えもしっかり言おう。それできっと大丈夫。
だが。
美羽から返事はなく、代わりに静かな寝息が返ってきた。
寝るの早え。
……まあ、いいか。明日でも。
なんだか、漸く俺も眠れそうだし。
気がついたらドッと疲労感が押し寄せてきた。背中に触れる小さな肩とか、無防備な寝息とか、そういうのを飲み込むような眠気の波。やがてウテナの意識は昏い心地よさの中に落ちていった。
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ーーーああ、またあの夢だ。
歪なほどに整った、吐き気がするほどに清潔な、無機質な白い部屋。
そこに入れられた、同じ孤児院の友人たち。
皆一様に床に倒れ伏し、苦痛の表情を浮かべる。
当然、自身も。
ああ。
かつて、正面で食事をしていた少年が、異形の怪物になっていく。
かつて、隣で夢を語った少女が、異形の怪物になっていく。
自分もすぐに、そうなるのダろう。
左腕が焼けルヨウに熱い。
視界ガ黒いシミで侵サレテイく。
もウ、ドウデモイい。
ドウデモイイカら早く解放シテクれーーー。
ーーーーー
蓮見蕚は、最悪な気分の中で目が覚ました。
普段からよく見る悪夢ではあったが、本日は平素より鮮明で鮮烈な情景を呈していた。
瞼がヒリつく。触れてみると濡れていた。
悪夢で泣くなんて、いったい何歳の子の話だ、と自嘲しながら枕元のスマートフォンに目を遣る。
時刻は2時。まだまだ夜は長い。
もう一度寝直して、同じ夢を見ることを考えると、正直このまま眠りにつく気にはなれなかった。
顔でも洗ってこようか、と布団から抜け出そうとしたときだった。
「ウテナ」
完全に寝ていると思っていた来栖美羽に不意に声を掛けられ身体が跳ねる。
「……ああ、ごめん、起こしちゃったね。ちょっと、トイレに行ってくるよ」
「ウテナ、こっちを見てください」
泣いていたことに気付かれる前に離れようと思ったが、どうやら無理のようだ。もしかしたら、既に気付かれているのかもしれない。
観念して美羽の方を向く。振り返ると、直ぐそこに美羽の顔があった。お互いの吐息が掛かるような距離。それだけでも鼓動が早鐘を打つ。真っ直ぐな視線を投げかけてくる美羽。逃げられそうもない。
「……美羽、どうかした?」
無駄な抵抗だとは分かっていたが、せめて明るく、何事もなかったかのように振る舞うウテナ。
美羽の表情は変わらない。身体を起こし、ベッドの上に正座になる。
「ウテナ、来てください」
「……どこに?」
「ここです。私も昔、怖い夢を見た時、母に膝枕をしてもらってたんです」
自分の太腿を指さす美羽。
「いや、流石にそれは」
「いいから」
「や、でも」
「ウテナ」
有無をも言わさぬ圧。観念するほか無い。
「……ちなみに、顔の向きは?」
「顔の向き?」
「いや、下向きだとさ、太腿に顔を埋めることになるけど」
「……上向きでお願いします」
そうして膝枕の姿勢をとる。下から美羽を見上げる形になり、これはこれで恥ずかしい。
「ウテナ」
美羽が顔を覗き込んでくる。顔の両脇を抑えられ、顔を逸らすことが出来なくなった。
「言いたくないことは誰だってあります。今回の事は、きっとウテナにとってあんまり干渉されたくない事かもしれません。私のやっている事は、ただのお節介かもしれません。でも、もしウテナが一人で抱えきれなくなったときは、私が一緒に背負います」
懇々と、語りかけるような柔らかい言葉。
「もし言いたくない事であれば無理には聞きません。でも、もし誰かに言いたくなったとき、一人で潰れそうなとき。私で良ければ、あなたの力になりたい。一人で乗り越えられないときは手伝います。私が、側にいます」
ーーーああ。
なんか、やばい。
きっと、さっきとは別の理由で目頭が熱くなるのを感じた。きっと、今の自分は酷く不細工な顔をしている事だろう。
「……下向いていい?」
「えっ」
流石に困惑する美羽の声がした。いや、自分でもヤバいことを言ったのは分かる。ウテナの意図は、泣き顔を見られるのが嫌だったから、と言うことになるのだが、直訳すると、「太腿に顔を埋めてもいいですか?」と言ったような物だ。
「ごめん、なんでもない」
「……今回だけですよ」
「えっ」
「えっ、じゃないですよ! 私だって恥ずかしいんですから」
慌てて訂正する美羽。
「でも、私もウテナの泣き顔見ちゃったので、特別です」
「……じゃあ、えっと、お邪魔します?」
「お邪魔しますって」
小さく笑う美羽。ウテナは寝返りを打つようにして下を向き、美羽の太腿に顔を埋めた。
……なんか、想像してたより、イケない事をしている気がする。
互いに何かを言うわけでもなく、ただ静寂が時間と共に流れる。なんだこの状況。流石に気まずさを感じ始めたウテナが口を開いた。
「……美羽」
「……はい」
「……えっと、すっげー落ち着く」
「……良かったです」
「……あと、いい匂い」
「ッ!?」
「痛っ」
匂いの感想を述べた瞬間に、美羽に頭を叩かれるウテナ。
「なんでそういう事を言うんですか!?」
「いや、感想を言わないのも失礼かなって」
「いりません! あと嗅がないでください! 呼吸した結果匂い嗅いじゃうのは仕方ないとしても、口には出さないでください!」
夜という時間帯に合わせて、ある程度絞った声量で捲し立てる美羽。だが、ウテナの頭を退けようとはしなかった。
「……でも、落ち着いてもらえたようで何よりです」
そう言いながらウテナの頭を撫でる美羽。
めちゃくちゃ落ち着く。
ーーーああ、どうやら眠れそうな気がする。
「……ウテナ?」
太腿に顔を埋めたまま寝息を立てるウテナ。
「寝ちゃった、かな。……どうしましょう、この状況」
うーん、と困った顔を浮かべる美羽。それもそうだ。第三者から見たこの状況は、『正座した女性が、寝ている同年代の男性の頭を太腿の間に挟んでいる』である。
「……ま、いいか」
ふふっ、と小さく笑って、ウテナの頭を両掌で優しく挟み込むように支え、後頭部に顔を近づけた。
「お休みなさい、ウテナ」
こうして、長い夜が更けていく。




