act.0 【Prologue】
世界は、雑音に満ちている。
文明の発達した知的生命体の領域は、機械の駆動音、人間などの生物による会話、溢れ出すように流れる膨大な量の情報。
逆に、未だ開発が及ばない自然では、多様な鳥獣の声、虫の歌
など、都会とは異なった音を展開している。
砂漠では、砂の灼ける音。
洞窟では、水滴が石を穿つ音。
どんな環境であれ、この世界の理のなかにある以上、音は存在する。
それが普通なのだ。
そう、それが普通なのだ。
だからこそ、その場所は異常だった。
深い森の中、少し開けた場所に佇む直方体の建造物。
外壁は、周囲からの干渉の一切を拒絶したかのように白く、汚れなく。
建造物を抱く景色は、風すら閉じ込め、葉の擦れる音さえ排除した静寂を映した。
まるでその空間だけ静止している、見る人がそんな絵空事を描いてしまう人がいてもおかしくない。
見る人がいれば、の話だが。
辿り着けないのだ。
人も、獣も、機械でさえも。
この建造物に辿り着くことが出来ない。
故の、静寂。
しかし、その建物は確かに存在している。
他の目に触れず、他の意識に触れず、不自然なまでに完成された姿で存在していた。
誰が、何時、何のために建てたか。
もちろん知る者はいない。
内部にいる一部の者を除いては。
建造物の中には、モニターを注視する男、試験管と顔を合わせている男、注射針を持っている男など様々な人間がいた。
その誰もが白衣を身につけており、さながら一種の研究機関のようだった。
モニターを注視していた男が資料に小さくバツ印を付ける。それは恐らく、この施設で行われている実験が行き詰まっていることを示唆していた。それでも男は淡々とバツをつける。特に落胆するでもなく、特に苛立ちを見せるわけでもなく、ただ淡々と。
モニターの向こうには、これまた真っ白な立方体の部屋。窓はなく、出入り口は厳重に施錠された小さな扉一つのみ。天井の四隅には小さな監視カメラが設置されている。
部屋の中には、十人前後の五歳から十歳くらいの男女。年端もいかない彼等であったが、それらは明らかに異形であった。
そこにいた少年少女は、皆一様に、身体の一部が“青黒い何か”に置き換わっていた。
ある少年は、両脚が。
ある少女は、顔の右半分が。
ある少年は、左腕が。
ある少女は、両掌が。
両側の肩甲骨が“青黒い何か”に置き換わった少年が吼える。刹那、少年の背に青黒い翼が出現した。少年は飛ぼうとはせず、その場でのたうちまわり、やがて動かなくなった。
モニターの先で白衣を着た男がまた一つ、バツを記す。
両掌が青黒く肥大化した少女が苦悶の表情を浮かべる。低い唸り声を上げながら両手を振りまわし、大きな舌の少年を叩き潰した。
男の持つ紙にバツ印が増えていく。
両脚が“青黒い何か”に置き換わった少年が、ゆっくりと立ち上がった。
今までの少年のように床を転げ回るではなく、今までの少女のように暴れ回るでもなく、ただその場に立ち上がり監視カメラを睨みつけた。
モニターの先で白衣の男達がザワザワと騒ぎ出す。武装した男達が白い部屋の唯一の扉から突入し、青黒い脚の少年を連れ去った。
青黒い左腕の少年が地に倒れる。
左腕が焼けるように熱い。
まるで自分の腕ではないように暴れようとするのを必死に抑え込んでいた。
顔が変貌した少女が何かを叫んでいる。
青黒い左腕の少年は、薄れゆく意識の中で少女の声を聞いた。
ーーー生きて、生きて!!!