辺境に家を買いました
「へえ、これはいいね。ありがとう、みんな」
何年かぶりに掛け替えたメガネのおかげで、僕の視界は久方ぶりに晴れ渡った。
王国メンテナンス室。おっと、元メンテナンス室だっけ。
そこに所属していたみんなから、僕にプレゼントされた逸品だ。
前回メガネを新調したあの時は忙しすぎて、ちゃんと選んでいる暇がなかった。
そのおかげで、いまいちピントがあっていない。
それからだって忙しすぎて、手入れも怠りがちになっていたから、レンズも今や曇りがちだ。
そこからの、こんなにいいメガネ。
このすっきりとした感じときたら、まるでいまの僕の気持ちみたい。
『クビ』に加えて、『追放』である。
悔しかったり、悲しかったり。
はじめは、そんな感情がわき上がってとまらなかった。
でも、といつしか僕は違うことを思うようになった。
考えてみるまでもなく、メンテナンスはきつくてたいへんな職業だ。
みんなのためになるからって、いままで頑張ってきたけれど、
『おまえはいらない』なんていわれてまで、しがみつくような仕事じゃないんじゃないか?
それに続いて、僕にとっていい知らせがふたつ飛び込んできた。
そのおかげで今、僕の心は晴れやかなのだ。
「よくお似合いですよ、室長」
「もう室長じゃないけどね。うん、ありがとう。こんなにいいものをもらっちゃって」
「フレームは、わたしが選んだんですよ?」
「お疲れさんです、室長」
まだ新人のメイという女の子と、古参のウィルという男が近づいてきた。
いいことのひとつ目は、メンテナンス室に所属する僕以外全員の、再配置先が決まったことだ。
メンテナンス室が解散になったことで、彼ら彼女らがどうなってしまうのか。
それが僕のいちばんの心残りだったけれど、どうやら当面の心配はないみたい。
メンテナンス室で苦楽をともにしてきたみんなが、あたらしい所属先でも幸せにやっていけることを、僕としては願うばかりだ。
そんなわけで、今日の集まりは、僕の送別会と、みんなの壮行会を兼ねていた。
「聞きましたぜ、室長。なんでも家を買ったとか?」
「え、そうなんですか?」
ウィルがいうのに、メイが食い気味に聞いてきた。
もうひとつのいいこと。
それは家を買ったということだ。
天涯孤独の僕にとって、帰れる場所ができた。
それはとってもうれしいことだ。
でも、メンテナンス室のみんなには、さっさと僕のことなんか忘れて、幸せになってほしかった。
だから、みんなには黙っていたのに。
ウィルはどこからか聞きつけてきたみたい。
メイも、それからウィルも。
僕がクビになったことをすごく怒って、最後まで国に対し、抗議の声を上げてくれた。
もう、王国の仕事に心残りなんてない。
そう思ってはいたけれど、僕のために抗議してくれたふたりの行動は、単純にうれしかったのもまた事実。
そんな彼らに、何にもいわずに去って行くのも悪い気がして、
僕は考えを変え、ふたりにははなしておくことにした。
「プエラポルタンって村に、一軒家を買ったんだ」
「プエラポルタン・・・・・・って、あの辺境の?」
「え、王都に、じゃないんですか?」
メイにウィルが、同時に聞いてくる。
「僕の給料じゃ、とても王都に家なんて買えないよ」
忙しくて使い道のなかった給料は、それなりの額にはなっていた。
それでも王都で家を買おうとしたら、頭金にすらならない額だ。
それに形だけとはいえ、もらっていた爵位も剥奪されての公職追放。
今後は恩給や年金なんかももらえないし、後のことを考えたら、全部つかっちゃうわけにもいかないしね。
そんなふうにして絞り込んでいったなら、僕に買える家なんて、辺境にしかなかったのだけれど。
「そりゃ、なんとも夢のない話ですな」
「じゃあ、室長は遠くに行っちゃうってことですか?」
「王都じゃ仕事もさがしにくいし、しょうがないよね」
メイはそれを聞いて、なぜか絶望的な顔をした。
次には、ふるふると全身で震え出す。
「そんな……室長が・・・・・・そんな遠くに?」
「悪い話じゃないんだよ? 王都では不要っていわれた僕だけど、辺境ならまだやれる仕事もあるだろうし」
なにより、帰る場所があるっていいことだよ。
そういっても、メイはまだふるふると震えたままだ。
「かえる場所なら、わたし…・・・が・・・・・・作って・・・・・・」
メイはなにかぼそぼそいって、それから急に身を翻した。
「し、室長の、アイオンさんのばかーー」
彼女はさけぶなり、引き留める間もなく走り去る。
「な、なんだろ、あれ」
「さあ、おおかた、誘ってほしかったんじゃないですかい?」
「辺境に? そんなわけないよ」
ウィルはなぜかにやにやとしながら、続けた。
「あの、『メイ・リュミエール』が、なんでメンテナンス室になんて配属されたのか、室長はご存じで?」
メイ。
メイ・リュミエール。
ただの元王宮技師の僕なんかと比べものにならないほど、彼女は有名人なのである。
『天才』といえばこの国では、まずヘンリエッタ女王のことを指す。
けれども、メイもまた、女王とは別分野での『天才』として知られていた。
小さいころから『魔術』の素質ありと見いだされ、国の機関で英才教育を施されてきた『天才魔術師』
今回メンテナンス室が廃止になるにあたって、彼女が配置されたのは『戦術魔導騎士団』。
女王肝いりで新設された、超エリート部隊らしい。
そのメイが、はじめての就職先として『王国メンテナンス室』をあてがわれたのは、王国七不思議のひとつとされている。
「なんでも、メイ自身が強く望んだそうですぜ。『室長のアイオンさんと、ぜひ一緒に働きたい』っていったとかいわないとか」
「単なる噂だよね、それ。メイみたいな天才が、僕みたいな無能と一緒に働きたいなんて、そんなことあるわけないよ」
ウィルはにやにやしたままだ。
「噂、ですかい。ま、そういうことにしときましょう」
それから彼は急に真面目な顔になった。
「室長、辺境ではどうかご無事で」
「ウィルもね。あたらしい職場でうまくやれるよう、願っているよ」
「メンテナンス室の激務に比べたら、まあどこも天国みたいなもんですよ」
「そうかも」
僕たちはふたりして笑い合った。
「俺、ほんとのところ、あんまり心配なんてしちゃいないんです。室長ならどこでも完璧にやっていけますぜ」
「僕、『無能の役立たず』だなんていわれて、クビになったんだけど?」
それなんですがね、とウィルは難しい顔になった。
「あの女王、天才だなんてもてはやされていますけど、大丈夫なんですかね? この国は」
「僕、『無能の役立たず』だなんていわれて、追放にまでなったんだけど?」
「そうでしたそうでした。室長に相談するこっちゃないですな」
ウィルは、ため息のような息を吐いて、そうして続けた。
「そのうち、女王も気づくでしょうな。ほんとうに必要な人間が誰だったか、ってね」
誰のことだろう。少なくとも『無能の役立たず』の僕じゃないことは確かだな。
ウィルは、その時にはもう遅いかもしれませんがね。なんていいながら手にした杯を飲み干した。
「ま、その時がくるまで給料はしっかりいただいときますよ。もしもの時には、俺にも辺境の家を紹介してください」
「諒解」
「それじゃ、お元気で」
僕は、手を振りながら去って行くウィルを見送った。