クロとおやすみ
ロウソクの火を吹き消して眼鏡を外し、ベッドにはいるとクロがもぞもぞと潜り込んできた。
それはこのところ毎日のことだったので、僕は身体を少し寄せ、クロのために隙間をつくって迎え入れる。
いつもはさらりとこしのあるつややかなクロの毛並み。
それが今はもふもふと、僕の身体を包み込む。
あたたかくてきもちいい。
そう思っているうちに、あっという間に僕は・・・・・・
・・・・・・あれ?
もふもふしているうちに、寝入ってしまったらしい。
けれども、起きると、隣のもふもふ・・・・・・クロがいなくなってしまっていた。
どうしたんだろ
ごと
玄関のあたりから、なにか物音がした。
「クロ? どうかした?」
なにかあったのかな?
僕は片手で眼鏡を探る。
その手がなにかおおきなものにあたった。
あれ、こんなところになにか置いたっけ。
思う間もなく、僕のてはぐいっと押さえられた。
「アイオンとはおまえか!?」
小さく、鋭い声が僕の耳にとどいた。
灯りもなく、眼鏡もかけていない僕には、相手が誰だかぜんぜんみえない。
続けて、僕の首に、なにか冷たい感触がする。
これは、ナイフ?
僕は声も出せず、こくこくとうなずく。
「そのまま黙って、我らについてきてもらおう」
ごとごと
また、音がした。
なんとか眼だけを向けた寝室の入り口に、もうひとつ人影がみえる。
「どうした? そちらでなにか?」
「ば、バケモノ・・・・・・」
そんなこえがして、
ばたり、と人影が倒れた。
その後ろに、紅く、ふたすじの光がゆらめいた。
あれは、クロ?
「バカな。そちらには3人いたはず!!」
「フェンリルだ。ほんとうだったとは・・・・・・」
僕の上でそう声があがって、少しだけ首元に当てたナイフが緩む。
今だ!!
僕はおもいきり、人影に向けて拳を突き出した。
むちゃくちゃに、じゃない。
ぼんやりとだけれど、人影の中に赤く光った『こわれかけている』場所へとだ。
「カ、ハッ」
人影が悶絶して、押さえられていた身体が自由になるのがわかった。
僕はナイフの刃をすりぬけつ、眼鏡を手にしてとびずさった。
「なにをやっているんだ!」
「こいつ、的確に急所を!?」
「なんだ、しろうとじゃないのk・・・・・・」
ガシャン
と僕の投げた花瓶が、片方のエルフに直撃する。
そのまま、彼は昏倒した。
赤の影。スキル『ようせいさんの眼』で見えたその場所は、人体では急所にあたるってことらしい。
ってエルフ?
そう、長い耳が特徴の、あの『エルフ』だ。
僕の家に押し入ってきた奴らは、どうみてもそのエルフだった。
僕もみるのははじめてだけど・・・・・・
「くそ、来るな、バケモノめ」
そんなエルフの最後のひとり。
おびえる彼をクロが追い詰める。
クロはいまや子犬の姿ではなかった。
出会ったときの巨大なそれではないけれど、ふつうの成犬よりもさらに大きい。
ふるわれたエルフのナイフをひらりとかわした次の瞬間。
クロの下に、組み敷かれたエルフが押さえ込まれて地に伏していた。
□■□
木でできた居間の床に、5人のエルフがそろって正座をして並んでいる。
そこまでしてもらわなくても・・・・・・という僕のお願いを、彼らは聞き入れてくれなかった。
「まずはまことに、申し訳なかった」
5人のうち、リーダー格にみえる男エルフ。
エレノールと名乗った彼が頭をさげると、他の4人もそれに続いた。
「なんでこんなことを?」
エルフは誇り高い種族だって、ものの本には書いてある。
それに、めったにひとにはかかわらないとも。
それが僕の家に押し入って、誘拐まがいのまねまでして・・・・・・
「我らの姫がご病気で、もう永くないのだ」
「それで、アイオン。貴殿の噂を聞いて、な」
僕の噂?
僕は医者じゃないし、エルフなんて、今日はじめてみたくらいだ。
そんな僕にエルフの病気を治してくれだって?
この人たち、なにをいっているんだろう。
「フェンリルを治し、あまつさえ飼っている人間がいる、という噂だ」
ボドさんだ。
まさかエルフの耳にとどくほど、噂を振りまいているなんて。
こんどちゃんといっておかないと。
「我らエルフ戦士団も、半信半疑であったのだが、今はどんな細い可能性にも賭けるしかなかったのだ」
それに、とエレノールはクロをみた。
「このように、ほんとうにフェンリルがいるのをみれば、もはや伏して頼むほかない」
エレノールはもう一度、床に擦りつけるように頭をさげる。
「頼む。姫様を救ってはくれないか」
「まずは、謝って」
と僕はいった。
「なんだと、もうこれほど謝っているではないか」
「人間風情がなにを・・・・・・」
そんな声があがりかけるのを、エレノールは制した。
「我が謝罪で許してもらえるなら、何度でも頭をさげよう、すまな・・・・・・」
「違うよ。クロにだよ」
クゥン?
と不思議そうに、クロが鳴いた。
クロはこんなにかわいいのに、
「クロをバケモノ呼ばわりしたこと。それをちゃんと謝って」
ひととき、きょとんとした顔をして、それからエレノールはクロにむかっても頭をさげた。
「クロどの。まことにすまなかった」
「ウォフ」
もう一度クロが鳴く。
うん。許すって感じだ。
「じゃあ、行こうか。そのお姫様のところに案内してよ」
え? とエレノールは驚いたような顔をする。
「今、すぐに来ていただけるのか。その、よいのか? 準備であるとか・・・・・・」
無理矢理さらって即つれていこうとしたくせに。
という言葉を僕はのみこんだ。
それだけ、必死だったってことなんだろうな。
「一刻を争うんでしょ? じゃあすぐにいってあげないと」
ひとの病気を治す自信だってないのに、エルフのそれをどうにかするなんてなおさらだ。
でも、今の僕のスキル『ようせいさんの眼』なら、なにかできることがあるかもしれない。
もしそうなら、急いだ方がいい。
緊急メンテはスピード勝負。
そう相場がきまっているのだ。
「じゃあ、いってくるね、クロ。またお留守番をお願い」
そういう僕の服の袖に、いきなりクロがかみついた。
「だめだよ、クロ。離してくれないと」
「ヴー」
クロはそのまま、低いうなり声をあげる。
もしかして、ついてきたいんだろうか。
「これから行くところは、なにがあるかわからないんだ。だから、ね」
それでもクロは、離してはくれなかった。
しょうがないか、と僕は思った。
なにより、さっきのクロの活躍だ。
あれだけ強ければ、自分の身を守るくらいのこと、できるのかもしれないな。
「わかった。クロ、いっしょに行こう」
「クゥン」
クロは僕の袖から口を離し、うれしそうにそう鳴いた。
「では、アイオンどの、クロどの。ご案内する。ついてまいられよ」
身を翻したエレノールの背中に、僕たちは続いた。