ルハネス、追放される。
目の前で、ほろりと枯れ葉が落ちた。
すこし前まで地獄のように暑苦しかったサクセン山も、すっかり秋の色に染まった。色彩を失った木の葉が、地面を覆い始めている。
今朝は雨が降ったのだろうか。土の湿った香りがする。この匂いを、ルハネス・ブレイスは嫌いではなかった。
そういえば、あの日も秋雨が降っていただろうか。いま思い返せば、ずいぶんと遠いところまで来た気がする。
結局自分の努力は報われなかった。
けれど、それも仕方ないだろう。
俺には才能がなかった。
ただ、それだけのことだ。
暗い気分に陥りかけたとき、ふいに背後から何者かが近寄ってくる気配がした。
「ルハネス……起きておったか」
「師匠……」
振り返ると、襖の奥から、ルハネスの師匠――ユングが顔を覗かせていた。
立派な白髭が特徴的な、もう七十にも迫ろうかというご老人だ。顔にはいくつもの深い皺が刻まれており、長く深い経験を味わってきたことを想起させる。
一見すると、すこしバイタリティのある老人のように思えるが、彼はそれどころの人物ではない。
ルハネスの師匠――秋陰一刀流の師範である。彼が太刀を持てば、そこらの魔獣などまったく相手にならない。
「ずいぶんとお早いですね、師匠。弟子たちはまだ寝ているというのに」
「……それはの。大事な日じゃからな」
「…………」
「来なさい。最後の日くらい、茶をともにしようではないか」
ルハネスは捨て子だった。
両親のことはなにも知らない。名前すら聞かされていない。
後に聞いた話によると、たったひとり、サクセン山に捨てられていたのだという。タオル一枚だけにくるまれ、ほぼ無防備な状態で泣き叫んでいたらしい。暗い秋雨の降る夜だった。
魔獣にでも見つかってしまえば、すぐにでも餌食になってしまっていただろう。ここサクセン山には、危険な魔獣がうようよ徘徊している。
そんなルハネスをユングが拾い上げたのは、不幸中の幸いというべきだろう。誰の子とも知れないルハネスを、ユングはずっと育て上げてくれたのだ。
「前から言っておるが、おぬしはワシの弟子でもあり息子じゃ。破門を受け入れずとも、ここにいてもよいのじゃぞ?」
「いえ……」
ルハネスは首を横に振る。
「いつまでも師匠に頼るわけにはいきませんよ。俺はもうひとりで生きていけます。自立するときが来たんですよ」
「…………」
「秋陰一刀流……はは、俺にはちょっと、才能がなかったみたいですね……」
無償で育ててくれたユングに対し、ルハネスは昔から申し訳なさを抱いていた。彼はもう老体なのに、自分が穀潰しになるわけにはいかないと。
そう思ったルハネスは、ユングの弟子になることを決意した。
寝所は道場を借りるとしても、食事や水分などはすべて自分で賄っていく。そうしながら、みずから剣の腕を磨いていくのである。さすがは世界一の剣術というだけあって、それはもう厳しい修行の連続だった。
また、秋陰一刀流は才能なき者にも冷酷である。
弟子にはみな階級が与えられ、それぞれ下から8級~1級まで存在する。数字が若い階級ほど強者、ということだ。
秋陰一刀流が厳しいと言われる理由は、この階級にタイムリミットが設定されていることによる。
それぞれ三年以上経っても上の階級に上がれなければ――破門。
そんな仕組みになっているのだ。
ただし、三級以上ともなれば話は別で、ここからはタイムリミットは解除される。
ルハネスは、その一歩手前――四級のところで止まってしまった。
昨日でちょうど三年。
今日付けで破門になる。
ルハネスは正座したまま茶を飲み干すと、小さい声で言った。
「俺は精一杯やりました。努力は尽くしたつもりです。それでも上がれなかったのは……きっと、才能がなかったんでしょう」
「ルハネス……」
「俺だけ特別扱いだと、他の弟子に申し訳が立たないでしょう? 出て行きますよ。自分で新しい道を見つけます」
「行く宛はあるのか? お主、実家の場所もわからんだろうに……」
「ありませんよ。でも、俺も今年で十八です。自分の道くらい、自分で見つけますよ」
「……そうか。わかった。決意は固いようだの」
言いながら、ユングはしっかりと俺の片手を握った。
「あの陽気な幼子が、ここまでしっかり成長してくれるとは。ワシは嬉しいぞ」
「師匠……」
「行く宛がないのであれば、帝都に行き、魔術学園に通うことを提案する。そこならば当面の住居は確保できよう」
「魔術学園……ですか?」
意外な提案だった。
ルハネスはずっと剣一筋に生きてきたのに、いきなり魔術師だとは。
ルハネスには魔術のまの字さえよくわからない。だって難しそうだから。
「はは……。魔術ですか。まあ……剣の才能はないですし、それも手ですね」
「いや違う。お主が三級になれなかったのは、剣の腕前ではないのだよ」
「え……?」
「とりあえず、魔術学園に行ってみるとよい。さすればいつかは、自分を見つめ直すことができるじゃろう」
「…………?」
よくわからない。
よくわからないが、いままで師匠の言葉に従って悪いことは一度もなかった。
おそらく、なにか考えがあるのだと思う。
「わかりました。まず魔術学園に行ってみようと思います」
「うむ。そうするがよい」
ユングはそこで心配そうにルハネスを見つめた。
「お主はすこし常識に欠ける部分があるからの。あまり騒ぎを起こすでないぞ」
「え? 常識ないですか? 俺」
「まあ……いずれわかるじゃろうて……」
呆れ顔になるユングだが、ルハネスにはなんのことだかわからない。
気づけば、窓の外がすこしだけ明るくなりつつあった。
そろそろ他の弟子たちが起きる時間だろう。
「それじゃ、俺はこれで。師匠……いままで、お世話になりました」
「達者でな。なにかあったら、すぐにでも駆けつけてやろうぞ」
最後に固い握手を交わし、ルハネスは道場を後にする。
そしてふと、気づいた。
あのときは暗い秋雨が降っていたらしいが、いまはわずかな晴れ間が覗いていることに。