さよなら ナージャ
梶 一誠でございます。
今回の短編『さよなら ナージャ』は”わたし”という一人称形式に初めて挑戦してみた作品です。初投稿から約二年ほど過ぎましたが、今回多少修正を加えてみました。感想でご指摘を戴いた部分と多少の加筆で編集させていただきました。
今年も夏が来る。忌々しいくらいの強い日差しに目を細めなけりゃいられなくなる頃になると、わたしはいつも思い出すのだ。もう何年も前になるのか、大分月日は経ったはずだけど、あの光景は昨日のようにしっかり思い出すことができるの。
それはもう、見渡すばかりのヒマワリ。黄色一色で埋め尽くされた地平線一杯に広がる、ヒマワリの畑。わたしに忠実な”サヴァーチィ”(わんこちゃん)、そしてわたしと同じ制服をまとった仲間たちが乗員の居住性なんかまるで無視された狭いその車中にスシ詰めになって、その時を待っていた。
「さぁ、わたしのわんこちゃん。今日もしっかりね。大丈夫さ」わたしは狙撃兵の的にならないように天蓋を盾にするようにして前方の視野を確認しながら、”サヴァーチィ”を前進させた。
もうこうやって幾多の瓦礫と焼け跡ばかりの街を、敵に略奪されつくした後に、パルチザンへの協力者であるとして見せしめに村人が家々の軒先に吊るされたいくつもの農村を通り過ぎてきた経験から、すっかり身についてしまった習慣だった。
12気筒500馬力のディーゼル・エンジンがわたしが勝手に”サヴァーチィ”と名付けたT‐34/76型戦車の心臓だ。それが呻りを上げて鋼鉄の車体の両側にある履帯が人の背丈かそれ以上のヒマワリを茎ごと踏み潰していく。
ヒマワリの茎は意外に大きなミシミシと音を立てて潰されていった。
「いやな音だ。人を潰しているみたい」と、砲塔から首だけ出すようにしながらひとり言を言ったつもりだったが、足下から操縦手のヴォリスが
「気にしすぎだよ」と、持ち前の野太い声で返してきた。
このT‐34の砲塔の下で車体部分の運転席ですごく硬くて、扱いづらい二本の操縦棹を握っているヴォリス・アントノフとその右隣で車載機関銃を握っているミハエル・コーチェトフ、二人の男性のヘルメット姿に目を向けた。
操縦手のヴォリスは気さくで好く話しかけてくるが、機関銃手のミハエルは対照的に無口だ。二人とも年は二〇代前半であろうが、身体の大柄なヴォリスは年相応のロシアの兄ちゃんといった風情なのだが、細身で長身のミハエルの方は、神経質そうで一〇歳くらいは老けて見える。彼が口を開くのは戦闘中に機関銃を敵の歩兵に向けながら、『おお神よ、神よ。お許し下さい』と呟く時と決まっている。だからわたしと他の仲間は彼を”坊さん”と呼んでいる。
この”サヴァーチィ”の乗員はわたしを含め四人だ。あと一人は、わたしとペアでこの狭い砲塔部で砲弾を詰め込む装填手。
「ねえ、ナヂェージタ……。オメェさぁ、今月”あれ”さ来たかねぇ?」射撃手兼車長用の座席に腰かけるわたしの膝にぴったり顔を寄せて、こう言ってきたのが装填手のエレーナ・イワーノヴナ・パナセンコ。同い年で小柄で顔はソバカスだらけだけど、目がくりくりした可愛い女の子。剛毛で茶色のくせっ毛が嫌いだといつも言っていて、戦車兵用の独特なデザインのヘルメットは大きすぎていつも斜めに被っている。
「……ううん、来ないねぇ。エリィーチャ……わたしたち”女”じゃなくなっちゃたのかな?」
「冗談言わんでけさい!これはきっとあたしらに男性用の下着しか支給されないのが原因なんだべよ」エリィーチャが真剣で円らな黒い瞳をわたしに向けて訴えるので、わたしは思わず吹き出してしまった。
食糧事情は決して良いとはいえない状況下にあって、加えて不眠不休での戦闘と撤退のくり返しでたぶんホルモンバランスが著しく低下したためだろう”生理”そのものが止まってしまう事態は、従軍している女性兵士たちの間でいくつかの症例があったくらいなのだ。
”サヴァーチィ”の車体の上には、タンクデサント兵が四、五名。彼らは年齢も顔つきもまちまちで、ヒゲ面でいかにもベテランといった風情の古参兵に、うちの実家の隣に住んでいた従兄弟みたいに若い兄ちゃんもいた。中には、昔ならタタール人って呼ばれていた、モンゴル系の目付きが鋭い精悍な平べったい顔つきの兵士も数人混じっていたりしていた。
「そろそろ、来ますかいな?」見た目がベテランっぽいロシア人の古参兵が砲塔の後ろから聞いてきた。
「飛び降りる準備を……。あのモンゴル人たちにも伝えて」と、だけ言ってから砲塔の天蓋を閉めた。
車内は蒸し風呂だ。天蓋は閉じたくはないが、死にたくもない。わたしは砲塔の上部にパトカーの回転ランプみたいな形でピョコンと飛び出している車長用の潜望鏡から進行方向と周囲を見渡した。
”サヴァーチィ”の両隣、ほぼ一〇メートル間隔でT‐34/76型戦車が横並びで進んでいくのが見えるのと、中にはKV-1型重戦車というT‐34より一回り大型の戦車もいた。全ての車両の上にはタンクデサント兵が銃を構えている。
少し前進すると、我々の戦車中隊は、少し小高い丘のてっぺん付近からゆるいくだり坂を降りはじめた。そこからでも、ただただ一面に黄色の絵の具を流したみたいなヒマワリ畑が広がっている。その中でその黄色が途切れる箇所が見えはじめた。集団農場の納屋か、あるいは倉庫らしい頑丈なレンガ造りの建物を遠くの視界にとらえながら
「クソッ!向こうからは丸見えだな。待ち伏せし放題だよ」わたしは誰に言うこともなく大声を張り上げるのだ。そうでないとエンジン音が轟音を上げる車内では指示が通らないし、戦闘中ではなおさらだ。もちろん喉マイクという、装着した喉の振動をダイレクトに音声に変えてヘルメット内に伝達してくれる戦車兵独特の装備を使ってはいるのだが。
「ちょい待ち!……少し、速度をおとして。ゆっくり…に」そう指示をいれたときだった。
納屋の付近から、ちかっ!ちかっ!と、火花と言うか白い閃光がいくつか走ったのが見えた。
そのままのスピードだったら、ちょうどわたしの”サヴァーチィ”が到達していたであろう、すぐ前方で弾着!ヒマワリが根こそぎ十数束分、宙に舞った。左斜め前を進んでいた友軍のT‐34がガクッと停車したかと思うと、その砲塔の基部辺りから黒煙が上がり、みるみる火炎に包まれていくのが見えた。タンクデサント兵は火炎に巻き込まれまいと飛び降りたが、戦車からは誰一人降りてこなかった。
それが合図となって戦車搭乗兵と呼ばれる兵隊は、全て持ち場の戦車から降りて、横か後方に隠れるようにして前進を進めていくのだ。
「前進だ!前進!止まるなよ。敵戦車に肉迫するぞぉー。戦車、前へぇー!」わたしの命令に
「了解!車長殿、ずい分さまになってきたな。大したもんだよ、お前さんは」ヴォリスが何やら楽しげに操縦棹を操作するの尻目に、装填手のエレーナへ
「徹甲弾用意!」と、指示。
「ダァーッ!装填完了!いつでもいけます」エレーナは勇ましく報告したくせに
「”馬車馬”(ドイツのⅣ号戦車のこと)ならいいけど、”虎”(Ⅵ号重戦車の名称)だったらどうする?ナージャァ」今度は泣きべそ掻きそうなくらい情けない声をあげている相棒に
「”虎”ならケツまくって逃げる!」と、言った後気休めに、わたしは彼女のヘルメットを軽く叩きながら無理やりの笑顔をつくってやるしかなかった。
敵の戦車は恐らくはどこの戦線でも必ずいた、まさにドイツ軍の馬車馬的存在のⅣ号戦車であろう。着弾時の威力がそれを予測させた。”虎”の88ミリ対戦車砲ならもっと凄まじく土を掘り返すし、さっきの友軍のT‐34も、命中した途端に砲塔を数メートルは高々と吹っ飛ばされるはずだからだ。
わたしは車長用の潜望鏡から、”サヴァーチィ”の76ミリ砲の脇にある照準レンズに位置を変えて中を覗きこむ。クソ重い砲塔旋回用のハンドルをエレーナと二人で回す。十字線と細かい目盛りが刻印されたレンズには、黄色いヒマワリばかりが映る。一向に戦車や敵の歩兵の姿も見えて来ないことに焦れて、あたり構わず悪態をついていた。
これも身についてしまったクセだった。これは何も現場の状況が思わしくないばかりではなく、何でわたしはこんな所にいるんだろうか、という事に関して。
(何で?こうなった!何で?……わたしはここで何をしている?卵とバターをもらったらそれで終わりのはずだったのにぃ)
そう、あの日わたしは母の言いつけで町役場で卵とバターの配給があるらしいから行ってきてと言われたことがきっかけでこうなっているのだった。
「敵戦車だぁ!」と叫ぶ声が車外からするのとその合図で装甲を叩く音は同時だった。勇敢なタンクデサント兵の一人、恐らくはあの古参兵がまだ砲塔の上で頑張って見張り役を買ってくれていたのだろう。
「停止!」叩かれた方向の左側面に砲塔を旋回させる。
(早くぅ!もっと早くぅ)心の叫びが早鐘みたいに脳味噌の中で共鳴する。やがて、視界の十字線にはヒマワリの波を掻き分けるようしているドイツのⅣ号戦車が一輌。ほかにもいるはずだろうがまだ見えて来ない。そいつはこちらに横腹を晒している。履帯から車体の上まで泥だらけで、半分畑に埋まっているかのようにも見える。ゆっくりとあちらさんも砲塔を旋回させ始めていた。
搭載している対戦車砲をぶっ放すにも一度、戦車を停止させないといけない。移動しながらの射撃はできない。これは両軍とも、というかこの時代の戦車には世界共通の事ではあった。
「いいなぁ!あっちは電動式らしいじゃない。こっちは手動式で……なんでこうもクソ重いんだよぉ」エレーナが愚痴をこぼしながら旋回させる間に、わたしは狙いをつける。
距離は照準機の目盛りからだとざっと一五〇〇はある。まだ少し遠いが……奴の姿がこちらの十字線に入った。
わたしは一度大きく息をすってから
「ァゴーーニィ!(撃ぇー!)」と、この叫びに忠実な”サヴァーチ”ことT‐34/76型戦車は攻撃の火蓋を切ったのだ。
わたしたちの旅団はドニエプル河に迫っていた。数キロ先には鉄橋が掛かっていてこの渡河地点を死守するためにドイツ軍は踏ん張っていたのだ。
あの世界的に有名になった『クルクス大戦車戦』におけるドイツ軍の猛攻を退けた我がソ連軍は、第四次ハリコフ攻防戦を経て、いよいよ敵の南方方面軍をドニエプル河畔での防衛ラインまで追い込んでいたのだった。
一九四三年九月の暑い日だった。
この国の指導者である同志スターリンの言う『大祖国戦争』が始まって、二年が過ぎようとしていた。一般的には独ソ戦って言われているらしいけど。わたしには今一つピンと来ないのだ。
わたしはナージャ、周りからそう呼ばれて育ってきた。本名はナヂェージタ・ミハイロヴナ・スミルノワ、あの年の夏で一九歳になっていた。一九四一年の九月に徴兵されたわたしの背は従軍している間に何と、八センチも伸びていたのだ。
「あんのぉ、卵とバターの配給があるって聞いてきたんだけんどぉ……ここに並んでて良かったんだべがぁ?」そういうわたしに勲章を付けた軍服で立派な鼻ヒゲをした係官の中年の男は、質問には答えてくれずにジロリと上目使いにわたしを品定めするようにして逆に
「健康か?」、「親、兄弟は?」、「文字は読めるか?」そして最後に「歳は?」と矢継ぎ早に聞いてきたのでその全てに
「はい、健康ですだ」、「両親はいますけんど、親父は前の”国内戦”で片足が無いんです。妹が二人、マーリカとヨハンナです」、「学校行ってました。地図も読めますです」そして「一七歳です」と、真面目に答えたのだ。
係官の偉そうにしてた人は、わたしの”地図も”の所でジロリともう一回わたしの顔をねめつけるようにしてから一枚の書面に”合格”と記された大きなゴム印を叩きつけるように捺印するとプイッとそれを渡しては、隣の列に並べという。
(何だべかぁ?)少しぷりぷりしながらまたその左側の列に並んだ。係官の男はわたしの後ろの人にも同じような質問を繰り返している。
わたしはただ、町役場前の広場で今日は卵とバターの配給があるらしいから、もらって来てという母の言いつけを守ってやって来ただけなのだ。何であんな質問っていうか尋問みたいなことされにゃいかんのかさっぱり判らんかった。
その列の最前列にも軍服の人。こんどは兵卒らしい。今度の人はわたしを一瞥するなり、ニヤリとしてからカーキ色の合切袋を投げるようにして渡して、さらにその上にくたびれた黒い革製のブーツ型の軍靴を載せてから、また左の列に並びなおせと言う。
(いったい、なんだべやぁ?)眉間に皺を寄せてもなお言われるままに並んでいると、やっと配給品がもらえたのだ。バターは一家族分。卵は大きい籠に山積みになっていて、家から持ってきた手提げ式の網カゴにそれこそ、目一杯潰れないように慎重に入れていったのだ。さらに嬉しいことにサラミ!大きい奴が丸々一本。それに砂糖、砂糖だ!わたしは卵で一杯のかごの代わりに合切袋に砂糖とサラミを押し込もうとその結わえ口を解いた。
中からは……軍服が一式?赤い星マークのついた略帽と男物の下着が……。
(わけわかんねぇべ!なしてぇ父ちゃんがはくステテコなんてくれるんだっぺか?)その時には事情がいっさい呑みこめなかったわたしだったが、とにかく配給品はもらえたのだ。
わたしが嬉々として帰ろうとすると、町役場前の広場を警護していた兵隊に”偉い人”のお話があるから最後まで聞いていくようにと止められてしまった。
よく町長さんが話す演台に上って来た、たぶんこの人が”偉い人”と思しき、これまたキンピカで勲章が重そうな軍服のオッサンの話を聞いてからわたしの意識はその場で凍りついた。
家につくなりペチカの前にいた母に
「母ちゃん!オレ、兵隊になっただよ!明後日には汽車にのって連隊本部って所に行くんだって!」と、言うと母は別に驚いた風でもなく、わたしをほっかむりしたままの野良着で抱き寄せてくれてから
「……ナヂェージタや堪忍なぁ」と、だけいった。
その晩、父はやけに興奮していた。そしてことある事に
「レーニンとその弟子であるスターリンのためなんだ!あの人たちの革命のおかげでおまえ達は農奴に生まれなくてよくなったんだぞ!感謝せにゃいかん。そして……ご恩返しする時なんだよ!」と言ってから、自分の義足を片手で叩いては
「情けないが、家はこうするしか無かったんだ!オレが、オレがこんなんじゃなかったら!」と、そればかりを繰り返したのだった。
厳格で、典型的な家父長である父はいつもこんな具合だった。わたしたち家族は怒鳴り散らす父の前では終始無言を通していた。わたしは父が笑っている姿をあまり覚えてはいない。黙って仕事に出る父の背中を指を咥えて見送るばかりの小さい時分の頃をふと思い出した。
母も何も言わずに黙って料理の片付けをしていて、わたしが手伝おうとするとこの夜だけは”いいから座ってなさい”と身振りだけ。
わたしは二人の妹、マーリカとヨハンナの肩を抱いて代わる代わるその額にキスをした。家を出る時マーリカは一〇歳で末っ子のヨハンナは八歳であったと思う。
出発前の晩は二人がせがむので、添い寝をしてやった。まだ暗いうちの朝方にやっぱりわたしが寝相の悪い二人のためにベッドから追い出されてしまった。しかたなく、マーリカのベッドに潜り込む。妹の匂いがこびり付く毛布にくるまっているうちに、涙が止めどなく溢れた。声を上げないように口に毛布をあてて声を殺して、不安で、怖くてわたしは泣いたのだ。
出発の朝は、駅前は騒然としていてこんなにもいっぱいの人がわたしの故郷の町にはいたのかと驚くばかりの人だかり。となりに住む叔父さんが操る馬車に揺られて、母と妹二人が見送りに着てくれた。父は足を理由に来なかった。
母は何回もわたしにキスをしてじーっとわたしの顔を見つめるだけだ。自分の娘がどんな顔をしていたか記憶に焼き付けるみたいにして。
妹二人は寄り添って、その様子を黙って見ているばかりなので、わたしは思いっきりの笑顔を造って
「待ってな!帰りには旦那さん、連れてくるかもよ」と、言ってやると
「やんだぁー姉ちゃんのスケベ!」二人は明るくケタケタと笑ってくれた。その時だった。
「全員、乗車ぁ!見送りの連中は離れろお。乗車だぁ!」カミナリみたいな怒鳴り声が降って来た。それを合図にみんなが、すでに席がいっぱいになっている客車に乗り込んでいく。わたしも客車の乗降口で手摺につかまってゆっくりと動き出した汽車から家族に手を振った。
妹の二人はしきりに手を、肩から腕が引きちぎれんばかりに手を振ってくれていたが、母はもう背中を丸めてこっちを見ようとはしなかった。
人だかりの駅が小さくなって、やがて先頭の機関車から汽笛が上がった時、線路わきの農道に一台のトラックが土塊と砂埃を巻き上げて迫って来た。荷台にはやはり見送りであろう男たちが数名見えた。ふと、そこから
「ナージャァー!ナヂェージタァ―!」との声が。
父だった。片足だけの父は揺れる荷台にしがみつき落ちないように周囲の見ず知らずの人に抑えられながら声の限りに叫んでいた。顔をくしゃくやにさせ、涙を拭おうともしない父の姿なぞ見たことがなかったわたしも思わず身体と手を伸ばし
「父さん!父ちゃぁーん!」叫ぶわたしの襟首と肩を誰かが落ちないように抑えてくれていた。いつしかわたしも父と同じように形振りかまわず声を振り絞って父の名を呼び、焼き付けておきたい父さんの姿は滲んで行くばかりとなった。
やがて汽車は大きな鉄橋へと差し掛かる。農道が途切れて停車したトラックの荷台から運転席の屋根に乗り上げるようにしてまで声の限りにわたしの名前だけを叫び続けてくれた父。それがわたしが見た父さんの最後の姿だった。
手すりにしがみ付いたまま泣き伏すわたしの背中を誰かがさすっていてくれたのを今でも思い出す。
連隊本部って所は遠巻きに見えているだけで、練兵場での訓練を受けたのは一週間だけだった。整列と行進ばかり。銃は木銃で、構え方を仕込まれて、銃剣での突撃演習が少しだけ。わたしはここで二人の女の子と友達になった。ワーニャとオリガだった。
三人はいつもいっしょだった。前線に出た時も……。本物の銃も、防弾ヘルメットも何も無いままトラックに詰め込まれた。周りから特にベテランの軍曹に怒られないようにわたしたちは”装備も無いのにどうしろっていうの”と小声で話し合ったものだ。
スミルノワ二等兵の初めての前線は、小高い丘にある林から下に広がる原野になっている所で、後方からは絶えず重砲の砲撃音がするが、その姿はかいま見えなかった。着弾点は数キロ先の森林地帯。閃光が上がるたびに土と木々が激しく吹き飛ばされ掘り返されている様子が見えた。耳がおかしくなるくらいの轟音。想像だにしていなかったのは本当だ。
その手前の原野には所々に倒れている友軍兵士がいた。草むらの中に、戦車が残した轍の上、砲撃で出来た穴、水溜りになってしまっている塹壕の中、いたるところに遺体が野ざらしになっていた。
わたしたちの部隊の中隊長はこう言った。
「新兵ども!装備を拾ってこい。貴様らに宛がう銃も、ヘルメットも足りんのだ。武運拙く逝ってしまった戦友から装備を分けてもらうんだぞ!」この中隊長の名前はもう忘れてしまった。彼は整列している軍服だけの小銃も拳銃も無い男女混合の兵卒約五〇名の中からわたしたち三人を見つけ出して、わざわざ目の前まで来ては
「男も女でも、おまえら”ねんね”にも戦場に出てもらう!ここまで大きくしてもらった祖国に感謝しろ!ありがたく先輩がたの装備は使えよ。一つとして無駄にするな!……あと一回、効力射のあとに全員走れ!」と、号令をかけた。
わたしたちは一斉に丘から、林の外の原野に向って駆け下りた。なるべくキレイな遺体にしたかったが、そんな状態の遺体にめぐり合っても、わたしたちは震えて立ち竦むばかりで……。三人で一人のご遺体からヘルメットはワーニャが。ライフル型の小銃はオリガ。革製の肩からタスキ状に装備するサム・ブラウン型ベルトとホルスターに納められた拳銃のトカレフはわたしがもらった。
「すみません!すみません!」あちこちに転がる友軍兵士の遺体に取りつく前には三人でこう言いながら、作業に掛かった。
「何だよ!こんなのはぁ。あたしたち追い剥ぎみたいじゃないかぁー」ワーニャがキレイな碧い目から大粒の涙を流しながらも声を震わせて喚いているのを聞いた。それでも装備は自分が死なないために必要で……。
三人がやっとまともに戦地で働ける状態になるまでの装備を揃えられたのは二時間くらいしてからだった。周囲のご遺体はもう昔で言う”落ち武者狩り”にあったみたいに目ぼしい装備は全て奪い取られて、下着姿のご遺体もあった。
その後は、中隊長からの命令で友軍兵士の遺体を集めさせられ一箇所に穴を掘ってから埋めたのだ。これが云わばわたしの初陣であったのだ。
この後、半年もしないうちに二人とは戦闘中にはぐれた……。オリガは敵の放った重砲弾の直撃で死体すら残らなかった。ワーニャは……ワーニャは……その亡くなる前にドイツ軍につかまったらしく……彼女はとても可愛らしかったから……。
戦争だから、ごめんなさい。言いたくないの。
わたしの部隊が壊滅状態になってからしばらくは前線の野戦病院というか、あれが病院って言えるのか考えちゃうけど…。そこで看護婦みたいな真似をしていたこともあった。
仕事と言っても、冬なのに吹きさらしのテント一枚で覆われた応急処理場で包帯をして、負傷兵に水を飲ませてあげること。そして、後方の病院に行く迎えのトラックに助かりそうな負傷者を移送するのを手伝うことばかり。
まったく何でもやらされた。人手がいつもいつも不足していたのは仕方がないのだけれど。仮眠が取れるのは毎日ざっと二時間ばかり。誰かの声で目が覚めると
「看護婦さぁん…水をおくれ」とか「もう、いやだぁ!殺してくれよ」とか泣き叫ぶ負傷兵に寄り添う日々だった。
悪態をついてわたしたち看護婦に八つ当たりする兵士。立ったまま眠っていたこともあったし、その時は軍医からビンタされた。
その頃からか、ストレスと疲労が積み重なってくると女性の”アレ”が不順になったり、しばらく止まってしまうことが多くなっていった。
今でも覚えていることがある。それはある日のこと、重傷者の包帯を替えて、というか膿と固まった血液でガチガチになった包帯の滓をハサミで切りとってから綺麗な、これも新品ではなくて近くの小川で雑に洗って干しておいたために黄色く変色した包帯に替えてあげて、水を飲ませてあげていると、負傷兵の中から聞き覚えの無い言葉を発している人がいた。
わたしは声の主を捜したが見えなかった。その人は意外にも自分のすぐ後ろの簡易ベッドの陰になっていて姿が見えなかっただけだった。
ドイツ兵だった。それも年もわたしとそう離れてはいない少年兵。どうやら負傷兵だらけの前線から引っ張りだす際に誰かが一緒に連れてきてしまったらしい。
この少年兵は急ごしらえの担架のままで土の上で転がされていて、片足が膝から下がそっくり無くなっていて、血が黒々と汚れた包帯の上から滲んでいた。担架までもう真っ赤になって、その反面に顔はもう真っ白になって生気がなくなりつつある。そのまだ”男の子”と言っても良い兵隊はドイツ語で
「ママァー、ママァー」と、うわの空で呻いている。手が空を泳いでいるうちにわたしの肘をつかんだ。
その途端に、彼は必死に身体を担架から起こそうとしてさらに、背中を向けている上半身にしがみ付こうとしてくる。
わたしはその手を振り払ってから立ち上がって
「全部、お前らが悪いんだ!二ェーメツめ!いい気味だ!」その少年をにらみ付けて離れようとしたが、彼は今度はわたしのブーツの足首に縋りついては、うわ言を繰り返すのだ。
その少年兵を、じっとしばらくは見つめていたが……どうしてかその時はその場で膝をついて少年兵の身体を抱いてあげてしまったのだ。
ドイツの少年はわたしの胸の中で母国語で何事かを喋っている。外国語なんて勉強したことなんか無かったけど、その時は彼が何を言っているのか判るような気がしていた。きっと彼はこう言っていたんじゃないかと……思う。
「母ちゃんだ!母ちゃんだぁ……。おれ、生きて帰ってきたよ。もういいんだよね。戦争行かなくていいんだよね?家にずっといていいんだよねぇ」消え入るような声でそれこそ最後の力を振り絞るようにしてしがみ付いて来る彼。わたしは彼にロシア語で
「ダァー……。ダァー」と、言いながら頭をなでてやるだけ。
「そんな小僧、放っておいておれの包帯、替えてくれよ!」と、怒鳴ってくるいい大人の負傷兵を、わたしは思わず”キッ”とにらみ付けてしまった。
そうする内にこの少年兵はわたしの腕の中でこと切れた。
その後に怒鳴ってきた負傷兵の包帯を無言で替えてあげた。でも……その途中で涙がこぼれてきた。
(あいつは敵だ!憎い敵なのに……。奴らは街を焼いたじゃないか!村々を襲ってからいっぱい殺したじゃないか!祖国の敵なのに……)自分に何回もこう言い聞かせても溢れてくるものが抑えられなかった。
「……さっきは悪かったよ」と、怒鳴りつけてきた負傷兵が言う言葉を耳にはしたけれど、わたしの心の隅のどこにも引っ掛からなかった。ただ黙々と目の前の仕事をこなすばかりだった。
その野戦病院も戦線が後退するうちにバラバラになってしまい、わたしはある歩兵師団に配属と言うより拾われたと言った方がいいかもしれない。そこでは主に偵察任務に駆り出されていた。
一九四二年、厳しい冬の入り口に差し掛かった頃だった。わたしは前線偵察に出ていたのだが、目的地に到着するまえに一輌の戦車が砂利だらけの辺りに何も無い路肩に停車している所に出くわした。
道の両側は茶色に変色している草原で、その草ぐさの上っ張りには夜のうちについた霜がしぶとく残っていて、薄茶と白のまだら模様が延々と私の視界の中で広がっていた。
「危険だなぁ……。敵機のいい的だよ」その戦車を遠巻きにして、早足で駆け抜けようとした時にいきなり背後から
「へーンデホッホ!」ドイツ語で”手を上げろ!”の意味の言葉を投げかけられてしまったのだ。
わたしのその時の格好は、頭からウシャンカ(有名なロシアの毛皮帽)の上にヘルメット。顔はうす汚れて垢だらけ。髪も短くしててボサボサだったし、ダークグレー色で冬用の厚手のコートにゴワゴワの革ブーツは泥だらけ、国産の自動小銃を携えていたのだが……。
これでドイツ兵と勘違いしているマヌケな友軍兵士にわたしは”イラッ”ときて
「味方でしょうが!同志ぃー、どこ見てんだよ」と、言われるまま手を上げて振り返らずに答えた。太いソーセージみたいなクッションの付いた独特な戦車兵用のヘルメット姿の中年男がわたしの姿を拳銃を構えながら上から下まで、見て取ってから大笑いして
「ヴォリスゥー、信じられるかぁ。女の子だぜ」その戦車兵はユリウスと言った。あとの二人がわたしの仲間になったヴォリス・アントノフとミハエル・コーチェトフとのこれが初対面であった。
あとの一人はわたしの位置からは見えない戦車の反対側の道端で仰向けにされていた。狙撃兵にやられて額を撃ち抜かれていたのだ。
その人が車長で士官であったという。被害を免れた彼ら三人は、同じ隊の友軍戦車が狙撃兵を始末してくれた後に停車して遺体を降ろしていた最中であったのだと言う。しかし、彼らには問題が……。
このメンバーの中では年長のユリウスは、文盲で士官が握っていた地図を読むことが出来なかったのだ。あとの二人も同様で、ヴォリスのほうは読み書きはできるが地図に関してはまるで素人。一見、インテリっぽく見えるミハエルなど書物は聖書しか見たことないというあり様だった。
士官であったこの戦車の名も知らぬ車長を路肩に埋めてから ”どれ貸してみぃ”と戦車の装甲部に地図を広げ、自分の胸ポケットから方位磁石を取り出し、地図上に記載されている北と方位磁石の北の位置を重ね合わせてから
「ここがね現在位置でしょ。どこに行きたいのよ?……ふぅーん、この河沿いの原野かぁ。じゃあね、あとここから数キロ先にT字路が出てくるからそこを右折して……うん?」地図をみながら説明してあげていると、ヴォリスが
「姉ちゃん、ビスケット食うか?」と差し出す。わたしは遠慮なくいただきました。
「お姉ちゃん、ワイン飲むか?やれよ」ユリウスもワインの瓶を渡すので、これもラッパ飲み。
”げふーっ”と辺りを憚らずにゲップをかましてから、にやにやしている三人を見ていると
「食ったよな?」と、ヴォリス。「飲んだよなぁ」これはユリウスが言ってくるので、わたしはうんうんと頷くと、三人は
「ヨシッ!もう姉ちゃんはオレ達のツレだぞぉ。今から君がオレ達の車長だぁ!おれ等を集合地点まで連れてけぇ」
この野郎どもは無茶言いよるわい!と、思う間もなく生まれて初めての戦車である、T‐34/76型の車上に上げられた。
「うわっ高ぇなぁ!」これがわたしの戦車初体験の感想だった。これじゃぁ市街地戦なんかでは狙撃兵の的になり易いだろうことは疑いの余地はなかった。
「ここに座れ!」ユリウスに、車体の上の六角形をしている砲塔の中へと招きいれられて
「む、無理だよぉ!わたし実家じゃ馬車しか乗ったことないんだけどぉ」と、言ってみてもこのバカ共は
「地図ぅーが読めーるぅ姉ちゃん見っけ♪文字ぃーも読めーるぅ姉ちゃん見っけ♪」と、まあ変な節回しで車内で歌いだしたのだ。装填手のユリウスが、四角い赤ら顔でゲタゲタ笑いながら
「大丈夫だ!姉ちゃんはおれたちにここから地図を見ていてくれて、真っ直ぐ走れとか、右行け!左曲がれって言えばいいんだよ。要はな、深い溝に片側の履帯が落ちないように注意すればいいんだ。操縦はおれ等にまかせりゃいい。細かい射撃のコツもわしが教えたる」
「……ユリウスさん、酔ってないかい?」わたしが聞くと、彼はわたしの背中をバンッって叩いてから
「ワインなんざぁ色つきの水だぁ!」と、上機嫌で「さぁ先ずは タンキ フピェリョート!だぁ」って言って来るので仕方なく
「戦車、前へぇー!」この戦車乗り込み初号令でこの鋼鉄の従僕で、わたしにとって初代の”サヴァーチィ”は一度、身を震わすように振動するとこの戦車の足である履帯を回転させて動きだした。揺れは半端ナイ!舌を噛みそうになるのをこらえつつ前方を見ようとするが、この戦車の砲塔上部のハッチ、天蓋が”でーん”とわたしの視界を遮っているではないか。
「な、何でこんなに見ずらいのよぉ!ジャマ臭いハッチじゃぁ」わたしはその天蓋の脇から顔をぬうっと出して前方を見るしかなかった。しかもおっかなびっくりで。顔を出したとたんに何か飛んできそうな気がして仕方がないのである。
「文句言わないの!わが赤軍兵士は与えられた装備には慣れるんだよ!姉ちゃん」
隣で何がうれしいのか絶えずにこにこしている装填手のオヤジに
「わたしはナヂェージタよ。ナヂェージタ・ミハイロヴナ・スミルノワっていうの」と、初めて名乗ると男連中は声を揃えては
「おれたちの新しい車長のナヂェージタ、ナージャに万歳三唱!ウラァ!ウラァ!ウラァー」喚きたてるので、仕方なく
「わかったわよ。集合地点まではし、車長!?をやってあげるから。向こうに着いたらちゃんと後任に任せますからね」そう念押ししてしぶしぶ地図を片手に道案内してあげて、集合地点に指定されていただだっ広い野ッ原に到着した。
わたしは正直、驚いた。これほどに集合させた戦車が勢ぞろいしている光景を見るのは初めてであったからだ。
自分が乗っているT‐34/76型戦車がズラリと整列していた。百輌以上はいる!そして重装甲のKV-1型重戦車や旧式だったがT‐26型軽戦車なんて初めて見たのもこの拠点においてだった。
「な、何か……や、ヤバイことが起きそうな気がするけど……」この懸念はすぐに的中することとなる。
それもそのはずで、この日から二日後の十一月一九日、我らがソ連軍は『天王星作戦』を発動。一九四二年七月から始まった『大祖国戦争』の天王山と称されたあの『スターリングラード攻防戦』における大反抗作戦となる今次作戦においてわたし達は……スターリングラード方面軍の一旅団として前面のドイツ軍の同盟国ルーマニア第四軍に対して攻勢をかけることになっていたのだった。
冗談じゃない!わたしはなんとか理由をつけて逃げ出すことを考えていたのだが……。
戦車の前でわたしを含む四名が整列。順に点呼を受けていると、この時からの中隊長パパエフ少佐がわたしの前で
「スミルノワ上等兵、貴様は地図と命令書が読めるんだな?」こう訊ねてきたのでわたしは大きく”ハイ”とだけ答えた。その後中隊長からわたしは
「ご苦労!あとは後任にまかせるから原隊に復帰してよろしい」って、言われるのだとばかり思っていたが、さにあらず
「貴様の連隊には私から連絡しておく。早くT‐34に馴れることだ」これだけ言うと行ってしまわれた。
後に残されたわたしは
「マ、マジかぁ~」と、ゲンナリしたが三人の男共は気を付けの姿勢のままほくそ笑んでいた。
そして、作戦は予定通りに発動された。我が中隊は十一月一九日の早朝に行動を開始した。少し霧か靄がかかったような按配の平原を戦車で進んだのだ。
数キロ先の第一到達ポイントは白いヴェールの向こうであったが。靄のせいで二〇〇メートル先も見えやしなかった。
わたしは砲塔の上の目障りな天蓋を避けるようにしながら、前方確認するが未だに状況は判然とせず辺りはこちらの旅団から発せられる戦車エンジンの轟音と履帯が発するギャラギャラという土と石をすり潰して進む音が木霊のように浸透していくばかり。
隣やわたしたちの前後で進撃する友軍戦車、車体全体をオリーブグリーンで塗装されて、その砲塔部には、それぞれ白のキリル文字で”祖国のために”とか”前進せよ!”あるいは”スターリンのために”といった具合のスローガンが描かれていた。
わたしのと言うべきか、無理やり乗り合わせられ、車長をやることになったこのT‐34にも”労働者のために!”と描かれていた。わたしは出発前に、工兵隊から白ペンキをわけてもらって勝手に、このジャマな天蓋の内側に”サヴァーチィ”(わんこちゃん)と描いていたのだ。
これがわたしの戦車の名前だ。そのほうが愛着が沸くというか、乗り込む際に間違えずにすむと思ったからだ。だってみんな同じなんだもん……。外から見えるスローガンの隣に”わんこちゃん”なんて描いたら絶対怒られるだろうし。
この”サヴァーチィ”とは実家で飼っていたバカ犬で、当時はどこの家でも犬は放し飼いであって、コイツはわたしがお気に入りのブラウスを着込んでいる時に、必ず駆け寄ってきてはその泥だらけの前足をわたしの腰に回してきていやらしく腰を前後させるのだ。……恋の季節にメス犬に乗っかって……あれするみたいにである。近所の人はそれを見てげらげら笑っていたっけ……。
わたしはユリウスに、自分が車長になった経緯についてもう一度だけ疑問に思っていたことを訊ねた。
「あのさぁ……ユリウスさん。わたしでホントにいいの?本当の戦車の訓練を受けている本物の士官様ってどこにいるのよ?みんな新人っぽいんだけど」
この問いにユリウスは苦虫をかみつぶした様な表情で
「ここだけの話だぞ!スターリンの阿呆が、この『大祖国戦争』がおっ始まるまえに優秀な士官たちを何万人もシベリア送りにして、その大半は銃殺されちまったんだよ。反乱の意図があるとか無いとか嫌疑をかけられてな……。おかげで陸軍の屋台骨はぐらぐらになったままギットレル(ロシアでのヒットラーの呼び名)の攻撃を受けてよ!この様だわぃ」と、一気に吐き捨てるように言ったのだった。
初めて聞く内容に、思わず”ごくっ”と息を呑んだきり口をつぐむしかなかった。
喉の奥が異様に乾く!心臓が早鐘のようだ。勝手に手足が生えてわたしの口から飛び出て我先にここから逃げ出しそうになっている。わたしは何度も天蓋の内側に書いた”サヴァーチィ”の文字をしきりに指でなぞったのだ。弾除けのおまじないのつもりだった。
やがて、靄のはるか彼方から遠雷のような音が不気味に広がってくるのが聞こえたきたので、今や戦車指導教官代わりのユリウスに訊ねると
「敵の重砲の効力射だ!もう来るぞ」と、言ってからすぐだった。砲弾が空気を”ヒュルヒュル”と切り裂く音がすると、わたしたちの前方一〇〇メートルも離れていない地点で、大地が沸き起こった!母なる大地の海原に真っ黒な土砂の水柱が次々と生まれては消えを繰り返す。上空高くに吹き上げられた土くれの雨がすぐにも降り注いできた。
「次はここいらに砲弾が降ってくるンだよね?」
「そうだ!ナージャ。今からあの砲撃の中に突っ込んでいくしかねえんだ」彼は、隠し持った手持ちのワインをラッパ飲みしながら
「弾避けの景気づけに何か言え!」と、言ってきたのだ。
「良いけどユリウスさん。因みにさ……」と、あることを訊ねると、彼は耳打ちして教えてくれた。
戦車群はまた、前進を開始した。遅れずについて行かなくては。そこへまた敵弾の”ヒュルヒュル”音が近づいてくる。わたしはそれに合わせて
「我らが偉大な国父、同志スターリンのぉー」と砲塔の上で声を上げた次に着弾。“ズガッァァーン”“グッワァァーン”轟音の中
「〇▲✕@◇ォー‼」って言ってやりましたよ。
”サヴァーチィ”の仲間は呆けた顔を車内からわたしに向けてきた。周囲の戦車たちがわたしたちを追い越していく。
「ちょっと言ってみたかっただけぇ!」顔を真っ赤にさせて、ユリウスからもぎ取ったワインをラッパのみしてから
「ワインなんざ色付き水だぁぁ!戦車、前へぇー!」。これで戦車は一度がくんと揺れてから前進を再開した。砲塔の中からユリウスがニヤニヤしながら
「おい、本気でお前さんもシベリヤに行くつもりかよ。気ィつけろよ。指揮戦車にでも聞かれたらマジにヤバイからな!」と、言ったあとに今度はゲラゲラ笑い始めて
「この状況で、好く言えるよな!ナージャは大物だよ」
わたしは彼の言葉に耳たぶまで真っ赤にさせて
「景気づけって言うからさぁ……二度と言うもんですか」とぶつぶつ呟いたのだった。
次の重砲の効力射が今までいた地点に着弾を開始した。
このわたし個人としての戦車戦の初陣相手であったドイツの同盟軍、ルーマニア第四軍はなんとも張り合いのない相手だった。中隊の突撃で連中は算を乱して逃げ出した。装備も真新しい機関銃やらヘルメットの類まで野ッぱらに転がしたままで、やる気のないルーマニア兵たちは我先に、まさにクモの子を散らす勢いで走り去る。
ギットレルへの義理で従軍させられてる連中を、わたしは哀れに思った。老人ばかりが目立った。あるいは、あの野戦病院でわたしが最期を看取った少年兵ぐらいの男の子たちもいたのだ。
塹壕を越えて枯れ草と半ば凍って岩石みたいに硬くなり始めたロシアの大地に履帯が食い込んでは前進を続けた。
結局、この戦いでわたしたちの旅団は、もっと大きく言えばイェレメンコ将軍旗下のスターリングラード方面軍はルーマニア第四軍を蹴散らし、北上。同じく南下してきたドン方面軍(ロコソフスキー将軍)及び南西方面軍(ヴァトゥーティン将軍)とドン河近傍の都市、カラチ・ナ・ドヌーにおいて合流を果たした。
これにより、我がソ連軍はここに、フリードリヒ・パウルス将軍指揮するドイツ第六軍を完全に包囲したのだった。そして、翌年の一月三一日、ドイツ第六軍はほぼ壊滅状態で降伏。わたしたちが言う『大祖国戦争』の帰趨を左右した『スターリングラードの戦い』、ひいては第二次世界大戦のターニング・ポイントとなったこの戦いを制したのは我らであったのだ。
この戦い以降、ソ連軍はドイツ軍に対して優勢に立ち、各方面での猛反撃を本格化させることとなる。ある戦史家はこの戦いを『陸戦におけるミッドウェー海戦』と称した。彼ら歴史学者やら共産党機関誌の記者たちなんかは、この戦いの勝利は将軍達と指導者スターリンの英断と勇気によってもたらされた物である。と後日書いたけど、そんな戦いの中でも確実に両軍とも戦死者は増え続けて、やはりこちらの被害も目を覆わんばかりに膨大であったのだ。
わたしもこの戦いで大事な仲間を失った。それは……ユリウスだった。
わたしの初代”サヴァーチィ”を喰ったのは、Ⅲ号突撃砲F型という歩兵支援型の自走砲と呼ばれる車輌で、車体部分に強力な75ミリ突撃砲を装備している敵だった。背が低くてくぼ地に車体を潜ませて待ち伏せしてくる。厄介で嫌な奴だ。
どこにどう敵の弾が当たったのなんかは判らない。気がつけば車体全体が左に大きく傾いていて、いたる所から黒煙があがっていた。
操縦手のヴォリスと機関銃手のミハエルは、六〇度の傾斜が付いている車体前面にある覗き窓付きのハッチから車外へと飛び出した。
「ナージャ!飛び降りろ」ヴォリスの声に、わたしは
「ユリウスさん、行くよ!」と、彼の手を取って砲塔部から転げ落ちるようにして脱出した。でも、彼の姿は無い。あるのはわたしが握っていた彼の左腕のみ……。
「ユリウースッ!ユリウスさぁーん!」こう叫ぶわたしの両腕を抱えるようにして、生き残った二人は戦車から離れた。やがて初代”サヴァーチィ”は火炎に包まれていった。
わたしは退避した草むらの中でしゃがみ込んでしまい、ガタガタ身体の震えが止まらなくなってしまった。そしてユリウスの唯一の亡骸となってしまったちぎれた左腕を手放そうとしても、手が硬直して離れない。怯えてパニックになるわたしをミハエルは、無言で寄り添い背中をさすってくれていた。ヴォリスはわたしの硬直している手の指を一本ずつ開いて、それから引き剥がしてくれたのだった。
「ねぇ……わたしのせい?敵を見つけられなかったわたしが悪いの?」ヴォリスが少し離れた所で仲間の亡骸の一部を埋めているのを見ながら、わたしは問うた。
「行こうぜ!暗くなる前に集合地点にたどり着かんと……な。夜は冷えるぞ」彼は、問いには答えずにそれだけを言うと、わたしとミハエルを立つように促すのみだった。
ミハエルが先頭で、真中にわたし、最後尾にヴォリスといった具合で歩き始めたわたしたち。見渡す限りの薄茶色と白っぽく枯れた草の平原。いつのまにか日は高くなっていて靄はすっかり消えていた。いたる所に敵味方のかく座した戦車の残がいがあった。
ヴォリスはその中から、全員分のワインやら水筒を拾ってきては飲ませてくれた。彼はいつの間にか立派な自動小銃までどこからか拝借してきていた。
「まだ、敵の歩兵連中がうろついているかもしれんしな」と、この状況でもわたしに微笑んでくれていた。ミハエルは先頭を歩きながらしきりに正教会式の十字をきっては
「神よ。罪深き我らをお許し下さい」こればかりを呟いて歩く。
「おい”坊さん”少し黙って歩いてくれや」そう言いながら最後尾を振り返るヴォリス。
道しるべは敵、味方関係なしの戦車の残がいで、これをたどれば自ずと集合ポイントの近くまでは行けるはずであるが。無人の状態で放棄されているならいいが、こういう例は少ない。たいていはその脇に遺体が転がっている。黒コゲで男か女か分からないのや。身体の一部が無くなっているもの……。無造作に誰にも振り返られずに……。これもまた敵、味方関係なしであった。
わたしがその一つ、一つを目で追いながら震えて歩くのを気にしてくれたのか、ヴォリスはいろいろと自分のことを話してくれた。
ヴォリス・アントノフという青年は現在二三歳で(わたしの見立てではもっと年がいってると思っていた)、故郷はアゾフ海沿岸のロストフから東へ一〇〇キロ内陸の農村。村には奥さんと子供がいるという。身重の奥さんを残して出征して来たため、子供はもう二才になるらしいがまだ一度も会ってはいないというのだ。当時こういう例はたくさんあったのだ。
「生まれた時の写真なんだ。お守りだぜ」と、言って彼は見せてくれた。
「キレイな奥さん……。うわっでっかいなぁこの子は」モノクロ写真だから分からないが、おそらくは金髪で碧い目の美人さんに、なんか不貞腐れているような顔の赤子。その抱かれている赤ん坊を見て思わずわたしが言うのを彼は
「だろう!村一番の美人だったんだぜ!でなぁ、大きいわりには意外と安産だったみたいだ」と、自慢し始めた。言わなくてもいいのに、彼は奥さんとの馴れ初めを、しかも自分の家の納屋で奥さんとなる彼女を押し倒した話まで……。
未だにそういった事は未経験のわたしに、ヴォリスは……その、なんだぁ……あの事を赤裸々に語るもんだから、わたしは耳たぶまで真っ赤にして下を向いて歩き続けた。
「あの嫁はよぉ『あたし初めてぇーちょっと怖いかもぉ』って言いながらよ、自分から俺の腹の上に乗っかってよぉーでっかいおっぱい揺らしてはおめぇ……止まれ!伏せろぉ!」わい談をいきなり中断して大声を上げるヴォリス。わたしとミハエルは反射的にその場で身を伏せて、わたしは自分のサム・ブラウンベルトから拳銃トカレフを抜いた。もうそう行動するよう身についてしまっていた。
「ヘーンデホッホォ!」ヴォリスが前方の草むらで黒コゲで遺棄されたドイツのⅣ号戦車の残がいに自動小銃を向けていつもの”手をあげろ!”の意味のドイツ語を喚きたてた。
返ってきたのはロシア語。しかも女の甲高い声と思われた。
「う、撃たねぇでくんろぉ!オラァ味方だべやぃ。中隊からはぐれちまったんだぁ」Ⅳ号戦車の脇からは確かに我が軍の装束に身を包んだ歩兵が手を上げたまま出てきた。なるほど声のとおり女性兵士であったのには違いなかったのだが……背丈は小せぇ。そんでもって……わたしより乳でけぇ!
身長は一四〇センチくらいか、わたしの胸あたりまでしかない。だがしかし、尻とおっぱいはでーんと存在感をしめしており、いわゆる”チビ巨乳”というタイプの女の子であった。
わたしがトカレフをホルスターに収めながら立ち上がると、その子は近づいてきて
「おおっ!のっぽな姉さんだねぇ。こげな所でも同じ女の兵隊さんに出会えるなんて、オラァついてるだなぁ」
これがわたしの装填手エレーナ・イワーノヴナ・パナセンコとの出会いであったのだ。彼女は自分の連隊と戦闘中にはぐれてしまって、腹が減ってあのⅣ号戦車の残がいに食い物が残ってないか物色していた最中にわたし達と出くわしたと話した。
わたしも他の連隊の女性兵士と話すことが久しぶりであったのと、ヴォリスのあの話に付き合わなくても良いと思うと嬉しくなって、つい女学生みたいに並んで草原を歩いていった。
わたしたちは自己紹介がすむと互いに”ナージャ”と”エリーチャ”と呼び合う仲になっていた。
「オラァ、これでもモスクワ生まれなんだどぉ」と、エレーナが言うので
「嘘こけぇ!大都会のモスクワっ娘がそんなに訛ってるわけねえだろうが」そう言ってやると今度は彼女が
「これが普通だでぇ!それにオラァん家の近在のなぁイワノヴィッチの丘っていう所から、晴れた日にゃ西の地平線の向こうにかすかにクレムリンの尖塔が見えるんだぁ!だからモスクワ生まれって言ってても問題ねえのっすだよ」その身体の割には豊かな胸をうんと反らして自慢げに言う彼女を尻目にわたしは
「どういうモスクワっ子なんだよ……。ほらエリーチャ、小銃引き摺ってるぜ。貸しな、持ってやるよ」エレーナの肩から重そうにしていた小銃を自分の肩に担ぎなおしてやった。
「ええのぉ。ナージャはぁ背が高くての、連隊長に『小銃引き摺るなぁ!マヌケ』ってオラァ怒られてばっかだったよ」
そして話は互いの出征のときの話になった。わたしはバターと卵の代わりに徴兵されたようなものだと話すとエリーチャは少し目を伏せて
「オラァ、志願したんだ。そうすりゃ、無事に帰れたら上の学校に行けるんだよ。オラァ絵の勉強がしたかったんだ。お母ぁに言ったら『このバカ助がぁ!』ってさ……。家を出る時も口利いてくれなかったよ……」涙ぐむ彼女の肩をわたしは抱きながら歩いた。
この後、後ろから遅れてきたT-26型軽戦車に拾ってもらって集合地点へと到着。またパパエフ少佐に四人で整列して帰還の報告をいれ、ユリウスの死亡を伝えた。
わたしはエリーチャともここでお別れ。彼女は原隊に戻されると思っていたが
「パナセンコ二等兵の連隊は壊滅した。現在は再編制中である……」と言いつつ少佐はエリーチャの全体を眺めつつ
「ずいぶん小柄だな、狭い車内ではかえってこのほうが良かろう。スミルノワ上等兵、貴様が彼女の面倒を見てやれ。装填手として鍛えろ!いいな」それだけを告げると、またすたすたと去っていった。
わたしは今回は心の中で”よっしゃ!”と快哉を上げたのだ。こうして現場では人員の移動などは指揮官の采配で以外に自由にできたみたいだった。何十万という将兵の移動、再編制でいちいち書類でのやり取りなぞはこういった事態では不可能だし、無意味とも言えた。何よりも先ず部隊の戦車を一輌でも速やかに稼動させることが最優先された事情による采配であったのだ。
こうしてエレーナ・イワーノヴナ・パナセンコ二等兵はわたしの相棒として戦車の装填手の任に就くこととなった。
さらにソ連軍の攻勢は続いた。わたしたちのチームにもすぐに次のT‐34/76型戦車がやってきた。二代目の
”サヴァーチィ”は新型で、砲塔部ははっきり六角形になっていて鋳造型。天蓋の丸型ハッチは砲手、車長兼用と装填手用の二箇所に分けられていていたが、またしても前方向に開くので進行方向が見えづらいのに変わりなかった。
「ナージャァ、これ普通逆じゃねぇ?」と、エリーチャがブーブー言うのを尻目に
「文句言わない!我が赤軍は与えられた装備に疑いを持っちゃいかんのよ!これでも狙撃兵対策になっている……らしい」いつの間にか、死んだユリウスと同じような事を喋っていた。
この二代目は短命に終わった。そして、その事態はわたしがドイツの”虎”との初の遭遇戦となったのだ。このバカでかい二階立ての小屋がズリズリ動いているような重戦車は、まさにT‐34キラーであった。こちらの76ミリ砲では相当な至近距離で、しかも相手のケツに砲弾をぶちこまないと効果が出なかった。
友軍戦車はこの化け物の放つ88ミリ対戦車砲の餌食となった。一撃だった。わたしのT‐34/76は誘導輪と履帯を打ち抜かれて路肩でかく座してしまった。
今回は四人全員が無傷で脱出できた。運が良かったのはこのティーガーは弾を撃ち尽くしたのか機関銃での掃討を行なわなかったことだった。奴は獲物を食い散らかすだけ食い散らかすと、また来た道をズリズリと戻っていったのだ。たった一輌の”虎”のために我々の中隊は六輌を喰われた。
エリーチャには辛い初陣であったのだろう。彼女は後退して拠点に戻るまで終始無言で、炭のように真っ黒になった遺体や胴体だけになって転がっている遺体を見てはわたしの腕にしがみ付いた来た。
「オラァ……あげになっても生きていたくねえだぁ!頼むでな、ナージャ。いざとなったら撃ってや!一思いにやってくれな」と、必死な形相で言うので、その場ではここだけの話として了解の意で頷いた。ただわたしはエリーチャの目をまともに見てはいられなかった。
そして三代目の”サヴァーチィ”(わんこちゃん)はまたしてもT‐34/76型戦車で初期型の四一年式。あの天蓋が一枚フタでジャマなことこの上ない奴であった。これは割りと長持ちしたタイプでわたし達は厳しい冬をこの子と過ごした。
冬季攻勢はこの年から進撃のスピードを増していった。
その冬と春は何とか我々は四人のチームとしてそれぞれの戦闘に参加して生き残ることが出来たのだ。
そして、あの夏が来た。ドニエプル河への攻勢が……。そしてわたしの戦車兵として最後の戦闘が……あの日だった。
それは最初のⅣ号戦車を撃破したあとだった。
「”虎”ァァー!」エリーチャの叫びと同時に右隣のT‐34/76型が真っ先に餌食になった。奴は少しくぼ地になった戦車壕にその巨体を潜めていたのだ。距離はざっと一〇〇〇くらい。88ミリ対戦車砲の威力に無惨にも友軍戦車は真正面から装甲をぶち抜かれ、砲塔が十メートルは空中を舞ってから、歩兵たちの間に落下した。脱出できた戦車兵は…いるはずも無い。
「虎は攻勢用の兵器ではない。むしろ防御用の、強力な火点としての役割が最も効果的といえる。機動性は高くないし、燃費は悪い。ガソリン食い虫だ。故に……」パパエフ少佐による事前の戦況説明にあった言葉がわたしの脳裏に反復して甦ってくる。
少佐曰く、こちらの高い機動性をフル活用して、複数のT‐34で半包囲して距離を詰めること。距離三〇〇でしかも、奴の装甲の薄いエンジン部を狙えって……。簡単に言ってくれるよ!
(どうすりゃいいんだよぉ!おっかねえよぉ!)わたしはこう叫びたいのを必死にこらえて
「このまま、距離をつめるぞ!逃げたって無駄だ!行くしかねえんだ。ヴォリス、このまま五秒は前進。そのあと左へ転進!全速ぅ!」
「了解だ!それでこそおれ等の車長だぜ。オレが女房持ちじゃなかったら惚れてたよぉ」ヴォリスは扱いづらい操縦棹を握りしめてアクセルを目一杯踏み倒した。わたしの”サヴァーチィ”は直進後、正確に左へと転進。そこに奴の徹甲弾が空を切って後方に弾着、砂煙とともに哀れなヒマワリが宙を舞った。
後方から味方のKV-1型重戦車が援護射撃を始めた。こいつなら暫くは虎の攻撃をも凌げるだろう。と言ってもそう長くは保たないだろうが。
虎の奴が幅広の履帯を回転させて戦車壕から全身を悠然と曝け出してきた。ドイツの技術力が誇るまさに『戦車の王』はまるで『潰せるものなら撃ってみろ』と言わんばかりだ。奴は”サヴァーチィ”より先にKV-1を始末するつもりらしい。
わたしは距離六〇〇で一度、停車。慎重に虎の砲塔部の付け根に狙いをつけて
「ァゴーーーニ!」76ミリ砲を撃つも、砲頭部の分厚い装甲に阻まれた。奴はまるでこちらを無視するかのように、KV-1に牙をむいた!わたしが覗く照準器の十字線の中で虎の鋼鉄の巨体が射撃の反動でぐらりと揺れた次の瞬間。
KV-1は潰された!視認して確認している暇なぞない!彼らがいた辺りから猛烈な爆発音がこの車体の中にも届いたのだ。それで判断するしかなかった。
「次、こっちに来るよぉ!」エリーチャが情けなく泣き声をあげるのも構わずに
「ヴォリース!左、左だぁ!ケツまくれぇー」わたしは喉マイクに向って叫び続けた。”サヴァーチィ”はヒマワリを根こそぎ掘り返すようにして畑の中を疾駆していった。虎の装甲が薄い車体後背部の排気管を目指して大きく回りこんでいく。奴はこっちに砲塔を不気味に回し始めていた。
奴の88ミリが火を吹いた。命中!?いや、浅かった。が、しかし車体の装甲をかすっただけでもこちらは教会の鐘の中で時を告げられたみたいなけたたましい反響音に耳がおかしく成りかけた。
「あと五〇だ!廻りこめ。砲塔右へ旋回!」わたしとエリーチャは必死に手動の旋回用ハンドルを回転させる。ヴォリスは操縦幹を巧みに操り、”サヴァーチィ”の履帯を左右で正・逆回転させて信地旋回を試みる。徐々に車体が虎の背後に周囲の土に潜り込むようにして廻り込みはじめた。
ミハエルは少しでも奴の行動を妨げんと機銃を乱射。嫌がらせ程度でも相手の機先を制すればもっけの幸いである。虎の砲塔部分に機銃弾が炸裂していく。彼は必死に機銃にしがみつきながら
「もし、この戦いで生き残れたら毎晩の食事の前に神様とナージャにお礼を言いますよ」と、珍しく無口なミハエルの言葉にわたしは
「あんたの神様にもう少し虎の奴を黙らせておくようにお願いしておくれ。坊さん」と言ったとき、ついに照準器の十字線が奴の排気管を捉えた。距離は二五〇!充分だ。
よく見てみればこの虎は排気管の脇に大きな飯盒のような形をしたエア・フィルターを両側に装備している初期型であった。こいつは名うての古参兵ではないかと思われた。
わたしは一度大きく息を吐いてから
「ァゴーーーニ!」ぐいっと76ミリ対戦車砲の引き金を引いた。忠実な”サヴァーチィ”の一撃は奴のケツを見事に射抜いた。左側の飯盒のような形をしたエア・フィルターが吹っ飛ぶのを照準器を通してわたしは確かに見たのだ。虎の奴は車体後方から火炎とどす黒い黒煙を吹き上げ始めた!
「仕留めたぁ!」わたしの砲塔内での叫びに、仲間が「ウラァー!」と喚声をあげた、その時……。
未だに虎の砲塔は動きを止めていなかった。それを認めて思わずこう叫んだ!
「後退!後退しろぉ。まだ生きていやがるぅー」この後は記憶が少し飛んでしまっている。
気が付くとわたしは草むらに装填手のエレーナ・イワーノヴナ・パナセンコを両手で抱えて伏せっていた。彼女は歩けない!両足の膝から下が吹き飛んでしまっていた。わたしは一時的に耳が聞こえない状態になってしまっていて、自分の鼓動と息遣いだけが頭の中で響くのみ。その中でエリーチャが何事か声を張り上げていたのだが、最初は聞き取れなかった。
三代目の”サヴァーチィ”は二〇メートルくらい離れた所で火炎に包まれていた。わたしとエリーチャの位置から三〇〇メートルほど離れている所ではあの虎が黒コゲになって燻ぶっていた。奴は斃れる寸前で三代目を道連れにした。
「いやだぁぁぁー!こんな姿で生きていたくないよぉー」エリーチャの声がわたしの意識を現実に引き戻した。
「約束したろぉ!殺してくれよぉ!ナージャァー撃ってくれよぉ」彼女はわたしの腰にあるトカレフに手を伸ばした。撃ってくれなければと、彼女は自分で頭を打ち抜こうとしていた。わたしは暴れる彼女から銃を奪い取ると
「口を開けなぁ!ら、楽にしてあげる……からさぁ」震える手で彼女の大きく開けた口の中にトカレフの銃口を入れた。草むらに仰向けのエリーチャは祈るようにして両の手を胸の前で組んで目を閉じた。
(撃て!撃ってやれナヂェージタ!苦しむくらいなら楽にしてやれ)何度もこの言葉を口の中で繰り返した。でも、冷静に友だちの命を奪うことなどできる訳がない……しかしこのままでは出血がひどくなって、苦しんで苦しんで、やがては。わたしは頭上のどこまでも碧い空を一回仰ぎ見てから
「アァーッ」と、一気に引き金を……引いた。
弾が出ない。トカレフの撃鉄を誰かの手が押さえていた。ヴォリスの手だった。彼は自分の親指を拳銃の撃鉄の部位に挟み込ませてすんでの所で射撃を止めてくれたのだった。
「ダメだよ!ナージャ。ダメだ!友だちを撃つなよ。後悔するから……止めておけ」彼も負傷していた。右目から血が滝のように流れ落ちている。彼はわたしの手からトカレフをもぎ取ると草むらの中に放り投げてしまった。そのあと彼も草むらに仰向けに倒れた。
「ミハエルは……!?」わたしの問いに彼は頭を振って、燃える”サヴァーチィ”の方に目を向けていた。
「撃ってよぉ!撃てよ。ナージャァー」喚き続けるエリーチャを抱きかかえてわたしは声の限りに
「えいせいへぇーい!えいせいへぇーい!」と叫び続けることしか出来なかった。
この日の戦いがわたしの少し早い終戦となった。ヴォリスとエリーチャは後方へと送られたのだった。エリーチャはその日になってもわたしと目を合わせようともしなかった。ヴォリスとはちゃんと”さよなら”を言えたが、エリーチャとは言葉を交わすことなく別れたのだった。
それ以降は戦車隊から歩兵連隊へと移動になった。あの日パパエフ少佐も戦死していて、後任の司令官からは女の車長なぞ問題外とされたためだった。
そして我々の祖国はついに『勝利の日』を迎えた。わたしはその報をライン河沿いの前線基地で聞いたのだったが、その数日後にはわたしたち女性の兵隊は”お払い箱”になった。
ベルリンまで凱旋行進するのは配属先の旅団では男の兵隊だけ選ばれて、あれほど偵察、戦闘そしてあらゆる雑用までこなしてきた女性の兵隊には行進してベルリンの土を踏むことすら許されなかった。まぁわたしはベルリンって言ってもどうせ瓦礫だらけだろうし、ギットレルが自決した都市なぞ興味が無かったので、これで故郷へ帰れることのほうがありがたかった。
遂に戻ってきた!四年ぶりの故郷。何も変わってはいなかった。家に着くと見慣れぬお姉さんが二人。妹のマーリカとヨハンナだった。わたしも従軍中に背が伸びたが、マーリカはもうしっかり者の女主人に納まっていて家を切り盛りしていて、ヨハンナもわたしと目線が合うくらいに大きくなっていたのだった。
ただ親父は戦争が終わる一年くらい前に心臓発作がもとでこの世を去っていた。亡くなる前日まで街の奉仕活動に出ては「ナヂェージタは今日もどこかで戦っているんだ」と言い、誰よりも朝早くから道路の補修やら鉄道の復旧作業に出て行ったという。
帰郷してから二日間は軍服姿のままで町長さんやら共産党青年同盟の役員たちとの会合で握手攻めにあった。わたしの胸には”戦功メダル”を初めに”赤旗勲章”と”スターリングラード防衛メダル”が並び街の酒場に行けば皆、わたしに握手を求めてきた。戦車に乗っていた話を始めると虎との一戦のことを皆は聞きたがっていた。わたしは全てありのままに話してあげた。
そんな折にわたしと同じ勲章をぶら下げた軍曹が近寄ってきて
「お前さんは、どこの士官様の”テント暮らし”をしてたんだい?」と、ニヤ付きながら訊ねてきた。最初は何のことか判らなかったわたしにその軍曹は蔑むような眼差しを向けて
「毎晩、どこの士官様相手に足を開いていたのかって聞いてるんだよ!」”カッ”となったわたしは自分のグラスに注がれていたウォッカをそいつの顔面に浴びせかけてやったんだ。
三日目は故郷の同級生たちと会ったが、何故か皆はよそよそしかった。妹たちも何処かわたしに遠慮勝ちというか、遠巻きにして様子を伺っている風なのだ。
四年も家に帰って来なかったのだ。慣れるのも時間がかかるのだろうとその時は深く考えなかったのだが……。
四日目の朝、やっと軍服での式典から解放されて私服になって居間でお茶を飲んでいたわたしの前に、母が荷物をまとめてあの合切袋をテーブルに置き、こう言ったのだ。
「出て行っておくれ。お前が家にいると妹二人の嫁の行き手が無くなるンだよ」と。
わたしはしばらく何を言われたのか分からず石みたいにその場で固まった。
季節は五月。すぐに初夏だが、まだ朝方は寒い日もあってペチカには火があった。母はわたしに出征したあの日のように背を向けて、ペチカの灰をいじりながら
「堪忍なぁ……。ナヂェージタ、堪忍なぁ」と、呟くばかり……。
要するにだ。わたしはこの四年間、男共と一緒に戦場にいて何をしていたのか?毎晩、兵隊やら士官の夜のお相手をしていたんじゃないのかと、こう街の皆から思われていたと言うことだった。
あの酒場で出くわした失礼な軍曹と同じように……。
わたしは無言で合切袋を引っつかんでは足早に表に出た。しばらく歩いてから一度、自分の家を振り返ると二階の部屋からこちらを見ている二人の妹。わたしと目が合うとマーリカはさっとカーテンを閉じてしまった。『ここにあんたの姉さんの居場所は無いよ!』そう言われたみたいにわたしはその場を後に、駅へと向った。その途中で同級生の一人と出くわした。彼女の腕には小さい赤ん坊がいた。
通りすがりざまわたしはその子にこうも言われた。
「さよならナージャ。もう帰ってくるな!この売女が!」
その後はもう、駅に到着した汽車に飛び乗った。どこに行こうとお構いなし……。どうでもいい!早くここから自分の故郷から逃げ出したかった。
ずーっと列車に揺られながら合切袋に顔を埋めたまま泣き続けたのだ。
キエフの駅に着いていた……けど。行く当てなぞあろうはずが無い。だだっ広い駅のいくつもの列になっている待合のシートの一つに座りながら、何も考えられずわたしは真っ赤な目をしたままでボーっと行き交う人々の往来を見ているだけ。
座しているシートの左隣には親子連れ。右隣には軍服の男が一人で身体を横たえていた。新聞紙で顔を覆って眠っている。軍服を見てわたしはその人が戦車兵だとわかった。帰還兵らしく胸にはわたしと同じような勲章が数個並んでいた。
やがて親子連れは席を立って改札口へと向う。三才くらいの女の子がわたしに手を振った。笑顔をやっとの思いでつくってわたしはその子に返した。それと同時に右隣から大きな欠伸が聞こえてきて、軍服の男が身を起こした。ヒゲ面で……右目を負傷していて眼帯を……その顔をわたしは忘れはしなかった。
「ヴォリースゥ!」キエフ駅の教会みたいに高い天井に響き渡るくらいの大声を上げていた。
「ナージャか?おおっブラウス姿……なんだね。いつ戻ってきた?うわっ」
わたしは彼の首っ玉にしがみ付いた。そしてまたそこでも泣いたのだ……。
「故郷の村なんざよぉ残っちゃいなかったよ!ドイツ軍は全部破壊していったんだ。あったのは家々の土台の跡と、真新しい草ぼうぼうの土くれの山があってな。これは何かって生き残った村の連中に聞いたらさぁ……」ヴォリスはそこで一回言葉を切って、駅の天井に目をやってから
「おれの嫁とガキはそこに埋められてるんだとよ!」彼とわたしは一つのシートに並んで座って互いの身の上を話し合った。
「それは……あんまりだなぁ。家族が残っているのに……冗談じゃねえぞぉ!」わたしがキエフに行き着いた経緯を話すと、ヴォリスは我が事のように怒りを顕わにして声を荒らげてから
「ナージャ。飯につきあえ」と、言ってくれた。わたしがあまり持ち合わせが無いと告げると、彼は残った目でウィンク。破顔一笑して「いいから来いよ」
駅から徒歩で一五分くらいの所に宿屋兼一杯飲み屋があって、ヴォリスはそこへ。
「今日は連れがいるんだ」と店の主人に告げると、相手は指で”オーケー”をつくって一番奥のテーブルへ。ロシアの家庭料理を二人でつついていると
「兵隊さん。また話を聞かせておくれな」牛乳瓶の底みたいな度のきついメガネの老人がウォッカの瓶とグラスを片手に近寄ってきて、それを皮切りにあとは若い人から中年オヤジまで人だかりが出来て、あとはヴォリスの独壇場になった。
実際にわたしたちは戦車であの『スターリングラード攻防戦』を『ドニエプル包囲作戦』にも参加していたから話はリアルでそれなりに盛り上がった。店の主人もこれを当て込んで彼とわたしの飲み代は半額。その半額分も結局話を聞きに来た人たちのおごりになった。
でも、その話の中でわたしたちのT‐34/76型戦車がドイツの虎を三輌も潰したなんてよくもまぁそんな大嘘がいえるもんだと少し呆れてしまった。
宴の座が収まって、わたしたちはその飲み屋の二階へと。部屋のドアをヴォリスが開けてくれて
「今日はここで泊まれよ」と言ってから、自分は駅で一夜を過ごすと言うのだ。彼は
「本当は今夜の汽車でモスクワでも行こうかって思っていたら、ナージャと会ったんだよ。楽しかったよ。ありがとうなぁ、元気で。さようなら……ナージャ」
ヴォリスはあの頃より少し痩せていてその背中をわたしに向けてドアの向こうへと……。わたしは咄嗟に彼の大きく太いけど柔らかい左手の人差し指と小指を両手でつかんだ。あとは、あとはもう大声で泣くだけだった。渾身の力で彼の指を握って、頭を振って、大粒の涙と鼻水で顔がくしゃくしゃになるのも構わずに……。
「もう、さよならはイヤだよぉ!ワーニャもオリガも。ミハエルもそして、エリーチャもみんな、みーんないなくなっちゃう!家族すらもうわたしにはいないんだぁ。さよならナージャはもうイヤなんだよぉ!」こう声に出したかったけど、嗚咽を上げて、しゃくりあげては子供みたいに泣くばかりのわたし。
ヴォリスは黙ってその場で立ち尽くしていたが、わたしの手を逆に強く握り返してからぐいっと自分の胸に抱きとめてくれた。そして
「もういい。もういいんだよ、ナヂェージタ」
わたしたちは唇を合わせた。二人のどちらかが部屋のドアを閉めたのかは、もうよく覚えてはいない。
でも、その晩からヴォリスは”うちの夫”になってくれたんだよ……。
「ヘーンデ・ホッホォー!」台所で皿洗いをしているわたしの大きくなっちゃったお尻に、大好きな息子のワシーリィが抱きついてきた。
「なあにぃ?」皿をフキンで拭きながら訊ねると、わたしのチビ助は
「母ちゃん、公園にねすっごいのが来たよぉ」と、ぐいぐい腰の辺りを引っ張り始めたのだ。近くの児童公園に連れて行けというのだ。
ヴォリスとはあの後からキエフで暮らし始めた。この子を産んでからもう四年が経つ。もうわたしがナージャと呼ばれることは少なくなって代わりに”アントノフさんとこの奥さん”とか”ワシーリィちゃんのママ”って言われることのほうが圧倒的に多くなっていた。
うちの夫は郊外の軍需工場でまた戦車に携わっている。『片目の鬼班長殿』の異名で工場の若い衆から畏敬の念で見られているって話だけど。どうだかねぇ……。
息子のワシーリィに手を引かれるまま集合住宅の地階のロビーへ。我が家の郵便受けに手紙が差し込んであった。わたしは差出人も確かめずに明るい淡色のワンピースのポケットにねじ込んでから、お目当ての児童公園へと向った。
そこに足を踏み入れると、何とそこにはT‐34/76型戦車がいるではないか!”ぎょっ”としたわたしは思わず息子を抱きかかえた。それは戦勝記念で地区に贈呈されていた展示品であったのだ。その上にはもう近所の子供らが乗っかって奇声を上げている。
キレイにオリーブグリーンで再塗装された戦車はワイヤーでコンクリート製の台座に固定されていた。
まだ少し怯えながらも、息子にせがまれて彼を抱っこして履帯カバーの上に立たせるとわたしの手を離れて、他の子供たちと車上ではしゃぎはじめた。わたしはふと、手紙が来ていたことを思い出して履帯に背を付けたまま差出人を見た。
どうやってうちの住所を知ったのだろうか?それはエレーナ・イワーノヴナ・パナセンコからの手紙だった。思わずその場で封を切って読み始めた。そこには
『わたしの大好きなナージャ。まだわたしはあなたの友だちですか?』の書き出しで始まっていた。
今、エリーチャは車イス生活で、ウラル山地近くの街にある療養所にいるらしい。そして彼女はその街で疎遠になっていた母親と二人で暮らして始めたと書かれてあった。文面でエリーチャは
『母はわたしを抱きしめてこんな辺鄙な所まで死ぬ思いをして汽車で移動するなんて真っ平!だからここに引っ越すわよって言ってくれました。こんな思いができるのも生きていればこそです……。ありがとう。ナージャ、最後にお別れも言えずにゴメンね。それだけが心残りでした。』と、その最後には自分が暮らしている住所となぜか真っ赤なルージュでキスマーク…が。
「あのさぁ、ラブレターじゃねえんだから」わたしはこういいながらクスクス笑ってしまった。
そこへうちの子と同い年のオリガちゃんママが近寄って来て
「女の子向けの遊具が来たと思ったら戦車なんてガッカリだわ」と、言ってからむずがるオリガちゃんを抱っこして
「最近はやっと鳥たちも鳴き方を思いだしたみたいね。家の庭にはイタチが走っていたわ」と、言うとバイバイして家へ戻っていった。確かに公園の木々からヒバリかムクドリが忙しなくさえずるのが聞こえてくる。わたしは彼女の言葉を受けてふと考え込んだ。そうだろうかと……。
鳥の鳴き声もイタチやタヌキのエサ探しもあの頃にも変わり無かったんじゃないかって。人間のバカげた戦争なんかお構いなしに自然の営みはあったはず。
ただ、わたしたち人間の方がそんな余裕すら失ってしまって日々の何気ない季節の移り変わりにも心を傾けられなくなっていたんじゃないかって。
鳥のさえずりは爆撃機の爆音に。イタチやタヌキの姿は戦車の鋼鉄の影に。風のそよぎは遠雷のように不気味に轟く砲撃に。艶やかな緑や花の色も煤けた残骸の黒、茶そして灰色に取って代わってしまっていたのではないか。
戦争は人の命や身体を奪うだけでなく、心の色をも蝕む。これでもかこれでもかと人々を追い込んでは次の戦いを呼び込んで果てしない地獄へと引きずり込んでしまう。戦争が引きずり込むんじゃないんだ。人々自らが招き寄せてしまうんじゃないかって思えるんです。
わたしは今は展示品になってしまったT‐34/76型戦車の履帯カバーに手を置きながら
「だからね”サヴァーチィ”。お前はずーっとここにいなさい。二度とエンジンに火を入れないで!大砲も栓をしたままよ。わたしの孫の代になってもその先も……」そして昔みたいにその車体に背中を預けてから、青い空をいつぞやみたいに仰ぎ見てから
「戦車に乗ってた少女時代なんてわたしだけで充分!……もうコリゴリ」そう独り言を言ったあとに、わたしの首っ玉に後ろから息子が抱き着いてきた。
「ヘーンデホッホだ。ママァ」そう言っては甘える息子のワシーリィを抱きよせてから我が子の、うちの夫とそっくりな髪に顔を埋めて匂いを嗅いだ。
今、わたしの頭は二つの事で一杯だ。一つは旦那とこの子を連れてウラルの友達に会いに行くこと。あと一つはお腹にいる子はきっと女の子。名前はアロノーヴァにしよう。みんなでアリョーシャって呼んであげようって。いや……まだ一つあるぞ。重要な事が。
わたしは腕の中で無邪気に笑うワシーリィを見つめながら
「こいつの味噌っ歯……どうすっぺかなぁ」呟いた後はまたギュッと抱きしめた。
また夏が来る。そうして息子を抱いて目をつぶると、あの日のヒマワリ畑の光景がわたしの脳裏にくっきりと浮かびあがってくるのだった。