16.心、移ろう
ダークが身を潜めてまで行っていたのは、ワービーストという種を変質させる事。
理性を削り、欲求を増大させて人間から獣に堕とす。
それに何の意味があるか?
それは邪神の真似事。
邪神の手を介さずに第二のダークエルフを作り上げるため。
邪心を植え付け、憎悪や怨嗟による瘴気で心臓に魔石を生成させる。その為の布石。
邪神が封印されてから制御が利かないダークエルフから、自分達にとって都合の良い手駒を作る為の。
「気の長い話しです」
大太刀を振る。影の中に潜んでいた芋虫のような頭をした『貪欲』を冠するダークを斬り捨てる。これで28体目、別の区画にはまだいますが本体を殺した方が手っ取り早いですね。
東に乱婬を振りまいた邪淫。
西に怒りを振りまいた瞋恚。
南に不義を振りまいた貪欲。
北に戸惑い振りまいた邪見。
中央に嫌疑を振りまいた両舌。
それぞれがワービーストに対してそれらの悪性を広めていた。それによって起こる不和が更に内部で瘴気を発生させて、真綿で首を絞めるようにスー達の種族を攻撃していた。
果てしない長期的な間接攻撃。
大々的な直接攻撃を制限されているからこその作戦。
・・・ダークは暇なのでしょうか。こんな成功するかも分からない作戦を組むなんて。
まあスーとヤナギ以外でダークが宮殿に潜んでいた事に気付けていませんし、良いようにされていたので効果はあったみたいですが。
感情の赴くままに生きているワービーストだからこそ効果がある作戦ですね。
「29」
しかし捨て置いておけば、もし何かの切掛でこの仕込みが芽を出すかもしれない。それは魔王によってかもしれないし邪神によってかもしれない。
「30」
このダークはあの東で戦ったのと同じ口。本体とそれが生み出す群体で構成された敵ですね。
宮殿内を更に進んで本体がいる場所へ向かって行く。
「31・・・その前に」
目の前に王の間が現われる。その中に人の気配がする。それは勿論カクタスではない。
扉を蹴り開ける。
「挨拶に来たぞ・・・バルサム」
玉座に座る男。
上体には張り付くような袖なしの黒の肌着を身に着け、下はゆったりした袴を履いている。
身長は170に届かない。体格も他の『王』と比べると大きさも厚もない、ワービーストの男らしくない体型。しかしそれは決して貧弱という訳では無い。
身体の各所、間接部を見れば身の内に太く硬い骨が芯を作っているのが分かる。
体型だけで見るなら女性に近い細身に見える身体は、彼自身がそれ以上肥大せぬようにと絞られた鍛鉄の如きしなやかな筋肉で覆われている。
手も大きく筋張っている。その両手の指には全て、朱い金属の指輪が差してある。
その指輪と連結するように朱い盾にもなる籠手を付けている。
焦げ茶色の髪は目元と首を隠すように乱雑に伸びている。
その頭部には丸い耳が生えている。それは熊の耳。
熊の獣人の証を備えた青年バルサムがスーを睥睨している。
「・・・久しぶりだねスターチス。・・・元気にしてた? 僕は、まあ元気だよ」
存外高めの声を掛けられる。肌の白さも相まって本当に女のようだ。
さて1年ぶりになるのか。・・・しかし陰気になった物だ。幼少の頃はもっと溌剌していた筈。
喋り方ももっと攻撃的で生意気を絵に描いたような男だった。少なくとも出て行く直前までは「俺」と言っていた。
「自分がここに来た要件は分かるか?」
「うん。何となくね。・・・これが欲しいんでしょ?」
落ち着いた動作で両腕に付けられた武具を見せる。
朱く色付く籠手。守護聖獣ジューチュエ様が宿る神剣の一つ。
魔法が使えないワービストにとっては使い道が限られている天地黎明ファンロン様が宿る角杖。それを除けば最も扱いが難しいと言われ、現に限られた者しか戦場で使用していない技量武器。
「そうだ。それを渡して・・・」
・・・渡してもらって、どうしようか。
あれだけ憎かった相手。如何様にもしてやっても良い筈。
この国を出て行く前にも怒りにまかせてスーと共にねじ伏せ叩きのめした。
その後もずっと心にしこりを残していた相手なのに。
「・・・渡してもらう前に聞きたい事がある」
想像していたより・・・気にならなくなっている。
「・・・何かな? ・・・僕が知ってる事なら答えるよ」
覇気が薄い。まるで戦意が無いかのよう。・・・しかしそれは有り得ない。
王でも無いのに玉座に腰掛け、武装してスーを待ち構えている。
そして既に奴は糸を張っている。それは肉眼では捉えにくい極細の蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
「自分が戦っている気配は伝わっていた筈。ならこの宮殿にダークが巣くっているのも把握したな」
「うん。・・・結構いたんだね。全然分からなかったよ。・・・やっぱり、スターチスは凄いね。それにヤナギも・・・ああヤナギは元気かな? ・・・あの娘も元気、いっぱいだったね。・・・そう言えばラクーンドッグ氏も、一緒に行動してるんだよね? ・・・彼女も元気?」
「元気だな。しかし今は関係無いな。・・・そうか知ってるか」
周囲にある夥しい糸は、その全てがバルサムの指輪に繋がっている。その糸は奴の指の動きに合わせて緩やかにその様子を変化させる。
「その割にお前は狩りに出ないのだな。宮殿にいた戦士は総出でダークの捜索中だ」
今まで見つけられなかった物だが、それはスーが暴れた事で綻びが出た。今なら感覚を集中させればスー達でなくとも見つけられるだろう。
それなのにバルサムはここでスーを待ち続けた。
「・・・東からの速伝で、君たちが暴れてるって・・・聞いたから。・・・今日ぐらいには、来るかなって待ってたんだ」
操られる糸は様々な模様を見せる。
それはじりじりと逃げ道を塞いでいく。本気で振ればスーに致命傷を与えられる場所に狙いを定めて配置されていく。
「・・・それでね、スターチス。ダークなんて物は放って置いて君を待ったんだよ」
髪から覗く瞳は・・・やはり覇気が、生気すら薄い。
しかし覇気は感じられない。戦意もその行動に反して漏れてこない。
「・・・そうか」
抜いたまま掴んでいた大太刀に力を込める。
「・・・うん。だってダークなんかと戦ったら―――」
糸が揺らめく。
それは始まりを告げる動き。
朱き籠手。指輪と連結したその武具はそこから『金属糸』。斬糸を射出して指先で操る特殊武器。
他の神剣同様に、神話の金属で紡がれたその糸は千切れる事無く踊り狂う。
ジューチュエ様の使い手、浄火翔翼が操る『極糸火焔』
「―――君と戦う前に・・・疲れちゃうじゃないか」
開戦の狼煙が上げられた。
掲げていた籠手を動かす。それによって繋がった糸がバルサムの意を受けて動く。
スーに対して斬殺する為に迫る糸。それを回避する。
首や腹などを的確に狙ってきているそれを大太刀で流していく。
正面から迫る糸を切っ先で反らし、横から迫る糸を棟で滑らせ、囲むように来る複数の糸は切り払い頭上に振り上げる。
「・・・やぱり凄いね・・・僕も努力したんだよ?」
両手合わせて10本の指を複雑に動かしながら、そこから伸びる糸をこの部屋一帯に走らせる。
床や壁、天井に至るまで糸による切断痕が刻まれていく。
時に矢のように、時に剣のように、時には鞭のように跳ね回り、駆け巡りながら周囲を切り刻んでいく。
「・・・これでも駄目か」
「無駄だバルサム」
速さを増しても回避する。動きを複雑にしても大太刀で流す。足の置き場を潰そうと鞘で絡め取って打ち払う。
確かにバルサムは極糸火焔を使いこなしている。それも高い練度で。
しかしスーも、そしてバルサムも理解しているだろう。
糸の隙間。そこを駆け抜けて接近。
大太刀を2閃。
「・・・っ・・・やられたか」
宙に舞い飛ぶ2つの朱い腕。
バルサムの腕を籠手を付けたまま斬り落とした。
そして切っ先を突き付ける。
「降参か?」
バルサムは失った腕の断面を見るように顔を動かす。たいして出血が無いのは彼が筋肉を締めて止血しているからだ。
髪で表情が読めずともその顔は苦痛によって歪んでいる。その色も青くなり、脂汗も滲み出してくる。
「・・・うん・・・そうだね降参だ」
両手を上げて降参の意を示す。微かにあった覇気さえ無くなった。
・・・拍子抜けである。
「・・・何がしたかったんだお前は?」
「・・・その前に腕を治して良い?」
「治したらそれを渡すか、自分達を手伝ってもらうぞ」
突き付けた切っ先はそのままに許可を出す。
その瞬間に張り巡らされていた糸が燃える。
籠手が燃える。籠手に差したままの腕も燃えていく。
そしてバルサムの両腕の断面も燃え上がる。
燃え上がった全てが集まり腕が浮き上がる。それはまるで炎の翼のようになりバルサムの腕へと舞い戻る。
「・・・づううう!」
接着の瞬間に苦痛の声を上げる。痛みに堪えるように俯く。
水に熱した金属を入れたような音が鳴る。激しい音が鳴り、それがだんだんと小さくなっていく。
そして音が消え、バルサムの腕は完全に鳥の翼のようになる。
『火ニ成ル者』と守護精霊の力の併用による肉体の昇華。それによって人の形を崩してからの復元。
バルサムはジューチュエ様との対話をこの1年の間に成し遂げていた。
しかしその1年でこいつは別人のようになったな。もっとハナズオウのような男だったのに。
「・・・はああ・・・」
苦痛が引いたのか息を吐く。それと共に炎が消え去り元の籠手を嵌めた腕に戻る。
繋がった腕の感覚を確かめるように手を開いては握るを繰り返す。
そして再び顔を上げてスーの方へ視線を向ける。
「・・・じゃあスターチスの事、手伝うから・・・事情を聞いてくれる?」
「面倒だ。全てが終わってからにしろ」
弱々しい瞳だ。それは熊というより死にかけの鼠だな。
振り返り、ボロボロになった床を歩いて開け放ったままの扉に向かう。
スーの感覚ではダークの分体は減少の一途を辿っている。しかしまだ本体は見つけられていないようだ。
「・・・ねえスターチス」
「何だ。これからダークを始末して、この場でするべき事をしたら北に行かなければならない」
「・・・全部終わったら僕の事・・・スターチスのすきにしてよ」
・・・本当に弱々しい。どうやらシュエンユ様が助けを求めていたのは冗談でも何でも無かったようだ。
まあ本人がそう言うならヤナギと合流したら適当に処すとしよう。
「今はどうでもいい。・・・しかしジューチュエ様に起こっている異常は捨て置けん。お前には最後まで踏ん張ってもらうぞ」
「・・・うん。・・・本当に強くなったね皆」
スーがダークの元へ向かう後ろを着いてくる。雰囲気は弱々しいがその足取りは鍛えられた戦士らしく、地に足が着いた歩き方だ。
「では行くぞ。お前が心に抱えた物を吐き出すのはその後だ」
「・・・了解」
後ろを着いてくるバルサム。スーを見るその視線には幼い頃に向けられていた色や妄執が感じない。
スーやヤナギが変わったように、こいつも何か変わってしまう事があった。ただそれだけの事だろう。
◆◆◆
振り抜いた大太刀がカクタスが放った大剣と衝突して火花を散らす。熊の獣人であるカクタスはその平均を超え、3mはある巨体を土台とする膂力で俺の技をねじ伏せようとする。
短く刈った焦げ茶の髪、その上に生えた丸い耳を動かし俺の僅かな挙動も聞き漏らさないようにする。
体格は相手が勝る。重量も相手の方が上。2mを少し超えた程度の俺とあいつを比べれば大人と子供程の体格差が存在する。
しかし技量は比べるまでも無く。
俺はカクタスが繰り出す剛剣の全てを戦いが始まり今に至るまで、一撃も掠らせていない。だがそれは相手も同じ。あいつが剛力で操る大剣の猛威によって一撃すら与えられていない。
大剣を刃で巻き込み横へ流す。そしてそのまま前へ踏み込み、両手で掴んでいた柄から片手だけを離して鳩尾へ掌底を放つ。
しかし大剣が流された程度で体勢を崩す相手ではない。
引き上げた膝で掌底を受け止められる。そして返すように大剣が再び俺に向かって振られる。
首を撥ね飛ばす為に迫ってくる大剣。それの腹を大太刀の柄頭で打ち上げる。
カクタスが上げた膝を下ろすと同時に、奴が加護を発動する。
『強化』の加護によって底上げされた力が脚に込められて、踏み下ろされる。
地に奔る衝撃。草原の大地が揺れ、大きく陥没する。それは足場を崩して相手の隙を作る為の牽制。
地から俺の足下にまで伝わる衝撃を、加護の『柔法』によって身体の中に吸い込むように巻き取る。それを脚、腹、胸、腕へと流動させて、自身の力と混ぜ合わせたそれを大太刀に伝えさせる。
「シッ!」
柄頭と大剣を打ち合わせた反動と、俺が流した力が一瞬大太刀の中で鬩ぎ合い、溜め込まれた力が解放される。
火薬が炸裂するかの如く撃ち出される斬撃。自身が練り上げる力以上の物が込められたそれをカクタスの胴目掛けて振り切る。当たれば上半身と下半身が分断される一撃。
「ぬんっ!」
それをカクタスは大剣を小枝のように軽く扱って盾とする。先程まで上に流れていた筈の刃は、大太刀が迫る直前に逆手に持ち替えられて自身をその刃の陰に隠す。
そして幾度かも忘れた鋼同士の衝突。互いの身体に破壊の衝撃が痺れとなって流れる。
そのまま俺の体勢が有利な状態で押し込む。カクタスはそのまま俺に向かって口を開く。
「・・・ヒイラギ。今まで無気力だったお前が今更何の為に剣を振る」
「・・・さあな」
理由など決まっている。
既にこの身に親の資格が無くも、抑えきれない想いがある。
これはただの八つ当たりだ。全てが終わってしまい、当事者の間で済んでしまった事に今更俺が割って入っただけの話し。たまたまヒガンが併せて持ち込んだ『作戦』にかこつけて剣をこいつに振っているだけだ。
「あえて言うなら・・・カクタス。お前の事が気に入らない」
「・・・奇遇だ。俺もお前のような腑抜けは虫唾が走る」
両者の間で鬩ぎ合っていた力が弾ける。それを中心にまた距離を取る。
息子が自身の思うとおりに育たない苛立ちを俺に向けてくる。それは烈火となって奴の肉体に火を灯す。
全身を劫火で纏い、その大剣にも炎が巻き付く。
『火ニ成ル者』を発動したカクタスはまるで自身の肉体すら燃え上がったように苛烈に踏み込み大剣を嵐のように振り回す。
その迫る炎熱を掻き消すように『水ニ成ル者』を発動。大太刀に瀑布のような水流を纏わせて迎え撃つ。
カクタスが瞬間的に膨張する炎の爆発を利用して、火の尾を引きながら駆ける。その身の回りには30に届く炎の羽が旋回している。
水の蛇による水の射出で炎の羽を迎撃。衝突した2つは煙と水蒸気となって霧散する。そのまま流れる水のように地上を滑りながらカクタスと切り結ぶ。ぶつかり混じり合う水と炎が平原を蹂躙していく。
「子を産めぬ雌に入れ込んだ哀れな男よ。お前に『王』を名乗る資格は無い」
「資格など要らぬよ」
弾け、ぶつかり、斬り裂き、押し消す。大剣と炎。大太刀と水。それらが戦闘の激しさを加速していく。
「雌は強い子を産むためにある」
「そうだな」
空気さえ焼き切るように薙ぎ払ってくる大剣。その炎と剣圧を大太刀で流して水で巻き取る。
「優秀な雌と『王』の血を引く雄を掛け合わせ、次代に更なる優秀な戦士を生み出す」
「俺達はそうやって生きてきた」
「産ますなら早ければ早いほど、獣人の為に生きられる」
「・・・それは」
水の鎧が大剣に纏った紅炎によって散らされる。胸に浅く一条の傷が走る。熱によって血肉が焼けて焦げ臭い煙を上げる。肉体に焼き殺された部位が残る。それを契機に細かい傷が刻まれていく。
「それは女を使い潰す。愚かな行いだ」
「雌は掃いて捨てる程いる。俺達とは違う」
「それが優秀な女でもか」
「誰かも分からん子を孕まされる前に仕込むだけの話しだ」
炎の鎧を大太刀に巻き付く水竜で食い破り、カクタスの手足に血の止まらぬ水毒の斬撃を刻んでいく。深い傷は避けても、小さな傷までは防ぎきれない。
「未熟な子はそれでどれだけの傷が残ると思う」
「使えなくなれば平原から追い出せばいい」
「女達にも生き方を選ぶ権利がある」
「無い」
炎の嵐と水の瀑布が平原を破壊していく。草地は炎で焼却され、大地は水で削り溶かされる。
「・・・無い、だと?」
「権利など無い。あるのは俺達雄に仕える義務のみ」
俺とカクタスとの戦いに耐えきれなくなった大地は崩壊し、瓦礫と泥が混じった物と化す。
何度か目の仕切り直し。離れて立つカクタスに目を向ける。奴も俺に険しい目を向ける。
「昨今の雌はそれを忘れている。雌の持つ真の役割を」
「それはただの思い上がりだ。俺達雄など大した存在ではない」
「なら何故こうまで雌雄に差がある」
剣を大地に突き刺し、自身の周囲の大地を焼き固める。急激な水分の熱膨張と合わさり地面が軋みながら固定されていく。
「何故雄が産まれ、育っただけで雌の『王』はいなくなる」
蒸気を上げる大地を歩きながらカクタスは向かってくる。
「何故雌の『王』は弱い。何故俺達に迫る実力を持てない」
「目が暗んだかカクタス。強い女はいる。それも俺達以上の才能を持ったな」
泥になった地の上を歩く。互いの距離が近付く。
「それでも届かん。雌では獣人の神には成れん」
カクタスの喋る言葉に意味など無い。神話に載っている幻想を追い求めているだけ。それを今の俺達獣人に押し付けているだけ。
「聖獣が選んだ使い手達はどうなる」
何の因果か、聖獣を目覚めさせて使いこなす者達が現われ始めた。それも男女の垣根無く。それはつまり男と女にカクタスが言う差など無い事に他ならない。
「知れたこと。その対話の方法を雌より優秀な次代の雄に伝える為の先触れ。それ以上の価値など無い」
水と混じった大地と火に巻かれた大地が境界を作る。
「そして聖獣は美しき者を好む。聖獣を扱う血筋と才能、肉体と精神を掛け合わせ続ければその果てに神が宿る」
「・・・そんな理由で息子に幼子を宛がったのか」
今までの言動からの帰結。
つまりカクタスの言う神さえ生み出せればその間にある犠牲は意に返さない。そういう事になる。全てはその為の贄だと。そんな教えを分別を知らぬ我が子に教え込んだ。繰り返し繰り返し教え込み、染め込んで、己が分身のような雄を作り出すために。
「・・・気分が悪くなるな」
遙か過去。俺がまだ『王』では無かった時代。3人の女が仲良く手を取り合っていた光景を思い出す。それを離れた場所で見ていた俺は何を考え何を思った?
―――何も考えていなかった。何も思っていなかった。自分の目の前に広がる彼女達の笑顔にどれだけの価値があったかなど、思考の端にも置いていなかった。
それが欠けてしまうその時まで、俺は自身が特別だと思っていた。・・・特別なのは自分では無かったのに。
「本当に気分が悪い。・・・俺も。お前も」
「それはこちらの台詞だ。獣人の為に生きん愚か者め」
「返す言葉も無い」
何もしてこなかった。ただ生きてきただけ。ただそれだけで力も地位も手に入った。他の者に出来ない生き方を出来る俺は特別であると心の底から信じていた。
幻想に生きていたのはカクタスだけでは無い。俺もこいつと何も変わりはしない。
「獣人の為に生きる俺に楯突いたのだ。ここで死ぬがいいヒイラギ」
「それは面白い」
どちらも幻想に生きた人でなし。ならこの場にいるは2匹のケダモノ。諸共に消えるのも悪くない。
カクタスの炎熱が焦土を広げる。
俺の水冷が大地を融解させる。
神の存在など、どうでもいい。俺という男の道の先にも興味は無い。
ただ。ただ少しだけ、ほんの少しだけ思ってしまう。
俺が父として。『王』なんて者では無い、ただの1人の父として生きていた道も・・・後ろにある分かれ道の先に確かにあったのではないかと。
・・・いや無いな。スズランが死ぬまで何も感じなかった俺が、子の存在を知っていた所で何も変わる筈が無い。だから彼女はそんな俺と娘を関わらせる気は無かったのだろう。
全てを知った今となっては遅きに失した。・・・違う失ったのではない。俺が掴んでいたわけじゃ無い。最初から俺は何も手入れてはいない。
水と炎を纏ったケダモノが傷だらけになりながら互いを喰い合う。平行線では無いのに交わらない歪んだ道。何故目の前のケダモノとこのケダモノはこんな生き方を選んでしまったのか。
血が噴き出す。
炭化した肉が崩れる。
骨が砕けて、芯が無くなる。
筋が千切れて支えが無くなる。
生きてただけのケダモノと生き方を強いるケダモノ。そのどちらも過去の獣人が築いてきた業の現われ。北の宮殿に巣くっていた魔人をヒガンの連れてきた者の手を借りて屠り、消し去った。魔人の狙いは獣人を獣以下に堕とす事。それはどうやら成功していたらしい。
こうして『王』となった獣以下のケダモノは、自らの種族に悪性を振りまき続けたのだから。
死ぬべきなのだ。過去のしがらみに囚われたお前と俺のような存在は。ここで道を終わらせて、暗愚として奈落に落ちるべきなのだ。冥府で裁かれる価値すらないのだ。
この場で俺とお前は消えていこう。
東の王ハナズオウは俺達などより利口だ。西の王リンドウはがわだけ、気力のみで生きる亡霊はいつ往生しても不思議では無い。
そしてこいつの息子のバルサムは変わろうとしている。それがこいつには気に入らんのだろう。
故に邪法でバルサムの命を握った。息子と繋がったジューチュエ様と共に。
「ヒイラギ。先を見据えぬ、過去に縛られた愚物め」
「カクタス。今を踏みにじり、未来を縛る怪物よ」
傷だらけの身体を動かす。戦いの最初の瞬間から今まで精彩を欠くことはないお互いの執念。首だけになろうとも残った牙で喰らい付かんと刃を振るう。
「「ここで朽ち果てろ」」
死ぬ覚悟はある。恐怖は無い。・・・しかし、何故だろう。どうして今、こんな気持ちが湧き出すのか。
何故、俺の脳裏には彼女達の姿が浮かぶのだろうか。
触れる事も、話す事も、目に映す事も。その全ての資格が俺には無いのに。
何故、こうも彼女達を求めて胸の内で叫ぶのか。