5.さくらさく
性について取り扱っています。生々しくなってきます。苦手な方はご注意を
「コーラルと会ったのは5年ぐらい前かな。うちが冒険者やってた時に帝国で旅人やってたあの娘と会ったのさ」
配膳が終わり、犬耳の女性と丸焼き肉の切り出しを手伝っているコーラルに目を向けながらアヤメさんは皆とどんな関係だったのかを話しをしてくれる。
「そっから半年ぐらいうちのチームと一緒に行動を共にしてね。うちとは友達になったよ、よく料理をご馳走になったりしたね。そんでチームの皆とも仲良くなったからこれからも一緒にいないかって誘われてたけど、「まだやる事があるから」って断っててね。うちは仲間とそのまま帝国にいたんだけどコーラルは北東にある『エリニア王国』に行っちゃったね」
南東にある『ヴァルトラウト帝国』から北上、『大河ペルーサ』を越えてエリニア王国に行った事になる。騎竜のエメラは今年で8歳、騎竜は3歳になる頃には十分人を乗せて走れる事を考えればエメラとの2人旅をしていたのだろう。
ミルドレッドでギルド職員になったのは3年前、つまりそれ以前までは他の国にいてたのか。
「そのあと半年ぐらいでうちもチームを抜けてね。前々から仲間には言ってたよ、まあ名残惜しくはあったけどうちもいい歳になってたしね。子供も育て終わって自立もしてるし、里帰りする事にしたんだよ。故郷でゆっくりしようかなって」
アヤメさんが片手でスープの入った木の器を持って、襟を緩めて胸元からギルドの登録証取り出した。年月によってくすみはしても火に照らされ輝くそれは緋金、オリハルコンクラスの証。
「一生の折り返しに入ったんだからあとは下の世代の面倒でも見ようって考えてたら、『王庭』で勤めてた知り合いから「来ないか?」って聞かれてね。そっから王庭勤めのアヤメ姐さんの誕生さ」
「何を教えてたんですか? やっぱり戦闘技能を?」
ヤナギもスターチスも、他の人達と見比べると桁が違う実力を持っている。それは加護に寄らない技術や経験も多く占めている。
「まあそれもあるけど主なのは『王の閨』の教育かね。『百花』に選出された娘にその時の対応とか、王に気に入られる為の作法を教えるんだよ。あんまり若い子だと心構えとか中心になるけどね」
王の閨。王の夫婦の部屋という事は『百花』は王の花嫁または候補という事。
アヤメはスターチスを指して百花であると言っていた。なら彼女は元は王の花嫁だった事になる。・・・今の歳は7歳、3・4年前だと3歳から4歳になる。ワービーストが成長が早い種族と言っても他種族でも10歳にも満たない。早すぎないか?
「・・・スターチスはその頃から?」
「あの娘が選ばれてたのはうちが教育係になる1年前だね」
つまり2歳。さっきの干し肉の女の子。見た目5歳ぐらいの女の子、つまり実年齢は2歳を少し超えただけの幼子。
「それぐらいから将来が決まるのが普通なんですか?」
目に見えてアヤメさんの機嫌が悪くなる。目に宿る鋭さが俺に向けていた物とは比にならない。
「・・・通常『百花』は5歳を超えてからだね。半人前を一人前にする為の教育だ。それ以下の子供なんて論外さ」
「では何故?」
火の近くでヤナギに焼き肉を甲斐甲斐しく食べさせているスターチスの姿が見える。普段からもスターチスの方が落ち着いた所作を見せる事が多く、外見も殆ど大人であるスターチス。ヤナギと年齢が逆でも違和感を覚えないだろう。
「・・・発育が他の子よりも良かったんだよ。あの子が2歳の時にはもう5歳の娘よりも大きかったよ」
「・・・それだけで?」
ヒューマンの基準で見てもワービーストの10歳で成人は早いと感じるのに、その半分にすら届かない年端もいかない子が選ばれるというのは違和感を覚える。
・・・アヤメさんの放つ空気が更に鋭さを増していくのが分かる。
「それだけじゃ当然無理さ。百花は3年教育したら『実践』に入る。8歳を超えたら安全に子を儲けられるからね。逆を言えばそれ以下の年齢の子だとどんな危険が、って考えたら百花に5歳より下の子を入れるなんて無理だね」
やはりワービーストから見ても早過ぎる事になる。じゃあ何故?
「・・・今代の『ジューチュエ』の使い手がスターチスを見初めちっまたのさ。それでそいつの父親である『王』が百花にあの子を組み込んじまったのさ」
「・・・止める人は?」
「知ってるかい、カイルくん。中央の方じゃあ強い雄の言う事は絶対って風潮があるんだよ。一部の百花の教育係で勤めてた人は抗議したんだけど物理的に排除されちまってね。うちはその穴埋めって訳さ」
スープの具材を掻き込むように飲み干していくアヤメさん。口に入った物を飲み込み話しを続ける。
「・・・うちを呼んだのは良い奴だよ。真面な奴が欲しかったんだ、この国の外を知ってて王庭に染まってない子供達を守れる奴をね」
「その話しを友人から聞いたからこそ受けたんですね」
「・・・・・・」
具が無くなった器に少し残るスープに目を落としながらアヤメさんから鋭さが消えていく。変わりに彼女の空気が曇っていく。苦さを堪えるような表情だ。
「・・・守るなんて大した事、出来なかったよ。・・・名前も知らなかった娘だけどね、うちが教育係に就いた時点で百花にいた教育中の娘が既に我が子を育ててたんだよ」
器が弾けた。
スープが零れて具が草地に落ちる。
「・・・すまない」
少し派手な音が鳴った。周りの目も気にはなる、でも無視して具材だけは拾い上げる。
「だ、大丈夫かい? カイルくん」
「気になさらず。・・・続きをお願いしても?」
大きめの器の欠片に具材を乗せる。丁寧に処理して料理されていた物に草や土が付いてしまった。
「あ、ああ。・・・その娘を見て情けない話し、うちは尻込みしちまってね。本当にうち1人、外の奴が加わっただけで百花の、100人いる娘達を守れるのかって。年端もいかないスターチスを守れるの狩って・・・思っちまったのさ」
土や草が付いた物を食べる。
「そこで見たんだよ」
青臭さと砂利が口の中で広がる。
「裏では暗い空気が沈み込むように蔓延してる百花の宮で、その中で一番幼い子の手を引いて遊んでいる小さな虎の女の子の姿をさ」
それでもやはり、食べる人への気持ちが込められた料理の味がした。
◆◆◆
広大な領土を主張するように建てられた防御壁の長城を越えた草原『王庭』の中に入れば、『武』によって選ばれた『王』が住む宮殿が東西南北に別れ離れて建てられている。それに対応して4つある百花の離宮の1つ南の『朱の花』。
初代『ジューチュエ』の使い手が『王』となった南の領土である。
あいつから聞いてたより・・・厄介だ。
見た目は派手な宮殿、しかし中は淀んだ空気が充満している。気が滅入りそう。
とにかくあいつに頼まれた幼子を見つけなければ。どんな子か知らなきゃどうする事も出来ない。誰もいない廊下を1人で楚々と歩きながら周囲に目を走らせる。
―――赤子を抱える女の子の姿が脳裏を過ぎる。
「クソっ・・・嫌になるわ」
ああ、駄目だ。折角着飾っているのに険しい顔をしたら台無しだ。しかし露出はあるのに動きにくい服だ。襟ぐりは大きく開いて胸の谷間まで見えてるし、着物のような物は肩に引っ掛けるようにしか着てはいけないときた。完全に雄を誘うための物でしか無い。
まあ教育係なんだし、教え子にどんな服を着て王に奉仕するかも見せなくてはいけないしね。それでも普段から扇情的な装いをする意味は分かんないんだけどねえ。
強い男は好きだ。頼りになるし、弱ければ奪われる事だって跳ね返せる。群れの主になってくれる男性はやはり『王』のような強さを持った男が理想だ。・・・て若い頃は思ってたけど、外で旅してたらやはり価値観が変わる。
今でも強い男には魅力を感じる。最初の旦那以外にも何人も関係を持った。命の危険のある仕事をしてればどうしても劣情を持て余して一夜の関係を結ぶ事だって何回もあった。まあ享楽的だった事も否定できない。気持ちが良いのが嫌いな者などいないから。
その内強くない男にも魅力を感じる様になった。それを感じたのはいつだって他者を思いやれる優しい男だった。そういう男はつれない奴が殆どだったが、一緒にいてて悪い気はしなかった。・・・溜まったもんは他の男で発散したけど。
しかしそれはあくまでうちみたいに、子が出来ても育てられる責任を持った大人だから出来る事である。今まで関係を持った男だってうちがしたいから繋がった。故に発生する責任はうちのもんだ。
だがこの『朱の花』に案内された初日に見た赤子を抱えた百花の娘の姿が頭を離れない。あの娘の表情はどうだった?
満足していたか? 自身の境遇に。
幸せを感じていたか? 我が子を産んだ事に対して。
産んでいたのがあの娘しか見ていないからと、他にも孕んでいる娘がいないとは限らない。焚かれた香のせいで鼻が利きにくく判別しづらい。狙ってやってるのか?
「『首輪』ね。それにしか見えねえや」
あいつに聞いた通り。百花の娘達の首には張り付くような革製の首巻きが着いている。それに南の王の証である『燃える翼』を象った小さな金印が飾られている。
何もかもが嫌になる。尻尾を巻いて逃げ出したい気持ちになる。外で変わってしまったうちにはこの空気が辛い。あまりに雄の立場が上位過ぎる。
「男と女なんてただの性別。・・・ただそれだけの物、権威では無い」
あいつが言っていた言葉。国の外に出る前はよく分からなかった。男は強い、強いのは正しい、貫けない正しさに意味など無いと考えていた。
外に出てあいつの言っていた言葉が心で理解できた気がした。強さが全てでは無いと。・・・優しさがあんなに心に染みる物だとは思わなかった。他者に求める気持ちの本当の価値を、大切さを知らなかった。
「・・・あいつ。外に出た事無いのに、本当にえらい奴やったんやな」
そんなあいつが今の現状に苦しんでいる。友人である自分が助けなければいけない。あいつも、百花の娘も。
それなのに廊下を歩く足に力が入らない。動きにくい服装のせいではない。これはうちの心がこの場所に呑まれ、負けているから。
こんな状態で本当に大丈夫なのか? 役立たずにしかなれないんじゃ? 冒険者クラス第二位の証のオリハルコンが何の役に立つのか? 『王』は単身でそんなチームを蹂躙できるのに。
「何が「あの娘達を見れば分かるわ」だ。今のうちに何が出来るってゆうんよ」
誰もいない廊下を歩き続ける。今は他の教育係が百花の娘達に閨の作法を教えている。そこに聞いていた幼子はいなかった、外見は聞いているから見たら分かる。なら教育も受けずに何処かにいる事になる。
嫌な想像が浮かぶ。探している子は見た目だけなら少なくとも『半人前』はある。その子を見初めた阿呆は6歳になるらしい。つまり精通しているし、それに応じて性への興味が強くなる歳だ。
「・・・ああクソっ! 何処やっ! 何処におる!」
歩きにくい服が苛立たせる。自身さえ知らず知らずに、この『朱の花』にある見えない鎖に囚われた気持ちになる。身体に感じる重さはその無力感のせいや。
痛くも苦しくも無いのに動悸が激しくなる。悲しくないのに胸が張り裂けそうになる。
中庭が目に入る。気配はない。誰もいない。鼻は利かずとも他の感覚で誰が何処におるかぐらい分かる。早く他の場所も―――
「―――え?」
いた。中庭に人が居た。
「・・・最近おぼえた」
「わー、たのしみー!」
桜が散り、木を彩る物は何も無い中庭で、一際大きな桜の大樹の下で手を繋いで遊ぶ2人の女の子。
片方は探していた犬の幼子、既に凜とした美しさの片鱗を見せる利発そうな顔を無邪気な笑顔にしている。
そしてもう片方の虎の娘はあの子よりも小柄であった。しかしその立ち姿には芯がある。戦闘の心得が染みついた者特有の姿勢。彼女が片手を大樹の上に向けて翳す。
そして風が吹く、虎の娘を中心に。そして舞い上がる桜の花弁。
大樹に花が咲く。視界に広がる満開に咲く桜の木。ざわめく花弁は己が再び輝く時を理解したかの如く、日の下で鮮やかに景色を彩っていく。
「『風刃』無の刃」
「すごーい! さくらが咲いた~!」
まるで魔法。彼女はそれを幼子に披露する。それを見たあの子は更に笑顔になる。
虎の娘は笑顔を見せる。目の前の子が喜んでくれるのが心の底から嬉しいというように。
風が止む。桜の花弁が春雨のように舞い落ちる。
身体が軽くなった。先程まで感じていた重さが嘘のように無くなった。
それはあの2人を見たからだ。あの子達のお陰だ。あの子達の魔法と笑顔で、うちを縛っていた鎖は消え去った。
―――あの娘達を見れば分かるわ―――
・・・ああ、分かった。分かったようちのやるべき事が。
笑顔で遊ぶヤナギとスターチス。それは百花の檻の中でさえ、自由をとどける一陣の風。希望に満ちた命。
うちが初めて我が子を抱いた事を思い出す。うちはその子に何を願った? どうあって欲しいと育てた?
「・・・やってやんよ。うちは決断したらかたいで」
これが一線を退いたうちの最後の戦い。やってやろうじゃないか、うちがあの子達に願った『自由』と『幸せ』の為に。
―――この『檻』を壊すためにうちの牙と爪はある―――