2.自動人形始動
『お弟子様。お水です』
「あ・・・あり・・・が、とう。・・・コッペリ、ア様」
『人形に敬称は不適格と進言します』
風が吹き抜ける草原。太陽が輝く晴天を仰ぐように倒れ伏したシルフィー。俺によって限界を超えるほど肉体を虐め抜かれた彼女は指先すら碌に動かせない。そんな彼女に冷たい水が入った水筒が差し出される。シルフィーは息も絶え絶えだが震える手でそれを受け取る。水が溢れた。
「ひゃっ」
『失礼』
コッペリアは濃紺の軍服に覆われた右腕、その内に青いラインが走るその腕を差し出して溢れた水を受け止める。白い手袋の下、手の平中央にある円形を描くラインが発光すると、光に包まれた水が空中で集まり出す。水筒に残った水さえも集めてそれは水の球体を形成する。
『ご無事ですか』
「は、はい」
手の平の上で水球を維持したままコッペリアは左眼に赤い革製の眼帯を当てた隻眼、黄色に光る琺瑯質の瞳をシルフィーに向けて左手を差し出す。シルフィーがその手を取った瞬間にコッペリアは彼女の身体を引き上げて立たせる。
立ち上がる力さえ無かったシルフィーが自身の足で地に立つ。それでもコッペリアが繋いだ手を起点に彼女が再び地に落ちないように力の流れを調整する。
「こっ、これどう・・・なって・・・っ?」
『コッペリア式介護スキルその1です』
「何ですかそれっ?」
「すごーい」
「合気の派生技でしょうか?」
自身の体が相手に掌握されるという不可思議な体験を受けてシルフィーが困惑している。コッペリアのその技術?を見たヤナギとスターチスは感心した様子を見せている。確かにあれは中々の物だ。
「御主人様。あれも加護や魔法は一切使われていませんね」
エメラに使っているハーネスの手直ししながらコーラルは確認を兼ねて俺に聞いてくる。ハーネスを外されているエメラは小振りな手を器用に使って桶に注がれた水を呷るように飲んでいる。
コーラルが聞いてきたのは水球作成とあの人体掌握の事か。
「心臓と一部の武装は魔力を使ってるが、それ以外は不明だったか?」
「それらの物に関しては技術としか言えませんね。魔法より加護に近いと考える方が理解しやすいですが」
加護に近い。そうは言うが完全に別物であると判断したのはコッペリア加入から彼女を調べてくれているコーラル自身だ。
震えるシルフィーを手の平1つで支えたコッペリアが続けて水球を口に押し付ける。シルフィーの混乱が加速する。しかし一切の抵抗すら出来ずに表情を変えないコッペリアに水を飲まされる。
「・・・怖くない?」
「完全に為すがままです」
『コッペリア式介護スキルその2です』
「ごくっごくっごくっ」
あれは拷問か何かでは? しかし問題なく飲み込めている様子を見るに嚥下すらコッペリアの手の平の上らしい。ヤナギやスターチス、そして流石のコーラルもその様子に慄然としている。彼女が気圧されているのは珍しい、・・・いや、最近では仲間の皆に遊ばれている事が多くなったか?
俺はそんな光景を眺めながらコッペリアが、俺の面影を写した彼女が再起動した2日前の事を思い出していた。
◆◆◆
『皆様方。お初にお目にかかります。私の主の忠実なる道具【自動人形コッペリア】です。以後お見知りおきを』
最初の時の性別の分からなかった声ではない。完全な女声で名乗る。そしてその姿は俺と同じほどある長身。胸の辺りまで伸びた波打つ黒い髪。黄色く輝くエナメル質の瞳。肌はそこまで白いという程ではないが美しい質感をしている。そして顔立ちは・・・母親に、はっきりとは思い出せなくなった俺の家族の面影がある。そして何故か彼女の左眼付近には目の上下、額から頬の中程に掛けて刻まれた一筋の傷跡がある。
彼女の身体には青いラインが描かれている。それはふわりと膨らんだ胸の中央、心臓付近をから始まり手足に掛けて走っている。時折心臓から淡い光が放たれラインに沿って流れていく。
全身に走るラインを確認・・・してしまった。
「コーラル! 服! 服を頼む!」
完全に全裸だったコッペリア。どうして服を・・・いやそれよりなんで人間らしい姿に? 『黄金雲』に広がる天上の楽園、浮遊大陸『黄金郷』でコッペリアを発見して回収した時は皮膚の無い人体みたいな姿だった筈。
皮膚・・・、そういえばあの時「皮膜の喪失」がどうのと言っていた気がする。完全復旧でそれも作ったのか?
「・・・守護者? まさかそんな」
コーラルが取り出した衣服をコッペリアに被せながら瞳を離さずに観察している。コーラルの加護『知恵の精霊の瞳』がコッペリアの正体を看破する。彼女の目にはいったいどれだけの情報が見えているのだろうか。対象は古代の遺失技術の結晶とも言える存在。俺も興味がある。
『マスター。どうぞコッペリアに御命令を―――』
「服を着ろ!!」
コーラルもなかなか着てくれなくて困ってるだろ!
『衣服の着用。了承しました。こちらの物で宜しいでしょうか』
「それでいいから!」
『了解しました』
や、やっと着てくれた。
コーラルが手を貸そうとしたがコッペリアはそれを止めて自身で着込んでいく。コーラルより身長が20㎝は高いので服の大きさを心配したが大丈夫そうだ。比較的大きい物を回してくれたらしい。コッペリアは簡素な旅装に身を包んだ。
『終わりました御主人様。次の御命令を御願い致します』
表情無く命令を求めてくる。いきなり命令と言われても分からない。俺は召使いや使用人を雇ってるような貴族や商人ではない。どんな対応が良いのか分からない。
「不思議。人間・・・じゃない」
「生き物でも無いです。しかし生きてる様にも思えます」
「この方がお師匠様が回収したというコッペリア様ですか?」
皆は突然、昇降機内部に顕われたコッペリアに興味津々と言った様子だ。無理も無い。事前に俺が伝えていた容姿と違うんだから。・・・目覚める時間を言うのを忘れていたが。
あれ? 時間・・・違うよな。確かもっと早くに目覚める筈だった気が。
『申し訳御座いませんマスター。コッペリアは復旧が遅れた事の謝罪を忘れておりました。御迷惑をお掛けした事、誠に申し訳御座いません』
「どうして遅れたんだ?」
『人工皮膜生成にあたり、マスターの外見情報を基に構築・作成を行いました。その過程で人工骨格と人工筋肉の規格を修正しました。それが原因で時間を超過してしまいました』
「それで1日以上ズレたのか」
しかし俺を基にか。つまり俺がコッペリアに感じた家族の面影は、両親のではなく俺だったのか。だから傷跡も似せたのか? でも何故1つだけ・・・いや別に傷跡自体が不要な気もするが。
「・・・じゃあこっちからも自己紹介するか」
コッペリアの事自体は多少皆に伝えている。ならコッペリアにも俺の仲間の事をきちんと伝えておくべきだろう。
『コーラル様。ヤナギ様。スターチス様。メアリー様ですね』
「知ってたのか?」
直接言っていない筈なのに。コーラルの名前だけは先程コッペリアの服の用意の時に呼んだので知っているのは分かるが他の皆は?
『時間超過中の時には既に目覚めていましたのでその間に周囲の情報を集めていました。ですので皆様がマスターの重要人物であるのは学習済みです』
「なるほど、あの状態でも聞こえてたのか。まあそれでも実際に顔を合せての挨拶も大事だ。受けてはくれないか?」
コッペリアが皆の事を知っていたのは分かったが、初対面と言えば初対面だ。コッペリアの事は基本的に人として接するつもりだったから人間らしい事をさせよう。父親からも彼女の事は頼まれたからな。
『了解しました。それでは何方からいきましょうか』
さて自己紹介が終わればどうするか。コッペリアの今後の事もあるし、しっかりと決めておきたい。
「どうもボクはヤナギ。カー君のお嫁さんの1人です」
そういえばコッペリアは食事とかは必要なのか? 修理や回復に何を消費していたのかも把握していない。知っておく必要があるな。
「スターチスです。自分もカイル殿のお、およっ・・・およめ、さんです」
発見した時は半壊状態だった。あれだけ消失していたのなら相応の物が必要になっていた筈だ。自動人形ではあるがコッペリアは仲間になるんだ。無理はさせられない。
「シルフィーです。お師匠様の弟子としてお側に置いてもらっています。お嫁さんにして頂ければ無上の喜びです」
しかし容姿に俺の要素を取り入れているのには驚いた。他の人の目から見れば俺達はどう映るのか。コッペリアは美しく若い女性の外見をとっている。見ようによっては俺の姉にも妹にも見えるかもしれない。
「最後に、私はコーラルです。御主人様であるカイル様に私の全てを思いのままにして頂くのが私の願望です」
そんな見ようによっては家族に見えるコッペリアにマスターなんて呼ばせ方をさせておくのは俺自身の気持ち的に喜ばしくない。正直コーラルが俺に使う御主人様も悪くはないが嬉しくもない。やはり変えておくべきだろう。
「ちなみにコッペリア。皆が言っている俺に対しての、嫁だとか自分の全てを、とかは聞き流しておいてくれ」
『了解しましたマスター』
俺とコッペリアのやり取りに皆からの抗議が出るが無視する。だから諦めろとあれほど―――
『それではコッペリアの事を今後とも宜しく御願いします未来の奥様方』
「ペーちゃん良い子」
「素晴らしい方ですね!」
「お師匠様の容姿を真似るとは良い感性です」
「お好きな食事を御用意しますよ」
「・・・・・・」
この話題で俺の味方になってくれる人はいないのか・・・。
『さあコッペリアに御命令を、マスター』
・・・とりあえずシルフィーにでも使用人などへの対応を聞いておこうか。
◆◆◆
コッペリアは今どの国家でも存在しない軍服、コーラルが言うには帝国軍将校が着ている物に近い衣服を身に纏っている。
濃紺の立て襟、制帽、ズボン。白い手袋に金属補強された脚絆。更に左眼を隠す眼帯。腰には薔薇と金剛杵の意匠のある護拳が備えられた軍刀を佩いている。
「コッペリア様の心臓、動力核には加護が封入されています。断定は出来ませんが彼女のコアには人間が使用されたのだと思います」
「人間か―――」
コッペリアの製作者、コッペリウス。彼は彼女の事を娘と言っていた。それは生みの親だからという理由だけでは無かったのかもしれない。
そしてその心臓は今も輝き、生きている。
「―――コッペリアのコアで生き続けている加護。錬金に特化した『魔法適正』、それ1つだけか」
物体変換を可能とする魔法『錬金』。コッペリアはそれを使用して魔法具の袋に収められていた素材を用いて今朝方に現在の衣類を作成した。
便利な錬金魔法ではあるが変換時の弊害として、基になった素材より劣化する物しか作成できない。それは練度や触媒による補助で軽減できるが、同一素材に錬金を掛け続けると終には自壊してしまう。
そうなってしまえば廃棄、または金属などの精錬が可能な素材なら職人に最初から加工し直してもらうしかなくなる。
ヒューマンには『賢者』と呼ばれる錬金魔法を極めた人物がいる。彼は劣化無く物体変換を可能とするようだがコッペリアはその域には達していない。あくまで間に合わせ、応急処置用の魔法であるらしい。
自身の修復の時は目には見えない微細な機械細胞を使っているらしい。それは時間と手間が掛かるようなので娘の揺り籠、小さなカプセル内での作業が必要になる。
コッペリアの過去の記憶は途中で破棄したと聞いている。あまりに膨大な量になったらしく重要部分以外は消去しなければいけなかったらしい。
それ程長い期間、彼女はカプセルによる修復作業が出来ずにかなり機能が劣化していたようだ。それが今回の事で完全に回復出来たようで俺としても良かったと思う。
「しかし何であの服装なんだ? 何か参考した物でもあったのか?」
コッペリアの振る舞いは軍属というより使用人然としている。そこはかとない違和感を覚える。
『コッペリア式介護スキルその3です。疲労し硬直した肉体を解しています』
「あわわわわわわわわわ」
手を放され、次は肩を掴まれたシルフィーはコッペリアの手によって震わされている。それはもう彼女の全身がぶれるほどの振動だ。
「元々は遺跡の守護を戦う事で担っていたのですし、戦闘服を基礎としたのでしょう。しかし戦闘能力だけでなく奉仕能力も兼ね備えているのは製作者の設計思想の影響かコアの影響とも考えられます」
「・・・つまりどういう意味だ?」
「素となった人物の趣味か製作者の趣味ですかね」
「・・・趣味って」
もう少し言い方は無かったのか。見方を変えればコッペリアには心があるという事になるが。
「コッペリア様の左眼に異常はありません。機能は右目と同様に問題無く働いています」
そうなのか? 確かに最初にあの姿で顕われた時には普通にあの目で見ていたが。
「じゃあ何で傷跡と眼帯を?」
「直接的な利益が発生しないにも拘わらず特定の行為をする。つまりそこには感情が介在しています。傷跡は御主人様を真似たといえば理解できますが眼帯にはなんの意味もありません」
「・・・成る程、だからこそ趣味であると」
コッペリアは自身を人形と言っているが、もししっかりとした自我があるならもっと好きなように振る舞わせる方が良さそうだ。
「コッペリア」
『如何致しましたかカイル様』
俺の呼び掛けにコッペリアは高速で側に立つ。マスター呼びを拒否したら様付けになった。それもどうかと思うんだが。
散々に震わされて完全に力尽きたシルフィーを今度はヤナギとスターチスが看ている。
「命令じゃ無いんだが。もし自分のやりたい事や欲しい物があったら言ってくれないか? 俺達の道行きに支障が無い範囲なら叶えてあげられるかもしれない」
少なくともあの大地で眠る事を選択しなかったコッペリア。彼女の父親の意志がこの娘の幸せなら、彼女自身にも何か幸せを願える望みがあるかもしれない。
『コッペリアのやりたい事、欲しい物・・・』
黄色の隻眼が俺を映す。さあ何と答えるか。食事は不要だコーラルに答えていた。活動に関しては必要な物が無いのかもしれないが今後彼女にとって欲しい物が出てくる筈。
『・・・コッペリアには搭載した機能【千夜を越えても共に】という物があります」
「それは何だ? 俺の協力が必要なのか?」
『詳細はコッペリアにも不明となっております。しかし必要な物は博士から伝言として残っていました』
コーラルは俺の側でコッペリアを深く見ている。
彼女の瞳でコッペリアを見るとかなり複雑な情報が浮かび上がり、解析が必要になると言っていた。だから全ての機能の全容を知れていない。おそらく瞳の力でシェヘラザードに集中している。
ヤナギとスターチスに肩を借りたシルフィーもこちらに来る。皆もコッペリアの知られざる機能に興味を持ったのだろう。
そんな時、コッペリアは俺に対して跪き、そして仰ぎ見る。
『カイル様。コッペリアに愛をください』
「・・・愛?」
愛が欲しい? 俺の?
『博士は「愛を知れば必要になる」機能と仰っていました。カイル様の為に十全に働くには全ての機能の解放が必要と判断します。それを頂ければ【千夜を越えても共に】が使用可能となる、と伝言にあります』
「ちょっと待ってて欲しい」
『了解しました』
コーラルを連れていったんコッペリアから離れる。彼女が見知った情報を聞くために。そこに皆も付いてくる。何故か輪を作る事になったが気にせずコーラルの報告を聞く。愛が必要になる機能なんて想像がつかない。
「・・・シェヘラザードはどんな機能だった?」
「・・・そうですね」
コーラルは俺の目を見る。まるで何かを確認するかのようにじっと見て―――
「今はまだ御主人様には刺激が強いと思うのでお伝えできません」
「え」
「では御主人様は少々お待ちを。あと絶対に聞き耳は立てないように御願いします」
「え」
話しを聞こうと思ったら言ってくれなかった。
俺を置いて今度はコッペリアを含めた皆で屈んで輪になっている。俺が小さい時に見た子供が内緒話する時の体勢に見える。・・・いや、あれは実際に俺に対しての内緒話だろう。シェヘラザードを俺が知る事に何か問題が?
聞き耳を立てるか? 意識を集中すればこんな距離、わけは無い―――
「カー君駄目ー!」
「聞き耳厳禁です!」
・・・・・・。
ヤナギとスターチスにばれた。駄目だ、彼女達の超感覚を掻い潜れる気がしない。
結局、離れた場所で皆が内緒話しをしているのを眺める事しか出来なかった。
――――――
俺に内緒の話しが終わり、コーラルに連れられたコッペリアが俺の前に来る。自動人形だけありシルフィー以上に表情を読めない娘だ。
『マスター』
「・・・結局どうなったんだ?」
ここに来たという事は何かしらの結論が出たという事だ。いったいどんな結果に―――
『御兄様。これからも自動人形コッペリアを宜しく御願いします』
「お前何を吹き込んだっ」
「これが女性陣で出した最善です」
コーラルが満足げな顔で宣う。他の皆にも目を向けると同じような雰囲気を出している。
どういう事だ、どうして兄呼びに・・・待てよ。そういう事なのか?
「もしかして俺がコッペリアの兄になる事で家族の『愛』を教えると、そういう事か?」
これならコッペリアに愛を与える事が出来ると皆が決めて―――
「え? ・・・あ、はい、そうです。その通りです御主人様」
「待てっ、歯切れが悪い」
「そんな事はありません!」
絶対嘘だ! 今絶対に何かを隠した! 隠している!
『御兄様、後でお背中を御流ししましょう。妹なら当然です。夜は添い寝をしましょう。妹なら当然です』
「当然じゃないからな!」
兄妹でそんな事をしているのなんて聞いた事が無い!
「ボクも流してあげる」「では自分も!」「身の回りのお世話は弟子の務め」
こっちの話しにケリが付いてないのに混ざってくるな。余計にややこしくなる!
「これで順調に外堀を埋めて―――
「コーラル、お前今度は何を企んでる!」
『コッペリアは学習しました。義理の姉妹は合法だと』
「何が合法だ!? 愛の話しはどうなった!?」
「正面から行っても難しいので搦め手を伝授したまでです」
「いやだから俺にも事情を―――
「では皆様昼食にしましょう! 夕方には最初の集落に到着出来ますよ!」
「ごはーん」「自分も手伝います」「配膳をしましょうか」
『御兄様の分はコッペリアが』
「・・・・・・」
完全に置いてけぼりになった。断固として事情を語らない姿勢を全員が態度で示している。コッペリアは絶対に俺以外の言葉を優先して時があるよな。悪い事では無いのに腑に落ちない。
・・・訳の分からないまま今日、俺に妹が出来た
不安しか感じない。無事に終わるのかこの旅は。