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●.断章

 ◆◆◆



 音が鳴る。それは誰にも聞こえない。世界はいつだって変わらない。


「どうしてっ!!」


 昏い森の中で声が響く。まだ幼さの抜けきらない声。夜の帳が包む森の中で、まだ10歳になって間もない少年が声を張り上げる。それはあまりにも悲痛さを含んだ声。しかし矮小な声は森の木々に吸い込まれ消えて行く。

 一心不乱に壁の様にそそり立つ崖に拳を叩き込んでいく。崖の岩石に拳がぶつかる度に皮が裂け、肉が変形し、骨が罅割れる。しかし血塗れの両の拳を止める事はしない。それは彼の逃避行動であり、行き場のない怒りでもあった。


「なんで俺はっ!!」


 拳が岩を打つ度に、衝撃で血が舞い散り岩が砕ける。普通なら拳が先に潰れる愚行を彼は自身が持つ『強化』の加護によって肉体強度を上昇させて無理矢理続けている。

 しかしその愚行を支える少年の加護の効果は脆弱。

 彼の身体には時間が経つ毎に深い傷が出来ていく。それでも彼は止まらない。森の中で音を立て、血の臭いを辺りに撒き散らす意味を知らないでもないのに。


 当然その時は来る。愚かな行為を続ける子供を森の蔭から濁った眼を光らせて、喰らいつく瞬間を窺うモンスター。

 それは彼よりも頭一つ大きい猿の姿。焦げ茶の体毛、そして額に鋭い一本の角を備えた『一角猿(ホーンエイプ)』。その群れである。

 森での生活が長い少年もその気配には気付いている。しかし見向きもしない。あれらが自分の命を十分狩れる脅威だと感じながらも。自傷の様な行為も叫びも、彼は止めない。

 自然、先に行動を起こしたのは一角猿である。総勢20からなる群れ、彼らは小柄で傷付いた人の子を恰好の獲物と見定めて襲いかかる。

 戦端を開いた1匹目は自身の最大の凶器であるその角を突き出す様に四足で走りながら背後から突進、その頼りない小さな背中を串刺しにするように迫る!


「くっそぉおオオオオオ!!」


 少年は振り向きながら横にずれ、一角猿が目の前を通過するように回避する。獲物が急に動き狙いを失った一角猿は崖の岩に衝突。角が血に濡れた岩に深く突き刺さる。

 少年はその間抜けな一角猿の頭目掛けて拳を叩き込む! 骨同士の当たる硬く鈍い音と共に、角が刺さっている所為で衝撃を逃がせない一角猿はその一撃で意識を手放す。


 しかし1匹倒した所でまだ一角猿は多くいる。すぐ次の、今度は3匹の一角猿が少年に迫る。この生き物は角だけでなく、手には鋭い爪を備え、尻尾の先は硬く叩き付ければ普通の人なら骨折するほどである。そんな爪や尻尾、当然自身の象徴たる角さえ使って少年に攻撃を仕掛ける。

 爪を防ぐためにとっさに出した腕には爪痕が刻まれ、それに怯んだところを別の一角猿が尻尾をがら空きになった脇腹に叩き込む。それに吐き気を覚えた少年は、それでも気を乱さずにさらに迫ってくる角を突き出してきた別の一角猿を蹴りつける! 反動で後ろに退きながら少年は周りに意識を巡らせる。


「っ! こい!!」


 また振られてきた尻尾を身体で受け止めるように抱き掴む。軋む胸骨からくる息が詰まる様な痛みに耐え力の限り引き寄せる。尻尾を引かれ背中を見せた一角猿に鋭い蹴りを放ち、そのまま地面に押し付ける様に倒す。少年が1匹を足蹴にしている所に爪を振り上げた一角猿が飛び掛かってくる。


「だっらああああああああ!!」


 足下にいる一角猿を踏みつけ飛び出して、迫る新手に接近。一角猿が振りかぶる腕を拳で殴り軌道を逸らす。飛び掛かった勢いが消えない一角猿と彼はもみ合う様にぶつかり転がる。それを狙っていた少年は直ぐに自分が相手の上になる様に身体を動かし、押さえつけた相手の顔面に自身の拳を槌の様に握り込んで叩き込み砕く。


「ぐあっ!!」


 背中を切られ苦痛の声が出る。

 背後から来た一角猿の爪による攻撃を受けた。それだけでは終わらない。一角猿はまだまだいるのだから。

 時間が経てば経つほど少年の状態は悲惨なものとなっていく。一角猿は数匹程やられた所で退くことも無い。この生き物にとってこの時間はただの狩りなのだから。


 だが少年はその現実を否定する。


 少年の眼は死んでいない。例え慟哭し、悔しさに胸が張り裂けそうになっても彼に止まるという選択肢はない。今の彼にとってそれは自身の死に等しい。

 だがその思いを抱えたところで未来は変わらない。モンスターに嬲り殺される死体が一つ出来上がるだけである。最初に意識を飛ばした一角猿も仲間の喝により目を覚まし、怒りを昂ぶらせて戦闘に戻ってきている。戦況は最初から少年に有利だった時など一回も無いのだ。


「なんでっ!!」


 だから怒り叫ぶ。この認められない今の自身に対して。


「俺はどうして!!」


 血に塗れ、激痛に身を焼かれながら彼は戦い続ける。


「こんなにも弱い!!」


 既に伸び代の無くなった脆弱な『強化』を振り絞りながら、戦い続ける彼の姿には希望は無く。未来も無い。


「認められるか!!」


 少年の肉体が、限界を超える加護の無理な運用に悲鳴を上げる。

 そんな現実にさえ彼は憎悪を抱く。弱い自分、血濡れの自分、鍛えた『強化』の力は既に頭打ち、目の前のモンスター共すら殺せない。そんな自分の弱さを突き付ける現実を、目の前の敵を、過去に見た魔人を、その時に何も出来なかった無力な自分を、あってない様な加護を、大切で大好きな彼女に過酷な未来を背負わせた世界を。

 そんな世界を彼は憎む。恨む。怒り叫ぶ。


「そんな世界なんて!! 俺の限界を決める世界なんて!!」


 体中を引き裂かれ、叩かれ、牙を立てられ、それでも少年は戦い続ける。瞳に憎悪の炎を宿らせ心を燃やしながら、それでもその心の一番深くにある大事な『思い出』だけは美しいままに。


「俺の未来を狭める加護なんて!! 弱い自分なんて!!」


 少年の瞳には既に一角猿など映っていない。彼が戦っているのは目には見えない物。この日この時から『加護』は『世界』は彼にとって()()()()()()()()()()()

 少年は自身の加護を、弱い自分自身を縛るために力を発動させる。今まで彼を強化していたその力は彼の身体に牙を剥く。


「全て壊れろぉおおおおおおおおおおっ!!!」


 加護を、『強化』を()()させる。その所為で少年の肉体には何もしていないのに傷が生まれる。加護を自身で自身を縛る『枷』として、少年はそれに抗い始める。

 締め付ける加護と抗う少年の抵抗に挟まれた肉体は有り得ない現象に晒され軋みを上げる。それが傷となって顕れる。

 満身創痍。常に発生するようになった傷。骨が軋んで罅が入る。筋肉が震えて千切れる。皮膚が引き攣り裂ける。モンスターから刻まれた傷を含めれば、少年の身体には傷が存在しない個所の方が少なく見える程である。

 そしてそのまま少年は戦い続けた。空の端が白み始めるまで立ち続けた。

 一角猿が根負けするように去って行ったのは完全に陽が昇ったころだった。


「はぁ、はぁ・・・っぐぅぅ。・・・はぁ」


 力も無い、才能も無い、強い加護も無い、希望もない、未来も無く明日さえ無かった。そう、彼には明日さえ無かった筈であった。

 明日を告げる光が少年を照らす。


「・・・・・・みとめない」


 少年は加護で自分の身体を締め上げながらそれに抗い続ける。圧力に耐えかねた様に身体に裂傷が発生し、肉は繊維が引き千切れ、骨には亀裂が入る。


「・・・・・・みとめられない」


 それでも彼は止まらない。裂傷は無理に押さえ、肉は繋ぎ止め、骨は固定する。憎悪と無力感と怒りと全身に奔る激痛に心身を焼かれながらも少年は全てに抗い続ける。

 世界に抗う力など無かった筈なのに。


「認められないなら」


 音が鳴る、誰にも聞こえない音が鳴る。それは軋む音。罅が入る音。


「全て破壊する」


 人知れず、音が鳴る。

 彼の加護が軋む音が鳴る。しかしそれは始まりでしかない。何故なら少年は既に自身の死を乗り越えた。迎える事など出来る筈が無かった朝日を浴びて彼は歩き続ける。


「魔王になったあの娘のために。俺は、俺の邪魔をする物全てを破壊する」


 音が鳴る。それはきっと世界が壊れる音。少年が突き出し続けた拳が彼の未来も運命も加護も世界も何もかもを叩き続けた、その先で起きた崩壊の音。

 全て破壊される。これは始まりである。少年の身体を締め付ける加護は、抵抗する彼に耐え切れず1年も経たずに破壊されるだろう。彼は今日のように自身の運命を破壊するのだろう。彼はきっとこれから降り掛かる理不尽な未来を破壊するだろう。

 大事な彼女に過酷な境遇に陥らせるこの世界さえ彼は破壊するだろう。


 音が鳴る。それは今、世界を壊し始めた『破壊者』の産声である。



 ◆◆◆


 

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