3.終わりから始まる 下
胸に穴が空いた感覚。動かせない体と共に、それはとてつもない虚しさを僕に残していく。
タイファンは何処から取り出したのか黒い外套で僕の体を包み、その場に寝かせて横たえさせる。そんな行動も僕は気に留めることが出来ず、為すがままになる。
彼は地面に片膝を着いて、僕の目を見てくる。
「アレは貴様にとって大事な者だったのか」
何故。そんなことを聞いてくるのか。しかし彼は僕の答えなど求めていなかったらしい。
「ならばもう忘れろ。アレと貴様では生きていく世界が違う、アレは孰れ世界に災厄をもたらす者になる。お前のように日々田畑を耕して、穏やかに生きる人生を望む事など無理なのだ」
表情は変わらず、坦々と語りかけてくる。
「身に宿る魔王の加護はアレを血と闘争に駆り立てる。貴様のような小さな加護ではもう関わる事など無いだろう」
僕に現実を言い聞かせるように。
悲劇など、この世界ではいくらでも起こり得ると伝えるように。
「ここに居た貴様は運が良かった」
遠くから音が聞こえる。村のある方から、嫌な音が。
「あの『狂乱の群れ』に巻き込まれずに済むのだから」
視界に映る村、家々から黒い煙が昇っている。火が上がる。
村が、燃えている。
何かが村を襲っている。たくさんの影、見覚えのある姿、過去の記憶では1匹だけだけだった物。それが数えきれない群れで村を侵していく。
ゴブリン。ゴブリンの群れが僕の村を壊していく。
「3百程か。比較的小さなスタンピードだが、あの村ではひとたまりもないな」
タイファンもゴブリンに破壊されていく村を見ている。声の抑揚に変化はない。ただ目の前で起きている出来事を無感情に、言葉で直して僕に伝えているような印象を受ける。
それも彼の眼を見るまでは。
「今ある契約が優先される。我等があの村にしてやれる事は何も無い」
なんて辛そうな眼をしているんだろう
「・・・あのスタンピードは今回の事とは無関係だ。運が無かった。あの村は星の廻りが悪かっただけだ」
立ち上がり村から背を向けて歩き出す。
目で彼を追えばそこにはいつの間にか、音や気配もなく黒衣の集団が集まっていた。
「揃ったな。次の目的地はグランメナスだ。契約はまだ続行されている。あれに構うな直ちに向かえ。違反者は俺が処す」
黒衣の集団は一瞬村に目を向けて迷うような素振りを見せたが、何も言わずその場から立ち去った。
またこの場には僕と彼だけになる。彼は僕と終わっていく村に背を向けたまま立ち止まっている。
「・・・・・・7年前に新たな魔王が産まれると占星術師が占った。ただの魔王ではない、アレはおそらく歴代で最も強大な力を持つ存在になるだろう」
彼が再び話しだす。その声は僕の耳によく届いた。
「魔王の生まれる周期に決まりはないが、魔王を『真の魔王』に至らせるのには特殊な儀式が必要だ」
それはただの村人なんかじゃ知る事がない、物語にさえ載っていない、そんな重要な話。
「20年周期で未踏破地帯の奥、魔の地では赤い月が昇る。その月が出ている時に祭壇で魔王は祈りを捧げその身に降ろすことになる。歴代の魔王の魂を。人間への憎悪と怨嗟を、破壊と殺戮に愉悦を感じる穢れた数多の魂を。今代の魔王の身に降ろしてその心を染め上げて、真の魔王としての覚醒に至らせる」
彼は少しだけ振り返り僕の目を見る。
「前回赤い月が昇ったのが当代の魔王が産まれたのと同じ7年前だ」
それを言うと彼はまた前を向いて歩き出す。
まだ明るい時間なのにその後ろ姿はどこか、影をもつように見える。
「どうするかはお前の自由だ・・・足掻いたところで何も出来ないかもしれんが」
それを最後に彼も消えた。残るのは僕だけ。
意識が遠くなる。心にあるのはクレアの事、村の事、両親の事、そしてダークやダークエルフ。加護や魔王の事。それが黒く塗り潰される。ぐちゃぐちゃにかき混ぜるように頭の中を巡っていく。
好きな人が攫われて、村の全てが焼け落ちて。大事な物が、いつもの日々が無くなっていく。
何も出来なかった目の前の現実と、無様に横たわる無力な自分が許せない。
「――――――きみだけは」
誰にも届かない声、それは自分に言い聞かせるように発した誓い。残された希望。
「きみだけはたすけてみせる」
意識が現実から離れていく。無力な自身を加護で締め付けて、最後に彼女が消えた場所に手を伸ばす。無理な使い方で肉体を傷つけて血を流させる加護など気にせずに、自分の身も心も燃やすように手を伸ばす。
「あのこのためにぼくは――――――」
全てが終わった日 もう一度、ここから全てを始める
◆◆◆
気を失ったクレア。その手にはある物が握られている。
結晶花の首飾り。紫水色に輝くそれはカイルのクレアへの幸せと平穏を願う気持ちを込めた決意の品。
最後に手がふれあった時に、カイルからクレアへと渡った2人の思い出と絆の証。
意識が無くとも彼女はそれを手から離す事はなかった。
◆◆◆
◆◆◆
陽が昇る。木々に囲まれた森の中でも十分に感じられる夜明けの空気。
それを意識に触れながら、注意は自分に視線を向けてくる怪物からは外さない。
『フシュゥ、フシュゥゥ』
生臭い息。鋭く飛び出している犬歯のある口から荒く吐き出し、鬼を連想させる顔をしたそいつは俺を赤く濁った眼で睨み付けている。
背は3mは超えている。土の様な茶色の肌で頭から背中にかけて黒い鬣を備えている。その全身は分厚い筋肉の鎧で覆われており、大人の胴体ほどありそうな太い腕には木を削りだして作り出した巨大な棍棒が握られている。
怪人種の『オーガ』。その巨体と強靭な肉体で獲物となった生き物を叩き潰し、引き裂き殺して貪り食う人喰い鬼である。一般的に鍛えられた戦闘系の加護持ちや中位の魔法使いが対応に当たるべき怪物。しかしそれも、それが1体であるならば。
30体。それが今俺の周りにいるオーガの総数である。
どいつもこいつも憎悪と、獲物を甚振る加虐の愉悦で期待する眼でこっちを見ている。1体だけ棍棒ではなく錆の浮いた大剣を持っている。体格も周りのオーガよりも頭一つ分デカい。毛色の違うそいつはこの群れのリーダーだろう。
対する自分は1人。
よくある黒髪黒目。身長はまあ高くなった方ではあるが、装備を着込んでいるのを差し引いても巨体と呼べる程の体格ではない。魔法を使えるだけの魔力もない。そんなヒューマンの男が1人。
侮られているのがわかる。このオーガ共は目の前にいる1人の人間を自分達の力と数の暴力で好きなように出来ると考えている。
「・・・はあ」
呆れが混じったため息が出た。
オーガの群れは最初は40体だった。
ここにいるオーガ共はどうやら複数の人間が討伐に来たとでも考えているのかもしれない。だからこそたった1人の俺を集団からはぐれた不幸な獲物とでも思っているのだろう。自分達が集まった場所に遭遇してしまった哀れな人間だと。知らないうち殺されていた仲間の仇をこいつで存分に晴らしてやる、と好戦的な態度で示している。
俺は踏みつけにしていたオーガの死体から下りて草の茂った地面に立つ。
「どうした? さっさと来いよ」
何も本当の事を理解していないオーガ共を挑発するように声を掛ける。
言葉は通じないが俺の余裕のある態度が気に食わないのだろう。一番近くにいたオーガは弄るのが目的か棍棒ではなく直接素手で、そのハンマーの様な拳で雄叫びを上げながら殴りかかってくる。
素手でさえ常人なら肉が潰れ骨が砕かれる威力を持った拳。それが振り下ろされるように頭上から迫ってくる。
衝突。轟音。そして枯れ木が砕けるような異音と潰される肉と飛び散る血液。
『ゴァァアアアアアアアアアアッ!!!』
傷を負い、叫びを上げるオーガ。
グシャグシャと拳から肩まで原型の失った片腕を押さえて苦痛の悲鳴を上げている。そして無傷で右の拳を振り抜いた体勢の俺。異常な事態に周りのオーガ達は動揺しだす。
間抜け共が。
自分の拳でオーガの拳を迎え打った俺は痛みに呻くオーガに接近、それに気付いていないそいつの左の足首を片手でを掴む。その足首は巨体相応に太く、指など半分も周らないが関係ない。軽く力を込めると皮膚と筋肉がまとめて潰れ、内側にある骨に直接指を掛けて無理矢理固定する。噴き出す血で手が赤黒く染まる。
さらに与えられた激痛に、オーガが藻掻き何か行動を起こそうとするがもう遅い。こいつを含めてここに居るオーガ共の運命は既に決まっている。
「うらああ!」
オーガの体が地面から離れる。俺が腕を自分の頭上で振り回すと、足を掴まれたこいつも巻き込まれるようにその巨体を冗談のように空中に浮かび上がらせ振り回される。風切り音が出るほどの速度で振り回し、俺は混乱しているオーガの1体に対して、軌道を変えて直上から振り下ろすようにしたこいつを叩き込んだ。
爆音。そう言ってもいいぐらいの音を森中に響かせて衝突した2体のオーガは地面に円状に窪んだ大きな衝突痕を、潰れて肉塊になってしまうのと同時に大地に刻み込んだ。
衝突の衝撃で完全に握り潰してしまい、手の中に残ったオーガの足だった物の一部をその辺りに適当に捨て、俺は次の獲物に飛び掛かる。
あるモノは殴られた威力を受け止めきれず首を吹き飛ばし、あるモノは心臓を素手で抉りて潰し、あるモノは手足を捥がれて芋虫のように地面を転がり悲鳴を上げるだけのモノに成り下がる。
僅か十数秒で森の一角はオーガ共の地獄と成り果てる。
混乱から立ち直り、襲いかかってきたオーガは良いオーガだ。こちらから近づく手間が省けるのだから。俺はさらに拳を突き出し、蹴りを浴びせ、掴んで引き裂き、地に叩きつけ、オーガ共の死体を積み上げていく。
最初からこの森に人間は俺しかいない。1人だ。
目の前の人間が殺されていた10体の同胞を手に掛けた者であると、オーガ共はようやく悟ったようだ。しかしもう遅い。
既に半数のオーガは躯を晒している。詰んでいるのだこいつらは、俺と出会ってしまったその時に。
俺とリーダー格のオーガの目が合う。
逃げ出した。
勝ち目が無いと判断したのだろう。それは間違った行動ではない。勝てない相手に向かい殺されるなど無駄死にでしかないのだから。残ったオーガを時間稼ぎにするつもりだろう。そうして隠れ潜み、時を待ち再び群れを形成していくのだろう。
人を襲うために。
「逃がすわけないだろ」
『ギィィイイイイイイイイイイ!!!』
背中を晒して逃走していたオーガのリーダー。その無防備な背中に左手を突き刺して、背骨を直接掴む事で無理矢理逃走を止める。今まで味わった事が無いであろう痛みに耳障りな声を響かせる。
「うるさい」
右手でオーガの背後から肋骨辺りを掴み、相手が無駄に動かないよう力を入れて握る。そして左手をその手に掴んだ物を離さず力任せに引っ張る。白く硬く長い物が体液を飛び散らせ、繊維を引き千切る感覚を振動で手に伝えながら引き摺り出される。
『ゴゲァ』
背骨の大部分を奪われたオーガは最後に呻き声を上げて地に伏す。
背中の穴から大量の血を流し、激しく痙攣しているそれを無視して近くに落ちていた大剣を拾う。
両刃のそれは長さは柄を入れて俺の身長よりも少しだけ長いくらい。刃の幅は俺の胴体を隠せる程で肉厚は一番ある中央で腕の太さぐらいある。重さはどうでもいい。大事なのは強度だけ。
頑丈さを調べるために適当に他のオーガに近づき両手で振り下ろす。
頭から股座まで真っ二つに斬り裂かれ、半分になって倒れたオーガは断面から内容物をぶちまけて地面の染みと化す。
大剣は使う前と変わらない姿で手に収まっている。刃毀れも歪みも出来ていない。薄く錆びたそれは顔を出してきた朝日に照らされ鈍い輝き放つ。
「・・・いいなコレ」
壊れない思わぬ戦利品に少し心が躍った。鍛え始めて、ある時期から素手でも困らなくなったが、こうして頑丈な武器を手に取ると中々に便利である。
固まって逃げている残りのオーガをその倍では利かない速さで追いかけ剣を構える。そしてさらに自身を加速させて剣を振り回しながら、止まっているほど遅いオーガ共の間を駆け抜ける。
「おっと!」
オーガ達を集団から抜けだし、少し離れた場所で地面を深く抉りながら急停止する。
背後を振り返れば目に入ったのは、首を、胸を、腹を、腰を、様々な部分を断ち斬られた大量のオーガだったモノがボトボトと水気のある落下音を鳴らしながら地面に堕ちて転がる瞬間だった。
森の中に静寂が広がる。
周りに視界を走らせ、音に耳を集中させる。
オーガらしき姿と気配はもう存在しない。どうやらあれで全部だったようだ。
「終わりか」
俺はオーガの群れが全滅したのを確認して。ここから立ち去ることにした。
右手に持ったままの大剣を肩に担ぎ、歩き出す。自分も装備も剣も、何もかも血塗れで正直気持ち悪い。走ってすぐの場所に川がある事思い出した俺は、歩みを変えて走り出す。
オーガの死体はどうせ野生動物やモンスターが処理する。
俺は地獄のようになった森の一角から立ち去った。
◆◆◆
森を抜け、丘を越え、少し進んだ場所にそれはある。
そこには昔、村があった。小さな村。畑を耕し森で採取や狩りをし、日々の糧を手に入れる。名物なんて物はなく、目立った催しもない地味で静かな村。
住んでいる人は皆親切で優しくて、助け合って生きていた。たまに来てくれる行商人から買い物がてら最近の目立った出来事を聞き、それを話しのネタにして買い取った安酒で大人達は朝まで飲み明かす。そして次の日に二日酔いになり家族に呆れられる。
何処にでもあると、そう思わせるそんな暖かい日々。
村はもう存在しない。あるのは雑草に埋もれた拓けていたはずの土地に、家であったと思わせる、若木や草花に覆われた柱の残骸と苔むした井戸。
思い出の残骸。
そんな場所、その真ん中に大きな岩が置かれている。オーガでさえ持ち上げる事が出来ない重さと大きさを備えた巨岩。その岩の前に俺は1人で胡坐をかいて座っている。
これは墓。2年程前に見つけた巨岩を運んできて村人たちの墓にした。岩の前には俺が森で集めた花や木の実、解体して加工した獣の肉を供えている。
太陽は真上に輝き、その熱は春の到来を伝えてくる。
「俺、今年で17になるんだよ。びっくりだよな。もう10年も経つんだよ」
地面に突き刺した大剣を背もたれに、俺は今はいない皆に語りかける。
「早かったらもう結婚してる歳って考えたらさ、何だか不思議な気分で笑えてくるよ」
村の跡地に吹き抜ける風は、日差しで熱を持った体を優しく冷やしていく。
「それでさ、俺もそろそろ良い人に逢いたくて。今日はその報告に来たんだ」
置いてあった酒瓶に手を伸ばし蓋を開ける。
あの日割れずに残っていた、大事に保管していた1本。
「皆も知ってる人だよ。ちょっと長いこと会えてないけど同じ歳の娘でさ、子供の時からスゴイ可愛くて、今だったら吃驚するぐらいの美人さんになってるんじゃないかな?」
飲み口から酒精の香りが立ち昇ってくる。それを墓に掲げて皆と乾杯する。
「連れてくるよ。絶対に」
掲げていた酒を一口含む。口の中が葡萄で造られた酒の味と香りで満たされて、鼻孔と舌を刺激する。
それを飲み込んで立ち上がる。残った分は全て岩に掛けて流していく。
「その時にはこの酒も沢山買ってくるからさ。また皆で飲もうよ」
空になった瓶を放り捨て振り返り、剣を抜き肩に担ぐ。
そして歩き出す。
「またね皆。今度来る時はさ――――――」
遠くに見える視界の端に映る、無力さと後悔を味わったあの日の小さな丘。
あそこで一度、『僕』だった全てが失われ、終わった。
だから『俺』が始めよう大切なものを取り返すために。
「――――――全てを終わらせた時だ」
魔王になったあの娘のために、俺は立ち塞がるもの全てを砕いて壊して進み続ける。