1.終わりから始まる 上
光を感じる。
閉じた目の上から染み込むそれが自分の目覚めを促している。もう少し寝ていたい僕は光から逃げるように体を転がし横向けになる。その時にずれた薄い布団も巻き込むように手繰り寄せて頭からかぶる。感じていた光は布団で遮られ、眠りに落ちるのには都合の良い状態になった。
それに満足して僕はもう一度―――――――
「――――――起きなさい寝ぼすけ君」
あ、と言う間もなく被っていた布団を引かれ、それに引っ張られるように光のある方へ体が向けられる。たまらず目を開けると、そこには笑顔で僕を見ている青い瞳の女の子がいた。
「もう朝よ、今日はお昼前に一緒に出掛ける約束でしょ」
「・・・くれあ?」
「そうよクレアよ。もう外に水を汲んでるから顔でも洗ってきなさい」
寝起きでかすんだ視界を指で拭っているとその手をクレアが握り、引かれて体を起こされる。僕もクレアも親の仕事を手伝っているのに、彼女の手は荒れたりせずに不思議とすべすべで柔らかく感じる。
それに意識を向けているのが恥ずかしくて、僕はベッドからいそいそと下りて彼女の隣に立つ。そうすると彼女の手は離されて、安堵に似た気持ちと共に寂しさも感じた。
並んで立つとクレアの方がやっぱり背が高い。同い年の7歳だが成長に違いがあるようだ。仕草だって最近大人の人を意識してる気がする。こうやって僕の面倒をまるでお姉さんかのように見てくれるのだってそうだ。
そんなことを考えながら頭を掻き、最近長くなって寝癖が目立つ自分の黒い髪の感触を手に感じる。まだ眠気が抜けず欠伸が出た。
そんな僕の様子をクレアは微笑んで見ていた。
「色々と用意しないといけないんだからご飯も早く食べてね」
朝日を浴びて彼女の薄い茶色の長め髪は金色に輝いているように見えた。それと彼女の笑顔に見惚れてしまった僕は照れくさくなって、うまく言葉を出せずもごもごとしたが小さく「うん」と返事をして自分の部屋から出る。1人だけ部屋に残た彼女は、僕の布団を外へ干す準備を始める。そんな様子も僕が部屋から出てしまうと見えなくなる。
居間に出ると両親が簡素なテーブルと椅子に座って一足先に朝食を食べていた。母はのんびりとパンを食べていて、その隣には僕とよく似ていると色んな人から言われる父がこっちを見ている。なんだか人をからかう様な笑顔している。とりあえず無視する事にする。いつもみたいに僕に変な事でも言おうとしてるんだ。
「おはよう父さん母さん」
「おはようカイル。今日も尻に敷かれてるな」
「おはようカイルちゃん、使った水は置いといてね」
「・・・・・・うん」
やっぱり変な事を言ってきた父を無視しながらテーブルの上を見る。四人掛けのテーブルには3人分の朝食が用意されている。クレアの分が無いのは彼女が自分の家で朝食を済ませたからだろう。
食べる前に顔を洗うため玄関に足を向けると、ちょうどクレアも僕の布団を抱えて部屋から出てきた。彼女が外に出やすいように玄関の扉を開いて押さえておく。
「あら、ありがとうカイル」
「どういたしまして」
食事を続ける両親に見送られて2人そろって外へ出る。空は快晴で気温は少し寒い。もうすぐ春が来るけどこの時期はまだまだ冷える日が多い。畑の手伝いは今は特に無いけど次の季節への準備は始めないといけない。お昼はクレアと出かける予定があるからそれまでに終わらせたい。
ちょっとずつ昇る太陽に変わらず元気な両親。面倒見が良くて僕に世話を焼いてくれるクレア。
いつもの日常でそれは今日も変わらないけど、こんな暖かい日が続いてくれるとそう思った。
◆◆◆
アークス大陸北西部にある普人種を中心とした国、ミルドレット王国。その西部にある小さな村が僕の住んでいる場所らしい。らしいと言うのもこれは両親や、定期的に来てくれる行商のおじさんに聞いただけの話なので大陸や国といわれてもどれぐらいの大きさかピンとこないからだ。父さんは僕に「大陸は凄えデカいらしいぞ」と教えてくれたが、父さんだってこの国の首都にすら行った事がないのだ。半分適当に言ったに決まってる。
そもそも僕たち村人なんてそうそう国を見て回れる物じゃない。もし遠出なんかして大型の野生動物や『魔獣』に出会ったら、たいした『加護』も持って無くて訓練も積んでない村人なんてイチコロだ。そんなの怖いのをバシバシ倒せるのは物語や唄で活躍する勇者や英雄なんて凄い人達だけだ。ささやかな効果の加護一つしかない僕とは比べるまでもない偉大な人達。
天辺に昇った太陽の光を浴びて沢山の緑が溢れる丘の上で立ちながら、少し遠く離れて小さくなった自分の住んでいる村を見る。この丘からはこの辺りを軽くだけど眺められる。村からもそこまで離れてなくて見渡しも良いこの場所は遊び場にぴったりだ。
そんな場所にもちろん僕1人で来たわけではない。
「カイルー。お昼の用意が出来たよー」
「わかったー!」
後ろでクレアが僕を呼ぶ。振り返ってると原っぱの上で座って待つ彼女がいる。駆け寄ればそこには布を広げて籠が置いている。その籠の中にはクレアが用意してくれた朝食が入っている。
パンに具材を挟んで簡単に食べれるようにしたサンドイッチが詰められた籠。それを見ながら僕も彼女の向かいに座る。そうすると彼女は僕の顔を最近よく見る微笑みを浮かべた顔で見てくる。最近はいつもそうで、その優しげな青い目で見られる事に僕は何だか照れくさくなる。
今ここには僕とクレアしかいない。2人だけでピクニックに来たのである。
僕たちは家が隣という事もあって、畑仕事の手伝いの合間を見つけてはよく遊んでいた。今朝のように彼女が僕の家に来る事だって多い。半分家族みたいな友人関係。
――――でも僕にとってはそれだけじゃない。そのクレアへの気持ちを言葉にしたら、すっごく恥ずかしいに決まってるから僕は彼女にその気持ちを秘密にしている。
僕がクレアが好きという気持ちを。
クレアは可愛い。村で一番、いやきっとこの国でも一番だ。村の皆や行商に来るおじさんだってクレアの事をそう言ってるから間違いない。
畑仕事を手伝っているのに僕と違って日焼けなんて全然しない透き通るような白い肌、陽に照らされ金のように輝く肩より伸ばした薄茶の髪。空みたいに青い瞳に整った綺麗な顔。背だって高くなってるし大人になったら森林種の人にだって負けない美人さんにきっとクレアはなる。
そんな娘が目の前にいて、僕の勘違いじゃなければ一番仲良し。その事を意識して少し熱をもって熱くなった自分の顔を見られたくなくて顔を上げる。上に向けられた視界には眩しく光る太陽と何処までも広がる青空だけが映る。
「どうしたのカイル? 何かあったの?」
彼女は突然上を向いた僕を不思議そうに見ている。
「ん・・・あの時みたいに『黄金雲』でも出そうな良い天気だと思って」
「あらそうね、あの時みたいにひょっこり出てきそうね。私また見てみたいわ、だってすっごく綺麗だったもの」
誤魔化し半分で出した話題だったが気を紛らわせることが出来た。それは1年前に見た僕たち2人の共通の思いで。心に深く残った夢のような光景。
「うん、僕もまた見たい」
黄金雲。『神種』の一柱。この世界を巡り漂う黄金色に輝く大きな大きな雲。空に生きる精霊や翼ある種族の楽園だと言われている。僕とクレアは昔それを見た。
見上げた空、それを黄金の輝きで埋め尽くしたような幻想的な光景。僕は体に刻まれた傷の痛みなんて頭からすっ飛んでいた。さっきまで泣いていたクレアだって涙を流すのを忘れてそれに目を奪われていた。それほど僕とクレアはその黄金の輝きに圧倒された。
――――――それは2人の心に刻まれた大事な思い出。
「・・・あの時は大変だったね」
僕が笑いながらそう言うと彼女は少し、いやかなり不機嫌になった。
・・・・・・あれ怒らせた?
「・・・大変なんてもんじゃなかったでしょ。私あの時あなたが死んじゃうかと思ったんだから」
「いやいや、別にそんなひどい怪我でもなかったし――――」
「馬鹿じゃないの!? ひどい怪我だったじゃない! 『怪人種』のゴブリンに襲われたのよ!」
「ご、ごめん!」
さっきまで穏やかさが嘘だったみたいな剣幕で迫ってきたクレアに僕は気圧されながら謝る事しかできなかった。
――――――ゴブリン。そうあの日、僕とクレアはゴブリンに襲われた。
少しぐらい大丈夫。そんな根拠のない考えで僕とクレアはお互いの両親に内緒で、子供だけで入っては駄目だと教わってた森の中まで行ってしまった。そこでしか取れない花を求めて。
結果は最初の通り。僕たちは運悪く、いや逆に運が良かったのだろう。単体のゴブリンに遭遇してしまった。
怪人種は人間に対して憎悪を持っている。物語や神話でしか語られないぐらい昔から、デミヒューマンは集まって大きな群れを作り人間と争いを続けている。そんな怖くて恐ろしい存在。
ゴブリンはデミヒューマンの中では小さく弱い種類だ。葉っぱに炭でも塗したかのような暗緑色のゴツゴツした肌に骨ばった手足、尖った大きな耳にギョロギョロとした黄色がかった目玉。背は子供ほどしかなくて力も大人には少し届かないぐらいだ。群れならまだしも単体での脅威は決して高くない。
――――――遭遇したのがゴブリンよりもさらに小さい僕達でなければ。
そこから先はよく覚えていない。とにかくクレアを守らなければという思いでその場から逃げだした。でも逃げ切れなくて小さな棍棒を持つゴブリンに追いつかれて襲われた。そして僕は必死の抵抗をする事になったのだ。とっても弱い僕の加護、『強化』を振り絞って。
気付けば全部終わってた。
森の中のひらけた場所。仰向けに倒れ痛みで動けない僕と、日暮れが近づいて赤く変わり始めた空。視線を空から下へ向ければ足下には頭から血を流し倒れ伏して動かないゴブリン。そして動けない僕のお腹に縋り付いて泣きじゃくる少し汚れた、でも無傷のクレア。
ああ、勝てたのだ僕は。右腕を折られ額や体のあちこちから血を流しても、それで戦い続けて棍棒を奪い取った。そして動かなくなるまでゴブリンの頭にその棍棒を叩き込んだようだ。これが記憶の無かった僕が後からクレアから聞いた話である。
そうして僕は痛む体や泣き止まないクレアを見て途方に暮れていた時に、あの黄金の雲が顕れた。
僕とクレアはその突然顕れ空を埋め尽くした黄金雲が、再び顕れた時のように突然姿を消すまでの間あの黄金に見入っていた。
そして呆気にとられていた僕とクレアを探す村の人達の声が聞こえてくるまで2人して魂を抜かれたようにしていた。
「――――――ほんとーに分かってるの? カイル」
クレアは僕の事を下から覗き込むように睨み付けてくる。その綺麗で可愛い容姿のせいであまり怖くないが、クレアが本気で僕を心配して怒ってきてたのは分かった。家族のような関係だった友達が大怪我をしたのだ。あの時は本当にクレアを不安にしたのだろう。思い返せばあの日から彼女は自分に対して面倒見がよくなった気がする。なんだか手の掛かる弟みたいに思われているのかもしれない。
「うん、わかったよクレア。危ない事は出来るだけしないよ」
「・・・わかってない気がする」
彼女は僕の鼻先を指でぴんと弾く。浮かせていた腰を下ろして座りなおした。鼻が地味に痛い。
「私あなたが傷つくとこなんて見たくないんだからね」
少し遠い目をした彼女はため息をつきながらそう零した。それは僕が家で怪我の治療を受けていた時にも言っていた言葉である。
彼女の言っていることは分かるし僕だって痛いのは嫌いだ。モンスターは怖くて恐ろしいし、危ない場所にだって近づきたくない。でもそれ以上にイヤなことだってある。
僕は座った状態で姿勢を正して、クレアのことをじっと見る。少しでも真剣さが伝わるように。
「・・・それでも僕は、クレアが無事だった事が嬉しかった」
彼女が傷つく事が一番イヤだ。
あの時、ゴブリンがクレアを傷つける事を考えただけで頭の奥に火が燃べられたかの如く熱をもつ。
そうして僕は自分の加護を燃やすようにその熱を力にして戦った。クレアを傷付けようとする全てから守り抜くために。そして彼女に怪我が無かったのが、痛い思いをしなくて済んだ事が心の底から嬉しかった。
だって、僕はクレアの事が好きだから。
クレアは僕の方を見てたけど、今の言葉を聞くと顔を俯かせた。垂れた前髪のせいで表情が見えなくなる。
「ばか」
それは絞り出したようなか細い声で、でも自然と耳に入る言葉。
「――――――」
彼女の表情は見えないけど、髪から出している小さな耳はいつもより赤くなってる気がする。
何だかすっごく恥ずかしくて、うまく返事が出来なかった。
丘の上には涼しい風が吹き、少し遠くの林の木々がざわめく音だけが響いている。何か言わなければと考えて、でも上手く言葉に出来なくて。
そんな時に上着のポケットに入れていたある物の存在に気づいた。それはクレアに贈りたいと思って用意し、照れくさくなって今まで渡せずにいた物。
春になれば花を咲かせる植物『結晶花』。その花の花弁は枯れるんじゃなくて結晶の様に硬質化して散る種類の植物。
それは花弁の数に色や大きさ、硬さや輝き方で価値が変わる。希少性が低いありふれた物であれば簡単に見つけて採取できる。それを少し加工すれば装飾品として使えるようになるので庶民にとっても馴染みの深い花でもある。
僕のポケットの中にあるそれは紫色で透明感のある、まるで紫水晶のように輝く花弁が5枚花開く結晶花を首飾りとして加工した物である。
1年前に僕とクレアが森へ入った理由。それは結晶花を手に入れたかったから。
ゴブリンに襲われて、黄金雲を目撃したりで有耶無耶になってしまった目的。僕は駆け付けてくれた大人の人達に助けられた時に偶然自分の側に咲いていた、掌よりも少し小さい結晶花を見つけ手に入れていたのだ。
後日、クレアには内緒で父さんと母さんに協力してもらって、その紫水色に輝く結晶花は小さな首飾りとして生まれ変わった。
少しずつ下がっていく太陽に変わらない丘の上。ここから見渡せる僕たちの村。
今、僕とクレアの間にあるこの空気だって適当な言葉で流せば、またいつもみたいな日常に戻れる。だけど僕は少し、ほんの少しだけ変化が欲しくなった。
僕とクレアの関係、変わらなくてもきっと居心地のいい2人の距離。だけど願うならもっと、もっと近づきたい。彼女に向かって一歩を踏み出し、手を伸ばせば触れあえる距離。踏み込めばこれからの関係が変わる、そんな距離。
ポケットの中に手を入れてそれを指で摘まむ。
「あのねクレア、君に渡したいものが――――――
その言葉は続かなかった、なぜなら
「お迎えに上がりましたよぉ『魔王様』」
クレアの背後に立っていたから。こわいものが、おそろしいものが。