First(1)
陽も半分沈みかけた頃。
マンション街を歩く者が2人いた。
(無理!!)
伊織は光司の隣を歩きながら心の中で叫ぶ。
結局あれからデパート内でウインドウショッピングを楽しんだ後、ホテルどころか自宅にすら誘い出すことができずに帰路を辿る今に至る。
マンションに住む姉にお世話になっているのだが、今日のことをその姉に言うと––––
「わかった!お姉ちゃん応援する!今日は帰らないから連れ込んじゃってもいいわよ?」
ニヤニヤしながらそう言った。
友人と姉に背中を押されている今がチャンスだ。
これを逃せば次いつ彼を誘い出せるかわからない。と言うよりも誘えなかった時の精神的ダメージがいつ癒えるのかもわからない。
もし逃した場合、傷が癒えて彼を誘い出せるのはいつになるのか。下手をすればそうしている間に誰かに取られるかもしれない。
それだけは絶対に防ぐ。
そうと決まれば腹を括って言うしかない。
チャンスはある。彼はそろそろ陽も落ちるからマンションまで送ると言ってくれたのだ。
そこで彼を誘うことができれば––––。
(––––よし!)
伊織が覚悟を決めている中、光司は考え込んでいた。
なぜ伊織をマンションまで送ると言ったのか。
ただ歩いていたかったからだ。まだアパートに帰りたくなかった。1人でいたくなかったからだ。
(大島さんには、なんか悪いことしてるよなぁ)
結局、彼女のためではなく自分のためにしている行為に光司は小さく息を吐く。
昔の自分は酷いやつだと思うが果たして今の自分はどうだろうか。
自分のために何も知らない彼女を利用している自分はどうなのだろうか。
罪悪感で心が一杯になる。
それを少しでも軽くするために言う。
「その、こんなことを言うのは変かもしれないけど今日は……楽しかった」
「え?ああ、ありがとうございます……?」
いまいち光司の言葉の意味を理解できていないのか伊織は首を小さく傾げたがそれも一瞬のことですぐに理解し嬉しそうにまた「ありがとうございます」と礼を言った。
しかしその最後の言葉は聞こえていないのか光司は変わらない口調と声音で続ける。
「よかったら……また、いつかどこか出かけない?」
「へ?」
伊織はあまりのことに立ち止まり、反射的に聞いた。
「あの、みんなで……とかですか?」
言葉は聞こえていても伊織が立ち止まっていることに気がついていない光司は歩きながら言葉を続ける。
「いや、2人で、なんだけど……嫌、かな?」
今度はきちんと自分に関する問題が全て解決してから、純粋に彼女を楽しませたいと思った。
伊織の目的はともかくとして彼女は自分を誘ってくれた。自分の気持ちを楽にさせてくれた。
その恩返しをしたい想いで言ったのだが答えが返ってこず隣を見る。
「って、あれ?」
ふと隣を見るとそこに伊織の巣がはなかった。
少し首を動かすと伊織の姿が視界の端に映ったのでその方向に体を向ける。
「急に、どう……し」
体を向けた先には伊織がいた。
どこか嬉しそうな表情を浮かべていたが光司の言葉が止まったのは彼女が夕陽を背に受けている姿ではない。
問題はその後ろにいる。ニタァといやらしい笑みを浮かべている青白い人のようなものだった。
(なん、で……こんなとこ)
それは間違いなくソルだ。
ソラを宿す者。間違いなく光司を狙って現れたのであろう存在がそこにいた。
そこまで考えてふと踏み止まる。
本当にあのソルは自分を狙って現れたのだろうか、と。
もし、彼女もソラを宿していた場合はどうなる?
彼女は自分以上に事情を知らない。
「はい。ぜひ……って、どうしたんですか?」
伊織は返事をしたところで光司の表情が驚愕と恐怖に染まっているのに気がついた。
彼の視線の先は間違いなく自分の後ろ。
光司がそんな表情をして自分の背後を注視しなければならない存在がある。それが何かを怖かったが同時に興味もあった。
伊織は唾を飲み込むとゆっくりと後ろを振り向こうとしたがその手を光司が掴んだ。
「へ?あ、甘手さ––––」
「振り向かないで!走って!!」
言うが早いか行動が早いか。とにかく彼はすぐに走り出した。それに引っ張られ、伊織も走り出した。
「良い判断とは言えませんが、妥協点ですね」
その言葉が上から聞こえた。
ふと上を見上げるとそこには自分よりも少し年が下に見える少女が頭上を跳び越えていた。
その手には何かを持っているように伊織は感じた。
伊織とは違い青白いハルバードを持つ少女を見て立ち止まろうとしたがブレーキをかけたところで後ろから声が上がる。
「立ち止まらない!」
「ッッ!!」
その声を受け、返事をするよりも早くすぐに走り出した。
止まろうとしていたせいで少しバランスを崩したがすぐに立て直し走り出す。
『いけるかい?』
少女の耳についているインカムから拓真の声が聞こえる。
少女は軽く辺りを見回して他に人がいないのを確認すると頷いた。
「いけます。ソルは遠距離、形状は大弓です」
『了解。1体だけならいけるね?」
当然だ。そう答える代わりに強くハルバードを握る。
無言を肯定と受け取った拓真は言う。
『一応人目がある。可能な限り早急に対処せよ』
「了解ッ!」
少女は答えて前へと前進。大弓を持つソルめがけてハルバードを振るう。
◇◇◇
あれから約5分走ることで十字路にはいり、ソルから離れた光司と伊織は膝に手をつきながら息を整えるように呼吸を繰り返していた。
「はぁ、はぁ」
「ッはぁ……ここまで、逃げられれば」
呟く脳裏に彼女の安否がよぎったが余計なお世話だろう。
ソルは1体だけ。彼女の強さも知っている。
おそらく彼女は慢心や油断をするような性格でもないため勝負に負けることはあっても死ぬことはないはずだ。
むしろ危険なのは光司たち、いや光司の方だ。
護衛がない今ソルに襲われるなどしたらなすすべもなく死ぬだろう。
「ど、どうし、たんです、か?急に」
少し息が整ったのか伊織が聞くが光司はどう答えたものかと頭を悩ませた。
正直に答えて良いものか、そもそも正直に話されたところで彼女は信じるのだろうか。
適当に言い繕うにしてもその言い方が思い浮かんでこない。
「え、えっと……その」
ひとまず何か答えようとした時だった。
気配を感じた。
「……大島さん。ここからマンションまではどれくらい?」
「え?あ、あそこです。あと2、3分も歩けばつきます、けど」
伊織が指差した方へと光司も視線を向ける。十字路をそのまま真っ直ぐ言った場所にマンションがあった。そこが彼女が住むマンションらしい。
たしかにここから走れば2、3分ほどで到着できるだろう。遅く見積もっても5分ほどで絶対に着く距離だ。
「大島さんは早くマンションに帰って」
「え?で、でも私––––」
「いいから!!」
伊織が何かを言い切る前に光司の強い叫びが遮った。
その目は真剣そのもので伊織には何事かを聞くこともできずに頷くしかなかった。
それを見て光司は表情を優しいものに変えて言う。
「振り向かないで一直線に走って」
「は、はい……!」
伊織は素直に光司の言いつけ通りに振り向かずに住んでいるマンションへと一直線に向かった。
それを見送るとゆっくりと十字路の左へと視線を向ける。
「やっぱり……ソル」
そこにはソルがいた。
鞘に収められた普通の人の身の丈ほどはある大太刀を持っている。
ただそのソルに足はなかった。それゆえか浮遊しているのだがそれがソルの不気味さをより際立たせていた。
そのソルは伊織を追うことはしなかった。そういうそぶりすら見せなかった。
と言うことは伊織はまだソラを宿しておらず最初から狙いは光司だった可能性が高い。
もし自分が無事だったら彼女に何か罪滅ぼしをしなければ。
そう思ったが果たして彼女はこんな変なことばかりしていたにも関わらずロクな説明をしなかった自分の誘いに乗ってくれるのだろうか。
「ァァァァァァアアッッ!!」
しかしそんな現実逃避の思考はソルの甲高い声により遮られた。
それが辺りに響くと同時にソルとは逆方向、十字路を右に曲がり走り出す。
とにかく今は逃げなければならない。彼女が来るまで逃げて、逃げて、逃げ続けなければならない。
ソラを出せない自分はそうするしかない。そう思い走り出した時だった。
「––––は?」
しかし、走り始めてすぐに視界の左端にソルの姿が映った。
瞬間移動でもしたのかと思うほどの速さで気が付けばそこにいた。
そのソルは右手を柄に乗せている。構えは素人が見てもわかる居合切りの構え。
「くっ!!」
光司は飛び込むように右へと転がる事でその一閃をギリギリのところでかわす。だが、完全にかわしきれずに背中が僅かに削られた感触を受けた。
「いっ!!!」
(つぁ……!)
光司はすぐさま立ち上がり背中に手を伸ばし軽く触れる。だが、そこに血の感触はない。
背中に触れた手を見るがやはりそこに赤い血はない。
(なん、で?俺、確かにあれを……)
意識がわずかに逸れたがすぐ目の前ではソルが大太刀を天高く掲げ、振り下ろそうとしていた。
「ッッ!!」
今度は左に転がったため振り下ろされたそれは虚しく空を切る。
ソルが姿勢を整える前に光司は立ち上がり走り出した。
「ゥゥゥウウアアアアアァァ!!!」
ソルは甲高い声を辺りに響かせながら逃げた光司を追う。