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「おい、おーい!」
「ん?え?」
声をかけられて顔を向けるとそこには不思議そうに自分の顔を覗き込む真也の顔があった。
辺りを見渡せば講義はすでに終わっていたらしく残っている者は続々と外へと出て行っている。
視線を下ろしノート見ると一応は書いていたらしくノートには文字や図が並んでいた。
それを見て安心したように息を漏らし真也へと視線を戻す。
「悪い。どうした?」
「どうした?じゃねぇよ。ボーッとして……」
「あ〜、いや、なんでもない」
光司は言いながら広げていた教材をバッグの中にしまいながら肩の力を抜くように息を吐く。
思い出すのはここに来る前に拓真に言われた言葉だ。
『君には監視兼護衛の者がつく。1人だけだが実力は確かだから安心して日常を営んで欲しい』
用があればこちらから伝えるから。といつの間にか取られていた携帯を渡され、地上に上がってきた。
ちなみに地上に上がってきた場所は裏路地のマンホールだった。
表通りに出れば見知った場所だったことに少し戸惑ったが家に帰り道具を準備して大学に来た。
だがこの日常に妙な違和感を感じてしまう。
この日常が昨日あった出来事、知ったことを嘘にしてしまう。
叫びのような声を上げる青白い幽霊。それを同じく青白いハルバードで倒した少女。
エヴァンテと呼ばれる組織。知らなかった真実。
(でも、昨日あったことは本当だ……本当にあったことなんだ……)
隣で携帯の画面を見つめている真也はこんなことなど知らないはずだ。
光司が道具をまとめ終えて立ち上がると真也は携帯をしまい、いつもの調子で言う。
「んじゃ、行こうぜ」
「……ああ」
今の光司にはそのいつもの調子がとても嬉しかった。
まだ自分はこの日常にいるのだと思わせてくれる。まだ自分は普通の人間なのだと思わせてくれる。
昨日のあの出来事は全て変な夢だったのだと思わせてくれ安心感がある。
光司は小さく礼を言った。
◇◇◇
次の講義室へと向かっている途中だった。
食堂の方にちょっとした人だかりが出来ていた。
どうしようかと迷ったが2人とも単位にはまだ余裕があるため深く迷うことなくその人だかりへと向かう。
「なんでこんなに人が?」
「さぁ?なんかあったっけ?今日って……」
向かっている途中に真也に聞かれたがそう答えるしかない。
こんな平凡な大学に誰か有名人など来るわけもない。
そう思い視線を集めているものへと彼らも見た。
「……誰かの妹か?」
そう真也がつぶやくように言う。
彼らの視線の先にいるのは1人の少女だった。控えめな胸と身長。年としては17、18といったところだろう。
しかし視線を集めているのはそれだけではない。
手入れの行き届いた黒い長髪。少し鋭い目にはっきりとした整った顔立ち。
少し幼さのようなものが残ってはいるが美人という部類に容易に入るであろう顔だ。
そんな少女は日替わりA定食(和食)を食べていた。
しかし彼女はその視線に気がついたらしく光司の方を向くと一度会釈すると食事に戻った。
「ん?あの子こっち見た?」
真也は不思議に思い光司の方を見た。
「な、ん……」
誰が見てもわかるほどに動揺を表している。明らかにいつもの彼ではない。
光司の顔を心配そうに真也は覗き込むが光司はそれどころではなかった。
あの少女を見間違えるはずがない。確かに昨日自分を救い、エヴァンテへと案内した少女だ。
おそらく彼女が監視兼護衛なのだろう。
完全に初対面ではなく、しかも実力は目の前で見ているため信頼してもらえる。
おそらくそういう考えからしたのだろうが光司にとっては良い迷惑だ。
彼女の存在は自分が非日常側に立とうとしていることを象徴している存在。
そして、いずれは向き合うことになる見たくない、認めたくはない自分でもある。
「俺は……ッ!」
光司は人たがりをかき分けて講義室へと向かった。
今から少し走れば間に合う。
そう、これは彼女から逃げるのではない。ただ、講義に出て単位を取るために走るのだ。
光司は自分にそう言い聞かせながら食堂から足早に去った。
◇◇◇
走り去る護衛対象である青年が人だかりの中へと入っていく姿を横目で見ながらご飯を食べる。
ちょうどその時、耳につけているインカムから声が流れてきた。
『どうだい?彼の様子』
本来ならばその声に返答したいところだが、視線が集まり、しかもこのタイミングで声を出すのは不自然だ。
そのため「会釈しただけで逃げられました。失礼な人です」という言葉が外に出ることはなかった。
しかし彼はこの状況を見ているらしく言う。
『随分と嫌われたものだね。君は』
そう言われて少女は安心した。
嫌ってくれればどれだけありがたいか。嫌ってくれればもしもの時に彼も自分のやりやすくなる。
(そう、背中を預ける仲間なんて……いらない)
拓真はそんな少女の心情など分かるわけもなく言葉を続けた。
『まぁいいや。ともかく彼にはソラを具現化してもらわなければどうしようもない……』
目下の課題はそれだ。
こんな危険を実感できない場所にいた青年にいきなり出せと言われて出せるわけがない。
必要なのは人格を認めることか肯定すること。
しかし、拓真から聞いたところでは彼はその人格を嫌っているらしい。
何もそれ自体は珍しくはない。それどころかその人格を自分として認められない者の方が大多数だ。
問題は彼がその人格を肯定せずとも認めることができればソラは具現化される。それが一体どれほどの時間がかかるかは本人次第というところだ。
そして、それがソラを具現化できる者が少ない原因。
早ければ翌日にでも覚悟を決める者もいるが5年経っても認められずにソラを出せない者もいる。
(あの人は、どれぐらいかかるのでしょうか……)
関係はない。しかし、情が移る前に自分が死ぬか彼が死ぬだろう。
だったら問題はない。と少女は食事を続ける。
◇◇◇
「おい!どうしたんだよ!」
早足で廊下を歩く光司に真也が声をかける。
しかし光司はそれを無視してずんずんと歩き続けていた。
(くそ!なんだよこれ!)
自分がよくわからない。
自分が今何を思っているのかもよくわからない。
非日常的なあの光景を、あの場所を、あの話を全て理解できたはずだ。
出来たはずなのになぜ自分はここまで気が荒れているのか、それがわからず歯噛みする。
彼は確かに自分ができる範囲だけは理解した。
しかし、それは同時に無意識に認めることを排除していたのだ。
理解はできていても認められない現実。
それに彼は憤りを感じていたのだ。
だが、それは彼自身が自覚するにはあまりにも経験がなかった。
しかし原因不明の苛立ちだけは感じられ、不快であることだけしかわからない。
「おい!」
「なんだよ!!」
強く呼び止められて叫びながら振り向いた。
その先には怪訝な表情と目を向けている真也の姿があった。 それを見てようやく光司は今の状況を理解し、バツが悪そうに顔を背ける。
「……悪い」
「まぁ、いいけどよ。どうしたんだ?今日のお前なんか変だぞ?」
そう聞かれたが素直に言うわけにもいかない。と言うよりもどう説明すればいいのかがわからない。
そのため黙っているしかなかった。
しかし、真也はそれだけから何かを察したのか息をつくと光司の肩に腕を回す。
「なんかあれば相談してくれよ?俺はお前の数少ない友人だしな」
「……ああ、そうだな」
からかうように笑いながら言う真也に光司も笑いながら答えた。
が、何かを思い出したのか真也は口を開く。
「あ、そうそう。電話にはちゃんと出ろよ?」
「はぁ?電話?」
「そう。昨日かけたのに出なかったからなぁ。折り返しもなかったからそこそこ心配したんだぞ?」
電話などあっただろうかと記憶を探るとすぐにそのことを思い出した。
昨日あった電話といえばソルに追われていた時のものだけだ。
そのせいで足が止まり死にかけたことを思い出し、光司は顔を下ろし黙り込んだ。
「ん?どうし––––」
急に雰囲気が変わったことを疑問に思った真也が振り返る。その前に彼の無防備な背中に思っきり蹴りを入れた。
「貴様のせいで死にかけたわぁあああッ!!」
という言葉を心の中で叫びながら。