Encount
走れ、走れ、走れ––––
速く、速く、速く––––
現実逃避するようにそう思考する。手足を動かし続ける。
建物の隙間を縫うように張り巡らせれている路地裏を1人の青年、天手 光司が走っていた。
なぜかと聞かれれば追われているからだ。と答えるしかない。
「ァァァァッッ!!!」
かろうじて声と聞き取れる叫びのようなものを響き、反射的に後ろを振り向く。
自分を追うそれは見れば見るほどに奇妙な存在だった。
真っ先に目につくのは大鎌だ。死神が持っているにふさわしい大鎌。
次にそれを両手で持つ体だ。体自体は人間のそれと変わらない。
ただし、首から上は火の玉のように見え、時々上の方がゆらゆらと揺れる。
それに目はない。鼻もない。しかし口だけはある。人とは違い全ての歯が犬歯のように尖っている口が今は半開きになっている。
大鎌を含めた全身が青白く光っており、それがその存在の不気味さを際立たせていた。
理由はわからない。だがしかし、自分が狙いをつけられ追われていることだけはたしかだ。
(くそ!くそくそくそ!!なんだよあれ!!)
光司は走りながらも心の中で罵倒する。
できる限り複雑に、曲がり角で曲がり、十字路では曲がらず直進し、しかし次の十字路では曲がり。と混乱させるように逃げているのにそれは「そんなことは無駄だ」と言わんばかりに簡単に自分の背中を捉える。
半ば現実逃避をするように光司は速度を緩めることなく今までのことを思い出す。
◇◇◇
今日は月曜日だった。一限から授業がありまぶたをこすりながら大学に行って講義を受けていた。
「––––であるからして、この式を代入し、答えを出す。いいなぁ〜ここはテスト出すぞ〜」
間延びした声で教授は言う。やる気のなさが言葉の端々から感じ取れるがいつものことなので誰も気にしている様子はない。
と言うよりも皆もまたやる気がない。ノートを取っているのはほんの数名でほとんどは隠れて何かしらゲームをしている。
光司もそれに混ざりたかったが親に学費を払ってもらっている手前、不真面目に受けて留年などなってしまえばなんと言われるか分かったものではない。
書かれた内容をノートにある程度取り、窓から空を見上げる。清々しいほどの青空だ。小鳥がその空を飛んでどこかに向かっていた。
(あ〜、帰ったら、何するかなぁ)
今日はバイトはない。友人を誘ってどこかで遊んでから帰るべきか、それともさっさと帰って散らかり始めた部屋の掃除をするべきか。
そんな悩みとしては軽く吹いて飛ばせそうな程度のものを考えていた時だった。ふと、視界に入った。
「……ん?」
そこには何か異常な存在があったわけではない。そこにいたのは1人の女性だった。年齢はさして離れてもいないだろう。
しかし、たしかについさっき「妙だ」と思った。
(……あんな奴いたっけ?)
違和感の正体はそれだ。この大学に入学してから2年ほどたったがあのような女性は見たことがない。
「おい……おい!光司!」
そうしていると下の方から声が聞こえた。そこへ視線を移すと見知った顔が目に入った。
声をかけてきたのは東山 真也。
彼とは高校からの付き合いでこの大学にも一緒に入学している。時間があるときには彼とつるむことが多い。
「なぁなぁ、今日お前バイト?」
「いや、ないけど……どうした?」
「合コン行こうぜ!」
隣で何やらスマホの画面を見ているかと思えばどうやら彼は講義中であるというのに合コンのセッティングを進めていたらしい。
「今度こそ、1人お持ち帰りしてだな……」
真也は頭の中であれこれ妄想しているのかいらしい笑みを浮かべる。
こんな気色悪い笑みを浮かべている者と友人になど見られたくない。そう思い光司は少し体を椅子からずらし、真也から離れた。
「んな?いいだろ?」
「……わかった。どうせ暇してたからな。集合は?」
「おお!さすが俺の心の友。駅前の像のところに6時集合!ビシッと決めてこいよ?」
はいはい、と少し鬱陶しそうに返事を返す。しかしそれはあくまで表面上であり彼自身も少し楽しみにしていた。
光司もまた好意を抱いたことはあれど抱かれたことはない。多少そういうことになることを妄想して当然だろう。
少し晴れた気分で光司は新たに書かれていたことをノートに取る。
そうしようとしたとき、真也に話しかけられる前まで見ていた女性の方を向いたがそこには誰もいなかった。
(……気のせい?だった?)
「ん?どした?」
「い、いや……なんでも」
何かの見間違いか何かだったのだろう。と自分の中で納得してノートを取る作業に戻った。
◇◇◇
駅から少し歩いたところにある居酒屋の座敷に男女5人ずつのグループがいた。そのうちの1人、真也がグラスを持ちながら言う。
「––––はい!というわけで自己紹介も終えたことでカンパーイ!!」
「「「カンパーイ!!」」」
企画者である真也の音頭で乾杯をする。
それを終えればそれぞれ和気藹々と話を始めた。そして、それは光司もそうだった。
真正面に座っている女性、大島 伊織が光司に声をかける。
「甘手さんってバイト何してますよね?」
「ああ、コンビニでだけど……どうかした?」
「あ、その、いや……どこかで見たことあるなぁって思って……えへへ。なんか運命感じちゃうなぁ」
「んー、たまたまじゃないか?あの辺人多いからなぁ」
「あ、あー、そう……です、ね……はは、はぁ」
光司のあっさりとした答えにどこかショックを受けたかのように息を吐き、伊織はカクテルをチビチビと飲む。その左右に座る別の女性2人がその肩を慰めるように優しく叩く。
そんな様子に光司は首をかしげた。その首に手を回されたかと思うと顔のすぐ近くに真也の顔が映った。
「な、なんだよ……」
「お前は……お前は、なんで、そう!ああ!!」
真也は光司の首から腕を外し出かけた言葉を塞ぐように焼き鳥を食べる。
「何がしたかったんだよ」
「俺はお前という人柄とか、気性とか時々わからなくなる。お前は本当になんで……はぁ」
一気にまくしたてようとしたようだがふと諦めたようにため息をつく。
真也の心中をうまく察せない光司は一応小声で言う。
「んなため息ばっかついてると女できねぇぞ?」
他の男性陣に聞いたところ今回の合コンの主催者は真也であるらしい。
そこまで本気であるというのにため息をついていれば寄ってくるような者などいない。せっかくの主催者というアピールポイントも意味がない。
「……7割お前のためなんだけどなぁ」
ボソッと小声で言う。
今回の合コンは先程光司に話しかけた女性のためにセッティングしたようなものだ。そして光司以外の男性陣は全員知っている。あの様子を見るに女性陣も全員知っているようだ。
「ん?なんか言ったか?」
しかしどうだろう。当の本人である彼は全く気がついている様子はない。
「お前なんか話しかけろよ」
ならば半ば無理やりでも気がつかせるしかない。自分にも春が来て欲しいが彼にも来て欲しい。
「んー、そう言われてもなぁ……」
こいつは根っからの唐変木か……と呆れている時だった。
「あ、あの!!」
伊織が意を決したように光司に話しかける。顔が赤いのはアルコールのせいではないことを他の者たちは察していた。
「そ、その、私の弟が、来週誕生日なんですよ……男性の趣味ってよくわからないので一緒に誕生日プレゼント、探して欲しいんです、けど……」
「ん?あー、別にいいけど。俺でいいの?」
「は、はい!っていうかその、甘手さんじゃないと……ダメなんです」
光司に聞こえたのは返事の部分だけだ。後の方は聞こえておらず首をかしげる。その隣の真也はやれやれとため息をつく。
一方の伊織の方は「やったじゃん」とか「頑張れ」など祝福の言葉や応援の言葉が向けられていた。
◇◇◇
人通りが少ない路地を光司は歩いていた。ふとスマホがメッセージを受け取ったことを告げる。
光司はすぐにそれを取り出し確認。送り主は伊織からだった。
『来週の水曜日はよろしくお願いします』
来週の水曜日は2人とも午前中だけで講義は終わる。なおかつ光司はバイトがない。
そのため、その日に伊織の弟への誕生日プレゼントを選ぶことになった。
(律儀だなぁ……)
そう思いながら返信内容を考えている時だった。
不自然な青白い光が視界の端に写り、反射的にその方を向く。そこは1人がかろうじて通れるほどの小道だった。
そこにいたのは青白い人形の何か。
(な……ん?)
なんだ?と疑問に思うと同時に本能が警告する。今すぐ逃げろと。
しかし、なぜか足が動かない。体が動かない。視線すらも動かせない。
「アアァァァァッッ!!」
その叫び声でようやく体が動き出し、弾かれるように光司は走り出した。
◇◇◇
そうやってして走り出して何分、何十分経っただろうか、人間追い詰められればこれほど長く走れるのかと舌を巻きたいところではあるが今足を止めれば確実に殺される。
そんな極限の精神状態の時、スマホが着信を告げる。
(誰だよ!こんなと––––)
その電話に一瞬気を持っていかれた。それは彼にとっては死に直結するというのに、反射的にそちらに意識を向けてしまった。
故に、体の疲労も重なり足が絡み倒れてしまった。
「いっつ……ッッ!!?」
気配を感じ後ろを振り返る。
「アァァァァァァアアアッッ!!」
大鎌を大きく振り返った青白い何かがいた。
(こんなの、絶対に死、ぬ)
高く掲げられたそれは光司に向け、振り下ろされた。