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第三話 水に溶けない絵の具

海の王、竜渦りゅうかは竜宮の奥にひっそりと佇む離れで、少女たちから奪い取ってきた勾玉を眺めていた。水面からの明かりだけが部屋を照らしている。水の流れさえ入り込んでこないこの静寂が竜渦は好きで、仕える者さえも立ち入らせない場所だった。

丸く開いた窓に掛けてあるすだれからは、悠々と魚が泳いでいるのが見えた。木で作られた箱に、山のように入れられた勾玉。百はあると思われる玉だが、竜渦は未だに漆黒の勾玉と、月白の勾玉を手に入れられずにいた。


竜渦は体格と人脈に恵まれ、若くして海の国の王となった。男らしさを表した無精髭、短く刈られた髪。容姿もそれなりに優れていて、何一つ不自由のない生活を送ってきた。

その竜渦が罪のない少女たちを、占いによって、神を鎮めるため選ばれたように見せかけて殺し始めた。勾玉を七種類集めて願いを叶えるために。


「竜渦殿。そろそろ……」

竜宮の者が離れの外まで呼びに来た。今日は隣の国の王と会談がある日だった。

竜渦は木箱の蓋を勢い良く閉めた。そして、今日も残りの勾玉の在り処を探りながら、公務をこなしていくのであった。



美波の祖母、鶴子の家事を手伝い、一段落ついた夏休みの午前。美波は幼い時に両親を事故で失い、今は鶴子の家で住んでいる。母の実家ということもあり、何度か訪れたことがあった美波にとって、新しい環境になれることはそう難しくなかった。美波は両親の記憶がほぼない。ただ、その事実だけを聞かされて育ってきた。


砂で汚れた奏海の羽衣は、鶴子の丁寧な洗濯のおかげで元の輝きを取り戻していた。物干し竿にかけられたそれは、浴びた日光をちらちらと弾き返している。

美波と奏海は小さな庭に面した縁側でのんびりと過ごしていた。昨日のような重い空気は心の中にしまい込んだようで、それぞれが互いのことを考えた結果、あの話題はなるべく出さないことに決めたのだ。

鶴子は、奏海のことを居候と思っているようだが、それ以上は何も言わない。決して悪く思っているわけではない。むしろ、家族が少ないから嬉しかったのかもしれない。


「美波、奏海ちゃん。暇だったら新しくできた甘味処に行ってきたらどうだい? おばあちゃんの友達が新しく始めたから招待券を貰ったんだ」

鶴子は自慢気に二枚の招待券を差し出した。

「おばあちゃんは行かなくていいの?」

「わしは最近どうも体調が悪くてな。甘いものはちょっと控えているんだよ」

「え、大丈夫なの?」

美波は不安そうに鶴子を見上げた。

「年を取るとよくあることじゃよ。ほら、行ってきな」

「大丈夫だったらいいんだけど……」

美波と奏海は戸惑いながらも招待券を受け取った。鶴子はそのまま奥の部屋へと消えていった。


しかしその後、美波でも重い布団を軽々と物干し竿にかけていく鶴子を見て、美波の不安は一気に吹き飛んだ。

空は快晴。照りつける光と風鈴の音。

美波は、なぜ鶴子が奏海を怪しまないか全く分からずにいた。美波自身も、驚くほど早く奏海と打ち解けることができた自分に一切違和感を覚えなかった。



観光客で賑わう通りから少し離れた所に、鶴子の友人が営む甘味処があった。古民家を改造したようで、外壁の木が歴史を語っているようだ。店の前には『豆みつ屋』と達筆の文字で書かれた看板が立てかけられていた。


若い女性の、いらっしゃいませという元気な声の横を通り過ぎ、二人は竹の格子がはめ込まれた丸い窓の横の席に座った。

「あの美波、甘味処って何ですか?」

「あ、そっか、海にはないよね。簡単に言うと、甘くて美味しいものが食べれるところ」

「そうなんですか! 海では甘いものはとっても貴重で、あまり食べたことないんです」

「じゃあ、これとか美味しいと思うよ!」

二人は宇治抹茶金時を頼んだ。いつも行く甘味処では高くて手が出ないが、今日は一品半額の招待券が美波の味方だ。


山盛りのかき氷、その横に添えられたあんこと白玉団子、そして抹茶シロップがかけられた頂上には大きめに粒を残した小豆が乗せられている。

「それじゃあ、食べよっか」

奏海は小さな子供のように目をキラキラさせながら大きく頷いた。よほど食べたかったのか、スプーンを深くかき氷に差し込んだ。

口に入れた瞬間、奏海は人生で初めて味わった甘さに驚いた。口の中にふんわりと広がる抹茶のほのかな甘みと程よい苦み。そこに冷たい小豆が調和して、何層にも織りなされた甘みの虜になり、無意識のうちに次のスプーンを運んでいた。

幸せを共有する二人を、昨日会ったばかりの関係であるとは、誰も思わなかった。


二人はそれから観光客であふれる大通りを歩いた。鎌倉名物の紫いもソフトを売っている店の前にできた長蛇の列をかいくぐりながら、昔ながらの町並みを散策していく。

「美波、ちょっとここ見てもいいですか?」

そう言って奏海は雑貨屋さんに入っていった。どうやら店頭のおしゃれなかんざしに惹かれたようだ。


「これとか奏海に似合うんじゃない?」

美波が選んだのは、青と緑の絵の具を水に浸したようなデザインのガラス球が二つ繋がっているかんざしだ。

「じゃあ、つけてくれませんか?」

「えーっと、どうやってつけるんだっけ……」

「まず髪を束ねて、それから時計回りにねじってかんざしをさしてください。それからくるっと回して……」

「んー……、これで合ってるのかな?」

かんざしをさす位置が少し遠かったのか、今にもほどけそうだった。それでも奏海は、美波が一生懸命結ってくれたこの髪型を気に入った。


「そういえば、奏海って今も首に勾玉かけてるの?」

「紐見えてましたか?」

「ちょっとだけね。やっぱり肌身離せないほど大切な物なの?」

美波は、出会ってから一度も奏海が勾玉を手放していないことに気がついた。

「海の子は勾玉の加護のおかげで陸でも生きられるんです。これがないと陸では呼吸がとっても苦しくなるんです。あれ、言ってませんでしたっけ?」

「うん、初耳。ってことは、私があの時奏海に勾玉を握らせていなかったら……」

「そういうことです。だから美波は私の命の恩人なのです!」

奏海の大きな声に、他の客の視線が二人に集まった。事情を知らなければ、理解できない会話だろう。高校生の会話なんて中身の無い物だ、と皆がそれぞれの商品に目線を戻した。


結局二人はお互いのかんざしを買った。美波は、奏海もお金を持っていたことに驚いた。奏海によると、なぜか海の国でも陸と同じお金が使われているらしい。流石にお札は使われていないらしいが。


「今度花火大会があるから、その時つけて行こっか」

前を歩いていた美波が振り返り、手に提げた小さな紙袋を奏海に示した。もちろんこの中にはかんざしが入っている。

「花火ですか!」

「まさか海の国にも花火があるの?」

「陸の花火が水面に揺らいで見えるんです! 一度陸から見てみたかったんです!」


二人は花火の話をしながら帰路に就いた。民家のフェンスに巻き付いた朝顔は小さく丸まり、カラスは森の方へと姿を消していった。

今日もまた太陽は海へ帰り、月は山から現れる。


永遠に続く時の流れ。生ある者は死へと向かう。

鶴子の体力は日を経るごとに確実に、そして急速に衰えていくのであった。



第三話「水に溶けない絵の具」


おわり



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