秘め事
奏海の計画を聞く伊織の表情はそれを初めて知ったわけではないような、そんな余裕のあるものだった。
「そういうことなので……。伊織、私に協力してください!」
「俺は別に手伝えるけど。そいつ……美波だっけ? どうすんだ? 今の奏海の計画だと協力しないと成り立たねぇぞ」
そんなの知らない、と言うかのように美波は俯いた。
「私は……今は決められない」
美波は誤魔化すように小声で言った。やはり美波の答えはまだ変わらない。それは奏海の計画が、美波にとって悪い意味で予想通りであったからだった。
そもそも竜渦の住む竜宮という場所は非常に広大な宮殿で、本殿、神殿、儀式を行う祭壇、竜宮に使えるもの居住空間といった様々な役割を持つ建物から構成されている。それらは三メートルほどの塀に囲まれていて、その塀の上には警備にあたる海兵隊が少なくとも二百は配置されている。さらに、出入りのための門、竜宮内部も合わせると兵の数は五百は超えると言われている。広大かつ強力な防衛網を突破するには、兵を倒すことよりも、兵をその場から遠ざけるほうが有効であると奏海は考えた。
そこで逃げ足だけは速い伊織の出番というわけである。適当に石でも投げ込んで気を引いたところで、奏海が竜渦の佇む離れに突入する。幸いにも竜渦は離れに海兵を一切入れない。つまり外を守る兵さえ突破すれば離れは穴が空いたも同然だ。奏海はすでに数十の海兵隊を一度に倒したことがあり、兵との戦闘においては何の不安もなかった。
「問題は竜渦とどう戦うかです」そう言って、奏海は部屋に掛けてある掛け軸のような絵巻物を捲り上げた。そこには透き通るほどに薄く、なおかつ強靭に鍛錬された太刀が隠されていた。
「これが私の切り札です」
竜渦の持つ大剣が剛の力を持っているとするなら、奏海の太刀は柔の力そのものであった。
「これに勾玉の力を加えて、離れごと壊します」
以前海兵隊を倒した時に使った爆発を、規模を更に大きくしようと考えた結果であった。いくら使い慣れているとはいえ、短剣では攻撃範囲が小さすぎる。それなら、多少動きは鈍くなるがリーチの長い太刀で竜渦を離れごと爆破した方が戦いになるのかもしれない。
「ただ、漆黒の勾玉単独では、いくら他の勾玉より強力だと言っても五色の勾玉を持つ竜渦には敵いません。だから、美波の強力が必要なのです」
美波は黙ったまま話を聞いていた。ずっと竜渦を殺すことには否定的な立場にいたはずなのに、少しずつ話はその想いとは逆の方向に進んでいる。
そして今に至る。
「とにかく美波も一緒に来てください。万が一私が負けるようなことがあったら、その時は必ず手伝ってください」
手を繋ぐだけでいいですから。美波には剣を握らせませんし、絶対に怪我もさせませんから。そう付け加えて、奏海が考えた作戦の報告は終わった。
実際に流れる時に身を任せているときは決してそんなことを考えないのに、いざその流れを振り返った時にはまるで一瞬のうちに過ぎてしまったかのように思えてくる。約束の一週間はあっという間に訪れて、怯えるように日付を数えていた美波にとって他人事とは思えなかった。伊織が奏海の家に到着したのは七時も回っていない早朝で、美波たちはまだうとうと夢の中であった。全く緊張感のない奏海に呆れた伊織であったが、万全な体制で竜渦と戦ってもらうために特製の朝ごはんを作ってお巫女様の目覚めを待った。
伊織の想いがこもったご飯が相当美味しかったのか、奏海は満足した様子で神社の本殿へ更衣のため移動した。
「あのー。伊織さん、ご飯とても美味しかったです」
「そうかそうか、それは良かった」
伊織は出会って間もない美波にもふんわりとした笑顔を向けた。誰に対しても態度を変えない伊織の表情が美波の印象に残った。
離れで奏海を待つ二人にも聞こえるほど奏海は慌てているのか、本殿から足音が大きく響いている。
「あいつは何にも気づいてないんだろな」
ふと、伊織が独り言のように呟いた。
「あいつって、奏海のこと?」
「ああ。昔っから奏海は真っ直ぐで……。しっかり自分の考えを持ってるところとか……そういうところがいいなぁって……」
「…………! えっと、それってつまり…… 」
「言わなくていい。俺は今の状況から変わらなくていいと思ってるだけだから。ずっと変わらなければ、それでいいって――」
「お待たせしましたっ!」
戻ってきた奏海は白を基調とした着物の上に、透き通るような水色の羽衣を羽織っている。浅葱色の帯には黄緑色でうっすらと模様が入っており、金色の帯留めが全体を調和している。
「よりにもよって、その格好で戦うのか?」
「これが勾玉に選ばれた巫女の正装です。それに、こう見えてとっても動きやすいんですよ」
「そうか。とにかく、今日は絶対に怪我するなよ。逃げることは弱さじゃないからな」
そう言う伊織の頬はほんのりと薄紅色に染まっている。
「えへへ、また格好いいこと言うじゃないですか。分かってますよ」
「ならいいんだけどよ。それじゃ、俺はそろそろ竜宮に向かうから。ちゃんと勝ったら、おいしい晩御飯が待ってるからな」
伊織は右手でブイサインを作って柔らかく微笑んだ。ただ、まだ何か言いたいことがあるようで……、
「奏海! 今日の夜、全部終わったら言いたいことがある」
と言って伊織は俯いたまま部屋を飛び出した。うっすらと微笑む奏海の表情を見ることもなく。
「あそこでうろうろしてるのが海兵隊?」
「そうです。思っていたより警備が多いです」
二人は岩陰から竜宮の周辺を見渡した。今日は再び生贄の儀式が行われる。攻撃的な野次馬もいるから、という理由で竜宮の周囲にはいつもの倍以上の警備が張り巡らせている。
「つまり、竜宮内部は兵が少ないということです」
ひっそりと隠れる奏海の背中には身長より遥かに長い太刀、手首には漆黒の勾玉。腰には二本の短剣を隠し持っている。
「あそこの小さい建物が見えますか? あれが竜渦の離れです」
「王様の家って意外と小さいんだね」
「他にも部屋があるのかもしれませんね。でも、生贄を捧げる前はあそこでいろいろ準備するようです。私も、以前は竜渦に仕えていましたからね」
「そういえば……。竜渦ってずっと巫女さんを殺し続けてるの?」
「私が知っている限りでは。そこまでして叶えたい願いがあるのだと思います」
でも、と奏海は付け加えた。
「絶対に竜渦の思い通りにはさせません。だから今日はなんとしても――」
鈴の音が聞こえる。その音はだんだん近づいてきて、竜宮の真上を高速で通過した。それ同時に、袋に詰められていた石が竜宮にどんどんこぼれ落ちる。伊織だ。竜渦との最後の戦いがいよいよ始まる。
周りの警備に当たっていた海兵隊、そして竜宮内部を巡回していた兵も、石を放り込んだ犯人を一斉に追いかけ始めた。
「行きますよ! もしもの時は必ずお願いします!」
太刀を鞘から抜き、それを構えて奏海も泳ぎ出した。
第十三話「秘め事」
おわり




