再会と決意
皆が夢の世界の中、岩場から顔を覗かせる魚さえもフラフラと泳ぐ、静かなそしていつも通りの夜中が今日もやってきた。奏海は美波を起こさないようにそっと離れから抜け出し、街の外れにある海溝に向かって泳いでいた。
奏海にはどうしても試したいことがあった。勾玉にまつわる伝説が現実のものなのか証明するために、長年奏海の家で受け継がれてきた絵巻物に従って、この満月の夜に海溝の脇から伸びる洞窟に向かうことにしたのだ。離れの、先程まで奏海も眠っていた部屋の壁には、何百年も前から大切に守り続けてきた巻物がかけられている。そこには七色の勾玉とそれを手にした者の絵や、海の神社を築いてきた奏海の家系にのみ伝わる漆黒と月白の勾玉に関する絵も記されていた。
月白の勾玉と漆黒の勾玉は、この世に一組のみ存在し、それらは満月が海に道を作る夜に一度だけこの世と死者の国を繋ぐ。言い伝えによると、満月から死人の魂がこの世に降りて来て、海溝の奥深くで会いたいと願った者と再会することができるらしい。
奏海の母は、奏海がまだ幼い頃からこの事実を絶対に秘密にするように、そして絶対に忘れてはならないことを何度も告げてきた。神社の家系という、神と関わる運命に生まれた子が持つ勾玉であるからこその能力なのかもしれない。そして、その教えと同時に、奏海は母の勾玉が透明であることと、行方不明になった月白の勾玉の所有者である祖母の存在を知った。
しばらく海底を目指して泳いでいると横穴を見つけた。それが伝説の洞窟と分かったのは、そこにデトリタスが積もった小さな祠が建てられていたから。軽くお辞儀をして、慎重に泳いでいくと、首にかけた漆黒の勾玉が今までにない強い光を放ち始めた。ちょうどその時、眠っている美波の手首に巻かれた勾玉からも光が溢れはじめた。ただ、今までのと違うのは勾玉からある一点に向かって直線状に光が進んでいるということである。奏海はもちろん知り得ないが、その光は美波の月白の勾玉と結ばれており、特別な二色の勾玉にまつわる伝説が真実であることを告げていた。
肌を擦りむくほどに洞窟は狭くなっていき、当然奏海もゆっくりと泳がなければならなかった。一度だけ死人と会えるなら。もう一度、澪と会えるなら。その思いが加速するほどに、奏海は身が傷つこうと強引に進んでいった。
空気の泡が弾ける音が消えた。異様に開けた場所。そこには本当に何も無く、後ろを振り返ると今まで通ってきた細い洞窟とは明らかに違う種類の闇に包まれた空間を見ることができた。
「ここが伝説の……」
奏海の声がやけに大きく響く。ふと、辺りを見渡すと、一箇所だけぽつりと明るい場所があった。地面がどこにあるかさえ、天井がどのくらいの高さであるかさえも分からない、ただ真っ暗な空間を、それに向かって泳いでいった。
そこには、緑色の炎が、まるで誰かを待っているかのように揺らめいていた。しかし、奏海にはそれが澪であるという確信があった。その火の色が、澪が大好きだった若葉色によく似ていたから。奏海はその炎をそっと手にとった。
「澪……。私、みんなのかたきを討ってきますから。もう誰も殺されたくない……。だから、だから……」
若葉色の炎は奏海の声に合わせて、大きくなったり暖かくなったりした。それは決して熱くなく、体の奥深くに染みるような、そんな優しい暖かさを有していた。そのまま、奏海は澪の魂を抱きしめるようにして膝から崩れ落ちた。今まで溜めてきた涙を全て絞り出すように、何もない闇を見上げて大声で泣いた。
「奏海、泣かないで」
「え? …………澪?」
奏海が涙を拭うと、胸に抱いた炎は無くなっていた。その代わりに、前方がぼんやりと光って、そこに人影があった。ひらりと舞う若葉色の着物、その上から空色の羽衣を羽織っている。その少女の姿を見た瞬間、奏海の目から再び大粒の涙があふれはじめた。
「ほら、泣かないで。せっかく可愛い目なのに、腫らしたらもったいないよ」
色んな感情が複雑に混ざり合って、奏海は何も答えることができなかった。澪に、澪の姿をした澪に会えてとても嬉しかった。しかし、この海溝で出会ったことで、澪が死んでしまったことを再確認させられた。それがたまらなく悲しかった。もしかしたらどこかで……、という気持ちが心の片隅には確かに存在した。この瞬間、確実にその希望は消滅し、そしてこの夜が終われば本当に二度と会えなくなってしまう。もう後には何も残されていない。
澪と会うために漆黒の勾玉と月白の勾玉の能力を使って良かったのか、奏海の心の中で少し後悔のようなものが残っている。それでも澪に会えたことが奏海を再び奮い立たせ、竜渦の討伐という使命を再認識することができた。なんとしても倒さなければならない。澪のために、澪以外にも殺された巫女のために。
その晩、奏海は澪が消えゆく瞬間までずっと手をつなぎながらたくさん話をした。幼い頃の思い出話や、竜渦を倒すこと。たくさん笑って、たくさん泣いた。
「でも奏海まで死んだらダメだよ」最後に澪は付け足した。その言葉が妙に心の奥深くに刺さった。前回は竜渦に完敗してしまった。次に負けるということは自分の死を意味している。どうしても負けるわけにはいかないのだ。そんな形で澪と再び会わないように、二人は最後まで約束し続けた。
「分かりました。二人の最後の約束です」
そう言って奏海が澪の方を見た時にはすでに朝がやってきていて、そこには誰の姿もなかった。ずっと強く手を握っていたのに、行ってしまった。絶対離さない、そう決めていたのに。澪が消えるその瞬間を見ることすらできなかった。
「澪……。私絶対竜渦に勝ちます。だから空から見ておいて下さい。み…………せ……ら。……っ……」
漆黒の勾玉はその持ち主を死者と同化させることで、死人と再開することを可能にする。しかし、それだけでは持ち主を元の世界に戻すことができない。だからこそ「浄化」の力を持つ月白の勾玉が対になって必要となる。
仮に海の神様であるオト様とトト様が目覚め、それを鎮める術を知る者がすでに他界していると、海の国の存続さえも危うくなるため、神社の子に生まれたものはこの二色の勾玉を使うことになる。こうして死人から先代の知恵を受け継ぎ世界の安定を保ってきた。オト様とトト様が眠りから覚めるのはおよそ千年に一度。これだけの長い期間、情報を残し続けるのは非常に困難となるため神社の子は自然とこのような運命のもと生まれてくるようになった。
奏海が生まれてからの間、この世に2つの勾玉は揃っていたにも関わらず、それらは陸と海に存在し海の国の保安上問題があった。今は、ともに海にあるものの既に能力を使ってしまったため万が一の状況に対応することができない。奏海が思っている以上に重大な能力を使ってしまった。ただ、今の奏海にはそんなことまで考えている余裕はなかった。竜渦を殺す、その思いは異常な速度で膨らんでいった。
朝日の光が海に差し込んできて、見上げる水面はちらちらと輝いている。闇に包まれた世界が果て無く透き通る青色に染まっていく。奏海は、美波が目覚めないうちに三人の遺体を丁寧に葬った。奏海の母が大切に育ててきた自家菜園のワカメ畑のすぐそばに。
それから血がこびりついた床を拭いて、家の中を掃除して美波を起こした。
「美波。もう一度考えて欲しいことがあります」
そう言って奏海は青白い刀身の短刀を取り出した。たくさんの装飾がなされたその鞘に、美波の戸惑う顔が映り込んでいた。
第十一話「再会と決意」
おわり




