Prologue 000 [探偵]
2016年2月21日、17時30分。
日はもう暮れて、病院内は蛍光灯による明かりがついた。
その時間帯といい、今回の事件といい、とても無機質な雰囲気が漂っている。
あれから僕は、シュヴァルツの強引なオーラに負けてしまい、一時的に僕の助手として事情聴取を受けさせることにした。
というより、そうなってしまった――我ながら情けない。
そして、3人の言い分はこうだ。
まず一人目、医師の高柳宗一さん。
彼は見回りながら患者の容体を直接聞き、調子の悪い場合はその患者を優先的に見るという、絵に描いたような真面目な人だ。
「私は12時くらいに見回りで林原さんの病室に向かい、その後トイレに行きたいと仰ったので、車イスでトイレへお送りしました」
「それを証明できる方は?」
「その時清掃員がいたので、彼女なら僕の姿を見てますよ」
「その後は?」
「林原さんが『帰りは自力で行く』と仰ったので、私は別の患者の見回りに行きましたよ」
次は二人目、清掃員の溝端ノブさん。
普段は物静かなで優しいイメージの方らしい。
挨拶してもいつもニコニコ、病院内では割と人気のある方という意見もあった。
「あたしゃ12時くらいに2階のトイレの清掃を始めて、1時間後に部屋の清掃に入ったわよ」
「それを証明できる方は?」
「トイレで先生と会ったわよ。病室は林原さんが眠ってたから、他の部屋を清掃に行ったわ」
「その後は?」
「1階の清掃に行こうとしたわ。そしたら叫び声が聞こえたんだよ」
最後に三人目、看護師の宮川茜さん。
誰にでも明るく接する彼女は、患者・医師・一般男性から大いに好かれる存在だった。
反面、女性たちからは妬まれていたという意見もあった。
「あたしはナースコールが鳴ったので、林原さんの部屋に向かいました」
「ナースコール?」
「はい、14時丁度です」
「それを証明できる方は?」
「いません、みんな他の病室に向かってましたから」
「その後は?」
「すぐに部屋に向かいました。そしたら林原さんが――」
一通りアリバイを聞いたが、やはりというか、三者三様であった。
今のところ犯人の目星は全く付かない。
そんな中、彼女は呟く。
「どうも引っかかるな」
「宮川さんの言ってた『ナースコール』?」
「それもあるが、あの人の『あの言葉』がどうにも引っかかる」
そんな引っかかる要素あったか?
先生はトイレへ向かい、それを清掃員は見た。
高柳さんと溝端さんの二人は白だろ。
引っかかるとしたら、ナースコールで部屋に向かった宮川さんだけかな。
もし林原さんが14時まで生きていたとすれば不可能ではないけど、10分の間に殺人と脱出を試みるのは不可能だ。
「あと一つ、確認してもいいか?」
「ん、なんだ?」
「ここの病院の2階、患者は私の他に誰がいた?」
なんだ、突然に。
まさか、他の患者を疑ってるのか?
さっきはあれだけ3人を疑ってたのに・・・
「んーと、たしかシュヴァルツの他には、亡くなった林原さんと、あと男性が3名だけだったかな」
刹那、彼女は物凄い力で襟元を掴んだ。
そしてそのまま前後に揺らしてきた・・・カツアゲかと言わんばかりに。
「それは本当か!?」
「あ、ああ、さっき前田さんから聞い――」
「そうか、そういうことか――」
どうやら、事件の真相が見えたらしい。
患者の数聞いただけで何がわかったんだ。
まーた俺は置いてけぼりかよ、ちきしょうめ。
2016年2月21日、18時24分。
シュヴァルツは僕にみんなを集めてほしいと言い出した。
完全に信用したわけではないが、先程の表情からすると、恐らく推理は彼女的には完璧なのだろう。
まるで探偵だな―――探偵?
「おうおう、なんだよ、いきなり呼び出しといて」
「津田君、説明したまえ」
前田さんと大島さんが先にいらっしゃった。
僕は二人に事情を説明すると、少し渋った顔をしたが、とりあえずはこの場を収めてくれた。
程なくして、容疑者3名が現れた。
303号室は他の病室に比べて少し広いが、7人ともなると少し手狭く感じる。
あんまり長居すると酸欠になりそうだ・・・
「これで全員そろったな」
シュヴァルツの一言でみんなの視線は一転に集中した。
これから何が始まるのか、正直僕でさえよくわからない。
「では始めよう―――事件の真相を」
2016年2月21日、18時30分。
その一言で、空気が一気に引き締まった。
だがその緊張の糸をあっけなくプッツリ切る者が一人。
「あ?何すんの嬢ちゃん?」
そう、この中で一番最年少の彼女が、突然事件の真相を語ると言い出したのだ。
そりゃそうさってくらいあっけらかんになるよ、特にあのオヤジには。
だが彼女はモチベーションを崩さず、話を続けた。
「高柳宗一さん、溝端ノブさん、宮川茜さん、あなた方3人は今回の事件の容疑者です」
おもむろに啖呵切った直後のこれだ、当然一般人ならこうなりかねない。
「ちょ、ちょっと、何言ってるんだ君は!?」
「そうよ、いきなり呼び出して容疑者扱いなんて・・・」
「あたしゃあんまり良くないと思うよ」
三者三様の意見が、ここぞとばかりにシンクロする。
それでも尚彼女は微動だにしない。
「心配いりません、犯人は1人だけで、疑われているのはあくまであなた方3人というだけです」
間髪入れずに、彼女は話を続ける。
「では事件の概要を説明します。
事の発端は12時頃、高柳さんが見回りに来たときです。
先生は林原さんの容体を聞き、それから軽い談笑をしましたよね。
そして林原さんはトイレに行きたいと高柳さんに要求したので、あなたは車イスでトイレへ運ばれました。
前述にも合った通り、彼は車イスで行ったため、立って用を足すことは出来ない。
従って、彼は個室に入って用を足そうとしました。
そこで犯人は凶器を手に取り、林原さんを殺害――」
淡々と語り出す姿に、少し吐き気を催してきた。
何故そんなに冷静に話せるのだろうか。
人が死んでるのに、何故――
シュヴァルツは一瞬僕を見て、再び推理を開始した。
「犯人は林原さん殺害後、車イスに乗せて病室へ運んだのでしょう。
毛布か何かで体を覆えば、パッと見の違和感もなく、殺傷したことも気付かれませんし。
そしてベッドに寝かせ、更に布団を掛ければ、一見すればただ眠っているかのように装うことができます。
あとはトイレへ戻り、個室を水で洗い流して血痕を落とし、遺体に別のナイフを刺したのでしょう。
そしてその犯行が可能な人物が一人――」
そして、彼女はゆっくり腕を上げ、人差し指を指した。
「あなたですよ―――溝端さん」
部屋の入口付近で佇む彼女は、驚きを隠せないでいた。
必死で無実を訴える溝端さんを抑えながら、僕はシュヴァルツに問いかける。
「シュヴァルツ、何故犯人はナイフを刺し変えたんだ?」
検証の際、彼女は『偽装工作の為』と言った。
でも、改めて思えば何故偽装工作する必要があったんだ?
濡れ衣を着せるわけでも無かろうに。
第一ナイフで2回刺す理由が思いつかない。
「それも踏まえて、今回の事件のポイントを説明する」
1つ、部屋の血痕。
305号室にはナイフで刺したと思われる痕跡がなかった。
それは、血痕。
仮にナイフで身体を刺した場合、返り血が体内から飛び散り、拡散する。
もし病室が殺害現場なら、その返り血が辺り一面に残るはず。
だがそれらがなかった、ということは殺害現場は病室ではなかったということです。
2つ、林原さんが仰った『帰りは自力で行く』という言葉。
行きは高柳さんが車イスを押していったのに、何故帰りは自力で行こうとしたのか。
距離的には近いが、やはり誰かに付き添ってもらった方が楽なのは事実。
まして50代ともなれば、一人で車イスを操作するのも大儀な程。
ということは、帰りは誰かに押してもらう予定だったのでは。
それも、周りにあまり知られたくなかった人物と考えれば、疑問も少しは晴れるでしょう。
3つ、偽装工作。
溝端さんは林原さんを殺害後、凶器をどこかへ隠し、そのまま病室へ遺体を移しました。
そしてあたかもその病室で殺人が起きたように見せかける為、敢えてナイフを刺したのでしょう。
清掃員ですから、清掃用具を乗せた台車に凶器や凶器に偽装したナイフを隠し持つこともできるでしょう。
しかし、一つ過ちを犯してしまった。
それは、偽装工作の際に使ったナイフが、凶器より少し縦幅が短かったこと。
慌てていたのでしょう、それに気付かずそのまま刺してしまった――
「そして、以上のことから踏まえると、トイレでの殺人と病室での偽装工作が出来るのは溝端さん、あなたしかいないわけです」
決まったとばかりに王手を掛けたシュヴァルツ。
当然、溝端さんは黙っちゃいない。
「そ、そんなの言いがかりよ!
第一、トイレで殺害したのなら、高柳さんだってできるでしょう!」
「高柳さんは他の患者さんの見回りに行かれたので、もし犯人なら返り血を浴びたままということになります。
まして白衣となれば、それはあまりにも不自然すぎる」
逆上する溝端さんは、既に抑えが効かないほど頭に血が上っていた。
今にもシュヴァルツを殴りかからんとするこの人を、前田さんと二人掛かりでギリギリなんとか制御している程だ。
この人・・・どんだけ腕力あるんだよ。
「何が不自然すぎるよ!証拠を見せなさいよ証拠を!」
「女子トイレです」
不意を突かれてしまった。
何故ここで女子トイレが出てくるのだろう。
殺害現場は男子トイレ・・・まさか――
シュヴァルツは再び一瞬だけ僕を見て、かすかに口元が上がった。
「そう、凶器は女子トイレにあります」
なるほど。
現場が男子トイレとなると、反対側の女子トイレは関係ないと思われてしまう。
まして被害者が男性となると、女子トイレは完全な盲点となる。
そこに証拠を隠せば、見つけられないということか。
「普通に考えて、用具入れかトイレのタンクでしょう、あそこなら隠せるでしょうし。
作業着は台車に予備を用意しておいて、犯行後に凶器同様女子トイレに隠したのでしょう。
それに、ルミノール液を使えば、今はめているゴム手袋にルミノール反応も出るでしょう。
ゴム手袋は洗えば血は落とせますからね、きっと手袋だけは変えなかったんだと思います。
さて、何か反論はございますか、溝端さん」
いつ爆発してもおかしくなかった時限爆弾が0.1秒でストップしたかのように、部屋の中は静けさだけを放っていた。
入口付近で膝から崩れ落ちてうな垂れている溝端さんからは、もう抵抗するは感じられない。
それから10秒くらいしてから、重い口を開けて話し始めた。
「あの男、主人の上司だったのよ。
会社で嫌がらせや無理な仕事を押し付けて、主人を追い込んでいったのよ!
そして3ヶ月前、主人は首を吊って亡くなったわ。
あの男のせいで・・・!」
犯行の動機は、ご主人を死に追い詰めた彼への復讐だという。
曰く、ここの病院にパートで配属された際に、林原さんがここに入院していると知ったらしい。
そこで、清掃員という立場を利用して、この計画を思いついたらしい。
でも、一つ疑問が残っている。
「ちょっと待ったシュヴァルツ、『ナースコール』はどうなったんだよ。
あれだけまだ謎のままだぞ」
「これは私の憶測だけど、多分宮川さんへの嫌がらせだと思うわ。
ご主人を自殺に追い込んだ林原さんが、宮川さんと病室で楽しそうに話しているのが気に入らなかったんだと思う。
それで、偽装工作後にナースコールを押して、彼女に林原さんの死を最初に観測させたかったんじゃないかしら」
そうか、たしか宮川さんは他の女性の方から妬まれている可能性があるって情報があったな。
宮川さんの明るい性格が、返って仇となったんだな。
それが、まさか人を殺人者に仕立てるきっかけになるとは・・・如何ともし難い。
前田さんは泣き崩れている溝端さんの肩を支えながら、病室を後にした。
僕は、この釈然としない気持ちを抱きつつ、ただただ立ち尽くしていた。
2016年2月24日、朝。
事件後、シュヴァルツは体調も良くなり、退院出来るまでに回復した。
そして、そんな彼女を――逮捕しなければいけない。
「世話になったな、刑事さん」
「おう」
どこか寂しそうに見えたのは、決して気のせいではない・・・と思う。
そして、腰に収納していた手錠を出し、少しだけ昨晩のことを思い出していた。
もしこの子が、泥棒ではなく普通の女の子だったら――どんな未来を歩んでいたのだろう。
物思いにふけそうな手前で留まり、僕は彼女に手錠を掛けようとした。
「おお、いたいた、ちょっと待ちたまえ」
これまた渋い声に気付き、寸前で止まり、振り返る。
そこにいたのは、大島さんと同じくらいか、少し年上のような男性だった。
「あの、どちら様で――」
刹那、目の前が一瞬だけ歪んだ。
何が起こったかわからなかったが、徐々に広がる頭部の痛みでようやく気付いた。
あ、殴られたのか、僕。
・・・誰に?
「バッキャロウ!警視総監の御前だぞ」
あれ、前田さん、いたんですか。
―――警視総監?
男性は愉快愉快と言わんばかりの笑みを浮かべ、前田さんをなだめた。
「まあそう怒るでない」
失礼しました、とカッチンコッチンになる姿は実に滑稽だ。
こんな前田さん見たことないな。
ということは、警視総監―――相当偉い人なんだな。
「すまんな津田君。
私は矢島銀次郎だ、よろしく」
「あ、どうも。
それで、僕に何か御用ですか?」
「うむ。実はな、シュヴァルツの逮捕を撤回しに来たのだよ」
世紀の大怪盗、日本中の警察が血眼になってまで追いかけたこちらのシュヴァルツ本人を、逮捕しないだと?
正気の沙汰じゃない、どういうことだ。
「大島君から事情は聞いた、実に面白い探偵ぶりだったそうじゃないか」
「え?・・・ええ、まあ」
「そこで、警視総監として、君に命令する」
もうこの時点で嫌な予感がマッハで地球3周分するくらい頭の中で巡回していた。
まさか、そんなまさか―――
「怪盗シュヴァルツ、君には逮捕免除を引き換えに、探偵として警察の傘下に配属してもらう。
そして津田巡査、君は彼女とコンビを組み、これから寄せられるであろう数々の依頼を解決せよ。
以上だ!」
嫌な予感の予想は、弓道のベテラン並みに正確に的を得ていた。
というか、ちょっと待て、泥棒を釈放して探偵にする気ですか!?
「お、お言葉ですが警視総監、いくらなんでも怪盗を探偵にとは・・・」
「こんな小娘が3日前の事件を解決したのだろう?
そこに私は興味を持った、実に面白いじゃないか。
それに、牢獄で24時間体制で監視するのも気が引けるしな、それよりはこうして隣に警官を付けて探偵事業に勤しめば一石二鳥じゃないか」
高らかと笑えば笑うほど、僕のテンションは絶叫マシーン級に下落していく。
一方のシュヴァルツはというと―――
「探偵か・・・ふむ、面白い」
はい終了、僕終了。
勝手な命令で、どんどん話が進んでいく。
が、警視総監の顔がスッと真顔に戻り――
「けど勘違いすんなよ、お前を釈放したわけじゃない。
常に我々の監視下に置かれていることを忘れるな。
もし逃げ出したりしてみろ―――殺すぞ」
「ああ、わかっている。
どのみちもう怪盗としてはやっていけない、この身体ではな。
ではこれからよろしく頼むよ、警視総監殿」
――どっちが悪人だかわかんねえな、全く。
ガッチリ握手交わしてるけど、きっと力目一杯入れてるんだろうな、なんてお気楽なことを考えてしまう。
いや、そうでもしないと、卒倒して倒れそうなのだ。
軽く目線で火花をドンパチさせた後、シュヴァルツはこちらへと手を指し伸ばした。
「君もよろしく、津田君」
「お、おう。よろしく、シュヴァルツ」
「シュヴァルツは怪盗時代の通り名だ。
もうシュヴァルツとしての私は死んだよ。
これからは『レイ』と呼んでくれ」
「わかった。よろしく、レイ」
こうして、怪盗と刑事の探偵コンビが結成された。
この先不安だらけ・・・というか、不安しかない。
先が思いやられるが、なってしまったものは仕方がない。
「『探偵の相棒』―――か」
誰にも聞こえないくらい小さな声でそう呟いた。
空は明るいのに、風は冷たいまま吹き付ける。
桜もまだ、開花の兆しを見せてはいなかった。
To Be Continued...
※本作品はフィクションです。実際の個人・団体・地名・事件等とは一切関係ありません。