調査ファイル 028 [交響曲第0番 - 沈黙 - Part 9]
長々と過去語りをする田辺さん。
人によってはとても些細なことでも、彼にとってはとてもショックな出来事だったのだろう。
悪口を言われたから殺した―――
もしレイの悪口を言う人を見かけたら、僕ならどうする。
憎悪が理性に勝って、彼のように殺してしまうのだろうか。
刑事だ、と理性が勝って留まるのか。
それとも、そこまでに至らないのか・・・
僕は、田辺さんを見ながら、独り考え事をしていた。
「榊原さんの『悪口を言われた』というのが、殺害の動機・・・なんですね?」
「ああ、君たちにとってはしょうもないことだと思われるだろうけどね」
静かに息を吐いたレイは、ポケットから何かを取り出した。
先程鞄から取り出した凶器のように、何かが入っている透明な袋だ。
凶器程大きくなく、小さな袋の中にこじんまりとしている。
「これが、殺害現場から見つかりました。
チェロのケースの中にあったものです」
そう言って、透明な袋を前に掲げる。
中に入っていたのは、1枚の写真だった。
男性2人、女性1人がそこに映っていた。
「これ、秋元さんと榊原さん、そして田辺さんの3人ですよね。
あなた方を嫌う人が、このような仲睦まじい写真を持ち歩くでしょうか」
そしてポケットからもう1つ何かを取り出した。
同じような透明な袋には、キーホルダーが入っている。
メタリック仕様のそれは、三葉のクローバーの形をしている。
「こちら衣装のジャケットの胸ポケットに入っていました。
このキーホルダー、写真の中で3人同じものを付けていますね」
この辺で僕は薄々気が付いていた。
僕だけじゃない、榊原さんも、山本さんも気付いていただろう。
秋元さんは、榊原さんを嫌ってなどいなかったのでは。
それどころか、2人の事が好きだったのではないだろうか。
思い出を大切にしているところをみると、とても忌み嫌っているとは思えない。
「―――これは私の憶測ですが、秋元さんは田辺さんに謝りたかったのではないでしょうか。
恐らく秋元さんは、榊原さんを嫌うオーケストラの面々と食事をし、その際に秋元さんにも同意を求めたのでしょう。
お前も嫌いだよな、と。
しかし秋元さんは否定した―――でないと、このようなものを持ち歩くはずがない。
そして偶然あなたがその話を聞いてしまったことを知った秋元さんは、謝罪の機を見計らった・・・それが今回のコンサートだったというわけです」
田辺さんは、黙って写真とキーホルダーを見ていた。
3人の思い出が詰まった、絆を。
刹那、冷たい瞳に見えたのは、透き通った涙だった。
流れ始める、一直線にすうっと落ちたそれは、やがて床へと零れ出す。
1つや2つじゃない、やがて数え切れないほどに。
「今となっては、確認のしようがありません。
もう秋元さんは戻ってこないから。
そう、2度と・・・」
崩れ落ちる田辺さんを見て、僕は『哀れだ』と思ってしまった。
1人の女性の為に殺人を行うというのは、正直わからないでもない。
ただ、その理由が『悪口を言われていたから』というのも―――
僕は刑事、犯罪を憎み、犯罪者を取り締まる人間だ。
しかし彼を逮捕しようと考えると、どこからともなく来る躊躇いの感情が脳内に絡みついて止まない。
鎖の幽霊が体中を拘束しているような、なにか重苦しく感じるのは、決して気のせいではないだろう。
少し和らいだ一瞬の隙を見て、腰にある手錠に手を掛ける。
何も言わず、何も顔に出さず、粛々と錠を嵌める。
その時、僕はあろうことか刑事としてとんでもないことを考えてしまった。
『本当に、逮捕していいのだろうか?』
良いも何も、人を殺したんだ、逮捕しないでどうする!
どんな理由があろうと、犯罪者は犯罪者だ、けど・・・
哀れに思える彼を見て、居た堪れない気持ちに苛まれる。
推理が終わったのを見計らったのか、それともレイが事前に呼んでいたのか、別の刑事が部屋に入ってくる。
そして僕の代わりに田辺さんを連れていく、まるで機械のように、事務的に。
泣き崩れたのは田辺さんだけではなかった。
連行される田辺さんを見て、榊原さんは泣きながら大声を上げている。
山本さんが必死に抑えてから間も無く、田辺さんが刑事と共に部屋を出る。
彼の背中が見えなくなったその瞬間、彼女は地面にひれ伏し、言葉にならない声で嗚咽と共に叫び出す。
その姿に、コンミスとしての威厳など、微塵も感じはしなかった。
To Be Continued...
※本作品はフィクションです。実際の個人・団体・地名・事件等とは一切関係ありません。