調査ファイル 004 [嵐の前の夜に]
2016年2月26日、10時32分。
「こ、これは―――」
アタッシュケースの中には、大量に敷き詰められた紙幣が入っていた。
「ふむ―――」
冷静になる探偵と、呆然とする助手、基相棒。
経歴の差だろうか、にしてはあまりにもクールな表情。
やはり世紀の大怪盗様ともなれば、この程度の紙幣では驚かないということだろうか?
「ねえねえ、何が入ってるの?」
興味半分、不安半分といったところか。
子供ながら責任感も感じているのだろう、春香ちゃんは僕らに問う。
命を懸けて守っていた『何か』を知りたくて。
咄嗟にレイの肩に手を回し、右耳のやや後ろ側でモールス信号の如く短い言葉でのひそひそ話を始めた。
正直、僕の一存では決めかねます、はい。
「・・・どうする?」
「どうもこうも―――」
同じ考えだったらしい。
相手は子供、入っていたのは『お金』とストレートに言えば、少なからず『理解』はしてもらえる。
だが、あくまでそれは『お金が入っていた』ということ事象のみである。
何のお金?出所は?―――知るかそんなの。
もういっそのこと、全て投げ出してここから逃げ出したい。
・・・というわけにもいかないので、ここは逃げの一手を―――
「わあ、お金だ―――」
ぬかった―――!
やはり子供というのは侮れん。
しかしどうする、もしかしたら偽札かもしれん。
或いは紙幣はカモフラージュで、ケースの奥に何か重要な秘密が隠されているかもしれない。
「あ、こ、これはね・・・」
「紙幣だ」
見りゃわかるよ。
そういうことを言ってるんじゃない。
「しかし、それ以外は入っていないようだ」
ケースを持ち上げ、あろうことかひっくり返して紙幣の束をテーブルにばらまき始めた。
幸いテープは頑丈だった為、一枚も抜けることなく束のままで留まってくれていた。
そしてテーブルから弾き出された何束かの紙幣は、床へと落ち行く。
しかしこちらの探偵殿はそんなことを気にもせず、ケースの隅から隅へと目を光らせ、何もないことを確認していた。
「さて、どうしたものか」
せっせか紙幣をケースに戻しながら、レイの次の発言を僕の耳は待っていた。
その姿を見て、一緒に拾ってくれている春香ちゃん。
ええ子や、ホンマええ子や。
拾い終わったあと、春香ちゃんに一言お礼を言うと、今後について少し話そうとしていた。
「レイ、どうする?」
「ふむ・・・とりあえず、これはこちらで預かっておくよ。
目の届くところにあれば、いざという時もどうにかなるだろうし」
「そうだね。
春香ちゃんはそれでいいかな?」
どこか腑に落ちないような顔をしている。
それもそうだ、今日初めて会った人間に両親との約束を預けるというのだ、無理はない。
それでもわかってはいたらしい、彼女は子供らしく無言でコクリと縦に頭を動かして僕らに伝えた。
しかし、いまひとつ納得いかないことがある。
それは奴ら―――ヤクザ軍団の目的だ。
もしこの紙幣が目的だとしたら、何故第三者の春香ちゃん一家に預けていたのだ?
ご両親がグルで、ヤクザ軍団から保管の任を賜っていたとしても、何の理由もなしに突然アパートを襲うというのも聊か引っかかる。
では双方でいざこざがあったというのは?
・・・いや、それもない。
ならすぐにでも家族総出で住居から脱出しているはず。
春香ちゃんは、前述通り『突然』襲われたと言った。
準備が遅れたという線もあるが、果たして―――
運転しながら、助手席で眠る春香ちゃんに視線を向ける。
チラッと見たが、安心したが故の熟睡タイムとなっている。
一方で、謎多きアタッシュケースについて少し考えていた。
一体何なんだ、これは。
もしかしたら、僕は今『超絶ヤバイ事』に足を踏み入れてしまったのだろうか?
今もどこかで、ロングバレル装備のスナイパーライフルで狙っているのか。
はたまた、一般人に成りすまして、油断した隙に何か仕掛けてくるのか。
いくら考えても仕方がない、しかし怖いのも事実。
スピード違反で捕まらない程度に、僕はアクセルを強く踏んだ。
そして警察署に着くまで、スリップの危険性について微塵も注意を払っていなかった。
車を降りて署に入ると、自販機で飲み物を買っている前田さんがいた。
「おう津田、お疲れ」
「お疲れ様です、前田さん」
軽い挨拶をしたあと、取り出したばかりのコーヒーをこちらへ投げた。
珍しくナイスキャッチした喜びに一瞬浸ったが、前田さんはもう一度コーヒーを買い直していた。
お手数をお掛けします・・・
「ところで、その嬢ちゃんは?」
「はじめまして、立華春香といいます」
普段ムスッとした顔しかしない前田さんが、満面の笑みで接している。
この人も子供好きなのだろうか、指輪もしているし。
「お、自己紹介できるのかい、偉いねえ」
どこから取り出したのか、キャンディをあげていた。
若干警戒していた春香ちゃんも、僕の知り合いということもあって、少し警戒は解いていた。
美味しそうにキャンディを舐める彼女をよそに、前田さんは真面目な顔で僕に問う。
「・・・何か、訳ありなんだろう?」
「・・・ええ、まあ」
本当のことを全て話してしまいたかった。
そうすれば、身も心も楽になれた・・・そんな気がする。
でも、話さなかった。
話せなかったんだ、いやな予感がしていて。
だんまりを決め込んだ僕を見て、何かを悟ったような顔をしている。
「そうか―――」
重苦しく口を開いて放った言葉は、それだけだ。
たった3文字。
それでも、その3文字が銃弾で撃たれたように、心に響く。
警察総動員で喧嘩を売れば勝てるかもしれないが、間違いなく春香ちゃんにも危害が加わる可能性がある。
前田さんも、大島さんも、そしてレイも。
しかしそんな気持ちとは裏腹に、優しい口調で―――
「わかった」
そう言った。
何がわかったのだろうか。
しかし前田さんは僕の気持ちをそれとなく理解してくれたらしい。
経歴の差、だろうか。
俺は何をすればいい、そんな顔でこちらを見ている。
僕は前田さんに事件のことは伏せ、一つお願いをした。
「前田さん、この子をお願いできますか?」
いきなりで不躾なのはわかる、しかしこれが最善策だ。
これしか、方法がわからなかった。
すると、前田さんは悩む素振りもせず、了承してくれた。
ありがとう、前田さん。
署を出た僕は、帰路についていた。
春香ちゃんのことは前田さんに任せて、僕たちはあのケースと紙幣について考えよう。
もしかしたら、また奴らが事務所に乗り込んでくるかもしれない。
早急に手を打たなければ。
この時、僕たちは知らなかった。
あの札束が、後に大騒動を巻き起こすことを。
To Be Continued...
※本作品はフィクションです。実際の個人・団体・地名・事件等とは一切関係ありません。